第15話 タバコ
***<side セレン>***
「セレン、待たせたわね」
ブラビットの変異種を討伐した後、街に戻った私を待っていたのはアリスさんだった。
普段は冒険者ギルドの受付嬢として丁寧な言葉遣いを意識しているアリスさんだが、私の前だと冒険者時代の口調になぜか戻す。
懐かしさを感じるアリスさんのその口調が私は嫌いだ。
「いえ、そこまで待っていません」
「そう? ならよかったわ」
ギルドの個室、アリスさんは向かいの席に腰かけると、上着の裏地にあるポケットから
そして、指をひとならししてタバコに火をつけた。
アリスさんの吐き出した煙が宙に広がり消えていく。
「あなたも吸う?」
何気なしにアリスさんが問いかけてくる。
その言葉に数年前のことを少し思い出してしまった。
「険しい顔ね。タバコの煙は嫌いだったかしら?」
「そんなことはどうでもいいでしょ。それより、早く本題に入ってください」
私がタバコの煙を好きではないと分かって聞いているのだから、タチが悪い。
「本題、ね。正直、あなたから聞くことは殆ど無いわ。大抵のことは当事者二人からの話で分かっているもの」
「なら、もう帰ります」
席を立とうとするが、足が動かない。何事かと思えば、アリスさんが吐き出していた煙が私の足首と椅子の脚を括っていた。
煙をまるで実体があるように思いのままに操る。
それは紛れもなくアリスさんの固有魔法だった。
「せっかちね。どうして私がわざわざあなたを呼び出したのか気にならない?」
「あの少年に関すること以外なら聞きます」
「残念、あの少年に関することよ」
やはりそうか。
あの少年が朝から私の部屋に訪ねてきた時点でギルドが一枚かんでいることは分かってた。
安い宿屋ならともかく、私が寝泊まりしている宿屋はそれなりに値の張るいい宿屋だ。
ただの少年にお願いされたからといって客が寝泊まりしている部屋を教えるはずがない。
「彼がどうして自身より格上の変異種と戦っていたか分かる?」
私の言葉を無視してアリスさんは問いかけてくる。
「自分の力を過信したのではないですか。昨日から『俺はデスパイダーを倒した』とか己の力を誇示する傾向はありました。若い少年にはよくあることです」
「確かに、そういう一面もあったわね。でも、事実は違ったみたいよ」
アリスさんはそういうと口から煙を吹き出す。
吹き出された煙たちは机の上で小さな人や魔獣の姿を形成していった。
「あなたを追いかけたクナンくんは、お金狙いで二人の冒険者に絡まれたわ。そして、ブラビットの習性を利用した冒険者たちによって十を超えるブラビットをけしかけられた」
アリスさんの言葉に合わせて煙の人や魔獣が動き出す。
まるで当時の様子をそのままに映し出しているかのようだった。
「冒険者たちはすぐにクナンくんが根を上げると思っていたのでしょうね。ただ、彼は想像以上に慣れた立ち回りでブラビットたちを退けた。焦ったのは冒険者たちの方。ここまで来たら後には引けないと考えた彼らは更に大量の血を周囲に撒き散らせた。それが付近に偶然いた変異種を呼び寄せることになるとは知らずにね」
冒険者同士のいざこざはそう珍しいことではない。自分たちが手に負えない魔獣を別の冒険者に擦り付けるタチの悪い冒険者も少なくない。
だが、聞いていて気持ちのいい話ではないことは確かだ。
「変異種が真っ先に狙ったのはクナンくん以外の二人だったそうよ。ところが、クナンくんはそんな二人を庇うように魔獣に挑んだ。それからはセレンも知るとおりね。で、どう?」
「どうとは?」
「あの子の師匠をする気になった?」
やはり本題はそれか。
ハッキリ言って私が師匠になるなんて考えられない。
しかし、アリスさんと支部長は間違いなく私があの少年の師となることを期待している。
「なぜ、私なのですか? 少なくとも、誰かのために命を張れる
「あなただからこそ、よ。あの子が命を賭した結果、あなたは生き残った。生き残ったあなたにしか伝えられない大切なことがあるわ。そして、それはあの子や彼のように誰かのために力を使える人にはなにより大切なことよ」
分からない。
私になにが伝えられるというのか。
私はあの日からずっと時が止まったままだ。前に進まなくてはならないと分かっていながら、進むことができていない愚か者だ。
普通なら、きっと躊躇なく断っていただろう。
だが、そこまで言うのであればやってやってもいいという気持ちになった。
「分かりました」
期待通りの返答をしたはずだが、アリスさんは意外そうに目を点にしていた。
「なんですか、その顔は」
「いえ、ごめんなさい。あなたのことだからもっと固辞するかと思っていたわ」
「私にとって恩人からのお願いですからね。それに、支部長からも頼まれていたことですし、仕方ありません」
「支部長も? そう……。まあいいわ。それならよろしくね」
煙管から吸い殻を吸い殻入れに落とし、アリスさんは席を立つ。
これ以上の話はないのだろう。
約束した以上、私はクナンという少年の師匠になる義務がある。
ただ一つだけ、確認しておきたいことがあった。
「アリスさん。私が教えられることは、一人で生きる生き方だけです。その果てにあの少年が死ぬことになったとしても、私は責任を取れません」
「構わないわ。だけど、一つ訂正しておくわ。あなたが教えられることはそれだけじゃない。気が向いたら、彼にあの子のことを話してあげて」
それだけ言い残してアリスさんは部屋を後にした。
部屋の中で暫くの間、机の上で今もゆらゆらと揺れる人型の煙を眺める。
フッと煙が宙に霧散していくところを眺めてから部屋を後にした。
ギルドの一階に向かう途中、少し先に見える部屋から小さな話し声が聞こえてきた。
普段なら無視するところだったが、話し声の中に自分の弟子となるクナンの名前が出てきたためについ足を止めてしまった。
「今回の一件における被害者のクナンくんは二人に賠償を求めることが出来ます。賠償として妥当かどうかの判断は仲裁たるギルドがさせていただきますが、どうされますか?」
なるほど。
どうやら、話し合いの内容は今回の事件を引き起こした二人への罰についてのようだ。
殺人未遂ともとれるほどの事件だ。
果たしてあの少年は加害者二人になにを要求するのか。
少しの興味を抱きつつ、その場で足を止め聞き耳を立てる。
「ゲームをしよう」
クナンの口から出た言葉はその場の誰もが想像もしない言葉だった。
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