第22話 弟

***<セレン視点>***


 弟がいた。


 世界にただ一人の大切な弟だった。

 もう弟は世界のどこにもいない。


 他でもない私が原因で弟は死んでしまったのだから。


 弟がいなくなってから、何度も死んでもいいと思った。

 無茶な依頼を受け続けた。


 だが、私の才能は私が死ぬことを許さなかった。

 何度も死線を潜り抜け、いつしか冒険者として一つのゴールとまで言われるAランク冒険者の地位にまで上り詰めた。


 それでも、心に空いた穴が埋まることはない。

 いつしか、あの頃の私のように弱く幼い癖に冒険者として大成することを夢見る子供を見ると心がざわつくようになっていた。


 冒険者を志す子供を過去の自分と重ね、身の程をその身に教え込む。

 もう二度と愚かな過ちを犯す子供は見たくない。


 正しさなど欠片もない。

 ただ、自分が見たくないというだけのどこまでも自己中心的で幼稚な考えが理由だ。


 そんな荒んだ私の前に現れたのは一人の男だった。


「死んだ弟に出会いたいと思いませんか?」


 支部長のノーキン直々の依頼でやってきた森の奥にその男はいた。

 全身を覆う薄汚れたローブを身にまとい、フードからは胡散臭く気味の悪い笑みが見えていた。


 ふざけるな。

 そう思った。


 死者は蘇らない。蘇るとしたらアンデッドとしてだけだ。

 だが、アンデッドに魂はない。姿、形だけが同じな全くの別物。


 だからこそ、死者がアンデッドにならないように、魂が安らかに眠ることが出来るように死者に祈りをささげるのだ。


「会える、のか……?」


 なのに、私の口はそう呟いていた。

 

 私の言葉に男は笑みをさらに深める。


 ダメだと分かっている。

 それでも、会いたかった。謝りたかった。

 弟に生きて欲しかった。


「我々は【ウロボロス】。自らの全てと黒髪黒目の少年を差し出すというなら、貴方に特別なひとときをプレゼントしましょう」


 それだけ言い残して、男は消えた。


 黒髪黒目の少年と聞いた私の頭には一人の少年の顔が浮かんでいた。


 クナン。

 特別な力は持っていないが、十分冒険者としてやっていけるであろう未来ある少年だ。


 その少年と私を差し出せば、弟に会えるかもしれない。


 この時点で私はクナンという少年を差し出すことばかり考えていた。

 罪悪感はある。

 それでも、クナンという少年の命よりも弟と会えることの方が大事だった。


 だからこそ、クナンという少年を弟子にした。


 弟子にすれば、スムーズにあの男にクナンを引き渡せるからだ。

 だが、いくら待ってもあの男は私の前に姿を現さなかった。


 いつの間にか時間だけが過ぎていき、私とクナンはまるでどこにでもいるような師匠と弟子の関係になりつつあった。


 才能に溢れているとは言い難いが、「セレンさん、セレンさん」と近寄ってくるところや、強くなろうと必死に頑張る姿はまるで生前の弟のようだった。


 だからだろうか。

 いつの間にか、クナンとの時間を心地よく感じ始めていた。

 あのとき、強くなりたいと願う弟にしてやらなかったことが出来ているような感覚があった。


 少しだけ心が軽くなるのを感じて、自己嫌悪した。


 弟が私にとっての一番だ。

 それは変わらない。


 だが、クナンが私の心を揺さぶる。


 私のような汚い人間を「綺麗」と言うな。

 姉らしいことなど何も出来なかった私を「お姉ちゃん」と呼ばないでくれ。

 そんなに、輝かせた目を向けないでくれ。


 私自身もなにが正解か分からなくなり始めた頃に、あの男は現れた。


「こんばんは。覚悟は決まりましたか?」


 返事は、出来なかった。

 なにも言わない私を見て、男は深々とため息をつく。


「弟さんも報われませんね。命を賭けるほど貴方を大切に思っていたというのに、貴方は弟さんのために全てを捨てる覚悟もないらしい」


「それは違う!」


「なら、明日の夜に初めて出会った場所で待っています。期待していますよ」


 男の姿はもうどこにも無かった。

 幻だったのではないかと疑いたくなるが、男の声が今も鮮明に耳に残っている。


 明日の夜、弟に会えるかもしれない。

 だが、そのためにはクナンを差し出す必要がある。


 元からそのつもりで弟子にしたというのに、どうしてこんなにも悩んでしまうのか。

 その理由には正直気づきかけていた。

 だが、そこに目を向ければ私は絶対にクナンを見捨てられなくなる。


 だからこそ、「弟に会うため」と自分に言い聞かせ、私は宿に帰った。





「セレンさん、おはようございます! 今日も綺麗ですね!」


「ああ、おはよう」


 翌朝、部屋を出るといつものようにクナンは部屋の外に待っていた。

 私を悩ます当人を前にして少しだけ固まってしまったが、なんとか平静を装った。


 いつも通りに朝食を食べ、いつも通りクナンを鍛えるべく森へ行こうとする。


「ちょっと待ってください」


 だが、いつもと違いクナンは私を引き留めた。


 まさか、バレたか?

 あの男との密会は誰にも見られていないはずだ。それに、クナンが私の狙いに気付いているのなら、もっと早く行動を起こしているはず……。

 

 いや、バレたならそれでもいいかもしれない。


 いくつもの考えを頭の中で巡らせながら、静かにクナンの言葉を待つ。


「セレンさん、今日は俺と一緒にお出かけしませんか?」


 クナンの口から出た言葉は予想外のものだった。


 もしかすると、なにかの危険を察知したのかもしれないが、少なくとも、私の狙いに気づいているような様子はない。


「しない」


 怪しまれぬように返事をし、それと同時に今日を休みにすることを提案する。

 森へ行きたくないのであれば、この誘いにこいつはのっかってくるはずだ。


「ちょっと待って下さい!」


 だが、まだクナンは食い下がる。


「なんだ?」

 

 森に行かないことが目的というわけではなさそうだ。

 そうなると、こいつの真の目的は――


「チー!!」


 ――な、なんだ!?


「き、急に叫ぶな! びっくりするだろ!」


 目の前で叫ばれ、完全に虚をつかれてしまった。

 クナンの奇行を止めようとするが、私の言葉程度ではこいつは止まらない。


「ポン!!」


「カン!!」


 わけの分からない言葉を叫び終え、そして満足気な表情を浮かべる。

 

 なんだこいつは……?

 前々からおかしいやつだとは思っていた。


 人の胸を大勢の人がいる前で「世界一!」と叫んだり、人が寝泊まりしている部屋の前で土下座していたり、「惚れる」などと面と向かって伝えてきたりと数え上げればキリがない。


 思えば、こいつには何度も恥ずかしい思いをさせられてきた。

 苛立たしさを感じたことだってある、弟を思い出し悲しい気持ちにさせられたこともある。

 ……懐かしい気持ちになり、思わず笑顔になってしまっていたこともある。


 困ったやつだ。

 今だってこいつに困らされている。


 弟子になんて取らなければよかった。

 出会わなければよかった。


 …………最後、か。


「確か、お出かけがしたかったんだよな?」


「い、いいんですか?」


「ああ、たまにはそういうのもいいだろう。だから、その、まあ……落ち着け」


 私はこれから最低なことをする。

 だから、強いて言えばこれは償いのようなものだろう。


 私が犠牲にするクナンへの、せめてもの優しさ。


 我ながら酷いマッチポンプだ。

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