第45話 第二王女

 それは突然のことだった。

 プラチナクラスの教室の扉を開けた瞬間に、煤のような黒い粉をぶちまけられ、三人の偉そうな少年たちに罵倒された。


 まあ、それについてはいい。

 いや、全然よくないけどその程度のことなら「ふっ、愚かな」と余裕の笑みを浮かべて終わりだった。


 だが、俺の能力とも呪いともいえる《ゲームシナリオ》はそれをよしとしなかった。


《① 「へ、へへ……」と半笑いを浮かべながら見下してくる三人の少年の靴を全力で舐める》


《② 直ぐ後ろにいる少女に「助けてえええ」とスカートにしがみつきながら泣く。鼻水も垂らす》


 俺にだってプライドがある。

 

 靴なんて舐めたくないし、同い年の少女に泣きつきたくない。


 だが、こうして選択肢を突き付けられた以上、俺はどちらかを選ばなくてはならない。

 背後の少女に泣きつくか、靴を舐めるか。


 ここは一つ今後のことを考えてみよう。

 仮に少年たちの靴を舐めたとして、彼らは俺を見逃してくれるだろうか?


 いや、それはない。

 現状、彼らは俺を下に見ている。靴を舐めるという行為は俺が彼らの下についたと認める行為に他ならない。

 そうなれば、当然彼らは格下の俺を撤退的に叩き潰しに来るだろう。


 降伏とは争いを回避するひとつの術だが、それはすなわち相手に何をされても構わないという敗北宣言に等しい。


 相手に人並みの道徳心があれば、降伏した相手に攻撃しようとは思わないかもしれないが、そもそも人並みの道徳心がある人間は出会っていきなり黒い粉などぶつけてこない。


 自分の尊厳も持ち物も全てを失うことを覚悟して争いを回避するか、それとも誰かに泣きついてでも徹底的に争う姿勢を見せるか。


 答えは出た。

 一瞬の恥か、一生の従属なら、俺は恥を選ぶ。


「助けてええ!!」


 振り返ると同時に、背後にいた少女のスカートにしがみつく。

 そして、これでもかと涙を流し、鼻水を垂らす。


「あ、え……」


 少女の表情は見えないが、声色から戸惑っていることは容易に想像できた。

 

 本当に申し訳ない。このお礼はいつか必ずするので今はどうか助けて欲しい。


 そんな俺の祈りが通じたのか、少女は優しく俺の手に手のひらを添え、俺を守るように前に立つ。


「そこまでです。一部始終は見ていました」


 その少女の言葉に三人の少年は僅かに身体をのけぞらせる。

 運がいいことにこの少女は同じプラチナクラスの生徒相手にも強く出れるだけの勇気と力を持っているらしい。


「ですが、ミリス様。この男はアイアンクラスの生徒です。不良品のアイアンなどこのクラスに相応しくない!」


「どういう理由があれ、同じ学園で学ぶ仲間に嫌がらせをすることは許せません」


 インテリ風な生徒の言葉に少女がピシャリと言い放つ。

 それでも、納得できないのか三人の少年たちは不服そうだった。


 もっと言ってやって欲しい。

 上に立つもののくせに道徳心がないのはどうかと思う。


「もし、それでもあなた方がこの方に危害を加えようというのなら、この私パニエラ王国第二王女のミリスが相手になります」


 そーだそーだ!

 第二王女がこっちにはついてる……って、はぁ!? 第二王女!?


 思わず少女の顔を二度見する。

 プラチナブロンドの輝く美しい髪、エメラルドグリーンの瞳。


 え、この子……昨日俺に魔法食らわせた子じゃん。


 てことは、俺が……


『エリスさんの奴隷ともだちです』


 って自己紹介した相手じゃん!

 

 そこで昨日のエリスさんの言葉が脳裏をよぎる。


『私とあなたの関係は誰にも伝えてはならないわ。特に、私の妹には絶対に知られないようにしなさい』


 やっちまったああああ!!

 や、やばいって、このことがエリスさんに知られたら俺ミンチにされるって!


「ちっ、しゃーねぇ。行こうぜ」

「くっ……ミリス様ともあろう方がなぜそんな不良品を……」

「……情けない奴め」


 流石に第二王女を相手にする気はないのか、三人は俺たちから離れ席に戻っていった。


 いや、まあそれはよかったんだが、それ以上の問題がある。

 ど、どうしよう。もし仮にミリスさんがエリスさんに「お姉ちゃん、アイアンクラスの人と友達なんだね」と言われようものなら、その瞬間俺はエリスさんに呼び出されボコボコにされるだろう。


 ここは誤魔化さねばならない。

 

「これでもう大丈夫ですよ。ところで、あなたにはお聞きしたいことがあるのですが……」


「助けてくれてありがとうございます! このご恩はいつか必ず返します!! では!」


 早口で一気にまくしたて、素早く空いている一人席に座る。

 隣に席は無いため、これで話しかけられる心配もない。

 

