第4話 叶わぬ願い(ハガネ)

(ハガネ)


 人型の影は影絵のように輪郭しかわからない。髪は長い。背は高くない。ハガネと同じくらい。ドレスのような服装。人の女性であることはハガネにも分かる。

 ハガネは刀を抜く。影の動きは遅い。ハガネは急がずにゆっくりと近づく。五感の鋭いハガネだが、影からはいかなる気配も感じない。

ハガネは間合いの数歩手前で止まる。

 ハガネは最後の一歩を踏み出し、袈裟に斬ろうとしたところで思いとどまる。これは斬れないと、ハガネは理屈ではなく感覚で理解する。しかしなぜ斬れないのかわからない。ハガネに斬れないものなどない、ということはもちろんない。ハガネの技術と彼の持つ刀の性能があればきれないものは限られるが、ハガネには魔術的な物には疎い。この影はその領域に属するものだ。

 しかしハガネは頭では考えない。刀をしまい別の刀を取り出す。三岳を使うのは惜しいので、なくしても惜しくない刀に取り換える。

 呪言が彫られた刀を取り出し、影の首を横薙ぎに払う。手ごたえはない。刀身は影に触れた部分から先が消失している。

 ほんのわずかな気配を感じてハガネは飛びのく。影の輪郭だけでは判別できないが、ハガネに向かって手を伸ばしたようだ。ハガネの服の裾が触れたようで消失する。

先端が失われた刀の残りを影に投げつける。吸い込まれるように暗闇の中に消える。あの黒い部分に触れれば消えるということを理解する。ハガネは触れずに斬ることは可能だろうかと考える。

 ハガネはレンのところまで戻る。

「斬れない。実体がない」

「刀はいいのか?」

「今のはいらないやつだ。呪われている刀だ」

「ああ。あれか」

 ハガネの言葉にレンが頷く。人を殺せない呪われた刀だ。ハガネには必要のないものだろう。

 影はゆっくりと歩き続けている。

「あれはどこに向かっっているんだ?」

「城の方だな。ルル、何か分かるか?」

 エミリオがレンの問い答え、王女に話をふる。

「玉座の方でしょ。霊脈の中心はここだけど、あそこが霊脈の源泉だから」

「それはまずいな」

 それに答えるエミリオ。霊脈からすべて吸い取られたら、ガザは精霊を失ってしまう。

「エミリオの右手はどうだ?」

「今のままじゃ無理だね」

 レンの質問にトゥーンが答える。トゥーンは空中を歩いてハガネに近づく。先ほどの影の攻撃でなくなった袖の断面を確認している。トゥーンがレンに答える。

「封印をいっぱい解いたらアレにも触れられるようになるけど、解いた瞬間にエミリオは死ぬだろうね」

「……なるほど」

「なるほどじゃねえよ。考慮する価値があるように言い方するな。却下だ却下だ」

 何か納得顔のレンに対してエミリオが言う。エミリオはハガネにも振る。

「ハガネはもうギブか?『赤い死神』は打つ手なしか?」

「実体がないものは斬れない」

 ハガネはそっけなく答える。

「……そうか。レン、戦略はまとまったか?」

 エミリオがレンに再び振る。ハガネとエミリオはあまり考えることをしない。そこはレンとトゥーンの担当だ。

 レンは答えずに影をじっと観察している。

「トゥーン、あれはブラックホールみたいなものか? それとも虚無の塊? 高次元体ではないようだが」

「虚無の塊という表現は近いかな。大雑把にいえばエネルギー体の一種だろうけど」

「吸収したものはどうなる?」

「なくなっているのかな。マイナスの無限大のようなイメージ」

 二人が難しい話をしている。

「俺の右手も吸収させたら悪魔ごとなくなるのか?」

 思いついたようにエミリオがトゥーンに尋ねる?

