第七章 物語のエンディングには何かしらの伏線が回収されるものだ 三話

目の前。

うつ伏せ状態で倒れたガウトは機械仕掛けの時計、あるいは主を失うマリオネットのように全身は脱力して、毒を飲み込んだ人間の如く表情は強張ったまま時が停止する。親友は叫ぶ事も叶わず好き放題身体を弄られ――挙句の果てに即死した。

足に力が入らないどころか、全身麻酔を打たれたように身体中の感覚が無い。頭痛が酷いうえ、今にも気絶しそうなくらい精神と肉体が疲弊しきっている。

「なぜアメリ、あなたは私達を殺そうとする、海人を壊そうとするの!」

「私という存在を生み出した創造神が海人を壊せと命じたの……精神的、肉体的にも。だから地獄は終わらない、私に宿る神が『もういい』と命じるまで。私はあなたから奪い続ける。これは私の願望でもあるわ」

「それが……私達仲間を殺した理由? ふざけないでアメリ! ふざけ……ないでよ、お願いだから。答えになっていない、私達が納得できる訳がない! どうして仲間を殺したの!」

溜まった涙をハンカチで拭き、淡々としたペースでアメリの元へ進み、立ち止まる。

そして背を向けたまま俺に――

「ごめん……ね。もう会えないのかもしれないから、先に謝っておいた。私がアメリの友人でありガラスト王国の次期女王として。民衆の前で二度と絶望を繰り返さず、私の流す鮮血が最後になるよう戦いたい。海人は止めるかもしれないから、優しいからきっと無理をしてアメリを殺せないと思うから……さようなら。愛しているわ、真神海人くん……やっぱり君は殺しが似合わないよ」

 ――最後になるであろう、言葉を送ってくれた。

 レイナの声は寂しく震え、その影は離れていく。

 俺は声を掛けられずにただその事実を心の中で何回も咀嚼するしかない。事実が呑み込めず喉元に挟まり続けた言葉はやがて、膨らみ爆発するのだ。

「行かないで……やめ、てくれよ、もう……」

「へぇー流石はレイナ、次期女王様だ。私が短気だって覚えていたのね」

「私はアナタの理解者だもの……自称だけど。アメリはすぐ頭に血が上りやすいから、伝えたい言葉を先に済ませておいたの。時間を掛けて申し訳ないわね」

 徐々に近づく互いの距離はやがて一定の距離内――刃渡り七十センチの日本刀が心臓を抉り取る範囲で落ち着くが、俺の目線だと背後を映し出すレイナばかりで、心臓はこの瞬間にも活動停止しそうなほど緊張していた。

「もう……これ以上……は」

 絶望が復讐へ変わってしまうから。友達が仇敵へ変わる前に、俺から何も奪わないで欲しい、失いたくない。

「最終通告。コチラへ戻る気はない?」

「ふん、甘い事を抜かすようなら全員殺すよ? 私の運命は神と一心同体……海人に絶望を与える事が私の役目であり生きる意味そのもの。神の命令は絶対的で不変……もう、戻る事も叶わない地獄!」

「そう、なのね……もう……」

「自分が自分であり続ける限り! この運命から逃れる事は出来ない、欲求として本能レベルで刻まれている私の……殺害衝動を止められる訳がない!」

 エメラルドグリーンに染まるツインテールが解かれ、日本刀はドス黒い瘴気を纏わせたままレイナの方へ進む。

 もはや、ここにアメリ・アスターという人物はいない、たった今彼女は死んだ。

「だからさ? 交換条件……どうかしら?」

 レイナの耳元でそっと囁く彼女の口元と鋭い視線は、俺を嘲笑うようなニタリと機械的に、ゆっくりと歪む。不安と唾を一緒に飲み込むレイナの喉音が、へたり込む俺の緊張を助長させる。目の前で繰り広げられる会話は所々、読み取れない箇所はあるけれどアメリがレイナにあらぬ条件を突き付けている事だけは分かった。

 嫌な予感がする。このまま物語が進むとレイナは確実に殺されると想像がつく。

「ガアァァァァ! 諦めてたまるものか、失ってたまるか! 動けよ、俺の身体!」

 上から全身をプレス機で圧縮される感覚。全身の筋肉が思うように弛緩せず、痺れて上手く動かせない。全ての行動を拒否される状況だが、レイナ一人だけでもいいから救いたい、主人公として仲間として――俺を好きになってくれた少女の為に。

 ……ここで救えなければ、俺は主人公でも何でもない存在になる!

