第六章 魔王が大口を叩けば、死亡フラグは牙を剥く 四話

「全く愚かだな……リーナも、慢心したこの人間も。いい気味ね、あなた達は終わりよ」

「さあ……どう、かな……」

 強がるリーナの声音に余裕など微塵も感じられない。

錆びた鉄の臭いがスーッと右から左へ流れ、俺の鼻孔と右頬を赤く染めた。

 ……ああ。この頬の違和感は、顔に飛び散る液体は、血液か。

 右半分に掛かった血を右手で拭きつつ誰の血液かと床へ視線を這わせる。相変わらず戦場は血生臭い香水でいつも満たされ――

「待て……待って、くれ……よ」

 ――弱々しい少女の語気と床に流れる血の量は、リーナがどのような状況下に置かれているのか、理解するには余りあるシーンだった。

鮮血はチロチロと、さっきまで俺が立っていた場所から流れ――右隣でか細い声を出すリーナの足元へ、それは血溜まりに変化し続いていた。間髪入れずに俺は視線を、急かされるまま意識を、右上へ向けてしまった。

見慣れているようで、見たくない景色と取り返しのつかない現実がゴチャつく。整理しようにも足の踏み場もない情報と感情が交差し、俺の涙腺と弱音を緩める。

情けなかった――本来であれば俺が受けるべき憎悪と苦痛、失敗を全て、両手を横へ広げたままの、無抵抗に等しい彼女が犠牲になった事が。

自分が許せなかった――真っ白な彼女の制服と純白の心を、俺のドジとミスたったひとつで裂き、俺如きを助ける為だけに使用し、赤黒く着色された中身を強引に出してしまった事実に。

「今は自責の念に、囚われている場合じゃない……だろ……海人。君なら倒せる」

「でも……だって……!」

 なんせリーナの腹部は血塗れの右手が露出し、ポタポタと赤い命を落として。それは純白の制服も赤黒く染め広げ、更にオーキスから受けた呪いが先程より増し、死が傍まで来ていたからだ。

「もういいかしら? 死人に口なし。それに、ウザったらしいアナタをそろそろ殺しておこうと思っていたの、タイミング良いわ。じゃないと、私達の世界が終わるもの……嫌よね?」

 何食わぬ顔で、悪気や躊躇する様子も無く、奴という本能的に相容れぬ存在は、俺に同意を求めつつ赤い手を見せつけるよう素早く引き抜くと、血塗れの右手がリーナの頬を撫でた。

そして家庭ゴミを投げ捨てるような気楽さで、あろうことか奴はリーナを放り投げた。

弧を描き左端へ飛ばされたリーナの全身は堅い床に打ち付けられる形で静止し、ドッと内臓まで届きそうな不快音が耳に広がった。ピクリとも動かないリーナを見れば今すぐに救出してやりたい。

……いや違う。彼女を救いたいのなら、犠牲を無駄にしたくないのなら自分のミスを取り戻したいのなら、やる事は一つ。

 自分への問いかけ。それは自身の根底にある深く根を張った理想のリミッターを、足枷を解放すること。

 口腔から肺に空気を送り、俺は奴に話す。

「俺は間違っていた。誰も苦しまずにこの戦争を終わらせる方法があると思っていた、非暴力主義が正しい手法だと今も俺は信じている」

 この世界で非暴力は無抵抗と同じ。俺が掲げた非暴力という名の正しすぎた理想は、残酷で厳しいこの異世界で無力に等しい。否、文明の利器や人外が存在し、今でも遺恨や負の歴史が根強く残る複雑な世界だから。

