第24話 私は傷つけた



 俺は放課後を迎えた。

 校内の離れた場所では下校または放課後の活動を始める生徒達の声が聞こえる。


 結局あの後も反省文に向き合ったが、俺はまだ半分ほどしか書けていなかった。

 残りのタイムリミットも長くなく、全部書くのはどうにも間に合いそうにない。

 全部書けなかったら自宅謹慎中にでも仕上げれば良いのだろうか。

 もしそうだとすれば、このまま何もしなくてもいいのかもしれない。


 俺はぼうっと虚空を見つめ、無駄な時間を過ごす。

 下校する生徒がほとんどいなくなってきた事もあり、少しずつ学校は静かになっていった。


 ふと時計を見れば数十分が経過しており、いつもならこの時間は寝たふりをしているはずだった。


 だから、俺は意味がないと分かりつつも目を瞑り机に伏せてみる。


「............」


 小鳥遊さんは来るはずがない。

 そんな事分かってるのに俺は何をやっているんだろうな。

 きっともうこれが習慣になってしまって、それだけ彼女との時間が増えて......


 ──コツンコツン。


 俺は僅かに響いた廊下の足音に身体をビクリとさせる。


 ほら、そうだ。

 足音が聞こえただけで期待してしまう。


 一定のリズムを刻む足音と自分の心音がシンクロして──それがどこか懐かしくて。


 このまま廊下を通り過ぎる。そう思ってたのに。


 ──コツンコツン。


 その足音はこちらへと近づいてくる。

 まるで俺の机を目指すように。

 音が大きくなるにつれて俺の心臓もどんどんとうるさくなって。

 そして、俺の真横で足音は止まる。


「......れい君」


 その声を聞いた瞬間にとうとう俺の心臓が跳ねた。

 だって小鳥遊さんが来るなんて思ってなかったから。

 もう終わりかもしれないと思っていたから。


「ごめんね。痛かったよね......」


 小鳥遊さんが優しくそっと俺の腕に触れる。

 じんわりと彼女の体温が伝わり温かい。


「また私を守ってくれて......」


 次に小鳥遊さんは俺の頭に手を置く。


「──あの時みたいに」


 俺は撫でられるのかと思ったがそうではない。

 俺の後頭部にそっと手を置いて、唯々呟く。

 それはまるでガラス細工を触るように丁寧な感触で何だがくすぐったい。


「私はれい君と再開した時、仲良くなる資格なんてないと思ってた」


 あぁ、それは前にも聞いた。


「でも、こうして寝ているれい君を見つけて、ダメだって分かってたのに甘えて......それが幸せで......」


 彼女はいつから寝ている俺に話しかけていたのだろうか。

 俺が放課後の小鳥遊さんに気づくよりももっと前──それこそ、このクラスに進級した時から話しかけていたのかもしれない。


「だけど、れい君と話すようになって、それが凄く楽しくなって」


 俺だって小鳥遊さんと話すのが楽しくて。


「一緒にいる時間が増えて、もっと仲良くなりたいと思って」


 そう。少しずつ仲良くなって。


 これからも──


「でも、もう終わりにしないとね」


 ......終わり?


「私の所為でれい君が傷つくのはもう見たくない」


 俺は別に傷ついてなんかいない。

 そして、傷つけられた覚えもない。

 この白井にやられた怪我だって別に小鳥遊さんの所為じゃない。

 寧ろ、これで小鳥遊さんの痛みを少しでも減らす事ができたなら誇らしいくらいなのに。


「れい君は優しいからもしかしたら許してくれるのかもしれない」


 あぁ、許すもなにも俺は小鳥遊さんを恨んじゃいない。


「でもね、それだと私ばっかり助けられてて不公平だよ」


 小鳥遊さんはどう思ってるか分からないが俺はもう彼女の事を友達だと思っている。

 友達だって時には迷惑をかける事もある。

 俺なんて笑っちまうくらい迷惑をかけてるしな。


 だけど、それでも一緒にいたいと思えるから友達なんだ。カッコ悪い所を見せたって、傷つけたって、最後に笑ってお互いが仲直り出来ればそれは友達なんだ。

 だから不公平なんてそんなもの関係ない。


 それなのに──


「これでれい君の優しさに甘えるのは終わりにします」



 小鳥遊さんは悲しそうにそう言って。



「この私だけが知っている放課後の秘密も終わりにします」



 彼女の温もりが声が少しずつ俺の顔に近づいて。



「最後だから......」



 ふと頬に触れた感触。



「約束守れなくてごめんね」



 温かく優しさを感じる口づけ。



「ずっと待たせちゃってごめんね」



 それは初めてではないのに何度も俺の心拍を狂わせて。



「それでも私は待ってるから......」



 彼女の声は震えていた。



「れい君が来なくてもあの場所で待ち続けるのが私にとっての罰だから......」



 僅かに俺の肩に触れる指先ですら震えていて。



「さよなら──れい君......っ!」



 彼女は別れの言葉だけを残して駆けた。

 いつもの椅子を丁寧に戻す物音もなく、毎回のように呟く「またね」も言わないまま。


 それでは本当にお別れのようじゃないか。

 せっかく小鳥遊さんと仲良くなったのにもう終わりのようじゃないか。


 だから、俺はふと駆け出す小鳥遊さんの姿を見てしまう。

 教室を出ていく彼女の横顔を。

 綺麗な黒髪から覗かせる目にいっぱいの涙を浮かべた少女の姿を。


 俺は小鳥遊さんには笑っていてほしい。

 泣いている彼女を見たくなくて、今日だってそれで身体が動いたんだ。


 なのに、それなのに俺は──



「もう寝たふりなんてしてる場合じゃないだろ!!」



 俺は彼女の後を追って教室を飛び出した。









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