「なくなるけどそれでいいの?」

「よくない」

 エミリオの右手には悪魔がついている。エミリオの旅の目的はその悪魔を消滅させることだが、ただ消滅させたらいいというわけでもない。

「虚数ではなくマイナスか」

「そうだね」

 レンはトゥーンと難しい話を続ける。レンは何かひらめいたようだ。

「エミリオはあと何回使える?」

「あと一回が限度だな。これで最後なら働いてやるよ」

「大したことはしない。エミリオ、右手であれを掴め。ツクヨミを使え。ハガネ、そして首を斬れ」

「掴めないぞ」

「斬れないと言っているだろ」

 二人同時にレンに反論する。

「それはこれから私が対処する。機を逃がすなよ」

 そう言ってレンは王女の元へ移動する。

 レンがうなだれているデレク王子に話しかける。デレク王子の目は絶望で虚ろだが話は聞こえているらしい。王子は小さく頷く。そしてレンは続いてメグと王女にそれぞれ何かを確認している。

「レンはなにをしようとしているんだ?」

 エミリオがトゥーンに尋ねる。

「マイナスだと触れられないんだから、一瞬だけでもプラスにしようとしているんでしょ。で、エミリオがツクヨミでその状態を再生すると」

「一瞬ってどれくらいだ?」

「それは精霊を扱う人次第かな。ルル王女はもうお疲れのようだからメグちゃんがするのかも。だとしたらほんとに一瞬かもね。コンマ二秒もてば上出来じゃない?」

 エミリオはトゥーンの説明で何となく理解する。精霊の力とエミリオの右手でおぜん立てをしてハガネがとどめを刺す。

「エミリオ行くぞ」

 レンからの号令がとぶ。

「いつでも来い」

 そう言ってエミリオが影に向かう。右手の包帯が二つ落ちる。包帯の隙間から邪悪な気配があふれる。こんなものを右手に飼っていることをハガネは理解できない。

「どれくらい持つ?」

「せいぜい一秒だ」

 一秒。ハガネにとっては十分な時間だ。

 ハガネが刀を抜き影と対峙する。今回はまともな刀を使う。愛用している三岳を。

 影は変わらずゆっくりと移動している。

 エミリオも影に近づき、右手を構えてタイミングを待っている。

 ハガネは影の一部の黒が薄くなるのをとらえる。

「エミリオ」

「お? 出番か? いいのか?」

 ハガネはエミリオに注意を促すが、エミリオの目には見えていない様子だ。

「ハガネには変化が見えてるの? ボクもわからないや。ここはハガネの感覚頼りかな? もういいの?」

「まだだ。まだ弱い」

 トゥーンにも変化は見えない。トゥーンは高次元にいるだけで別に万能というわけではない。どちらかというとハガネの感覚器官が異常だ。

影が急に玉座に向かって走り出す。危機を察知したようだ。

 ハガネが走って追う。

「エミリオ走れ!」

「ちょっと待て」

 エミリオは疲れているのか走れていない。エミリオと影との差が広がる。ハガネは先行して影を追う。しかしまだ斬ることはできない。影の色は薄くなり濃くなり刻々と変化する。この感覚ではタイミングがつかめない。影と精霊の力は五分のようだ、斬る瞬間に実体がないとハガネには何もできない。

「何とかしろ」

 ハガネはそう言うがエミリオの体力は限界のようだ。

「トゥーン! やれ!」

 遠くからレンの声が聞こえる。

「は? やめろ! ちゃんと走」

 エミリオの言葉が途中で消えて

「るからあああああああああ」

 影の前にエミリオが現れる。トゥーンがエミリオを四次元を移動させる。ハガネは特に何も感じないが、エミリオの場合は心と体に相当の負担がかかると聞いたことがある。

 エミリオが現れるタイミングで影の口元から胸にかけて断続的に色が付き実体が現れる。おそらく女性と思われる優しげな口元。細い首。細かく点滅する白と黒。その姿はエミリオにも認識できる。

