第1話 それぞれの到着(エミリオ)

(エミリオ)


 何年振りだろうかとエミリオは思い出を引っ張り出してみる。エミリオにとって、この国との関わりはだいたいがルル王女との思い出だ。最後に会ったのは、何のパーティだっただろうか。二人で抜け出してしこたま飲んだことは覚えている。四年前のことか。

「エミリオ様、こちらへ」

 思い出に浸るエミリオに執事長が声をかける。執事長はエミリオとは顔見知りだ。城全体の執事長兼ルルの教育係。四年前に誰にも手に負えなかったため仕方なくトップがルルの担当になったと聞いたが、まだ変わらっていない。ルルも小さい頃からお世話を受けている執事長には少し弱い。執事長はエミリオの右手を一瞥するがコメントはなし。エミリオの右手は真っ青な包帯でぐるぐる巻きになっている。大部分の人間は何も聞いてこない。ファッションですと言われても、妖精が宿っていますと言われても返答に困るからだろう。

「最近はおとなしくしていますか?」

 エミリオはわかりきった質問をして場をつなぐ。エミリオもルルも真面目そうな大人は苦手で、真面目には生きていない。執事のお爺さんというはまじめな大人の代表例であり、善意を押し付けてくる堅物であるり彼らの最も苦手とする存在だ。ルルはそういうものへの反発で意気投合したんだったとエミリオは最初のことも思い出す。

「……」

 返事がないのは、余計なことを口にしない執事としての矜持か、単にエミリオと話したくないのか、わかりきったことは聞くなということなのか、全部か。まだ四年前の騒ぎを根に持っているのかもしれない。エミリオは小さくため息をつく。まあなんでもいい。あまり気を使わなくてもいいか。少し大人な態度を見せたのにやりがいのない。

 エミリオは長い廊下を進み階段を上がる。途中でハガネとすれ違ったが無視する。なんでここにいるんだという疑問はひとまずわきに置く。あとでトゥーンにでも聞くことにする。何か知っているだろう。

 エミリオは目的の部屋に到着する。場所は当時のまま、町を見下ろせる南向きの角部屋。これもルルのわがままで兄から奪い取った場所だ。

「エミリオ様」

 ノックをする前に執事長に声をかけられる。

「何でしょう」

「お久しぶりですが、本日はいかがいたしましたか?」

「いや、近くにきたからね」

「……」

 執事長はもったいぶらずに正直に全部話せと圧力をかけてくる。これは貴族の子供が子供のころに植えつけられる本能的な恐怖に訴えるものがある。エミリオは正直に答える。

「あと、変な噂をきいたので」

「はい」

 執事長は自らは何も話さずにエミリオの話を促す。

「噂は本当なのか?」

「噂の真偽は分かりかねますが、一つだけ」

「何でしょう?」

「何があろうとお嬢様をよろしくお願いします」

 エミリオはそらしていた視線を執事長に戻す。真剣な表情のお爺さんがいる。厳しさは愛情の裏返しということか。なんだかんだ放り出さずにルルの面倒をみいる人だ。

「もちろんですよ」

「ありごうございます」

 執事長が進み出てドアをノックする。

「お嬢様、お連れしました」

 執事長は返事を待たずにドアを開け俺を中に促す。

「どうぞ。中でお嬢様がお待ちです」

 エミリオはうなずいて、深々と頭を下げている執事の横を通って部屋に入る。

 一歩踏み入れると優しく甘い香りに包まれ、エミリオはいろいろと思い出す。匂いは記憶に強く結びついていると聞いたことはある。名前は知らないがルルの部屋はいつもこの香りがしていた。エミリオの正面には西の海の風景画。ルルのお気に入りの場所だ。左右に扉。寝室は入って右手側と、香りの記憶につられて、考える前にエミリオの体は自然とそちらに向かう。

