業務:例外的突撃~悪党斬討昼行燈~
ざあと雨粒が地を叩くような音、それから一拍遅れて平凡な悲鳴が廃墟に響く。
傷に塗れて削れた床に若者たちが倒れ込む。その傍らには角材や木刀に金属バットなどの物騒な品々が転がり、その合間にばらばらと指が落ちている。
窓から真昼の日射しが床に延び、流れ広がる赤々とした血が艶やかに光った。
「あ──やっぱり、指ばっかりなんだよね」
書類に記入する数字を間違えたような調子で呟いて、手首狩りの南貝
雨の音ではない。あの痩せぎすの作業服の男が刃物を振るうたびに、周囲の人間の部品が欠け落ちているのだ──そう青年たちが気づいたときには、切れ落ちた自身の指や腕が床に撒き散らかされていた。
『近所の廃墟に心霊スポットだという噂が立ち、夜になると若者が侵入して騒いでいる』『昼間でもスーツやジャージに派手な服装の見覚えもなければ用事もなさそうな得体のしれない連中が出入りしている』『昼夜を問わずたまに悲鳴や派手な物音が聞こえる』──そんな事件以前の不穏なあれこれに関して、近隣住民からの相談が相次いだのが発端だった。
心霊スポットに馬鹿が集まるのはよくあることではある。度胸試しをしたい不良やら一人暮らしを始めて夜遊びのタガが外れた大学生だのが侵入して、善良な市民の平穏な夜を妨げるという問題はさして珍しいものでもない。その程度なら警察としても巡回を増やすなりやり過ぎたやつを補導するなりとまともな対応のしようがある。
ただの馬鹿なら警告で済む。平凡な不良なら補導で終わりだ。そのどちらでもない、もう少し本格派の連中が占拠していたのが厄介だった。
真っ当に働いて欲しいものを得るより、人が持っている分を横取りした方が早い。汗水垂らして理不尽に怒鳴られくたびれるよりか、人の横っ面を張り飛ばして蹴倒す方が向いている。そういう世間の道理に馴染めない、それでも面白おかしく生きていたいという欲望だけは一人前のろくでもない連中が集団になったのがいけないかった。並の人間でも三人集まればそれなりの案が出せるのだから、悪知恵の利く悪たれが群れ集まったらどうしようもないことを思いつくのは自然なことだ。
例えば。
誰かから金銭なり尊厳なりを搾取しようと思ったら、まずはその
そのためにはどうするべきか?──原始的かつ単純な手段ではあるが、暴力が有効なのは言うまでもないことだろう。
だからと言って街中で人を殴るのはリスクが高い。住宅街に押し込むのも近所の目や監視カメラが怖い。地方都市とはいえ現代社会の恩恵はそれなりにある。迂闊な真似をすればすぐに身元が割れて公僕のご厄介になる羽目になる。
悪いことをするならば、見つからないようにする必要がある。菓子を盗み食いする子供だって分かることだ。見つからなければバレない、バレなければ捕まらない、捕まらないなら法も正義も怖くはない。
人目があるならば、人目がないところを作ればいい。まともな人間なら目を逸らし、存在自体を見て見ぬふりをするような、そんなところを──あまりにも単純で稚拙な思い付きだった。
見た目だけは相応に物々しく管理者も分からないような適当な廃墟を見繕い、悍ましい事件が因縁としてこびりつく心霊スポットだという噂を流し、つられてやってきた馬鹿な若者を散々に痛めつけてから身ぐるみを剥ぐなり使うなりと活用する。そんな胡乱な仕掛けだ。
思い付きも手段も至って幼稚だが、引っ掛かるやつがそれなりにいたのだから尚更どうしようもない。そもそも心霊スポットでなくとも管理者不明の廃墟にはまともな人間は用もないのに近寄るような真似はしないし、ときおり上がる悲鳴でさえも『あそこはいわくつきの場所だから』という粗雑な噂でどうとでも誤魔化せてしまうのだ。
