番外:イベント向け掌編

業務:風物詩的突撃~怪異斬殺夜行~

 廃団地の傷と錆に塗れた玄関扉を引き開けて昏い室内に足を踏み入れた途端に突進してきた生白い塊に向けて抜いた鞘を投げつける。

 耳障りな音を立てて肉塊──三枚肉を無理矢理に人型に捏ね上げたような有様のそれは、まるで人間のように足を止める。その僅かな瞬間にも躊躇なく橘岡きつおかは間合いを詰めその得体のしれない体液に塗れて光る異形の胸元に刃を向ける。

 刹那、冷えた闇に刃が閃く。

 橘岡がゆっくりと目を細め──ただし異形から視線は逸らさずに──刀を下す。  

 肉塊は胸に僅かなへこみを残してどろりと床に膝をつき、そのまま溶け損ねた雪山のように崩れ固まる。


 橘岡が息を吐くと同時に背後でドアの開く音がした。そのまま足音が近づいてくる。


「橘岡さん。上階終わりましたけど」


 呼びかけに橘岡は振り返る。

 夜の廃団地、その一室には明らかに場違いな派手なスーツ──白い生地に真っ赤な牡丹があしらわれている──の男が立っていた。

 拾い上げた鞘に刀身を飲み込ませながら答える。


「ありがとうございます、夜庵よあんさん。こちらも済みました」

「でしょうね。見りゃ分かります」


 橘岡の背後に視線を向けながら夜庵が答える。床に転がり微動だにしない肉塊は、窓から差し込む月光にぬめる体表を光らせている。

 室内の闇に溶け込むような地味なスーツの襟を直して、橘岡は殆ど口を開かずに問うた。


「上はどうでしたか」

「あー……報告通りでしたね。天井から大量に足がぶらぶらしてました」


 光景を思い出したのか、夜庵は眉間に皺を寄せて続ける。


「やたら傷んだのが多かった、ってぐらいですかね。ぼろぼろのやつとか、焦げたやつとか……まあ、あんま愉快な光景じゃないですよ。この仕事やってたらいつものことですけど」

「対応はどうされましたか」

「そりゃあまあ、斬りましたよ。足首狩りが本領なんで」


 足首落とせば全部終わりですからね、と夜庵が結ぶ。

 橘岡はその足首狩りらしい物言いに頷いて、


「そういう場所なんで仕方ないですね。だからこそ、私どもの仕事があるわけですから」


 全く橘岡──首狩り四天王が一族、乳首狩り当主の言う通りではある。

 この廃団地自体がそもそもろくな場所ではない。焼死、服毒、刺殺と多彩な心中事件がクリスマスの夜に三年連続して起こった結果、転出が相次ぎ使用禁止になったという来歴がある。取り壊されずに住む人もないまま廃屋と化した建物と、起こった事件に尾鰭と手足をつけたような怪異の噂だけがまとわりついているような場所だ。

 怪異が湧いたからろくでもない場所になったのか、ろくでもない場所だから怪異が湧いたのか。どちらが先でも今となってはどうでもいいことではある。

 人を害する異形のものが存在するのであれば、その対処に首狩りが派遣されるのはこの土地の常である。


「毎年の恒例行事みたいになってますけどね。もう団地自体も寿命なんだろうから、さっぱり取り壊しちまえばいいと思いますけど」

恒例行事になっているからクリスマスにしか出ないから、後回しになっているんでしょう。起こる事象も日時も決まっているなら、問題になるのは人手だけなので……あとは色々事情があるんでしょう。公営ですし」

「その辺の事情の兼ね合いで、首狩り二人がクリスマスに廃団地で斬った張ったしてるわけですか。嫌な渡世だ」

「それが首狩り私たちの仕事ですから」


 無力で善良な市井の一般人、それらを守るという大義名分の下に、刀の一振りで怪異も悪党も殺せる魔技を振るうことを許された者たち──それが首狩りという存在であり、橘岡と夜庵もそれに類するものである。乳首と足首という、獲物と定める首の差こそあれ、人体の首とつく急所を狩るものとしては二人は同類である。