 故に――

「だがな、俺はこの世界の主人公。今この瞬間だけは最後のフラグ……魔王、貴様を殺す必要がある。俺がフラグ回収師であり続ける限りな!」

 ――俺はリーナ所属のフラグ回収屋として、自分の責務を果たすと決めた。

「アハ……ハハハッ……アハハハハ!」

 脈絡も無く感情に身を任せて奴はその場で笑い出す。今更か、お前も我と同じだ、と嘲笑しながら。

「自分が殺されるのに随分と余裕じゃないか魔王……何が言いたい?」

魔王は更に言葉を並べる。

「人間よ、貴様は必ず死ぬ。生存した同族の手で……な!」

 予言めいた奴の一言。

 ……奴は俺と同じ人間の手で殺されると言っていた。それは裏を返せば、この戦いで俺が戦死する可能性は無い事を指す。

「カイト……し……た!」

「しまっ……」

 反応が遅れた、というより奴の存在を意識から外した俺の落ち度だった。幸いな事に意識をぎりぎり保つレイナが即座に奴の動きを伝えてくれたことで、死の一歩手前で剣を持つ指は動かせた。

 数秒前に存在した魔王の姿は、純白と漆黒の髪の毛一本さえも視界から消え――

「……ッ! 流石に速すぎる!」

 ――下から腹部を目掛け、更に蛇の毒牙が俺を襲う。

 右方向へ飛び出した魔王の身体は正面を向き、両膝はクラウチングスタートのように低くひん曲がって全体重が預けられ獲物を前にした鷹の如く、鋭い虹色の眼光がコチラを射抜いた。腹部には到達寸前のダガーナイフ――再生した生爪は左方向から赤い雨を降らさんとやって来る。

「貴様は我そのものだ……考え方一つで物事の軸はコインのように裏返る。それが決して抗えない、生あるもの全てが持つ性だ……」

「だからどうした? 俺は変わらないし、心に深く刺さった軸を変わらせはしない。俺が許さない!」

 右方向から飛んできた奴の横薙ぎ払いを俺は能力で無効――攻撃前に戻す。

 ……格段に能力発動時間が前よりも大幅短縮されているな。

「カイ……ト」

「だってそうだろ……リーナ? お前がヒトである限り、暗黒世界を切り裂いて星空という希望を全人類に見せなければならない使命がある。俺は――」

「血塗られた歴史を、また繰り返すか。皮肉な話だ、我々の相棒がここまで落ちていたとはね……」

「――誰かが悪にならなければ、物語は終わらない……分かるだろ?」

 かつて人間と魔王は共に文明を築き助け合った歴史を言伝で聞いた事がある。だがしかし証拠も無いうえ、もしかすると全くのでたらめという可能性が無きにしもあらず。

 ともかくだ、魔王を倒すのが最優先事項だ。

 人間、誰しも置かれた環境や慣習が生活に密着すれば、理解し難い行為や法則も筋が通る内容へ脳が順応するように作られている。思えば日本食の寿司も、外国から見れば魚の切り身を生で食べる奇妙な文化だが世界へ広まったし、アニメやライトノベルも徐々に世界へ認知され始めている。非日常が日常ではなくて結局のところ等しく同じ日常だ――認知しているか否か。

……だからこそ人間に潜む思い込みは、この世界で注意すべきモノだ。特に前世の法則が染み付く人間は。

主人公だからと言って必ずしも言動が正しいと限らない、文章だって世界には左から読み進める言語も存在するくらいだ。夜だって地域や国が違えば訪れる時間帯も異なる。

「しかし案外、自分の好きな漫画のセリフも逆から読み進めると新しい発見があったりして――」

 周囲の音と風、空間が止まる。

 これだけで俺のセリフは失言に変換され冷や汗が背中を伝う。ココは漫画喫茶やネットカフェでもなく戦場だ。

……勘違いするな、海人。

 その刹那、目先は血を滴らせながら迫る爪が見え、俺は思考など後回しに本能のまま上半身を後ろへ百八十度倒す。奴の右手から繰り出される風を裂き進むナイフは冷たくも対象物の内臓を抉り出す、ただその一点を見つめていたように思える。