やり口が粗雑なだけに乱暴で、被害者の中には未だに日常生活に復帰するのが困難な状況にある者も少なくない。そこまで所業が悪辣であるのに、メンバーのほとんどが未成年だというのも厄介だった。半端に手を出せば、未成年者故の更生の可能性だのやり直す機会を得る権利だののそれらしいお題目で相応の裁きを受けることもなく逃げ切られる可能性もあった。かといってこれ以上犠牲者が増えるのを傍観しているわけにもいかず、市役所と警察関係者が法律の是非や被害者感情に道義的責任などについて散々に懊悩し議論した。
その結果、
現場に派遣された首狩りは二人。南貝
たった二人、得物はそれぞれ小刀と匕首。それでも月会合とやらで集まっていた二十人近くを尽く無力化するのには、三十分も掛からなかった。
達大は手元の短刀──飾り気のない黒柄と直刃という代物だ──を軽く払う。微かな風切音が束の間悲鳴を裂き、また床にばたばたと湿った雪が降るような音がした。
殺さないでくれ、見逃してくれ、どうしてこんなことをするんだ、助けてくれ死にたくない──。
何の面白味もない命乞いが押し寄せる。
達大は薄い眉を寄せて、
「殺したいのは山々なんですけど、今回は殺すなってことなんで……業腹ですけど安心してください、殺しません」
それに私殺せないんですよね、と呟いて達大は手首を返す。
握られたままの刃が照明に剣呑に光り、咄嗟に背後にいた南貝は小刀を構える。
先程構成員の腕を刎ねたのと同じ飛刃──首狩りの中でも修練を積んだものしか使えない、斬撃を『飛ばす』ことで実刃の間合いの外まで攻撃を届かせる技だ──が南貝の握った小刀に弾かれ、歯軋りのような音を立てた。
「達大さんちょっとこっち掠めたんですけど!」
「あ、ごめん」
「相変わらず照準めちゃくちゃですよね。当たっても俺は死にませんけどちょっと痛いんですって」
「ごめん……」
南貝の声に達大は目を伏せる。南貝の方が年下ではあるが、非があるのは明らかに達大の方だ。
「ねえ、あんまり本名とか呼ばない方がいいんじゃないの、こういうときって」
「だって俺と達大さん名字同じじゃないですか。南貝ですし」
「そうなんだけど」
「
夜庵も浅田も、南貝がこれまで仕事で組んだ首狩り──手首以外の首を狩ることを業とした相手のことだ。そもそも首狩りの任務においては基本が二人一組で派遣されるものだが、同門同士で組むことはほとんどない。首狩りの技が部位ごとに特化したものである以上、派遣された首狩りによっては対応できない怪異が出現することもままある。勿論事前の調査担当者によってその辺りは厳密に確認されているのだが、万が一ということは何にでもあり得る。そういった不慮の事態に備えての決め事だ。
「けどあれですよね、達大さんが出るってマジで人手が足りないやつじゃないですか」
「私だって好きで出てるわけじゃないよ。でもさ、仕事ってこっちの事情とか配慮してくんないもんだからさ」
達大は首狩りではあるが、基本的には手首狩り本家の事務方として務めている。勿論首狩りとして認定はされており、手首狩りの常として『手首を狩ることで相手を死に至らしめる』という技術は習得している。座学でも優秀な成績を収めており、書類に記載される類の性能だけならば優秀な首狩りといっていいだろう。
それがどうして現場に出ずに日頃書類仕事に忙殺されているのかと言えば、勿論事務方に適性があったというのも事実ではあるが──単純に並外れたノーコンだというのが理由だった。
一撃に込める膂力も、間合いに踏み込む呼吸も、見切りの目も申し分ない。剣客として必要な能力は十分に備えている。
ただその研ぎ澄まされ殺意に満ちた一撃を狙った場所にどうしても当てられない──そのたった一つの欠点が全てを台無しにしているのだ。