 腰元に下げた日本刀、その柄に所在なさげに手を掛けて夜庵は口を開いた。


「今何時ですっけ。そんなにかかってないと思いますけど」

「ああ──日付が変わる頃です。ほら」


 スーツの胸元から取り出されたスマホの画面には日付と時刻──十二月二十五日の午前零時を示す数字が並んでいた。


「実検組に連絡は入れたので、到着次第交代になります」

「早いですね。いつ入れたんです」

「ここに突入する前に。──夜庵さんでしたら、すぐに済むだろうなと予想しました」

「それは……光栄ですね。ご期待に沿えたんなら、何よりです」


 軽口を叩きながら、煙草のパッケージを手に夜庵が視線を向ける。橘岡は黙って頭を下げ、それに礼を返して、夜庵は一本を咥える。


 薄闇の中に赤が閃き、煙は細く揺らめく。

 部屋の壁に寄り掛かって、夜庵は区切りのように息を吐いた。


「しかし、廃団地ここの業務が恒例行事だってのはそうですけど……まさか血首当主様とまたご一緒できるとは思いませんでしたね。仕事が早く終わってありがたいですけど」

「クリスマスですから。若手の方や家庭のある方は忙しいとのことなので、私が」

「橘岡さんはお忙しくはなかったんですか」

「暇なので」

「暇ってこたないでしょう、橘岡さんお若いんだから。それこそ彼女とかいないんですか」

「いても仕事はしますよ。仕事なので」

「……いるんですか?」

「いません」


 夜庵が何か理解しがたいものを見るような顔でしばらく橘岡を見る。

 橘岡はしばらくその視線を見返していたが、ふと俯くように視線を逸らした。


「……済みません。回答、間違えましたか」

「いや、間違ってはないです。橘岡さん真面目なんだもんなあ」

「申し訳ありません」

「謝るこっちゃないですよ。ただの雑談を俺がしくじっただけなんで……」


 薄闇に煙が吐き出され、僅かな合間だけ漂っては消える。世間の浮かれ具合とは切り離されたように静かな室内には十二月の夜闇が冷たいまま蟠っている。

 静寂の中で口を開いたのは橘岡からだった。


「夜庵さんはよろしかったんですか、今日出勤で」

「ああ、うちも同じような理由ですね。若手は忙しいし、上は会合とか色々あって手が回んなくてね。だから俺が出たんですよ。暇だったから」

「そうですか」

「……聞いても怒りませんよ? 彼女とかそういうの。俺がさっき聞きましたし」

「プライベートを無闇に尋ねるのは失礼かと思いまして。聞いた方がよろしいですか、やはり」

「そう返されて聞けって言えないじゃないですか……いませんけどね、彼女。その手のは長年ご無沙汰してますよ、おじさんは」


 軽薄な返しに橘岡が黙って頷く。

 夜庵が再び眉間に皺を寄せかけたところで、静かな声が続いた。


「恋人の有無はさておいても、この時期は忙しい方が多いのは実感しますね。同じ首狩りでも、事務周りは年始の予定調整も始まるので」

「その辺はどの首でも変わんないですね。浅田の──生首んとこでも殺気立ってましたよ。クリスマスの予定聞こうと電話かけたら怒鳴られてから切られました」

「手首の方も人手が足りてないと伺っています。当主から直々に人員は回せないと連絡がありました」

「あそこ若いのと家庭持ち多いですからねえ。安次は地元の友達とオールするって言ってましたし」

「そうですか。……予定があるんですね、やはり」


 驚くような声音の中に妙な響きがあった気がして、夜庵は視線を向けた。

 橘岡はいつもと同じ真顔のまま、僅かに目を細めている。


「なんか怒ってたりします? 乳首狩り本家当主様としては。仕事を疎かにしてみたいな感じで」

「いや、特には。首狩り以外にやることがあるなら、それは良いことなので」


