二話

 ルークは静かな廊下を歩いていた。一歩一歩踏み出すたび、音が絨毯に沈み込んでいく。静寂ではあるが、けして人がいないわけではない。ちらほらと使用人がいるが、よく教育が行き届いているのだろう、こちらに不快感が感じられないようになっている。ルークが横を通り過ぎようとすると、使用人が頭を下げた。それに手を上げながら答えていくうちに、くだんの書斎が近づいてきた。この書斎は、客人を通すような場所ではない。家族や直近の人間しかはいれない機密性の高い部屋だ。



「ルーク様。ご当主様が中でお待ちです」

「急じゃないんじゃなかったのか?」



書斎の前で佇んでいた執事長は、薄く微笑むだけだった。

彼は振り返る。こんこんこんと、ノックの音が響いた。



「ご当主様。ルーク様がお越しです」

「入れ」



執事長は、扉を開く。ルークがまず最初に通ると、執事長も後ろからついてきた。中には二人の男がいた。



「父上、及びと聞きましたが…」

「硬い硬い。親子の語らいの場だぞ?もっと気楽にしないか」

「では、父上。何で呼んだんだ?どうせ夕飯時に一緒になるだろ」



当主、アルゼン・イグニスは椅子をこちらに回して向き合った。鋭い目と赤髪が特徴的な印象を与える。ともに話すことができればなかなかな好々爺こうこうやだとわかるのだが、見た目で威圧感を与えてしまうことが多い。

アルゼンは、目を合わせた。



「あいつから話を聞かなかったか?お前の将来の話だ。まず父親と二人きりで話すのが道理というものだろう」

「二人きりね…」



ルークは部屋の周りをぐるっと見回した。アルゼン、執事長。そしてもうひとり。



「一桁も数えられなくなったのか。老いとは怖いものだな」



 怖い怖いとわざとらしく身震いすると、アルゼンは顔を顰めながら、小さい炎を飛ばしてきた。ルークはいけね、と軽く笑いつつ左手でその炎を握りつぶした。



「手が早すぎる」

「反省はしてない」



 話がそれたな、とアルゼンは指を組んで顎を乗せた。



「お前が特にやりたいこともないつまらないクソガキだということは、この家にいるやつはたいてい知っている」



 ルークは表情を変えずに続きを促した。



「今ここで、俺がああしろこうしろと口を出すのは容易い。だが、それでは意味がない。意思かま薄弱な者に上に立たれて困るのは下々の人間だ」



 ここジークオート王国の貴族であるイグニス家当主としての言葉だろう。ルークはとくに否定することもなく頷いた。トップの決定一つで多くの人々に影響を与えることになる。自己中心的な人物がトップに就いても問題だが、意思が弱ければプレッシャーに耐えられないだろう。



「そこで、お前には旅に出てもらおうと思う。見聞を広めろということだな」

「…旅」



 旅に出ろと言うのは悪くない話だ。人生の目的、あるいは夢を見つけるのには多分なまとまった時間と、刺激が必要だろう。



「悪くないだろう?」

「…ああ。願ったり叶ったりだ。ありがとう」



 アルゼンは素直なことはいいことだと、うんうん頷いている。

 ルークは、この話がどうして出てきたのかを察した。



「となると、領地を出なければいけないってことか」



 察しがいいなと肯定した。

 この旅の目的は先程の話が全てではないのだ。我がイグニス家はジークオート王国有数の貴族だ。大きい組織というのは、ただあるだけで敵を作る。内側にも外側にもだ。そして、イグニス家は順当にいけば、長男であるサンが後継者になる。波風立てず、穏当に。しかし、身内で日の目を浴びていない者や、いわゆる政敵はそれではあまり都合がよろしくない。そこでルークという「駒」だ。対立候補として担ぎ上げることで、担ぎ上げた者たちは政戦に勝った暁には、現在の上層部を排除し成り代わることが出来るし、その過程でイグニス家全体は弱体化し、外部の者も得をする。

 その兆しが見えたのかまではわからないが、アルゼンがルークを外に出そうとするのはそれが理由だろう。人生の目的どうこうはあくまでついでであって、主目的ではない。

 第一印象で威圧感を与え、会話でおちゃらけた雰囲気を出し、自分の要求は当人に悟られずに飲まそうとする。これが身内に行われたのでなかったのなら九割五分成功しただろう。

 ルークはふっと息を吐いた。


「出るのはいつでも構わないが、いつ出ればいいんだ?」

「そうだな。一週間程度でどうだ」

「分かった」


 ルークはその要求を受け入れた。さて、何を準備しておこうか。頭を捻り始めたルークにもう一度アルゼンは声をかけた。


「ああ、お前には一人旅はさせない。アルクと共に出かけてもらう」


 アルゼンの隣に佇んでいた男が、軽く頭を下げた。


「おっさ…先生も一緒になるのか?」

「今の聞き逃していませんからね」


 アルクは真顔で告げた。ルークは手でてきとーに謝罪の意を示し、アルゼンの方を見た。


「一人じゃないのか。まあ、構わないか」

「あなたの教えなければならないことがいくつか残っています。それを終えるまでは師を辞めることはないでしょう」


 アルクは、ルークの魔術の師だ。確かにまだ教わる事は山程ある。ルークからすると魔術は異世界らしさが溢れる技術体系だ。教われるのなら最後まで教わりたい。


「じゃ、これからもよろしく」

「ええ、お願いします」


 二人は握手を交わす。強くは握られていないが、どこか安心感がある。


「一週間後に出発ですか。でしたら、ルークにはそれまでに覚えてほしい魔術があります。明日、いつもと同じ時間にお部屋に伺いますので待っていてください」

「同じ時間ね、わかった」


 昔からそうだったが、旅行に行くときは準備をしているときが一番ワクワクする。高揚感に身を任せながら、ルークは部屋の外に出た。

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