第11話
「あ、瑛一、そっちか」
水曜二限目、お互い空きコマ。壁一面ガラス張りの学食テラスはこの時間ならすいている。手を振りながら真菰がやってくる。犬みたいでかわいい。おそろしく綺麗なアフガンハウンドではあるが。
「ごめん、バス混んでて一台見送った」
「いや、僕もレポート提出で遅れたんだ。こっちまで出てくれてありがとう」
僕らは大学生になった。特進クラスでは不思議なことではないが、第一志望が同じだったので、当然のように同じ大学に進学した。真菰は統計学を学ぶために理学部を選んだ。経営学部でも学べるはずなので、一緒にと誘ったのに、ストイックに学びたいからと断られた。理学部だけ少し離れた場所にあり、シャトルバスがメインキャンパスとつないでいる。
「ちょっと久しぶりだ、瑛一元気そうでよかった」
眼鏡をやめてしまった真菰はとにかく目立つ。服装もシロウさんの趣味で遊ばれているので、小柄ではあるがモデルにしか見えない。この大学で真菰を知らない人間はいないだろうと思うくらいだ。ただ逆に、目立ちすぎることにより、度胸のない人は近づいてこないわけで、こうしてここにいても、僕らのテーブル周りは空いたままだ。
「本題の前にちょっと話そう」
真菰は秘密を話す距離に座り、ぐっと声をひそめる。
「どう、いいかげんそろそろ」
なんのことかわからず、コーラフロートのアイスとコーラが混じった美味しい部分にストローの先端をあわせてちゅうちゅう吸った。
「さすがにもう、さすがに、壮大は想いを遂げたのかと」
「壮と? してないよ」
「えっ! 日本一幸せな恋人なのにっ?」
壮はドラフトで下位ながら指名をもらえ、高校を卒業して球団に入った。その時のインタビューで意気込みを聞かれ、
「恋人を待たせてるので、一日も早く認められ寮を出て一緒に暮らせるよう頑張ります」
と言った。調子に乗ったインタビュアーが「結婚の約束をしてるんですか?」と茶化すと「いろんなひとに出逢って世界を広げてから考えるように言われているので、早く一軍スタメン入りして、プロポーズします」と答えた。マスコミが喜ばないはずがなかった。甲子園でスカウトにそこそこ注目されたとはいえ、優勝には絡まなかったので、お茶の間に名前が知られるほどではなかったというのに、この発言が連日テレビで面白おかしく流されて、「これは年上女房でしょうね」「ピュアだね! 女子アナになびかないでほしいなあ」「こういう子は早くからいい奥さんに支えられて大成するんですよ」などと勝手なコメントをと共に、〈日本一幸せな恋人〉捜索が行われた。もちろん、まだ見つかっていない。
「高校は最後まで寮だったし、球団もキャンプ後には寮なんだから、ふたりきりにすらならないよ」
「きみらは同い年で条例にひっかからないんだから、さっさとやっちゃえばいいのに」
シロウさんは卒業まで真菰に手を出さないと誓い(芸能人はバレたら厄介すぎることになるのだろう)、卒業と同時に、真菰のご両親に結婚の申し込みに行った。もちろん真菰はまだ若いので、もっと見識を広め年齢を重ねてから籍(パートナーシップ制度)を入れるつもりだが、心は結婚と同じであり、これ以上一秒も離れていられないので一緒に暮らします、という報告だった。真菰の親は、小さい頃から赤い着物を好んだり花を愛でたり、なにより不気味なくらい綺麗な顔をしている我が子はジェンダー不一致を抱えているのではないかという不安がずっとあったらしく、これですべて謎はとけた、ということで泣いて喜んだらしい。
「この間、言ったんだよ」
「うんうん」
「一緒にいるとさ、さわりかたっていうか、なんかそういうことを期待してるんだろうなーっていうのがわかるからさ、ちょっとイラついて、藤成はほんとは全然よくなくて痛いだけだったからね、って」
「言ったんだ!」
真菰が爆笑した。
「そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
「あはははっ、なんて言った?」
「なんで良くなかったかわかるか。話し合わないからだ。って」
ひゃーっと声を上げて真菰はテーブルにつっぷす。
「しかも、更に」
「更に言っちゃった」
「誘ったのはいつも僕からだって言うんだ! こっちは! あいつがモジモジしてチラチラ見てくるからしょーがなしに声をかけただけだっていうのに!」
真菰がのたうち回る。
「僕キレちゃってさ。全部僕が悪いのか、って」
「壮大の地雷踏み、強烈」
真菰はスマホを僕の前に置き、壮に向けて「負けるな」とスタンプを送った。既読はつかない。