「ずいぶん逞しくなったわね」

 残念なことに反対から声をかけられる。エミリオが振り向くと、そこには見たことのない女がいる。いや面影はある。四年分成長したルルがあきれ顔で立っている。

「なんで真っ先に寝室に向かうのよ」

「いや、つい、クセで」

 エミリオは四年前のルーチンをなぞっただけだが、ルルはお気に召さなかったらしい。

「見た目はずいぶん変わったけど中身はそのままのようね。安心したわ。今日はそっちに用はないの。この国の噂は聞いた?」

 ため息交じりに元の部屋にもどるルル王女様。ルルが向かいう先は客間兼リビング。エミリオは少し残念な気持ちもあるが、確かに今日来た目的はそれではないなと思い直し大人しく部屋の持ち主の後に続く。

王女様の愛称はルル。正式な名前は長かったのでエミリオは憶えていない。ヒラヒラがたくさんついたブラウスとロングスカートという装い。四年たっても服装の少女趣味は変わっていないようだ。顔が大人びているのでミスマッチにもなりそうだが素体がいいので、どうとでもなるらしい。長い金髪は複雑に編み込んでまとめている。ここも変わらず。四年前から背丈は変わっていない。体は脱がしてみないとわからない。

 テーブルにはティーセットが用意してある。エミリオの疑問が顔に出してしまう。

「紅茶くらいいれるわよ。文句言わずに飲みなさい」

 ルルが拗ねた声で命令する。エミリオは姉も紅茶をいれるのが好きだったことを思いだす。貴族の女性の嗜みなのかな。

「アダムスが入れたものほどおいしくはないけど」

 ルルは小声で逃げ道をつくりながら紅茶をいれる。アダムスが誰のことなのか思い出せなかったが、ルルが名前を出すということは執事長のことだろう。

 ルルが入れた紅茶をエミリオは受け取る。せっかくなので一口いただく。懐かしい香り。

「ゾラ―の紅茶か」

 久しぶりの故郷の香りと味。

「あら、わかる? 風の噂で家出したって聞いたから。用意したのよ。どう?」

 ルルは昔からよく気が付く性格だ。しかしそれを悪だくみとかにしか使わないから執事からもメイドからも嫌われている。見た目はいいし、基本の性格を隠して猫をかぶれよく気の利く良家のお嬢様になるため、諸国の貴族からの評判もいい。もちろん手痛い目にあった者たちは大勢いる。

 意外にも紅茶はいい味だ。姉の入れた紅茶ほどではないが、飲めないほどではない。

「抽出温度はよかったが抽出時間が長かったな。まあ、おいしいよ」

「……」

 気を使う間柄でもないのでエミリオは正直な感想を言う。おそらく執事長くらいしかルルにダメ出しなんてしないだろう。執事長が言いそうな言葉よりマイルドな表現を選んだのだが、ルルは不満気である。

「ふうん。これなら精霊に任せた方がいいわね。まあいいわ。練習台だったし」

 ルルは自分も一口飲んで、顔をしかめてカップを遠くへ置く。自分でもイマイチだと思ったようだ。エミリオは実験台にされたらしい。

「体調が悪いと聞いたけどそうでもなさそうだな」

 エミリオは真っ先に聞きたかったことを尋ねる。見た目は不調には見えない。

「あら何? 心配してきてくれたの?」

「いやそれだけってわけでもないが、いろいろ噂を聞いてね」

「どんな噂?」

 ルルがソファに座ると手元にオレンジジュースが入ったグラスが現れる。飛んでできたのではなくその場に現れる。ルルを見ていると精霊がいかに便利なものかと感心するが、これはルルが特別なだけだ。呼吸をするように精霊を使役できる者はルルの他にはいない。守護精霊の寵愛を一身に受ける精霊の女王。ガザの街ではルルの思い通りにならないことなど存在しない。そりゃ高飛車な性格にもなる。

