第2話 同級生

 一ヶ月前の同窓会のとき、縹は柏木の隣の席に座った。柏木寛太とは、大人になった今も時々連絡を取り合っていた。


「両親は、俺が大学教授になったなんて周囲に自慢してるらしいけど、ポスドクなんて収入も少なくて、生活していくだけで大変でさあ」


 生物学の研究職についている柏木は、その待遇のせいで未だに独身で実家暮らしなんだ、と縹にこぼした。柏木の母親は、年齢とともに白内障が進み、ほとんど目が見えないらしい。その母を手助けしながら、実家でつつましく暮らしているのだ。


 ビールの酔いがまわってきた柏木が、気持ちよさそうに自分の研究の内容を話した。


「光学式擬態?」


 縹が耳慣れない単語を聞き返すと、と柏木は得意そうに解説した。


「うん。タコとかイカとかの頭足類がさ、体の色を瞬時に変えたりするだろう? あれは皮膚の下にある筋肉細胞の中に、熱電素子っていうのがあってさ。そいつが微細な電流の流れる向きによって吸熱と発熱を行うんだ。やつらの皮膚には虹色細胞がある。色素を含んだ反射細胞で、ホルモンや熱によって反応して、表面の色を変える機能があるんだ。だから、一瞬で体表面の色変えて擬態するなんて芸当ができるわけ」


「へえ、それじゃ、お前は今、イカやタコの擬態の研究をしてるのか」


 そこで柏木は声をおとし、縹だけに聞こえるように言った。


「イカやタコだけじゃない。人間だって擬態するんだよ。化粧とか、まさに光学的擬態だろ。顔に色をつけて、光を受けているように見せたり、陰影をつけて立体感を出す。それで顔の造作がかわって美人にみえたり、小顔に見えたり、左右の顔の不均衡を隠せたりするわけだから」


「なんだよ、お前化粧に詳しくなったのか?」


 縹はひやかし半分で笑ったが、柏木は酔いも覚めたかのような真剣な表情になった。


「いや、今、それについて美容専門の整形外科の医者に意見をきいてるんだ。この機能、人間に応用できたら、すごいぞ。あっというまに他人みたいな顔になれるってことだからな」

「人間が? 人工的にか」


 縹は半信半疑だった。


「うん。似た人工物がすでに開発されてるんだ。サーモクロミック液晶っていって、熱で反射率を制御できる特殊な液晶だ。こいつをプロテインやキチン質を原料として再現することができれば、おそらく人間も擬態の能力を手に入れることができる」

「カメレオン人間の誕生か」


 柏木は急に、うかがうようにあたりを見回した。宴会場の中で、自分たちの会話に関心を持っている人物がいないのを確かめてから、声をおとしていった。


「お前、小原幹生(おばらみきお)、覚えてるか? 今日は来てないみたいだけどさ」

「小原……?」


 縹の脳裏に、顔色の悪い男子生徒の姿が思い浮かんだ。たしか中学で一緒だった。その後はほとんど接点もなく、ずっと忘れていた存在だった。


 縹もさりげなく宴会場を見回してみたが、今日の同窓会には来ていないようだった。


「あの万引き事件、俺はあれが忘れられないんだ」


 柏木の言葉は、消えかけていた縹の記憶を呼び戻した。

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