 最悪な結末は自分の命と引き換えになろうとも回避したい。

「兄さんの、散って逝った同胞の……仇!」

「交渉不成立かー勿体ない。ワタシ、生意気な人間が嫌いなのよね。正義感を振り回す奴が――一人残らず死んで欲しいくらいに、醜いお前らが嫌い!」

 一瞬、アメリの双眸がゴミを見るような瞳へ変わった気がする。人間以下の蟻を見るような差別的視線と日本刀がレイナの頭上から振り下ろされ、ギリギリのところでレイナは後ろへ回避――

「はい、騙されたー。さっさと死んでね?」

「レイナ!」

 ――したが、硝煙と耳を劈く爆音が、銃声が聞こえてしまった。

「かい……と……」

 遅かった。

「はあーあっけない。もう少し楽しませて欲しかったな」

 艶めかしい表情と光を失った瞳は、まるで己の義務を果たすだけの殺戮兵器、もしくは殺し屋。

魂が抜け落ち、赤い命を腹部から零し床へ倒れるテレシアの身体を、奴――アメリは軽々しく右へ蹴とばしやがった。それも俺の前で。

「ヤダー怖い顔しないでよ~じゃないと、もっとアナタの前で殺したくなるから……ね?」

「お前! ふざけるのも大概にしろ!」

アメリの発言、その行為は命――レイナに対する侮辱であり、俺を憤怒させる動機としては充分過ぎるくらいだ。悲しさよりレイナの死をバカにされた怒りの方が大きく自動車に燃料が積まれたような、全身は熱く火照り心に正義の灯が宿る。

「へぇー私の呪縛を否定するか……根性あるのね、海人は。全てを失ってからだと意味無いけど」

「お前を……今ここで、殺す!」

「私を止めるつもりじゃなかったの? 随分と暴力的思考に変わり、ソレが正当化されているようだけど。まあいいわ、それよりも……リーナはいつまで寝ているのかしら? いい加減、起きないとアナタの大切な主人公が死んじゃうよー」

「おい、待ちやがれ! テメェ逃げる気か! 殺してやる、絶対に呪い殺してヤル!」

「吠え続ければいいさ、無駄な理想を抱いてね。だって私を殺せるのは、ワタシだけなのだから……」

 興味なさげのアメリはコチラへ背を向けたまま背後、左端にうつ伏せ状態で倒れるリーナの元へ歩みを進めていた。

置物同然、存在自体が否定された気分――相手にされていない、自分にとっての脅威だと、敵だと認識されていない。

奴の背後は、がら空き。おまけに俺は奴の縛りから解き放たれ、いつでもロングソードを顕現させて振り回せる状況。このチャンスを見逃すなど愚行そのもの。

「……そうかよ。じゃあ、お望み通りに……殺す」

 走り出す頃には何もない両手にずっしり、形を帯びた凶器が添えられていた。ロングソードが左腰辺りに構えられ、定位置を確保しているのが分かった。

五メートルに満たない奴との間合いは短いようで長く感じる中、殺意の行方は確実に敵領域へ足を踏み込んでいる。

……この一手で、奴の首を落とす!

心の中で意気込んだ刹那、ロングソードがアメリの背に掛かる瞬間。

「海人、これは君が負うべき罪じゃない。創造神を殺すのは私――フラグ回収師の仕事であり、死者を出してしまった私の責任だ!」

 一筋の光、希望が再度呼吸を始め、俺の手は空気だけを裂いた。

「リーナ……お前、生きていたのか! 遅すぎる、遅すぎるぞ!」

「すまない、君の仲間を守れなくて……」

「心配させんな……バカ! 体調は、呪いは大丈夫なのかよ」

「実のところ、呪いの後遺症が残っていてフラフラさ。布団が視界に入っただけでダイブしたい程。立っていられないくらいに……」

 おぼつかない足取りと脱力した両腕は、血が染み込んだ白い制服の悲惨さを引き立たせるようで。確かにリーナの活動限界を示していた。

「前と同じで懲りないのね。いい加減、諦めたらどう? 私は創造神よ、干渉力も異なれば次元も違う。私は殺されないし殺せない、リーナは血を吐き起き上がることも出来ずに海人は彼女へ近づくが、何もできずに終わる未来……」

