第28話 勘違い

***<セレン視点>***


 弟がいる。

 私にとってかけがえのない大切な家族で、再会を望み続けた死んだはずの弟だ。


「久しぶり、お姉ちゃん」


「な、なんで……」


「なんでって、お姉ちゃんに会いたかったからだよ」


 喋っている。動いている。笑っている。


 声も仕草も表情も、どれをとっても紛れもなく本物の弟だ。

 だが、唯一いつも輝いていたはずの弟の目は真っ黒だった。


「元気にしてた? ちゃんと部屋綺麗にしてる? 朝ご飯も毎日食べてる?」


「あ、ああ。何度も言われたからな、ちゃんと守ってる……」


「はは、ならよかった」


 死者は蘇らない。それがこの世界における常識だ。だけど、確かに弟は私の目の前にいる。


「ほ、本当にテルスなのか?」


「当たり前だよ。正真正銘、世界でただ一人お姉ちゃんの弟のテルスだよ」


 ああ、本物だ。

 きっと、本物なんだ。だって、触れられる。

 その手にも、頬にも私と同じ銀色の髪にも確かに触れることが出来る。


「すまない、テルス。私が、弱かったから……! 私のせいで、お前を、お前の未来を……」


 もう会えないと思っていた弟に再会した喜びか、はたまた弟の手が冷たかったからか、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。

 弟の前で情けなく涙を流す姿などは見せたくなかったが、溢れ出る感情を止めることなど出来なかった。


「お姉ちゃん」


 テルスが私の肩に優しく手を置く。

 優しく、穏やかな声だ。


 懐かしいと思いつつ、顔を上げた私は声を失った。


「本当にその通りだよな」


 真っ黒で無機質な瞳を私に向けながら、テルスはそう告げた。


「ぁ、ぇ……」


「ずっと憎んでた。恨んでた。僕の未来を奪ったこと、そのくせのうのうと生きてること、冒険者としてチヤホヤされていること……全部、全部、本当ならあの日お姉ちゃんが失っていたもので、僕が手にするはずだったものだ」


 血の気がサーッと引いていく。

 頭がうまく回らない。言葉が、出てこない。


「挙句の果てに、僕の代わりまで見つけちゃってさ。ねえ、人の人生奪って生きる気分はどう?」


「ち、違う。私は、そんなつもりはなくて……」


 必死に声を絞り出す。

 違うんだ。私は、そのことを後悔してて、お前に生きていて欲しくて、ずっと謝りたくて、生きる理由なんてなくて……でも、やっと少し前を向けそうで……。


 なんとか言葉を繋ごうとするが、そんな私の声をテルスはかき消すように声を荒げた。


「ならさぁ!」


 静寂が訪れる。

 私が大好きだった弟は、あの日、私に笑顔を向けて死んでいった弟は憎悪を込め私を睨んでいた。


「その命、僕に返せよ」


 弟の手が私の胸に伸びる。

 決して早くはない。普段の私なら対処できる速さだ。

 

 だけど、その手を振り払う資格など私にあるはずが無かった。


 時間の流れが嫌にゆっくりに感じられた。


 全て弟の言う通りだ。私が弟から全てを奪った。輝かしい未来も、出会うはずだった人たちも、私が大好きな弟も。


 私の知っている弟はもういない。私が殺した。私が、弟に憎悪と恨みを抱かせてしまったのだ。

 私の命で弟が帰ってくるなら安いものだ。きっと、その方がこの世界のためにもなる。


 弟の手で私の人生は今度こそ終わるはずだった。

 だけど、あの時と同じように私が死ぬことを許さない人間がいた。


「させるかあああああ!!」


 突然、私と弟の前に人の影が飛び込んできた。

 声を聴けば一瞬で分かった。その影の正体に。


 なんで、お前がここに? いや、それより……ッ!