行動が単調な分、スピードは速い。

しかし奴の横薙ぎ払いを俺はバク宙で後ろへ回避――

「もう……遅い!」

「なぜ、我、私が……!」

 ――着地し、それから正面を向くタイミングで右足をバネに、一気に刃先を魔王の懐へ伸ばす。

「汚らわしい爪を俺の前に立てるな、見せ付けてくるな……」

 俺は今、とても怒っている。

 彼女を傷モノにしたアイツがのうのうと生を謳歌しているのが気に食わないのだ。これではリーナが浮かばれない。フラグが、人類が……とか、もう眼中に無かった。

 ……これは奴の攻撃で苦しんだ本人、リーナの反撃でもある。

「死んで詫びろ、この、外道!」

 俺は右手に持つ凶器を再度噛み締めるように握り、低姿勢のまま加速――目の前のヤツを確実に仕留める為だ。

 周囲の視界と色が、点と化し左から右へ伸びていく。轟、と耳奥まで鳴り響く風音が俺の憎悪を表すようでもある。

風圧でなびく前方の綺麗な白髪、憎悪と邪気で満ちた漆黒の髪、女性であれば己が命より大切な、肩まで伸ばされ艶めく美しい髪を巻き込んだまま俺は迷わず縦に一刀両断。生物共通の弱点である心臓を奴は両手で、その退路を断とうと試みるものの既に時遅し。

奴は心臓を手で守ること叶わず――

「ぐっ……ニンッ……ゲン……」

 ――前進し続ける俺のロングソードが心臓を貫いた。

「俺の勝ちだ、魔王……」

「如き……私が、我が、倒れる……だ……と」

 剣が心臓に刺さっていようが、奴は赤黒く染まった凶器を抜こうと両手に力を入れていた。胸から鮮血が噴き出し、口から血が滲み出ようが奴――否、誇り高き魔王にとっては目前の死より「人間への敗北」がよっぽど気に障るらしい。

「お前の戯言なんて、とっくの昔に聞き飽きたよ……死んでくれ、さっさと」

 水面に落ちたアリが生き延びようと足をジタバタ動かすように見える。正直リーナを殺しておいて、いざ自身が同じ立場に足を踏み入れた瞬間――死の結果を受け入れず、抗う姿が気に障る。