「守護精霊の力が弱まって、妙な化け物が増えていてガザの街はもう昔の安全快適な街ではなくなった、と聞いたぞ」

 エミリオは一文で説明する。ルルがオレンジジュースを一口飲む。それだけ? という顔。

「そこに連動して精霊の女王の体調も右肩下がり。いまじゃすっかり昔のお転婆は影を潜めて……なさそうだな」

「全然」

 話してる途中でエミリオは否定する。エミリオは先ほどのアダムスの疲れた表情も思い出す。

 ルルは昔から精霊に引っ張られて体調を崩すことはあったが、それはだいたいが自業自得。精霊を力を使いすぎた代償だ。

「他にはないの?」

 ルルがつまらなそうに続きを促す。

「精霊の力が弱まった原因は、女王が守護精霊を乱雑に扱ったからで、ついに守護精霊に愛想につかされたとかなんとか」

 エミリオの話にルルはふんと鼻で笑ってあきれ顔をしてくる。

「なに? わたしってあんまり評判よくないの?」

「そりゃおまえ、いろいろヒドイことしてきただろ?」

「…………………………………………」

 五秒、バイオレーション。

「その辺はどうでもいいのよ。大事なのは悪鬼のほうよ」

 ルルは強引に話を変えてくるが、エミリオもそっちの話をしたかったので乗ることにする。ついでに補足すると街でのルルの評判はいい。いろいろと悪さもするがそれ以上に市民のための行動もとる。ルルにとっては頭の固いお偉方に反発しているだけだが、結果的にそれが庶民の味方になっている。病院の人員を増やしたり、公共事業を進めたりと上が断った案件の多くはルルに回され鶴の一声で進められることがある。それもこれもルルが精霊という労働力を無限に使用して無茶を押し通るからである。

「実際のところはどうなんだ? 悪鬼なんて昔からそれなりには出てくるものだったろ?」

「出てくるといっても郊外の話よ。あなたも外で悪鬼に遭遇したことがあっても城の中ではないでしょ? 今は街とか城とかで悪鬼の目撃例が増えているの。三日前には城にも出てらしいし。ちょっとおかしいのは間違いないわ」

 首をひねる王女様。

「守護精霊が守ってるんじゃないのか?」

「守ってるというかね、悪鬼っていうのは膿なのよ。便利の代償。機械化の代償で環境汚染されるようなもの。精霊を使ってるとどっかでゆがみがでるのよ。ゴミを遠くの処理施設に捨てるように、普段は人目の着かないところ、正確に言うと精霊が少ないところで発生してるの。そのうち消える。たまに旅行者が遭遇するけど、そんなもんよ。人の多いところで、さらに言えば守護精霊のおひざ元のこの街で悪鬼が出て来るなんて異常よ」

 エミリオはルルの説明に納得する。さすが精霊に寵愛されているだけはありそのあたりの事情には詳しいようだ。

「原因に心当たりはないのか? また無茶苦茶な使いかたしたとか? 瞬間移動とか天候操作とかダイヤモンド作るとか?」

「最近はそういうのはしないわよ。子供じゃないんだから」

「?」

「なによ」

 エミリオの表情にルルは子供っぽく口をとがらせる。

昔、二人でいろいろ試したときに、科学文明でできないこととして瞬間移動に挑戦したころがある。成功した。が、ルルはその後数週間寝込み。北のはずれの草原が砂漠と化した。キャンプの日をむりやり晴天にしたときは大型の悪鬼が発生して大暴れしたらしい。街から離れたところに発生したらしく人的被害はでていなかったのは幸いだったが、軍部総出で退治したとか。ここまでの無無茶苦茶はルルにしかできないがその分の反動も大きい。大概はルルが体調を壊し、悪鬼が出現し、自然災害が起こる。人的に被害が出なかったのはルルの力なのだろう。そういう過去のいろいろな実験をエミリオは思い出す。

