第30話 恩人

「おい、大丈夫か?」


 と、ノーキンは私ではなく鎖に縛られたローブの男に向けて言った。


 おかしな話だ。

 ノーキンは冒険者ギルドの支部長であり、立場上は私の味方のはずだ。

 なら、心配するべきはどう考えても私の方だろう。


「動かないで下さい」


 異変を察知した私は、直ぐにノーキンに細剣の先端を向ける。


「セレン? どういうつもりだ?」


「それはこっちのセリフです。この怪しい男は支部長の知り合いなんですか?」


「ああ、そうだ、と言ったらどうするんだ?」


「お前もクナンを狙うというなら、容赦はしない」


 全身に魔力を漲らせ、威嚇する。

 無駄話をするつもりはない。重要なことはノーキンもまたクナンの身を狙っているかどうかだ。


「くくっ。容赦はしない、か。随分と偉そうな口を利くじゃないか。たかが二十数年生きただけの小娘が」


 次の瞬間、ノーキンの上半身の服が弾け飛び溢れんばかりの筋肉があらわになる。

 それだけじゃない。ノーキンの筋肉からは魔力が溢れ出ていた。


 おかしい。

 ノーキンとは駆け出しだった頃に手合わせしたことがある。だが、当時既にノーキンの全盛期は過ぎていた。

 それから年々、ノーキンの力は衰えていたはずだ。


 なのに、目の前の筋肉と魔力はなんだ?

 これだけの迫力は今までに見たどんな人間よりも凄まじいものだ。


「驚いただろう? 既に前線を退き、冒険者を引退した俺がなぜこれほどまでに強力な力を持っているか分かるか?」


「筋トレでもしたのか?」


「まあ、それもある。だが、それだけじゃない。全ては【ウロボロス】の力のおかげだ」


「ウロボロスだと?」


 その言葉には聞き覚えがある。

 そう。私が鎖で縛ったローブの男もまたその名を使っていた。


「そうだ。破壊と創造の力を司る邪竜ウロボロス。その牙は神にすら届くとされる伝説上の生物だ」


「バカな。ウロボロスは神話の生物のはずだ」


「俺も最初は疑った。だが、この力を得ては信じるしかあるまい。ウロボロスの鱗一枚だけで失ったはずの全盛期の力を取り戻せた。二枚使えば、この通りだ」


 見せつけるようにノーキンは近くの木を軽く小突く。たったそれだけで、その木はあっさりと折れた。


 こうも見せつけられては信用するしかない。

 だが、これは不味い。紛れもなく今のノーキンの実力は私より上だ。


「素晴らしいだろう? この力があれば、俺は最強になれる。だが、ウロボロスの力を得るためには供物が必要でな……」


 そこでノーキンは私に指を差した。


「その供物こそが、セレンとあのクナンとかいうルーキーだったわけだ」


「……なるほど。つまり、このローブの男と私が出会ったことも偶然ではなくお前が仕組んでいたということか」


「ああ。お前が弟を助けるために自分とクナンの身を差し出せば、俺は供物を差し出した報酬に更なる力をそこの男から与えられるはずだった」


 だが、そうはならなかった。

 私がクナンの身を差し出さなかったからだ。


「それは残念だったな」


「まあ、問題はない。今からお前とクナンを捕らえれば同じことだからな」


 ノーキンの笑みを前に、一歩後ずさる。

 不味い。今の私では重傷のクナンを守り切れるか分からない。


 ……ん? クナン?


 そこで気付いた。クナンの姿が既に無いことに。

 理由は分からないが、心から安堵した。

 これで、クナンを助けられる確率が跳ね上がる。


 今一番必要なものは時間だ。そして、ノーキンがウロボロスとかいう怪しい組織に加担している事実をギルドに伝える必要がある。


 戦うしかない、か。


 覚悟を決め、細剣を構える。


「ほう。俺と戦おうというのか?」


「守るべきものがあるからな」


「面白い。元々、十代でAランクまで上り詰めた天才と持ち上げられているお前は鬱陶しかったんだ。お前も所詮は偽物に過ぎないことを教えてやろう」


 鎖を手放し地面を蹴り出す。

 私の細剣とノーキンの拳が激突した。



***



 戦いは初めこそ互角だった。

 だが、徐々に私が押され始めていた。


「くっ!」


「ははは!! その程度かあ!! そんな攻撃では俺の筋肉を破ることなど出来んぞおお!!」


 スピードは互角。

 だが、筋肉で覆われたノーキンの肉体は頑丈で、私の攻撃は殆ど効いていないようだった。

 対して、ノーキンの大木のような腕と足から放たれる一撃はかすっただけでも私には軽くないダメージになる。


 このままではジリ貧だ。

 多少無茶をしてでも、ノーキンに私の攻撃を直撃させなくてはならない。

 全力の一撃ならば、いくらノーキンでも効くはずだ。


 ノーキンが振るう拳をはじき、魔力を剣に込めて一気に懐に潜り込む。


「むっ!?」


「くらえっ!」


 目の前にはノーキンの腹筋。いくら頑丈といえど、この至近距離ならば……!