「どう、かな。私は海人みたいに甘くはない……ぞ……」

 右手で胸倉を押さえ、その場で崩れるリーナの元に俺は駆け寄り手を貸すが、あろうことかリーナはソレを拒否し、自ら立ち上がろうと膝に手を置く。

「無茶をするな! アメリは俺が……この手で!」

「奴のシナリオに従う君が対抗できる訳がないだろ? ここは私が海人のフラグを回収する回収師として、この世界に責任を持つ以上、君を汚す訳にいかない。今だけは人公交代だ……心に刻むと良いさ、奴の卑劣さとフラグ回収屋、我々の現実……を!」

「おっと危ない、危ない。猛毒入りの短剣を隠し投げるなんて、よほど私を殺したいのかな?」

「ああ、ずっと前から……いいや、あの時から殺したい感情は変わっていない」

「偽善者ほどよく吠える」

「人の皮を被ったバケモノが何をほざく。偽善者、悪だと言われようが、今度こそ私は『創造神』を殺してみせるさ」

 力強く頼もしい声音で、しかし包み込むような微笑みでリーナは俺の心に挟まる無力さと怒り、不安と絶望を一身に受けて敵地へ脚をゆっくり踏み込んだ。白銀に輝くロングソードを右手に持つリーナが俺を追い越し、輝いて見えた。

「神殺し……いい加減、諦めたらどう?」

「残念ながら、かすり傷さえ与えられていないのが我々の現状でね、アメリ。この身が生き続ける限りアイツが定めた過去未来現在の全てを否定してやるつもりなのさ」

「随分と暴力的思考が育ったようで……」

「陰湿な貴様のやり方を採用しただけさ。自らの策で自爆するのがお似合いだよ、創造神はね」

 互いの弱点、あるいは情の乱れを探るように会話のキャッチボールは継続され――

「まあ私達の目的は達成された事だし、もうこの世界に用は無いのよね、実際……」

「黙れ! ここで貴様を葬る!」

 ――強引に会話を終了させ、アメリとの間合いを踏み込んで詰めるリーナの姿がそこにはあった。

 目の前で繰り広げられる戦闘だが――

 ……待て。レイナは何処に居る?

 ――何故、レイナの身体が何処にもないのだ。

「あら? 残念でしたー動きません、カラダ」

 瞬間、冒頭からラストシーンへ一気に飛ぶ。

 ……一瞬の勝負だった、一騎打ち。

硬直する敗者の額をデコピンでつつくアメリの姿が映し出されていた、まるで始まりから終わりに飛ばされた感覚だった。

あと一歩、約ニ十センチで刃が届いた。なのに、リーナの全身と振り下ろされた日本刀は石化したように動かないどころか、喋る事さえ叶わないと理解できる状況、絶体絶命――本当の絶望。

……このままだとリーナが殺され、物語も全て終わる。この場で動けるのは主人公である俺だけだ、負けてたまるか!

「クソったれがあぁぁぁぁぁ! レイナを返せ!」

 武器も知恵もプライドも無い、捨て身の殴り込みだった。

 右手に持つロングソードの不要な感覚など無視して、無意識に刃を――

「返してあげるね」

「カイ……ト……どう、して」

「ああ、があぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ――降ろしてしまった。

 レイナの右肩から。

「ち、が……」

「アハハハハハ致命傷! 死ぬよ、死ぬ。せっかく返してあげたのに、何している? この人殺し主人公! お前なんか死ねばいいのに……死ね、死ね、死んじゃえ!」

 腹部までが真っ赤な血で染まる。

「海人、正気を保て! まだ今ならアメリ、創造神を殺せる!」

「……」

 目の前でドサッと何かが落ちる以外、音が籠って聞こえる。

「お前を、必ず……コロス!」

視界と意識が赤くて鬱陶しくて、下を見る。

「最後に好きな展開を見せてもらったわー最高! ありがとね、主人公さん。一番大切な仲間の最期を海人が、自分が下すなんて素敵だったわ、イイモノを見られたので私は満足でした」

 死にたくて、ふと前を見た。

「なので私はココでお別れをしたいと思います。また次の世界、物語で逢いましょうリーナと海人。さようなら異世界、さようならフラグ回収師、さようなら主人公。そして、さようなら――アメリ・アスター」

 アメリが満面の笑みで別れを告げた瞬間、目の前の轟音と共に火薬臭が鼻を劈いた。

 赤い。

 全てが真っ赤だった。

 意識が遠のく、涙が頬を伝う感覚と脱力する全身が――

「ま……て……」

 ――床へ到達した五感を最後に、俺の意識は暗闇を受け入れた。

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