第25話 例えあなたが



「さよなら──れい君......っ!」


 私は彼のいる教室から駆け出した。

 今にもこの手に残る僅な温もりを抱えて。

 廊下を駆け出すと彼に触れていた部分の温もりが少しずつ冷やされていく。

 私は残されたそれを忘れないように彼の事を思い出す。


 片岡玲二君。私と同じクラスの少年。彼とは最近話すようになった。


 寝るのが好きで音楽にも興味があって──それに、優しくて何度も私を助けてくれて。

 そして、私にとって初めての友達だった人。


 少し大人っぽくなったのに、やっぱり昔の面影を少し感じて......

 ふと思い浮かんだのは彼と過ごした私の大切な思い出。


 それは今よりももっともっと前の──私が幼い頃の記憶。


 最後くらいは彼の事を────



 あれは私まだ初等部に上がる前の頃の話。

 今では考えられないけど、当時わんぱくな子供だった私はよく外で遊ぶのが好きだった。


 その日も例にもれず私はあの公園で遊んでいた。


 そこではしゃぎすぎた私は転んで足を擦りむいてしまう。

 このくらいなんて事はない。

 だけど、血の滲む足を見て私は目頭を熱くする。


「大丈夫?」


 そんな時だった彼が声をかけてくれたのは。

 私と同じくらいの年齢だろうか。

 心配そうな顔を向けた少年が倒れた私に向かって手を伸ばす。


「うん......ありがとう......」


 私は彼の手に導かれ身体を起こす。


「......泣いてるの?」


「......っ大丈夫! ちょっと擦りむいただけだから」


 私は涙のたまった目元をごしごしと拭き取り、少し強がって言葉を吐く。

 目の前の少年はそれでも心配そうな瞳をこちらに向けていた。


 彼は私よりも身長が少し低く、長めの髪が少し目にかかる男の子だった。

 そして、初めてこの公園で出会った同い年くらいの少年でもだった。


「あなたの名前は?」


「俺? 俺は玲二」


「そうなんだ! じゃあれいくんだね!」


「うん。君の名前は?」


「僕の名前は青!」


「そっか。じゃあ、あおくんだね」


「なんかお友達みたいでいいね! れいくんは──」


 これが私と彼の初めての出会い。子供ならばなんて事はない日常の出来事。

 だけど、私はその日常のほとんどの時間を彼と過ごすことになる。

 そして、毎日のほとんどを共にした私達は自然と掛け替えのないの友達になっていった。


 そんな初めての友達である彼は優しかった。そして、頑張り屋さんだった。

 わんぱくな私にいっぱい振り回され、なのに文句なんて一つも言わず、最後には疲れ果てて公園のベンチで寝てしまう。


 私はそんな彼の寝顔を見るのが好きだった。

 そして、この頃からだろう彼の頭を撫で始めたのは。

 普段は私を助けようと努力してくれるのに、寝ている時は本当に幼子のように可愛くて。少し長めの髪を掻き分けると見える彼の優しい目元が好きだった。

 それは寝ている彼の側にいれる私だけの特権みたいで......

 そんな彼を見ていると何だか胸が温かくなって、私は満たされていたのだろう。


 そして帰る時には......


「またね......れいくん」


 私は彼の頬にキスをした。


 これは私が当時大好きだった絵本に出てくるお姫様の真似。

 悪い魔女の呪文からお姫様を庇って永遠の眠りについてしまった王子様。

 その王子様を助けに来たお姫様がキスで目覚めさせる物語。

 そんな魔法のような展開に私は子供心を動かされたのかもしれない。


 だけど、実際にキスをされた彼はもの凄く微妙な顔で眉をしかめた。

 嬉しくもないけど、嫌でもない。それよりは何で私がキスをするのか不思議でしょうがないという顔だった。


 そうだよね。だってれい君は男の子だもん。

 私がキスをするのはちょっと変だよね。


 でも、私はそれが可笑しくって可笑しくって。今思えば少し意地悪だったのかもしれない。


 そんな彼との幸せな日々は続いた。

 これからもずっと続いていく。

 そう信じて疑わなかった。


 だけど──


「あおくん、危ないよ!」


 私は本当にわんぱくだった。

 ──いや、きっと幼かったんだ。


「大丈夫! れいくんもおいでよ」


 当時公園には様々な遊具があった。

 その中には高い所まで登れるものだってあった。


「落ちちゃうかもしれないよ......?」


「大丈夫だって!」


 私はそんな彼の忠告を無視して、彼を手招く。

 その高い所から見える公園の景色はいつもと違って綺麗で、それを彼に見せたかったんだ。


 彼は不安そうな顔をしながらも私の隣まで何とかたどり着く。


「ほらね? 大丈夫だったでしょ?」


「う、うん」


「ほら見て! お空が真っ赤で綺麗!」


 そんな高い所から見る夕焼けもまた綺麗で。

 空に近い場所にいる今なら手を伸ばしたら届いてしまいそうで。


「あおくん!?」


 私は空に向かって手を伸ばす。

 指先の隙間から漏れる茜色の光がキラキラと眩しくて、自分が魔法使いになったようで嬉しかった。

 れい君にも教えてあげたい。

 そう思って彼の方を向いた時──


「あっ......」


 私はバランスを崩し、足を踏み外してしまう。


「あおくんっ!」


 彼が助けようと私の手を掴む。


 ──助かった。


 一瞬の安心も束の間、今度は私を掴んだ彼も共にバランスを崩す。


「......あ!」


 そんな私達は共に宙に放り出される。

 ふわりと身体を包む浮遊感。

 そして、その何倍もの恐怖心。

 私は反射的に目を瞑る。


「......っ!」


 鈍い落下音と共に私を襲ったのは激しい衝撃。

 だけど、思っていたよりも身体は痛くない。

 それに、身体は何かに包まれたよう温かかった。


 不思議に思った私は目を開ける。


「れいくん......?」


 一番最初に視界に映ったのは彼の顔だった。

 その顔を見たら今までの恐怖心はどこに行ったのか。胸が温かくなってとても安心した。


 だけど変なのは彼がずっと目を瞑っていることだ。

 それはいつもの疲れ果てて眠ってしまった彼のようで。


「れいくん大丈夫? れいくん起きて!」


 どんなに揺すっても彼は起きないのだ。

 いつもはこれで起きるはずなのに。

 そんな彼の頭を撫でようとした時。


「......え?」


 私の手に触れた生温かい感触。

 ふと見れば赤い液体が手に付着していた。


「あれ......何で......?」


 彼の頭付近の赤い液体が少しずつ地面に滲んでゆく。

 私の心臓が異様なほどうるさい。


「れいくん! れいくん!!」


 何度声をかけても彼は目覚めない。

 そんな彼が物語に出てくるお姫様を庇った王子様の姿と重なって──


 そこで私は初めて気がついた。

 彼が私を守ってくれたことを。

 そして、その所為で彼が私の下敷きになってしまったことに。







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