「瑛一は壮大のことは好きだけど、男同士のスキンシップは嫌いなんだ」
「アメリカの大学の論文で、ふくらはぎの筋肉量と性欲が比例するって発表があった」
真菰がスマホで検索を始める。
「その中で特別にふくらはぎが強化されている、つまり性欲が強い例として野球のキャッチャーが挙げられていた」
「なるほど、ピッチャーとキャッチャーでは求められる筋肉が違うにせよ、一定の危機感を煽る話だ」
「一度許すと際限がなくなるからね」
とはいえ、僕が東京で一人暮らしを始めた以上、もう先に延ばすのは難しい。壮がまだ外出を厳しく管理されているとはいえ、そのうち休日に数時間僕の家に訪れることに何の問題もなくなるだろう。憂鬱だ。
「けど」
真菰がちらっと上目遣いで僕を見る。これはまた心をくすぐる視線だ。真菰はシロウさんと結ばれていなくても、男性に言い寄られて結局同性愛の方向にすすんだのではないだろうか。
「正直、全然痛くないんですけどね」
言ってから、表情は変えず、顔だけ赤くする。恥ずかしがってる、と気づくと、僕まで恥ずかしくなってきた。
「本当ですか」
「本当なんです。というか、率直に言って、良いです。最初から」
「信じられないな」
前世でもそれなりに調べ、対策もたてたけれどうまくいかなかった。
「技術が進化してるから。すっごい良いローションみつけたんだけど」
「ほう」
画面を真菰の細い指がつらつらなぞり、通販サイトからどぎついパッケージの写真を映す。
「伸びがいいのと持続性が最高。粘度はちょっと高め。もうちょいさらっとしてるほうが好きだけど」
「結構値段するんだね、こういうの」
「お祝いにいつでもプレゼントするよ」
真菰は転生を解明するために、情報収集を目的とした動画サイトを開設し、かなり儲けているそうだ。お面をかぶって顔はわからないようにしているのに、声が癒しと言われて人気だとか。主に転生の相談を受付け、彼が調べ上げた情報を惜しげもなく配信している。時々、顔は画面に入らないものの、やたら足の長い男が後ろを通るので、それも注目される理由のひとつみたいだ。驚異的にスタイルがよく、何十万もするブランド服を身に着けているあの男は何者だ、ということで。
「すごいこと教えちゃおうかな」
恥ずかしそうなのに嬉し気だ。これはノロケなんだな、と今更気づく。僕たちはお互いに、秘密を打ち明ける友達が他にいない。
「アジュアを使ってやるとすっごく良い」
え? アジュア?
「君ら、まだ始めて一か月かそこらなのに、そんなマニアックなことしてるの?」
「違う、たまたま喧嘩して、シロウはアジュア使うつもりなくても出ちゃうからさ、それでまあ、その、そういう流れになって」
ほう、と真菰がため息をつく。ノロケって聞くの結構つらいな。
「脱げ、とかさ。キスしろとか、すっごい。すごかった。アジュアってこのためにあるんだと思ったくらい」
あれ、セックスの刺激のためにあるのか?
「瑛一、勉強してる? 今動画とかあるよ、詳しいやり方とか」
「気が進まないな。僕はそういうのなくても満足だから」
「あっちはそうじゃないだろ」
「特に文句は言わないけど、そうなんだろうね」
気配を感じ、僕が黙れと合図する前に真菰は口を閉じ、表情をニュートラルに戻した。
「津久くん、お話し中ごめんね」
女の子がおそるおそる中腰で近づいてくる。こんにちは、と真菰が愛想よく言う。女の子は顔を真っ赤にしてる。
「昨日、ありがとうね、レジュメ」
「ああ」
「昨日ちゃんとお礼言えなかったから」
「そうだっけ? 言ってもらったと思うよ」
「うん、ほんとありがとう」
授業が終わってから枚数が足りないと騒いでいるグループがいたので、コピーを取らせてあげた。普通なら授業中に気づいて教授からもらうべきなのにどういうことなんだ、と思ったけれど言わなかった。たしか、その中にいた子だ。僕は笑顔で彼女を見送った。
「おんなたらし」
真菰が薄く笑いながら言ったので、少しむっとした。
「真菰狙いだよ」
「しっかり瑛一にロックオンしてた」
人差し指と中指で自分の眼玉を指す。こういうチャラいジェスチャーを使うようになったのは、シロウさん周囲の影響だ。何度か誘われて身内のパーティとかいうのに参加したけれど、あまりの雰囲気の違いに馴染めなかった。
「そりゃ壮大も全国放送で牽制するよ」
僕がさっきからかったせいで、こんな雑ないじりをしてくるんだろう。軽くため息をつくと、真菰はあっさり話題を変えた。
「本題なんだけど。この間純也と話してて新たな事実がわかったんだ」
真菰は使い込んでいるノートを広げ、シャーペンをカチカチいわせた。