 だが、次の瞬間ノーキンの腹筋が私に迫ってきた。

 距離を詰められたことで、剣を振るうだけのスペースが潰される。


「しまっ――!」


「甘いな。インファイトは俺の土俵だ」


 ノーキンの大木のような腕に挟まれ、私の身体はメキメキと音を立てて軋む。


「は、放せ……ッ」


「ん~? 仕方ないなあッ!!」


 そう叫ぶとノーキンは私の身体を近くの岩壁に投げる。

 相当な力で投げつけられたせいで、態勢が整えられない。このままでは、岩壁に全身を叩きつけられる。


 思わず、目を閉じ衝撃に備える。


「「あ、あぶなああああい!!」」


 そして、私の身体は何かにぶつかった。だが、思ったよりも私の身体に衝撃は来なかった。


「「い、いてぇ……」」


 目を開けると、岩壁の前には見覚えのある二人の男がいた。

 そう、確かこの二人はクナンを嵌めようとしていたチンピラの二人だ。


「な、なぜお前らがこんなところに?」


「ちょ、調査隊とはぐれちまって……」


「迷っていたらあんたが見えたでやんす……」


「あんたは恩人だし、助けねーとって飛び出したんだ……」


 ぶつけた鼻をさすり、涙目になりながら二人が説明する。

 理由はどうあれ、これは幸運だ。ここで人に出会えたなら、ノーキンの企みをギルドに伝えてもらうことが出来る。


「おい、今から私の言うことをよく聞け!」


「え、あ、はい!!」

「や、やんす!」


「支部長のノーキンはウロボロスという怪しい組織に加担し、クナンを狙ってい――ッ!?」


 二人に伝言を頼もうとするが、それを阻むようにノーキンが拳を振るう。

 ギリギリで受け止めるが、ノーキンの姿を前にした二人は尻もちをつき、動揺していた。


「し、支部長? 支部長がなんでこんなところに?」

「それに、オイラたちの恩人となんで戦ってるでやんすか?」


「時間が無い! 二人でギルドに行き、私がさっき言ったことをアリスさんに伝えてくれ!」


「そこの二人、騙されるな。妄言を吐いているのは、セレンの方だ。俺もセレンを止めるために戦っている! 二人も力を貸してくれ!!」


 支部長の顔に戻り、二人に協力を申し出るノーキン。

 不味い。ここで二人が足を止めてはノーキンの思うツボだ。


「ノーキンの言うことを信じ……くっ」


 二人に話しかけようとするが、それを遮るようにノーキンの攻撃が激しさを増す。


「セレン、冒険者を騙すのはやめろ」


「お前が言うな……ッ!」


 悔しいが、これ以上二人を気にする余裕がない。

 この二人がノーキンと私のどちらを信じるか。それに、全てはかかっている。

 頼む、信じてくれ。


 私の念が通じたのか、チンピラ二人は立ち上がり、街の方に向けて走り出した。


「お前ら! 支部長のことが信じられないのか!?」


「俺たちは確かにあんたのギルドの支部に所属している」

「でも、オイラたちを救ってくれたのはあんたじゃないでやんす!」


 ノーキンに力強く言葉を返し、二人は姿を消した。


 よし。これで後は時間を稼ぐだけだ。

 これで形勢はノーキンが不利になる。だが、ノーキンはため息をつくだけで焦る様子は見られなかった。


「まあ、いい。奴らが森を出ることは出来んからな」


「なに?」


 どういうことだ? あの二人が森を出ることが出来ない……?


「簡単なことだ。俺はここに来る前に、森の入り口で大量の生き物の血をばらまいておいた」


「ブラビットか……!」


 ブラビットという魔獣は血の匂いをかぎ取ると、瞬く間に集まってくる。

 一体だけなら大したことはないが、集団なら熟練の冒険者でも苦戦するような相手だ。

 あのチンピラ二人はお世辞にも強いとは言えない。集団のブラビットに襲われれば殺されるかもしれない。


「ああ。さて、続きをしようか。まあ、負けるのはお前だがな」


 余裕の笑みを浮かべながら、ノーキンは拳を振るった。

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