「ここ一年で変わったことは?」

「うーん。兄さんが帰ってきたことかしら。デレク兄さん。十年くらい前に出て行ったからあなたは会ったことないでしょうけど」

「それも街でも聞いたが、どんな人なんだ?」

「あなたと同じよ。権力を持てない王国の次男坊。あなたは三男だっけ? まあいいわ。ジル兄さんとは違ってあまり社交的ではないし精霊の扱いも上手くないから、そんなに表だって人気があったわけじゃなかったけど。どちらかというと学者タイプかな。頭はよかったわね。それである日いなくなっちゃったのよ」

「なんで戻ってきたんだ?」

「わからないわ。小さい頃はしょっちゅう遊んでもらっていたから仲はよかったと思うんだけど。帰ってきてからは部屋に引きこもっていたり遠出してたりであんまり話はしてないわ」

 あからさまに怪しいとエミリオは訝しがる。ということは街の噂もあながち間違いとは言えないのか。

「街で聞いたんだが、その、デレク王子の婚約者の話は知っている?」

 とたんにルルが微妙な顔になる。聞かれたくないことを聞いてしまったようだ。

「そんなことまで噂になってるの?」

 噂は十年前にデレク王子が出奔した原因について。ある日デレク王子が、婚約者が消えたと騒ぎだした。城中、街中を探し回り、精霊を駆使し、懸賞金も出した。しかし何も見つからなかった。城も街中のみんなが戸惑った。デレク王子には婚約者はいない。誰も見たこともない。身分差があったため隠れて逢瀬を重ねていたのか。いや違う。王子がここだという婚約者の生家には別の家族が住んでいた。婚約者など存在しないとしか言いようのない状況。王子は失意のうちにある日姿を消した。

 そして半年前に戻ってきた。曰く、婚約者を取り戻すために。

誰から? 精霊からだ。

「……」

 噂をかいつまんで説明すると。むっとしている。

「人を存在ごと消すとかできるのか?」

「さすがに無茶でしょう。少なくとも私はそんなことはできないわ」

 ルルが無理なら誰にもとっても無理ということだ。

「というか、仮にそんなことできるとしたら私しかいないじゃない。私が何かしたってことでしょそれは?」

 たぶんその通りだろう。

「言っておくけど、デレク兄さんに婚約者がいなかったのは本当だし、城をでていく前に婚約者を探し回っていたというのも本当よ。……あんまり当時のことは覚えてないけど」

 消えた婚約者を復活させるため? どうやって? そもそも婚約者はいないということは、無から作り出すとか? 想像の婚約者を? わからん。こういう考える作業は得意じゃないな。レンがいれば丸投げするのに。

「……ところであなた、その右手、どうしたの?」

 ルルが話を変える。エミリオが考え込んでいたから退屈したか、これ以上身内の悪い話はしたくなかったのか。

「いろいろあってね。何か聞いてる?」

「テードフの家を出たという話は聞いたわ。理由はいろいろ聞いたけど、どれも眉唾物ばかりね」

 たしかに自分の噂話は嫌なものだとエミリオも顔をしかめる。だが確かめておいたほうがいい。

「ちなみにどんな」

「んーとね。いろいろあったから……」

 ルルは虚空を見つめる。思い出しているのではなく精霊を呼んでいるのだろう。ルルは精霊をメモ帳というか便利な秘書ロボット代わりにも使っている。

「ああ、これこれ。一番多く聞いたのは『蒼髪』の令嬢をたぶらかして呪いの術式をかけられたっていうやつ。蒼髪は桔梗族とか黄泉とか吸血鬼とかいろいろバリエーションがあったけど、とにかく妖魔のお嬢様と遊んで種族ごと怒らせて呪われたってやつね」

 妖魔はガザでは一般的ではないが、エミリオの故郷のゾラ―や隣のガルシアでは一般的な存在で、人と同じく高い知性を持つ種族だ。種類はいろいろ。ほとんど人と同じような外見のものいれば動物のような見た目のものもいる。人とは違う理に従っているものが多く、人にはない魔術や技術を使うことが多い。