 そう呟く橘岡の横顔に、微かに笑みらしきものが滲んで見えた気がして、夜庵は煙草を手にしたまま生白い顔を見つめてしまった。

 その視線に気づいたのか、失態を見咎められた子供のように橘岡が目を上げた。


「……また何か間違えましたか、私」

「いえ。ちょっと俺が勝手に驚いただけで」

「どのあたりででしょうか」

「てっきり橘岡さん、もっと仕事の鬼、みたいなのを想像してたんで。浅田みたいな」

「浅田さんは真面目な方ですからね」


 一度深々と頷いてから、橘岡は続けた。


「私としては首狩りもできることのひとつ、というだけなので。他に優先すべき事項があるならば、そちらに注力するのも当然だと思いますから」

「当然ですか」

「責められるようなことではないでしょう。向き不向きの話です。優劣ではない……勿論個人で優先順位は違って当然なので、その辺を上手くやりくりできればいいんでしょうけどね、何事も」


 適材適所っていうんでしょうかと橘岡が零した言葉に、夜庵は煙を吐いて答えた。


『できることをやっている』。最年少で圧倒的な実績と実力──任務の成功率と剣技の腕前を以て、先代血首から乳首狩り本家当主の座を継承した人間だからこそ言えることではあるのだろう。

 向いていることをできる人間がやればいい。単純だからこそ真理に近い主張だ。だからこそその通りに行い難い代物でもある。

 その難題をただ愚直にこなすことができるからこそ、この橘岡重上しげたかという男は当代の血首であり当代最強の首狩りとして存在しているのだ。


 ──恐ろしいな。

 率直な感情は煙に含めて、夜庵は長く息を吐いた。


「回収屋と実検組、来ませんね」

「道混んでるんじゃないですか。クリスマスの夜ですし、何なら道凍ってるまでありますよ。団地入るとき粉雪舞ってましたし」


 夜庵の言葉に橘岡は頷く。その表情のない顔を眺めて、夜庵は言葉を続けた。


「来たら交代になるわけですけど、どうします」

「現地解散でしょう」

「なんか急ぐ予定とか入ってます? 橘岡さん」

「特に予定はありません。帰宅したら寝ます」

「じゃあどっか寄ってきます?」


 揺れる紫煙と馬鹿みたいなスーツの柄と細められた目。

 それら全てを順繰りに眺め、夜庵の問いにたっぷり間を開けてから橘岡は口を開いた。


「……構いませんが、私を誘う理由を尋ねてもよろしいですか」

「どうしてっていうか、まあ、クリスマスなんで?」

「クリスマスだから」

「俺もこの後予定とかないんですよね。橘岡さんと同じで、飯食って風呂入って寝るだけなんで」


 短くなった煙草を指先に挟んだまま、橘岡を見て続けた。


「世間がどんちゃんやってるときに、一人で飯食うのも味気ないでしょう。少なくとも俺は嫌なんで……巻き込まれてくれませんかって誘いです、要は」


 業務外の個人的なやつですと夜庵が注釈を接ぐ。

 橘岡はやはり静かな目で煙と夜庵を交互に見てから、


「今から開いてる店、近場でありましたか」

「駅前なら飲み屋なりラーメン屋なりあるんじゃないですか。誘っといてなんですけど、ノープランです」

「じゃあラーメンで。飲み屋だと、帰りが億劫になりますから」

「クリスマスに男二人でラーメン屋ってのも、まあ。仕事帰りらしくはなりますか」

「クリスマスらしい、というと何がありますかね。ケーキ……?」

「ケーキなら帰りにコンビニ寄りましょう。ちゃんとしたのはもう無理でしょうが、気分でいいならどうにかなるんじゃないですか、きっと」


 やりとりの中で、橘岡が薄く笑う。その笑みに何となく安堵して、夜庵は紫煙を吐き出す。

 煙は聖夜の闇に一際白く揺らいでから、儚く溶け消えた。

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