第14話 あの時みたいに



 放課後を迎えてから少し時間が経った。


 あんなに賑わっていた教室も今では物静かだ。

 そんな教室に響く一人の少女の声に俺は耳を傾ける。


「──まさか、れい君も好きになってくれるって思ってなかったから」


 それは最近になって、よく話すようになった少女の声だった。

 そのきっかけは今もしている寝たふりから始まったものだ。


「それにあんなに楽しそうに話してるれい君を見たら、私も嬉しくて」


 いつにも増して饒舌な小鳥遊さん。

 俺はそんな彼女に頬を緩ませる。

 まぁ、実際に頬を緩ませると、彼女にバレてしまうので、心の中でだが。


「私のオススメした曲もちゃんと聞いてくれて、れい君のオススメも教えてもらって......」


 普段の姿を知ってしまうとやっぱり不思議な感覚なのだが、それにも慣れてきた。

 それはこの関係に慣れたのか、あるいは彼女と少し仲良くなったからか。


「もっと仲良くなれるよね」


 彼女の温もりが俺の頭部を撫でた。

 それに俺は心の中で頷く。


 そんな幸せの最中、もし、ここで起きてしまったらどうなるのだろうという考えが俺の脳裏を過る。


 彼女はきっと驚くだろう。

 そして、驚いた後はどうだろうか。

 驚きつつも、笑って俺を許してくれるのだろうか。

 それとも、恥ずかしがって、あるいは怒ってこの関係が終わってしまうのだろうか。

 それとも──


 だけど、やっぱりそんな事は出来ないと俺の本能が否定する。


 せっかく話せるようになって、仲良くなり始めたこの関係が崩れてしまいそうで怖い。

 小鳥遊さんに嫌われたくないと思う自分がそこにいたからだ。


「もっと仲良くなって」


 そう。もっと仲良くなって。

 このまま少しずつでも。


 何故、小鳥遊さんが俺が寝たふりをしている時に親しく話しかけているのか。

 初めはその事を知りたいというきっかけがあった。

 だけど、今はそれがどうでもいいと思ってしまうほど俺はこの関係に癒しを見出だし、現状に甘んじているのだろう。


「今のれい君をもっと知って」


 あぁ、やっぱりこのままでもいいのかもしれない。

 だって、クラスで一番の美人と話せるようになって、寝たふりをしているだけで極上の癒しを堪能できるのだ。


 その理由がなんであろうと、この事実は変わりない。

 もう理由なんて考えても無駄なのかもしれない。


 だから俺は優しさを孕んだその声に身を委ねて、



「また昔の──あの時みたいに」



 身体が硬直した。


 あの時ってなんだ?


 昔っていつの事だ?


 その言葉はこのままでもいいと現状に甘んじていた俺の考えを真っ向から否定した。

 リラックスして腑抜けていた俺の頭を瞬時に叩き起こす。


 動揺して身体が強張っている。

 深呼吸すら出来ない。

 それでもなんとか下手くそな寝息を作り、声に耳を傾ける。


「たとえ、れい君が覚えていなくても──ううん、覚えてたらきっと......」


 俺が小鳥遊さんの事を忘れている?

 小鳥遊さんと初めて出会ったのは数ヶ月前だと思っていたのが、それが間違いだったのか?


 俺と小鳥遊さんは過去に何処かで会っていて、俺だけがその事を忘れている。

 小鳥遊さんの言葉からそう解釈できる。


 確かにそうだとは思っていたんだ。いや、そうじゃなきゃ今までの事に説明がつかない。


 だとすればそれはどこで......いつの話なんだ......?


 あと少し、あと少しだけでもその事について話してくれれば分かるかもしれない。

 俺と小鳥遊さんの過去の関係について知れるかもしれない。


 だから、聞き逃さないように小鳥遊さんの一言一句に集中する。


 それなのに、



「またね、れい君......」



 彼女はその続きを話してくれないのだ。

 寝たふりをしている俺に教えてはくれないのだ。


 俺はどうか行かないでくれと願う。

 だけど、聞こえてきたのは椅子を引き、遠ざかっていく彼女の足音。


 俺は力なくだらりと腕を緩ませる。

 すると、ふと触れた冷たい机の脚が火照った身体の熱を奪った。

 ひんやりと心地よいそれに己の冷静さを取り戻す。


「俺はいつ小鳥遊さんと......」


 無い頭を捻り考える。

 されど、記憶の中に小鳥遊さんのような少女は思い浮かばない。

 それでも──


 俺だけが取り残された教室では、秒針の音がカチカチと響く。


 普段ならもうとっくに帰り始める時間だった。

 それなのに何故か身体は動かず、どうやら今日はすぐには帰れそうになかった。

 

 







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