 エミリオはうなる。噂もなかなか無視できないな。及第点。

「あとは悪魔と契約してその代償に若娘の血肉を求めてさ迷っているとか」

 悪魔はこの辺では一般的ではない存在だ。エミリオも詳しくは知らなかったが、人や妖魔よりも高位の存在らしい。これも半分当たっている。

「あとは、これが一番ありえるかと思うんだけど、とうとうシスティさんに手を出して勘当されたってやつ」

 システィ姉はエミリオにとって世界で一番大切な人なので、エミリオが彼女に手を出すというのはあり得ないのだが、これも半分当たってる。

「で、本当のところはどうなの?」

 ルルはわくわく顔で尋ねてくる。話好きのうわさ好き。話のターゲットがエミリオに移ったので本来の姿がでてきたようだ。悪巧みに使える話が大好きなのは四年前から変わらっていない。立場的にこんな話をする友人とかいないのかもしれない。

「どれも半分正解」

「……どういうこと」

 想定外の回答だったらしくルルはぽかんとしている。エミリオは言っても問題ないと判断する。

「蒼髪と契約して、僕の右手に悪魔を封印してもらってs、その力を使って姉さんを唆した悪魔を退治した。さすがに城にいられなくなったから出てきた」

 エミリオは何度も説明しているセリフを唱える。蒼髪、悪魔、姉さん、どれも当てはまる。

 ルルの顔にハテナが浮かんでいる。

「よくわからないけど、システィさんは無事なの?」

「ああ。そこはきれいに解決した」

「ならいいわ」

 エミリオのことよりもシスティ姉のことが大事なようだが、エミリオは別に不満はない。

「ん? ということは、その包帯は蒼髪の術式ってこと?」

 エミリオの右肩から指先にかけては鮮やかな青の包帯で覆われている。あまりに目立ちすぎるので逆にふれる人は少ない。

「包帯は黄泉が作った封印の魔具だよ。蒼髪の術式は包帯の下にある」

 エミリオはこの封印の管理者である相棒から受けた説明をそのまま話す。

「ふーん。まあ、それなら安心したわ。最初はてっきり、今更なにか思春期的なものをこじらせているのかと思ったわ」

 いやいや。そんなわけはないとエミリオは全力で否定する。黒歴史がエミリオの頭をよぎる。

「しかし蒼髪の術式ね……」

「この包帯も蒼髪の術式もかなり強力なやつだからあまり凝視しないほうがいいぞ」

 エミリオはルルの視線を避けるように右手を体の後ろに隠す。

「へえ、まあいいわ……ちょっと包帯をとって見せなさい」

「は?」

 なにを言い出す?