 ……ふざけるな! リーナがどれだけ辛くて悔しい思いをしたか。

「お前に、大切な人を失う感情が理解できるか? なぁ!」

生に対する魔王の未練がましさに俺は見苦しさを覚え、吐き気すら込み上げてくるほど気持ち悪くてしょうがなかった。

だから最後にひとつ確認しておきたかった、魔族にも人間の感情が存在するか否かを。

「ハハッ……アハハ……アハハハハ!」

 奴の回答を数秒待つが、取って付けたような笑みと声音が反復されるだけで、得られる情報はなし。

「……そこまで人間の会話に混じりたくないのかよ」

 魔王を生かす意味は無くなった。

魔族が人間を見下したように、俺は魔王に怒りと軽蔑の視線をぶつける。もはや殺す行為に躊躇いと心の足枷は外され、復讐を肯定し正当化する自分が悔しいけれど居た。

ロングソードを抜く――奴の胸からドロッとした鮮血が噴水のように吐き出され床へ倒れると、絶叫も同時に聞こえてきた。

「ギャーギャー騒ぐな、みっともない。最後に一言だけ、聞いてやる……せめてもの慈悲と知れ、魔王」

 ロングソードの切っ先を魔王に向けて俺は再度、狂った笑いを続ける魔王へ視線を合わせる。切っ先から滴る血がピタピタと床へ落ちる度に、時間と緊張感が増していく。

 奴の青白い魔力が徐々に空中へ散布され消えゆく様を目視すれば、やっと魔王を追い詰めたと確信できる。

……だがしかし、可笑しい。モヤモヤする。

 トドメを指す為にロングソードを右手で振り上げたのは良いが、心臓部を手で抑えたまま嗤う魔王の反応が敗者として相応しくない幕引きのように思えた。

まるで――

「何もかも全て終わり……せいぜい、変化無き運命に抗うが良いぞ……ニンゲン」

 ――ここからが本番だと言わんばかりに。

 俺の前でそっと魔王は虹色の双眸を閉じ、生命の退路を自ら閉ざした。

 終幕、この物語の始まりと終わり、負のフラグの元凶と原因が――やっと終わる。

「死人に口なし。屍は早急に冥府へ戻れ、敗者よ」

 互いに侮辱の意思を込め冷笑し憎まれ口を叩き合う。奴の行動には裏があると考えたものの何も起こらない、恐ろしいほど現状は変化せずに、ただ時間だけが消費されていく。

 おぞましくも気持ち悪い予感を早く終わらせたい一心で。

頬に伝う血液交じりの汗を左手で拭い、魔王の首元に狙いを定めると、俺はロングソードを振り落とした。

ドスッとリンゴの入った紙袋が道路に落ちるような、けれど衝撃はリンゴのパイが潰れたように、魔王の首が床へ転げ落ちる。

魔王の赤い中身が俺の両脚、両手、胴体に付着。

糸を引き床へ垂れる血液は、まるで俺の足元に転がった自分達の寄り所――魔王の首を探しているようで妙に艶めかしい。

……俺が殺した、のか?

首を失う魔王の胴体が、力なく俺の足元へ倒れ現実を叩きこむ。まるでカスタネットを叩いたように両手はカタカタと音を立て、俺はその場に力なく膝から全身へ崩れ落ちた。

「海人! 大丈夫? 海人!」

「その声はレイ……ナ……?」

「喋らないで。私は動けるようになったから。……慣れない能力行使に身体が疲弊しきっている。後は私に任せて!」

 そう言って、レイナは右側に来ると華奢な両腕で俺の身体を抱きかかえつつメア達が居る後方へ歩き出した。正直、褒められた勝利でもないし、本来手を貸す側の男が補助されること自体、恥ずかしくて仕方ない。

 だから俺は見栄を張ろうとレイナの思いやりを断る。

ちっぽけなプライドだった。

「一時的に身体が言う事を聞いてくれないだけだから、何も大事にしなくても……」

「バカ! 海人は私達の為、人類の為に、自らを犠牲に魔王を倒してくれた。私達の悲願を、ガラスト王国民が成すべき事を――この世界の住人ではないアナタが……みんなを救って……」

 晴天のような青い瞳を涙で濡らし、全体重を預ける右肩は震え。

「呪縛から解き放ってくれた……海人ありがとう、死なないでくれて」

レイナは俺の顔を両手で持ち、覗き込み外から泣き顔が見えないよう俯くと感謝を述べた。

「……レイナ」

 俺はやっと魔王を、自身に降りかかる負のフラグ――その原因を解決できたと改めて理解した。

 ……いや、待てよ。

負のフラグを解決できたのなら、俺をココまで導いてくれたフラグ回収屋、フラグ回収師リーナとテレシア達の元気な姿が見えないのは可笑しい、それどころか戦闘音が無いのだ。

「魔王は倒せたはずだよな?」

「何を言っているの? 海人が魔王を倒したはずでしょ?」

「だよな……なんで俺達の足音以外……聞こえない? 戦場だぞ、ココは。敵や味方のどちらかの足音が響かなければ可笑しい場面だぞ」

「……そう、だね」

 自然と会話は途切れ、俺達は耳を澄ませていた。

 ……何か、重要な事象を見落としていると思って、違和感が拭えないのだ。

「おい、レイナ! そう言えばリーナ……リーナは無事なのかよ!」

「あの女は死んだ方がいいかなー。それに魔王……コイツは最後まで役立たず、ゴミのままだったねー。まあ、私の出番を引き立てる役目はこなしたから許してあげようかな。って、一人で暴走し過ぎるのは良くないよねー私の悪い癖だよー? 主人公を苦しませて壊して精神崩壊させて、生き地獄を見せるのがジョーカーである私のシ、ゴ、ト」

 メア達が留まる場所と我々の現在地を繋ぐ道を塞いだソレは、再会と理想――俺達のエンドロールを悉く破壊する。

 

 どうして。

  

 この一文だけが脳内の何処か遠くで木霊していた。

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