「くそがあ! 久遠の新月!ツクヨミ!」

 ハガネが合図を送るまでもなくエミリオが叫んで右手で影の顔を掴む。悪魔の右手の掌が論理を超える。右手は影に干渉しても消えない。理屈ではない。悪魔とはそういうものだ。右手に捕まれた影が先ほど見せた人の姿を現す。時間の遡行。状態の変化。理屈ではないそう言うことができる。

 ハガネはすでに影に追いつき、刀を振り上げている。ツクヨミが発動してきっかり一秒で影の首を飛ばす。

 影の体が倒れ、そのまま消え失せる。エミリオが手を離す。頭は地面に落ちる前に同じく消失する。

 エミリオが倒れる。

 ハガネは刀の確認をする。刀身には傷一つない。

「おい。僕の心配をしろよ」

「男に心配されても嬉しくないだろ」

 エミリオがハガネに軽口を言う。機嫌のいいハガネはそれに応える。

「それは、そうだ。ルルは?」

ハガネはレンの方を見る。ルル王女はとうとう倒れたようだがレンが平然としているので無事だろう。メグが膝枕をしてDDが脈などを診ている。

「気を失っているが、死んではいないだろう」

「そうか。これで終わりか?」

「終わりだ」

 レンが近づいてきて答える。

「大団円か?」

「私にとってはそうだが、彼にとってはそうでもないだろう」

 レンが変わらずにうなだれているデレク王子に視線を送る。

「そうか。もう行くのか?」

「ああ、仕事が入っている」

「え? すぐ行くの?」

 遠くからDDがレンに尋ねる。

「ああ、すぐ出発だ」

「わかった」

 そういってDDがメグと言葉を交わす。別れのあいさつ。

 ルル王女の無事を確認したエミリオは眠りに落ちている。

「レン、適当に封印をつけて」

 トゥーンが歩いて近づいてくる。言われるままにレンがエミリオの右手に封印の札を貼る。

「ハガネは次どこいくの?」

「カハサに行く」

 DDがハガネに尋ねハガネが答える。ハガネはカトス・グラから聞いた情報を当たるつもりだ。

「ハガネ。新しい刀が必要ならいつもの問屋に寄れ。連絡は入れておく。トゥーンはどうするんだ?」

 エミリオの封印を確認しながらレンが尋ねる。

「エミリオが起きてから決めるけど、ボクたちは急がないからしばらくここでのんびりかな」

「そうか。一つもらってもいいか?」

 封印の札を掲げてレンがトゥーンに尋ねる。

「ダメ。エミリオの精神が持たないよ」

 残念だと言いレンはすべての札を貼り終える。立ち上がり。DDに合図を送る。

「私はもう行くよ。DD」

 DDが挨拶を終えて戻ってくる。トゥーンの頭をなでる。

「レン。またなにか情報があれば連絡してほしい」

「わかってる。また手伝ってもらうぞ」

 ハガネの依頼にレンが頷く。

「準備はいいよ。ハガネとトゥーンもまたね。エミリオにはいつもお別れのあいさつできないね」

 DDが残念そうに言いしゃがみ込んでエミリオの頭を撫でる。立ち上がってもう一度またねと言いレンの後を追う。DDは一度振り返ってもう一度手をふる。レンとDDはいつも通り次の仕事にとりかかる。彼らは目的のために走り続ける。

 トゥーンはDDにしっぽを振り返す。

「もう少し愛想よくしなよ」

 ハガネはトゥーンの言葉を無視する。

 カトス・グラの話では『劇団骸蝕』の生き残りの幹部は五人。一人はすでに殺している。もう一人のカトス・グラは今殺した。残り三人。『劇団』発祥の地とやらに行こう。そこに二人いる可能性が高い。必要であればレンの情報網も使う。エミリオも他のすべてもこのために使う。手段は選ばない。

 トゥーンはエミリオを高次元に放り投げて滞在先のベットに降ろす。エミリオは起きた時に苦しむだろうが運ぶのが面倒だから仕方ない。彼らはしばらくここに滞在して休息をとる。そして次の目的地へ向かう。


 三人はそれぞれぞれの旅路の先でまた出会うだろう。


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