 だが、俺の考えは砂糖菓子のように甘かった。


「ふう。お隣、失礼しますね」


 なんとミリスさんはわざわざ椅子と机を移動させてまで、俺の隣にやってきたのだ。


 まずい。これは、かなりまずい。

 打開策を必死に考えるが、それより先にミリスさんは俺の方に視線を向け、口を開く。


「改めまして、私はミリス・パニエラと申します。気軽にミリスとお呼びください」


「あ、はい。クナンです」


「クナンくん、先ほどは私のクラスメイトが失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした。彼らはいずれもこの国を担う公爵家の者です。誇りは人一倍強いのです」


「あ、そうなんですね」


「困ったことがあれば遠慮なく私に申し出てください。力になることを約束します」


 と言いながら、ミリスさんはニコリと張り付けたような笑みを向けて来る。

 その笑みはエリスさんが俺に下着を見せつけてきた時の笑みにどこか似ていた。


 つまり、この申し出は善意によるものだけではない可能性が高い。


「その代わりと言ってはなんですが、一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」


 やっぱりそうだ。

 可愛らしい顔だが、流石は権力者。善意を安売りはしないらしい。


「はい」


 断りたいところだが、既に俺はミリスさんに恩を売ってしまっている状態だ。

 右目をください、なんて無茶なお願いなら断れるが、聞きたいことがある程度のお願いを断るのは余りに失礼が過ぎる。


「よかったです。では、早速ですが、クナンくんは私の姉様――エリスとお友だちなのですか?」


 予想通り、ミリスさんに問いかけられたのはエリスさんのことだった。


 だが、さっきの俺とは違う。

 先ほどまでは焦ってうろたえてしまったが、なんてことはない、嘘をつけばいいのである。


『いえ、違いますよ。確かに、俺はエリスという人と友人ですが、それは俺の故郷のエリスです。第一王女のエリスさんとは無関係ですよ』


 こう答えればよかったのだ。

 これなら、


『あ、そうなんですね。ミリス、勘違いしちゃった。てへぺろ』


『HAHAHA! ミリスさんはドジっ子だなぁ。まあ、そんなところも可愛いZE☆(ミリスさんの額を人差し指でコツン)』


『もう、やめてくださいよぅ』


 となり、ミリスさんは俺を疑わないだろう。

 それどころか、二人の距離が急接近してしまうかもしれない。


 まあ、流石にこのやり取りは俺の気持ち悪い妄想でしかないが、ミリスさんの疑いを晴らすうえでこれ以上ない方法ということに変わりはない。


 そうと決まれば早速……。


《① 嘘をつく。ついでに、さっきの気持ち悪い妄想で出てきた『HAHAHA!』の部分も再現する》


《② 全然関係ないんですけど、光魔法って闇を照らすことから転じて不明なものを明らかにする効果があるんですよねー。だから、優れた光魔法使いの中には人の嘘を看破できる人もいるらしいですよ。ちなみに、ミリスさんって結構な光魔法の使い手らしいですね。あ、すいません、全然関係ない話しちゃって……。自分が嘘ついてもいいと思うなら嘘ついてもいいと思いますよ。知りませんけど》


 関係あるよ!!


 危ない危ない。

 選択肢が出ていなかったら、俺の嘘はミリスさんに見破られていたかもしれない。

 もしそうなったら……


『王族に嘘とは、いい度胸ですね』


『あ、いや、これは違くて……!』


『皆さん、やってしまいなさい』


『『『ヒャッハー! 嘘つきアイアンは消毒だあああ!!』』』


『ひえええええ!!』


 となり、俺はプラチナクラスの生徒全員から袋叩きいされていたに違いない。


 これは有能な選択肢だ。

 仕方ない。ここは正直に事情を話して、ミリスさんに俺とエリスさんが友達ということは内緒にしてもらうという方向性でお願いしよう。


「えっとですね……」


 ミリスさんに正直に伝えようとするが、そこで周囲の注目を集めていることに気付いた。

 それもそうだ。第二王女がわざわざアイアンクラスの生徒の隣の席に座り、二人でコソコソ話しているとなれば気にならない人はいないだろう。


 特に、プラチナクラスに集まるのは貴族の中でも階級の高い家の子供だ。

 権力者の言動に敏感じゃない方がおかしい。


「すいません。あとからでもいいですか? 必ず、正直に話しますので、今は勘弁してください」


 ミリスさんも周囲の視線に気づいたのか、快く了承してくれた。

 そうこうしている内に、教室に教師が入ってくる。


 なにはともあれ、これ無事に授業の始まりを迎えることが出来た。

 ふう、よかったよかった。


 まあ、一部の人たちから凄い睨まれてるけど……。

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