「蒼髪の術式はとても美しいものだと子供のころに読んだことがあるわ。見せなさい」

「いや、それはお前、フィクションの話だ」

 ガザやゾラーで大流行したロマンス小説は王女様もご愛読していたらしい。

「いいでしょ、見ても減るものでもないでしょ。あ、でも封印か。包帯とったら暴走したりとかするの?」

 取るくらいなら問題ないことはエミリオが経験的には保証できる。しかし管理者である蒼髪の相棒がいない状況で包帯を取ることは避けたほうがいい。

「問題ないと思うけど何かに反応するかもしれない」

「反応したらどうなるの?」

「城が消し飛ぶかも」

 大げさに言ってみる。そこまでの暴走は経験したことはないが。

「ふーん」

 ルルは名残惜しそうに右手をみている。

「ちょっとだけ?」

「だめ」

「さきっちょだけ?」

「いや、ほんとに死ぬぞ?」

 その言い方はやめろとエミリオは王女様を注意する。

 そのまま、不毛なやり取りをしばらく続ける。

「はあ。久しぶりに馬鹿なことをしてるわ。街がこんな雰囲気になってから誰も訪ねてこないから退屈なのよ」

 ルルは満足そうにしている。別にエミリオはルルを楽しませるために来たわけじゃないのだが。

 ピピピピ。

 とアラームが鳴る。いつの間にか部屋に入ってきた精霊が音を鳴らしながらふわふわ飛び回っている。

「あら、もう時間なの」

 知っている精霊らしい。ルルが気づいたことを認識すると壁を抜けて飛び去って行く。

「何かあるのか?」

「先生に診てもらっているの」

「やっぱりどこか悪いのか?」

 診てもらうということは医者の先生のことだろう。先ほど体調は問題ないと言っていたがやはり精霊の影響を受けやすいルルがこの状況で何も問題がないわけはない。

「最近あんまり調子が良くないっていうのは大間違いではないわ。私は精霊と感応性が高いから精霊の調子が悪いと私まで影響が及ぶっていうのは知ってるわよね。最近はこんなんだから、そういうことよ」

 精霊にも好き嫌いがあるらしく。ガザの王族は全体的に好かれている。だから王族になれたのだろう。ルルはその中でも特に精霊から溺愛されている。瞬間移動なんて無茶な願いも叶えられるほどには。

「そんなに心配するほどでもないわ。でもせっかくだからあなたも会っていきなさい。忘れていたけど、このお医者さんも最近来た新参者よ。それにこの城で珍しく話の分かる人よ」


 ルルとエミリオは部屋を出て二階の医師の私室に向かう。

「ルル様、調子はどうですか?」

「変わらないわ、今日は帰還祭だから機嫌はいいみたいね」

 医者の先生は三十くらいの長髪の痩せた男だ。あまり健康そうには見えない。人のよさそうな顔はしている。

「そちらは?」

「あなたも知っているでしょ。噂のエミリオ王子よ」

 エミリオはどうもと挨拶をする。噂の?

「エミリオ王子。ルル様から話はかねがね伺っています。話のわかる珍しい貴族だと」

「さようですか」

 ルルがどんな話をしたかまではエミリオは聞かないことにする。

「祖父がテードフ王室で医師をしていまして、その折にテードフの王宮に出入りもしていました。そのときお会いしたことはなかったですが」

 テードフの王室はこのガザに比べて大きいので会わないこともあるだろう。

「今もテードフに?」

「いえ、祖父は既に他界しています。それからはテードフ王室との関わりはありません。私は医術の勉強のために根無し草で各地を転々としています。最近、精霊医術に興味をもちましてガザの大学で研究をさせてもらっています」

 それはご愁傷さまですとエミリオは返事をする。エミリオは記憶を探るが該当しそうな人物はいない。ゾラ―の王室付きの医師は何人もいる。

「私は研究対象なのよね」

 ルルはこういう嫌味をさらりと言う。

「そんなことはありません、とは言いませんよ。しかし私が来てからは体調も良くなっているでしょう」

「おかげさまで。感謝はしているわ」

 有能な医者らしい。今の現象のことも何か知っているのかもしれない。エミリオが質問をする前に医師から質問が来る。

「ところで王子、その右手ですが」

 精霊の研究をしていると言っているので、この医師は妖魔についての知識もあるのだろう。

「わかりますか?」

「いえ、正確にはわかりませんが、おそらく黄泉のものだとは思います。妖魔にはそれほど詳しくないもので。しかし珍しい。封印呪式ですか。実物は初めて見ました」

「調べてみます?」

「いえいえ。遠慮します。封印術式は人が扱えるものではありません」

 知識も分別もあるようだとエミリオは医師に対する評価を上方修正する。詳しく話を聞いてみたいものだ。

「さて、では診察をはじめましょうか」

 そう言い、ルルを診察室へ促す。

「エミリオ、すぐ終わるわ。その辺でティーブレイクでもして待っていなさい。まだ話足りないわ」

 エミリオは手を振ってうなずいておく。お付き合いしますよ。


 診察を終えたルルとたわいもない話などしていたら三時間も過ぎている。エミリオもさすがに疲れた。

 エミリオは城を出て宿に戻る。宿は城ではなく街に取っている。悪魔が宿る右手を精霊の本拠地に留めるわけにもいかないだろう。

目抜き通りから裏路地へ入ったところのカフェの二階。祭りの本会場とは離れているからか人通りは少ない。カフェで店員と相棒が談笑していた。店員のメグはふわふわ浮いている相棒のしっぽで遊んでいる。