「ダメだ……!」


 それだけは、ダメだ。その運命は私が受け入れなくてはならないんだ。

 必死にクナンに腕を伸ばす。だが、無情にもテルスの手はクナンの脇腹に突き刺さった。


 ガクン、とクナンの身体が崩れる。

 慌ててその身体を抱きとめる。


 脇腹からはドクドクと血が流れ出ている。

 

「ク、クナン! おい、大丈夫か!?」


 必死に呼び止めるが、クナンの目はこちらを向いていない。


 まずい、まずいまずいまずい。

 ダメだ。嫌だ。また私のせいで誰かが死ぬのは、絶対に嫌だ。


「しっかりしろ! くそっ、手持ちが少ない……!」


 急いで持ち物をあさるが、応急処置の薬品が少しと止血用の布しかない。

 止血は出来るが、それだけだ。傷口をふさぐことは出来ない。


 こんなことなら、もっと準備を整えておくべきだった。

 私はいつもそうだ。考えなしに行動して、必ず後悔することになる。


 いや、今はあの時とは違う。

 あの時は致命傷だった。いくら足掻いてもテルスを救うことは出来なかった。でも、まだクナンは生きている。

 呼吸もしっかりしている。今度は助けることが出来る……!


「ははっ。そいつが僕の代わりってわけだ。あの時も同じだったよね? お姉ちゃんはそうやって僕らを盾にして生きてる」


 クナンの手当てを急ぐ私に、テルスの冷ややかな声が浴びせかけられる。


 弟の言う通りだ。私はいつも誰かに助けられている。だからこそ、この手を止めるわけにはいかない。


「やめなよ。そうやってさも大切にしてますって演技するの。どうせ、そいつがいなくなったらまた代わりを見つけるんでしょ? 僕の代わりにそいつを選んだみたいにさあ!!」


「ち、ちがっ「なにが違うのさ!」


 否定したかった。

 テルスの代わりなどいないと、だが、弟はそれすら私に許してはくれなかった。


「なにも違わない。いつでも一人で突っ走って、必死で追いかける僕らのことを考えているようで考えていない。だから、僕は死んだ!」


 違う、私はテルスのことを思っている。


 心ではそう思っているのに言葉が出てこない。テルスの告げることが事実だからこそ、言い返せない。

 心でいくら思っても、どれだけ言葉を並べても、テルスにとって私は一人で突っ走った挙句に、危機に陥り、その尻拭いを弟にさせ、挙句の果てにクナンにテルスの影を見た最低な姉なのだから。


「お姉ちゃん、いや、僕を殺したお前を僕は絶対に許さ……ッ!」


 最早、テルスにとって私は姉ですらなかった。

 これで終わるはずだった。テルスは私を憎み、私が救われることは二度とない。

 私は弟を、いやテルスという一人の人間を殺した罪を生涯背負い続けることになる。そのはずだった。


「お前、バカなのか?」


 だけど、他でもないクナンの言葉によって、テルスの言葉が最後まで続くことは無かった。


「なんだと?」


 と、テルスはクナンを睨みつけた。

 だが、そんな睨みなどどこ吹く風と言った様子でクナンはテルスに向けて話し出す。


「だってそうだろ。セレンさんを助けたのはお前じゃねーか。自ら命張ってまで助けた相手に『許さない!』とか逆ギレでしかないだろ。お前はセレンさんのこと好きじゃないのか?」


「好きだったさ。だけど、お姉ちゃんは僕を裏切り、僕の代わりとのうのうと日々を過ごしていた。それが許せないんだ」


 そのテルスの言葉にクナンは深々とため息をつき、心底呆れた表情で、


「だとしたら、お前はやっぱりバカだよ」

 

 と、告げた。

 そして、テルスに力強く人差し指を向け、


「いいか、セレンさんの弟。それは放置プレイだ!!」


 と、言い放った。


「「……え?」」


 私とテルスの声が重なった。



*********


ちょっときりが悪いので、今日の夕方か夜にもう一話更新予定です。

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