第32話 弱い犬ほどなんとやら(セレン視点)

「ぐッ!!」


 ノーキンの拳が腹を直撃し、後方の木に叩きつけられる。


「かはっ……はぁ、はぁ……」


 どれくらいの時間が経過したか分からないが、戦闘が始まってから私がノーキンの攻撃を受け吹き飛ばされたのはこれでもう三度目だ。


 強い。ノーキンはかつて支部で一番のAランク冒険者とまで言われていたという話を聞いたことがあるが、それも納得できる強さだ。


「セレン、その程度か? お前は相変わらず弱いな」


「まだ、だ……!」


 細剣を支えになんとか立ち上がる。

 ここで倒れるわけにはいかない。クナンを守るためにも、こいつはここで止めなくては。


「醜いな、セレン」


 ノーキンは悲しげに天を見上げていた。


「……どういうことだ?」


 なんでもいい。会話をして、少しでも身体を休める時間を稼ぎたかった。


「俺はかつて優秀なAランク冒険者だった」


 幸運にもノーキンは会話にのっかってきてくれた。


「支部でも一番の冒険者だと褒めたたえられていた。気分が良かった。全ての人が俺を讃える。全ての人が俺を必要とする。全ての人が俺を頼りにする。強さとは人の上に立つ者の証だ。だが、この世界には俺より強い者がいた」


 Aランク冒険者よりも強い存在……心当たりはある。

 ランクで測ることさえ不可能と判断された規格外の化け物たち。

 ギルドは世界に数人しかいないその化け物たちをEXランク冒険者として認定した。


「分かるか? 俺が敵わなかった魔獣の群れをたかが十代のガキが蹂躙していった時の俺の気持ちが? 俺だけの名誉も、栄光も、賞賛の声も、全て奴が奪った! 逆に、その戦いで魔獣に内蔵を抉られ、弱体化の呪いを受けた俺は落ちぶれた。今でも忘れない。落ちぶれた俺に向けられた哀れみの目、嘲笑」


 余程恨めしいのだろう。

 ノーキンは地団駄を踏んでいた。


「だから、俺は力を求めた。俺は最強になる。そして、あの日俺から全て奪ったEXランクの奴らも、魔獣も全てを蹂躙する! 頂点に立つのは、栄光を掴むものは俺だけでいい!」


 それはただの逆恨みだ。

 ノーキンが力を求めた理由は呆れるほどバカらしかった。


「なあ、セレン。弱さとは醜さだ。弱いものは何も得られない。守れない。だから、俺は力を得るためにお前を殺そうと思った。まあ、犠牲になったのはお前の弟だったがな」


 まるで今日の天気の話でもするかのように、ノーキンは衝撃の事実を告げた。


「……は?」


 今、こいつはなんと言った?

 あの日、弟を殺したのはノーキンだったのか……?


「ん? どうした? 随分と驚いているな」


「お前が、私の弟を殺したのか?」


「ああ。お前の弟の心臓を手土産にしたことで俺はウロボロスの力を得ることが出来た。お前の弟には感謝しなくてはならないな」


 ガハハ、と声を上げて笑うノーキン。

 その表情には他人を犠牲にしたことへの罪悪感など微塵みじんもなかった。

 

 今すぐノーキンに飛び掛かりたいという衝動を抑え、唇をかみしめる。


 落ち着け。

 感情に身を任せるな。どれだけ憎くとも、冷静さを失うな。

 

「まあ、お前の弟もお前を救えた上に俺の役に立てたんだ。本望だろう。ああ、そういえばクナンの奴もお前を助けたがっていたな」


 クナンが?

 まさか、クナンはノーキンの企みに気付いていたのか?


「ハハハ! なら、お前を人質にすればクナンは喜んで自分の身を差し出してくれるというわけだ。あの時と同じだ。クナンはお前を守れて幸せ、俺はウロボロスへの供物を得て幸せ。お前も生き残れて幸せ。これこそハッピーエンドだな」


 は?


 プツン、と自分の中で何かがキレた音がした。


「黙れ」


「ん?」


「お前が、誰よりも弱いお前如きがが私の自慢の弟と弟子の幸せを語るな」


 ノーキンの表情が歪む。


「口を慎めよ、セレン。誰が弱いだと?」


 その声からは怒気が感じられた。


「過去も自分の弱さも認められず、私怨で罪のない人々を犠牲にしようとする。そんなお前が弱いって言ったんだ」


「ほう……。言うじゃないか」


「お前のような過去の栄光に囚われたままの奴に、これから先を生きるクナンの未来を潰させはしない!」


 地面を蹴り、ノーキンの懐に潜り込む。

 そして、体内の魔力を全て込めて細剣を振り抜く。


「ぬうううっ!?」


 これまでに見せたことのない全速力にノーキンの防御が僅かに遅れる。

 防御態勢が崩れた今が好機だ。このまま全力を叩き込む!


「はああああ!!」


「ぐっ! バ、バカなあああ!!」


 ノーキンの身体が後方に飛び、岩壁に激突する。

 それと同時に、私の全身から力が抜ける。


「はぁ、はぁ……」


 その場に膝をつきながら、ノーキンが飛んで行った方に視線を向ける。

 土煙のせいでノーキンがどうなったかは分からない。


 だが、手ごたえはあった。

 間違いなく私の全力だ。これでダメなら、もう私に打つ手はない。


 立ち上がってくるなと祈りながら待つ。

 一秒、二秒、少しづつ土煙が収まっていき、ノーキンの影が見えてくる。

 影はピクリとも動かない。


 よし……私の勝ちだ。

 いや、待て……。


 勝利を確信するも、直ぐに違和感に気付いた。

 ノーキンの影のすぐ横に影が一つある。


 この場で私が戦っていたのはノーキンだけのはずだ。

 途中で冒険者が二人乱入したが、あいつらも既に街へ向かった。


 じゃあ、あの影はなんだ?