狙った場所を断ち切れない、そのくせ『何かを切断する』ことだけなら人並み以上にできるのだから尚更始末に悪い。任務で同行した他流の首狩りの首でも落としたら大問題になる。
だからこそ、達大が現場に出るときには事情を把握しなおかつに彼の予期しない攻撃に対応できる同門が同行することになっている。そんな
「普段通りの状況だったら私なんか現場に出してもらえないからね、でもさ、人手が足りないって話だから……」
「ただでさえ最近出勤増えてるところに、もうすぐお盆近いですしね。いいんですか事務方」
「よかないよ。戻ったらそっちもやるんだよ」
そんな規格外の首狩りが現場に出ている理由も単純で、人員の致命的な不足のせいだった。
普段からでも手が足りない状況であるというのに、最近では首狩りに斡旋される怪異絡みの事件が増えていることもあり、手首狩りだけではなく他の首狩り支族の連中が軒並み事務やその他に忙殺されている始末だ。本来手首狩りはその業の性質上怪異よりは対人に適性のある首狩りだが、そんなことを言う余裕もないのが現状だ。他の首狩りで対処しきれない依頼についても、可能な範囲で手首狩りが請け負う必要が出てきた。
すると現場に回す手数が普段通りのシフトでは足りず、
「にしても数がね、多いよね……」
「多いタイミングを狙いましたからね、わざわざ集会の日程調べてもらいましたし。この手のって一網打尽にしないと面倒じゃないですか」
「ああ、そういや南貝くんはこないだ似たような仕事してたね。足達さんのとこと組んで」
雑談の傍ら、片手間とでも言いたげに達大が右腕を振り抜く。刃が閃くたびに風が哭き、少し間を置いてからばらばらと最早耳に馴染んだ音が聞こえる。残っていた指が落ちたのだろう。同じ指と床の組み合わせでも、死にかけが床を掻くのとはまた違った音がするのだなとどうでもいいことを南貝は思った。
「俺が出たやつはこことほとんど状況一緒ですけどね、未成年メインの半グレもどきがえらいことしてたんで、警察に回す前にこっちでそれなりの始末をつけておこうみたいな」
「廃ビルにたむろってたんだっけ。あれ確かさあ、背後関係で嫌な感じがあるからってのもあって
「どっかの下部組織ってのは聞きましたけど」
「ここもその関係だって話だよ。そうでもないと
個人的にはもっと強めにやってもいい気はするけどねと、達大は足元に伸びてきた手を蹴り払う。しゃもじのような手先を床の血だまりに浸して、青年が呻いた。
「悪いことしたらひどい目に遭う、人嬲ったりいたぶったりしたらそれだけの痛い目は見るもんだよ。そうじゃなきゃ釣り合いが取れない」
「そこはまあ、俺ら首狩りとしては大事な理由ですからね。賛成ですよ俺としては。けど達大さんもまだ斬るんですか。大丈夫ですかこのやり口」
「まだっての、嫌だなあその言い方。なんか私がサディストみたいだ……無力化しとけって指示だったんだから、徹底しとかないと駄目でしょうよ」
達大の言葉に南貝は周囲を見回す。床に倒れ伏した連中はへらのようになった掌や濡れた赤色を覗かせる肩口を抱えて呻き声を上げるばかりで、こちらに向かってくるような様子はない。
「戦意喪失って点ならもう十分なんじゃないすか、悪ガキ集団の下っ端ったって、基本はただの素人でしょうし」
「まあねえ。でもさ──」
瞬間、南貝が右腕を構える。鈍い音を立てて作業服の袖にダガーが突き立ったと同時に、達大が血濡れの床を跳躍し匕首を握った右手を振るう。
憎悪と敵意にべっとりと塗り潰された目をした少年の左腕が寄り掛かっていた長椅子の背もたれごと掻き切られ、天井近くまで絶叫と共に跳ね跳んだ。
「……根性ありますね」
「ね、不良にしちゃ気合入ってる方だよ。だからさ、不安なんだよね半端をやると」
頷きながら、南貝が足元に落ちたダガーを踏みつける。作業服の右袖には盛大な穴が開き、そこからぎらりと刃物の光が覗いている。
