第29話 決別
「セレンさんはブラコンでドSだ。だが、愛する弟は既に死んでいる。そこで、霊体でも精神的苦痛を与えられると考えたセレンさんは一計を案じた。それこそが、放置プレイ、そしてなんちゃってNTRだ。セレンさんはドSなんだし、多分弟のお前はドMなんだろ? だから、お前が怒っているのは見当はずれ。全てはセレンさんなりの愛情表現だったんだよ」
こいつは一体誰の話をしているのだろう。
「そ、そんなバ、バカな……」
私の弟はなぜこの話を信じているのだろう。
「事実、セレンさんは俺に『お姉ちゃん』呼びを許すことは無かったし、俺の告白にも答えてはくれなかった。それはつまり、セレンさんにとって愛する弟は弟亡き今でもただ一人ということに他ならない」
「う、嘘だ……そ、それじゃあ、お姉ちゃんは……僕を愛している……?」
わなわなと震えるテルスに、「やってやった」という表情のクナン。
そして、クナンの言っていることが何一つ理解できない私。
「いや、まだ僕は信じない!」
「強情な奴め。なら、本人に聞いてみればいい。セレンさん、言ってやってください! 私はドSでブラコンだってね!」
完全に思考停止している私にテルスがどこか期待に満ちた表情を向けて来る。
頭が痛い。
ドSという言葉は私も聞いたことがある。確か加虐嗜好の人を指す言葉だったはずだ。
だが、私は加虐嗜好ではない。
私が弟を愛していることは否定しないが、亡き弟に精神的苦痛と与えるために放置プレイやらNTRとやらをするほど私は歪んだ人間じゃない。
どういう理由でクナンが私をそういう人間だと思ったかは分からないが、ここでの答えは一つだった。
「いや、違う」
「なっ!?」
信じられないといった表情のクナン。そして、やはりそうかと言わんばかりに再び私を睨みつけるテルス。
「ついに本性を現したね。やっぱりお姉ちゃんにとって僕は代わりの利く存在に過ぎなかったってわけだ」
「ええ!? 噓だろ? ドSでブラコンじゃなかったなら、セレンさんの俺に対する態度は……」
私を睨み、恨み言を吐き続けるテルスに一人で頭を抱えるクナン。
余りに好き勝手なことを言い続ける二人を前にして、私の中で何かがきれた音がした。
「やっぱり、僕はお姉ちゃんを許さない。お姉ちゃんから大切なものを奪い返してみせ――」
私に指を差すテルスに一瞬で近づき、その頭を胸に押し付ける。
もういい。二人ともそこまで好きにするなら私だって好きにする。
「うるさい。そんなことを言うな」
「あ、え……」
「大好きな弟にそんなことを言われて悲しくならない姉などいない」
「で、でもさっきは嘘だって……!」
「クナンのバカが言うことの殆どは嘘だ。でも、私がテルスを愛していることだけは紛れもない真実だ」
弟の身体は冷たくて、嘘のように軽かった。
それでも、確かに私の弟はテルスがここにいる。
ずっと、こうしたかった。抱きしめて、どれほど、テルスの存在が私にとって大切か伝えたかった。
「お前はバカだ。私なんかのために命を張って……」
「姉ちゃ……ん……?」
「あの時、私はお前に生きて欲しかった。もっと自分のことを大切にして欲しかった。今だって、私はお前のことを思っている」
「……ッ」
テルスの息をのむ音が聞こえたかと思えば、テルスは強引に私を振り払い、一歩下がった。
「だったら、お姉ちゃんの命を僕に返せ。僕のことを思っているなら、僕のことが大切ならいいだろ?」
そして、声を震わせながらそう言った。
答えは最初から決まっていた。
「ダメだ」
「ッ!?」
「確かに私の命はお前がくれたものだ」
「なら……!」
「でも、あの日テルスが私に生きて欲しいと願ったように、私がテルスに生きて欲しいと祈ったように、まだこの世界には私に生きて欲しいと願うバカがいる」
テルスからすれば、きっと私は変わってしまったのだろう。
テルスのことだけを思い、生きる目的もなく過ごしていた私はここにはいない。
たった一人、命を張ってまで私に生きて欲しいと願うバカにまた出会ってしまったから。
「残されるものの寂しさを私は知っている。だから、すまないテルス。いつかこの命を失う時が来るとしても、私はもう自ら死んでもいいとは思えない」
「……愛する弟がお願いしても?」
「ダメだ」
「僕がお姉ちゃんを恨み、憎み続けることになっても?」
「……正直に言うと、それは凄く怖い。でも、やはり私は今を生きたい」
今度はちゃんと口に出来た。
これが紛れもない今の私の本心だ。
どれだけ辛くとも、苦しくとも、生きる目的が無くとも、私が生きることを願う人がいるなら、私は生きていたい。
出来るなら、私に生きて欲しいと願う人と共に。
「ようやく変わったんだね」
と、呟くとテルスは心底安心したかのような笑みを浮かべる。
それとほぼ同時に、テルスの姿がどんどん薄くなっていく。
「テルス……?」
「きっと、少し前までのお姉ちゃんなら僕が死ねと言えば命を差し出していた。だけど、今のお姉ちゃんには僕以外に生きる理由がある。過去を振り返ることは悪いことじゃない。でも、過去に縛られちゃダメだ」
そう語る間にもテルスの足から腰にかけてどんどん姿が消えていく。
「ま、待ってくれ! まだ私はお前に……!」
まだお礼も言えていない。
話したいことだって山のようにある。渡したいものも、聞きたいことだって。
だが、無情にもテルスの姿は残すところ顔だけになっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん。僕はお姉ちゃんの弟でよかった。……僕も、愛してる」
「テルス!!」
微笑むテルスに手を伸ばす。
私の指先があと少しで触れるその瞬間、テルスの姿は跡形もなく消え去った。
行き場を失くした右手が宙を掴む。
その手を私は左手で包み、大事に胸に寄せた。
テルスの言葉を、笑顔をもう二度と忘れることのないように。
「あの、セレンさん……?」
背後からの声に振り返ると、そこには緊張した面持ちのクナンがいた。
「ああ、クナンか。お前にも迷惑をかけたな……いや、お前は安静にしていないと――」
待て。
何か、忘れている。
そうだ。死んだはずの弟はなぜ突然姿を現した?