 嫌な予感にかられ、辺りを見回す。

 

 いない。私が捕らえ、縛っていた男がどこにもいない。

 

「やれやれ、大口叩いておきながらこれとは……やはり所詮は元Aランク冒険者ですね」


 ノーキンの横にたたずむ影がしゃべり始める。

 その声は私が捕らえた筈の男の声そのものだった。


 バカな、あの拘束から逃れることなどAランク冒険者でも不可能だ。


「黙れ……ッ。さっさと、俺に……力を……寄越せ……ッ!」


 更にノーキンの声も途切れ途切れながら聞こえてくる。

 仕留めたと思ったが、まだ意識があったらしい。


 息も絶え絶えなノーキンに縛られた男は近づくと、手の中にある何かをノーキンの口に近づける。


 まずい。

 あれが何か、私には分からない。だが、絶対にあれをノーキンの口に入れてはいけないことだけは分かる。


「させるか!」


 最後の力を振り絞り、走り出す。

 間に合え、間に合え……ッ!


「残念でしたね」


 だが、私の剣が届く前にノーキンの口の中に禍々しい色の液体が一滴落とされた。


 くっ……だが、ノーキンはまだ寝転がったまま。

 今なら隙だらけだ。


「はああ!!」


 ノーキンを殺す。


 それくらいの覚悟で細剣でノーキンの胸を突く。

 だが、剣の先端がノーキンの胸板を突いた瞬間に私の細剣はバキッと音を立て折れた。


「な……」


 余りにも予想外の出来事に、思わず固まる。

 それは大きな隙となり、次の瞬間私の腹にノーキンの拳が叩き込まれた。


 先ほどまでとは比べ物にならないほど重い一撃に吹き飛ばされ、全身が宙を舞い、そして地面に叩きつけられる。

 

 視界がぶれる。息がうまくできない。

 「ごほっ」と咳き込むと、地面に赤い血が巻き散る。


 ノーキンの足音が近づいてくる。

 腕を支えに身体を起こそうとするが、限界が近いのか崩れ落ち、再び地面にへばりつくような形で倒れ込んでしまう。


 そして、とうとうノーキンの足音が止んだ。


「なあ、セレン。誰が弱いだって?」


 頭上からノーキンの怒りに染まった低い声が降ってくる。


「お前、だ」


 私の返事が気に入らなかったのか、ノーキンは私の髪をつかみ顔を持ち上げる。

 そして、わざわざしゃがみ込んで息がかかるほど至近距離で私の顔を睨みつける。


「なあ、セレン。この状況を見ろ。俺の支えがなきゃ、顔を上げることすらできないお前とお前を倒した俺、そしてお前よりも貧弱なお前の弟子。もう一度だけチャンスをやる。弱い奴は誰だ?」


 もしここで、弱い方は私だと、ノーキンは強いと答えればどうなるのだろうか。

 ノーキンは私を許し、見逃してくれるだろうか。


 いや、あり得ない話をしても仕方がない。

 私の答えが変わることはないのだから。


「私とお前だろうな」


 そう言い放つと、ノーキンは一度天を仰ぎ深呼吸を一つする。

 それから、右の拳を振り上げた。


「なら、その身に俺の強さを刻んでやろう!!」


 ゆっくりとノーキンの拳が近づいてくる。


 死が間近に迫っているというのに、私の心は不思議と穏やかだった。


 クナンは街に辿り着けただろうか。街に着けばアリスさんたちがいる。

 そうなれば、クナンの安全は確保されるはずだ。


 ああ、そうか。

 私の弟もこんな気持ちだったのかもしれない。

 自分が死ぬことの恐怖よりも、大切な誰かを守れたかもしれないという安堵が大きいからこそ、弟は最後に笑ったのだろう。


 瞳を閉じる。

 これまで生きてきた中で体験してきた出来事が頭の中を駆け巡る。

 後悔は山のようにある。


 それでも、悪い人生ではなかった。

 命を懸けてまで私を守りたいと思ってくれる人に二人も出会えた。

 そして、最後に命を懸けてもいいと思える相手に出会えたのだから。


 不意に、風を切り裂く音が聞こえてきた。

 その音はどんどん早くなり、私の方に近づいてくる。


 最初はノーキンの拳による風圧だと思った。

 だが、その音は私の背後から近づいてくる。気のせいではない。

 近づくたびに、その音は勢いを増し、そして私の首の横を駆け抜けた。


「ッ!?」


 突如、飛来した一本の槍にノーキンは思わず拳を止め槍を受け止める。

 槍にかなり押し込まれたものの、ノーキンは見事に槍を受けきった。


 バカな、と思った。

 ノーキンが槍を受け止めたことじゃない。あの槍がここにあることにだ。


 なんせ、既にあの槍の持ち主ははここから離れているはずだったのだから。


「……誰だ?」


 ノーキンが私の背後を睨み、静かに問いかける。

 

「セレンさんを愛してる一番弟子だ」


 堂々と言い切り、クナンは私の前に立った。

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