「転生の条件として考えていた、
・来世を誓い合う
・血を相手につける、または口(粘膜)に取り込ませる
・死の間際に行う
のみっつめが間違ってることがわかった。純也はヤクザに殴られて死んだと思ってたけど、実はあの時、こなっちゃんに助けられて生き延びてたんだ。しかも。こなっちゃんちで看病してもらって、元気になったら他の女のとこに行ってる」
「クズだ」
「そう。で、これまた違う女に刺されて死んだ。こなっちゃんはその場にいなかった。これによって死の間際の儀式は必要ないってことがわかった。それに加えて、僕がひそかに疑っていた条件のひとつ、貞節も関係ないことがわかる」
そう言えば、純也にそんな話をきいたことがあるような気がする。大事な情報だったのか、悪いことをしてしまった。
いろいろあってシロウさんと復縁してから、真菰は熱心に転生について調べるようになった。二度と転生しないために、ではない。
「私は四郎以外としてないし、なんと四郎も同じで、松姫さえ抱いてない。酷いよな? いくら玉藻以外に子を作らないためとは言え、そりゃ松姫も病むよ。玉藻が死んだ後も、松姫をむりやり尼にさせて追い出した。殺さなかっただけ偉いがどうなんだ。その後は誰も娶らず、跡継ぎも作らず十年ほどで病いで死亡。お互いに転生中、誰ともしてない。四郎は転生の条件について気にしていて、他の女性とすることによって転生が止まることを恐れたんだ。藤成さんは正路さん前には結構経験してるけど、以降は全然なかったって言ってただろ、大阪でも。だから貞節は条件だと思ったんだ。まさか純也でそれが破綻するとは。けど、これはシロウと壮大には内緒にしておこう」
真菰は真剣な顔をしている。内緒にする必要があるかはわからないけれど、真菰がかわいいので頷いておいた。
「動画サイトのほうでそういう情報集まってるんだよね。純也で初めて気づいたの?」
「やっぱり本物の転生者って少ないんだ。大半が妄想。これは本物かなっていうのもたまーにあるけど、聞き出そうとすると音信不通になったり。悩んでる時はとんでもない長文で来るのに、解決したらぱたっと連絡が途切れる。ネットの限界かな」
真菰は、もう一度転生するために研究を続けている。そして今度は女性に生まれ変わる。あの時産めなかった子供を、産み育てるために。
「もっと大規模な追跡調査をして、統計をきっちり出せば見えてくるものがあるはずなんだ」
もしかしたら、何十年も転生を研究し続けたアメリカの教授も、愛しいひとと転生するのが目的だったのかもしれない。
真菰の手の中でスマホが鳴った。
「やば、シロウだ。ちょっとごめん」
高校時代、放課後シロウさんからの電話に出なかったら、スタッフさんがGPSを使って駆けつけてきたことを思い出した。大学生になってから基準が更に厳しくなっただろうことは想像に難くない。
「はい。瑛一くんですけど。代わりましょうか。いやですよスピーカーなんて。学食です。用件だけ言ってくれます? そうですか、そんな早いんですか。べつにいいですけど。私の方が遅いかも。要りません。こないでください。電車で帰れます。ええ、じゃああとで」
不機嫌そうな顔をしてみせているけれど、ほんの少し、頬が嬉しそうに緩んでいる。見ているだけで幸せのおすそ分けをもらっている気分だ。
「一緒に住んでも敬語のままなんだ」
真菰は少しツンとして言った。
「距離感は大切にしたいからね」
距離感のために敬語なのか、と驚いたけれど、なにも言わなかった。真菰がへそを曲げても面白くない。初夏の日差しは暖かく、僕らはしばらく黙ってガラスの向こうのキャンパスを眺めた。道を歩く学生たちの中にも、転生者がいるんだろうか。真菰はもう眼鏡をかけていないのだから、いろいろ気づいているに違いない。
「人間ドッグの結果でた?」
穏やかな空気の中でなら聞けそうで、僕は気になっていたことを口にした。
「今のとこ異常なし。今までの中で一番健康な体だ。でも油断はできないからね、気を付けるよ」
ほっとして笑うと、真菰も嬉しそうに笑ってくれた。大きな窓からの光が真菰をきらきらと飾る。壮とは来世も必ず共に生きる。けど、真菰とはこの人生でお別れだろう。これも一期一会。だからこそ大切で、一秒も無駄にできない。思いやり、支え合い、思い出を重ねて生きていきたい。遠い未来で、またいつか逢える日を願う、輪廻転生。
きみはウィステリアの夢を見るか 赤寅 @rotertiger
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