そして、私と話していたあの男はどこへ消えた?
「セレンさん?」
迫る気配を察知し、細剣を抜く。そして、クナンの顔横を細剣で貫いた。
「ひえっ」
悲鳴を漏らすクナンに申し訳ないと思うが、あと少し気付くのが遅かったらクナンは背後に迫る男にやられていた。
「流石はAランク冒険者といったところでしょうか。一筋縄ではいきませんね」
細剣を向けられた男は両手を上に挙げる。
だが、その口元は吊り上がっており、降伏の意思がないことは明らかだった。
「死んだはずの弟が姿を現したのはお前の仕業か?」
「ええ。厳密にはあなたの弟本人ではありませんがね」
「なに?」
「ふふ。私の魔法をくらいながら生き残ったあなたには特別に教えてあげましょう。私はあなたの中の弟を幻として見せていたのですよ」
「幻だと?」
「ええ。大抵の人は大きな罪悪感を抱いている人がいます。そういう人の幻を見せ、死ぬことを要求する。すると、大抵の人が動揺するんですよ」
「その隙にお前が殺す、ということか」
「その通り。私はあなたが深層心理で恐れていた『姉を恨み、憎む弟』を幻として見せました。弟になら殺されてもいい、と無防備なあなたを殺すことが出来れば最高だったのですが、邪魔をされてしまった」
「あれだけの幻なら、再び私を殺すことも狙えたんじゃないのか?」
「ふふ。幻を見せるうえで大事なことは没頭させることです。少しでも邪魔な物音や人の気配など違和感を感じさせてしまえば、折角の幻も台無しです。おまけに、あなたはAランク冒険者です。流石に二度も同じ手は通用しないでしょう」
「だから、クナンの方に狙いを変えたということか」
「ええ。あなたが弟が消えた余韻に浸っている隙をついたつもりだったんですがね。流石Aランク冒険者です。ああ、でも自分のイメージする幻に翻弄されるあなたは実に滑稽でしたよ」
口を押えながら男は私を嘲笑っていた。
「お姉ちゃんの弟でよかった? 愛してる? はは、あの言葉も全てあなたが弟にそう言って欲しいと思っているだけのものですよ。それをまるで弟が言ってくれたかのように……くくっ、愚かですねぇ。弟は既に死んでいるではありませんか。あなたのせいでね」
「そうか。で、それがどうかしたか?」
「なに?」
初めて、男の表情から笑顔が消えた。
「お前の言う通り、あの言葉は私が弟に言って欲しいと思った言葉かもしれない。だが、過去に弟が私に生きて欲しいと願ったことに違いはない。その事実があれば十分だ。私はもう迷わない」
そう。私は弟から愛されていた。
クナンとの日々が私に弟とのかけがえのない日々を思い出させてくれた。
そして、今はクナンが私を思ってくれている。
迷う理由はない。
「は、ははっ、バカですねぇ。人は変わる。過去の行為に価値などありません。今が全てです。今、死んだ弟はあなたを恨んでいるでしょうねぇ。少なくとも私ならそうだ」
「黙れ。私の弟はお前の何倍もイケメンだし、お前より声も爽やかだ。性格など比べ物にならない。冗談だとしても、お前ごときが私の弟を語るな」
話すべきことは話した。
まだ気になることは山ほどあるが、それはこいつを捕らえてからだ。
「覚悟はいいか?」
全身に魔力を漲らせ、男を睨みつける。
魔法を使わせる隙すら与えずに一瞬で決める。
自身の危機を感じているのか、男の表情にも僅かながら焦りが浮かんでいた。
「ふふふ、いいんですか? 折角の私から情報を引き出すチャンスですよ?」
「安心しろ。殺しはしない」
時間稼ぎをしたいのだろうが、そうはいかない。クナンも深手を負っている。
時間をかけてもこちらに得は無い。
手に力を込め、地面を蹴る。
正真正銘、私の全速力だ。常人なら視界に捉えることすらできず、実力者でも避けられるものはごく僅か。
狙うのは、四肢。
「ッ!! がああ!!」
私の刺突をかわし切れなかった男は倒れ込み、悲鳴を上げる。
「抵抗を止めれば、ここまでにしてやる」
「くっ、わ、分かりました! 大人しくします……」
まだ抵抗するかと思ったが、男は思ったよりも早く抵抗をやめた。
その証拠に手にしていた武器を投げ捨てていた。
「そうか。なら、動くなよ」
最大限の警戒をしつつ、男の手首に魔獣の捕縛用の鎖を巻き付ける。
犯罪者の捕縛にも使われる特殊な鎖で、この鎖は捕縛している者の魔力を吸い、耐久力を上げる。
理論上はどんな者でも自力で引きちぎることは不可能らしい。
男に鎖を縛り付けたことを確認したその時だった。
「おい、大丈夫か?」
私の目の前にいたのは、ギルドの支部長であるノーキンさんだった。
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