「南貝くんの
「武器化してる分、普段が面倒なんですよね。札貼り忘れると色んなもんが斬れますし」
「そこはちゃんとしなよ、怪我人が出るから」
手首狩りの秘技たる手刀術式、それを日常的に使用しているのは南貝くらいのものだ。それだけの技量があるからこそ、今の不意討ちにも的確な判断ができたのだろう。他家に史上最年少で当代最強の血首の名を受けた乳首狩りの現当主や何やがいるせいで感覚が麻痺しているが、二十そこそこの首狩りとしての技量なら南貝も充分並外れているのだ。同年代でここまで多く任務に出ているやつはほんの一握りだろうし、そもそも腕前が確かでなければ
「しかし何でだろうな、この差は」
「差って何ですか」
「技量の差だよ。私はちゃんと手首を狙ってるのに。殺せるどころか手首が落ちないんだもんな……」
どうすれば当たるんだろうな、と呟きながら達大が右腕を振るう。
刃が閃き、腕や指が景気よく跳ね跳び悲鳴が上がる。刃の実体の間合いの外であっても、飛刃の餌食になっているようであちこちから満遍なく血しぶきが上がる。南貝は時折自分に向かって飛んでくる斬撃を受け流しながら、達大の握る刃先を見つめる。
──言うほど腕がないわけじゃないんだよな。
口には出さず、達大の手にした刃から滴る血を見つめて南貝は思う。
閃く指も腕も斬り飛ばされ転がるその様は中々に凄惨な代物ではあるが、死人は出ていない。
これが彼の、南貝達大という首狩りの致命的な欠点であり異能の証明でもある。
人体急所の四つ首、その中の一つ手首を狩ることで神魔人怪相手を問わずにその存在を滅するのが手首狩りという存在だ。勿論達大も手首狩りである以上、その
だが、彼の場合はその異能に対して致命的な不具合を有している。狙った場所に当てられない──それは対象の手首を認識できず、その箇所を狩ることができないからだ。本人としては手首を対象に刀を振るっているのだか、その太刀筋はどうあっても狙い定めた急所──手首へ届くことはない。
手首を狩ることで万象の全てを弑するのが手首狩りだ。だからこそ、手首狩りでありながら手首を狩れない達大の斬撃では相手を殺すことができないのだ。
床に広がっていく血だまりと鳴り止まない呻き声の中で、南貝は口を開く。
「やー……達大さんも結果としてすごいことしてると思いますけどね。ここまでやって殺さないの、俺やれって言われても無理ですもん」
「まあね、今回は殺しちゃいけないってことだから、私みたいなもんがどうにか役に立てるんだけどね」
「いいじゃないですか需要があるなら」
「あるけどさあ、これ首狩りとしては明らかにイレギュラーな運用だろうしさあ」
「使い道があるなら大丈夫ですって。しかも達大さん書類も作れるじゃないですか」
「そりゃね、君と比べたら誰だって作れる方だよ。丁寧に書けって言われて名前を定規で書き出すあたりから──ああ、駄目だ」
愚痴を打ち切るように溜息を吐き、刀を振るう。
足元の血だまりに指であったろう破片がばらばらと落ちて、微かな水音を立てた。
「まだ落ちる指がある。手首も狩れない上にこれじゃあ、本当にどうしようもない」
取りこぼしがあるのって格好がつかないねと、振り向いたまま達大は困ったような笑みを向ける。
血まみれの床、散らばる手指、絶え間なく響く啜り泣きと呻き声。
自身の生み出した惨状を気にかけることもなく、書類のつまらない誤字を見つけたときのような、そんな表情を作れるのは
──余程俺より首狩り向いてんじゃないのか、あんた。
咄嗟に浮かんだ感想をどうにか飲み込んで、南貝は曖昧に頷いてみせた。
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