「あら、遅かったね」

 相棒のトゥーンが声をかけてくる。体は俺の目線の高さの空中。高いところが好きらしい。見た目は猫だが人語を話し、宙に浮けるという性質をもつ。蒼髪という妖魔である。右手の封印の管理者としてエミリオとともに旅をしている。猫の姿は仮の姿で人間が好む見た目にしているそうだ。本当の姿は見ないほうがいいらしい。

「おかえりなさい」

 メグもエミリオに挨拶をくれる。明るくかわいい子だ。こういう子のいる店は繁盛する。

「ビールちょうだい」

「はい」

「ボクにもビール。あとおつまみ」

「え、猫さんも飲むの?」

「猫だけど猫じゃないよ」

 えー、といいながらビールを注ぎに厨房の方へ消える。

「遅かったね」

 トゥーンが繰り返してくる。

「久しぶりだったから話が弾んだだけだ」

「お話だけ?」

 エミリオはそれには答えずに肩をすくめる。ビールを注いでいるメグを見る。泡の具合に満足しているようだ。

「メグちゃんに手を出したら殺す」

 トゥーンがかわいい顔ですごんでくる。お気に入りらしい。エミリオは両手を上げて無害であることをアピールする。トゥーンの殺すはエミリオにとっては比喩ではない。右手の封印を多めに解放されたらエミリオは秒で死ぬ。

「はい、どうぞ」

 メグがビールと料理を置いていく。

「メグちゃんは王女様とお知り合いなの?」

「え? 王女様? ルル様ですか? はい。母がお城で働いていましたので、小さい頃はお城でよく一緒に遊んでいました。最近は全然会えていないんですけど。……どうしてですか?」

「ここに泊まっているって言ったら君の話になった。子供のころ仲良かった子がいるって」

「まるでルル様とお話ししてきたみたいな言い方ですね」

「さっきお話ししてきた。お城で」

「……?」

「いや、テードフの王族って言ったでしょ?」

「え? あ、あ! ルル様お元気でした?」

 どうやらメグはエミリオの話を信じていなかったようだ。

「うん。退屈そうにしてたけど。元気そうだったよ。最近雇ったお医者さんの腕がいいらしい」

「それはよかったです。オクセア先生はいい先生ですから安心です。私も何度か診てもらいました」

「あら、会ったことあるの?」

「はい。私も精霊の影響を受けやすい体質なので。と、はいはーい」

 言いながら、メグは新しい別のお客さんに呼ばれてそちらに行く。これから夕方になり忙しくなるだろう。

「どうするの?」

 ビールを飲みながらトゥーンが聞いてくる。両手でジョッキを抱えてすごい勢いでビールを流し込む。トゥーンはザルだ。

「どうって、状況はだいたい分かった。オクセア先生っていうのがいろいろ知ってそうだから話を聞いてみようと思う」

 デレク王子と話ができれば一番だが王族の住んでいる三階に侵入するのは難しいだろう。

「夜になったら城に行こう。ま、とりあえず先に食事だ」

「まずは酒だ」

 トゥーンは強めの酒を頼む。こいつに付き合うと潰される。夜の予定があるのでエミリオはビールで我慢する。

 という思いがエミリオに残っていたのは最初の三十分だけで、途中からどうでもよくなりただの飲み会となる。これはいつもパターン。

 途中、エミリオはスーツ姿のレンのような男を見たような気がしたが、気のせいと思う。

 だめだ。いつもながらに飲みすぎだ。

 エミリオの意識は眠りに落ちていく。

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