二首:血風御先

乱闘後始末~事務屋心得の段~

 手首狩りが一族、南貝大井戸家当主・南貝なかい安広は咥え煙草の口元から長々と煙を吐いた。

 これからの面談の内容を予想すれば、どうしても気は重くなる。煙草の一つも吹かしたくもなる。今年の春に任期三年目を迎えた当主としては当然の仕事ではあるが、やる気の出る仕事とそうでないものがあるのは当然だし、更にそこから必要か否かという分岐をするのが厄介だ。今回の面談は『やる気が出ない上に避けて通れない程度には重要』という、一番面倒な代物なのがどうしようもない。

 面談の対象は手首狩りの若手──それもただの見習い首狩りでもなんでもない、現状若手の中でもトップクラスにできのいいやつがこれから来るのだから、気の重さも格別だった。


 南貝一族──手首狩りの一族の中でも、南貝安次は飛び抜けて優秀だ。若干二十歳という若さで、手首狩りの中でも手練れにしか扱えない手刀術を双腕で行使するという際立った才を見せ、首狩りとしても多くの怪異や悪党を狩ってきた。最近では他三家との合同任務も増えてきているが、他家からの評判は概ね良いと言えるだろう。


 執務室のドアが三度ノックされた直後に蹴り飛ばされたように盛大に開き失礼しますと大音声の挨拶と共に南貝安次なかいやすつぐは深々と頭を下げた。


「あ、早かったね安次くん。朝からよくそんな大声出るね。僕びっくりしてる。年だから」

「朝一で呼んだの安広おじさんじゃないですか。びっくりされたら俺立つ瀬がありません」


 よく懐いた犬のような笑みを浮かべて安次は続けた。


「けどおじさんどうしたんですか。俺今日は任務も教練も入ってないから出かける予定なんですよね。長くかかります?」

「いや、そんなには……ちょっとだけ仕事の話したいからさ、来てもらったわけ」


 南貝は手元の灰皿に灰を落とし、まっすぐにその目を見る。


「ついでに一応は当主様って呼んでよ、仕事中だから。同じ苗字とはいえ、おじさん呼びだとさすがに格好がつかないだろ」


 南貝安広──七十五代目手首狩り当主──は僅かに苦笑する。

 どう座ってもがたがたと音がするパイプ椅子に腰かけて、Tシャツの胸元にびっしりと書かれた経文を弄りながら、安次は少しだけ戸惑うように視線を彷徨わせてから口を開いた。


「呼出しって何ですか。俺書類またどこか間違えました?」

「君はもう書類やるなって僕こないだ言ったよ。心霊スポット人肉食堂の書類、手放しで褒められる場所が署名の名前が綺麗に書いてあるってことしかなかったから」

「なんか見直しても見落とすんですよね。じゃあ何ですか、俺他にはもう心当たりがないです。しいて言えば昨日コンビニくじでF賞当たってがっかりしてアイス食いながら帰りましたけど、買い食いって首狩り的にはどうですか」

「どうもこうもないし、そんなん報告されても僕だって困るよ。まっとうに生きてるなあ……」


 手元の書類とPCの画面を交互に見ながら、時折表情を盗むように安次へと視線が向けられる。

 世間話のような声音のままで安広は本題を切り出す。


「駅前の任務のことなんだけど、報告見てちょっと気になったんだよね。その確認がとりたくて、今日は来てもらいました」

「ああ、井桜さんと一緒に行ったとこですね」


 至極単純な討伐任務だった。発注先はお馴染みの市役所、市民生活課の安川。駅前を縄張りとして多数の被害者を出していた怪異の退治という、南貝たち首狩りにとってはある種一番ありふれた案件だ。人型だとの報告から、首狩りの他家──乳首狩りに所属する首狩りと組んでの任務だった。


「怪異の退治自体はちゃんと済んだとは聞いてる。それはいいんだけど……結界内に一般人入ってたそうじゃないの。どうして?」

「それね、俺も分かんないんですよ。何でですかね」


 質問に質問を返すという無法をしているのに、安次に悪びれた様子は全くない。本当に心当たりも落ち度もないと思っている顔だった。


「……今回は駅だから、いつものとこ借りたはずだよな」

「借りたかりた。駅前駐車場のC4。あそこに車置いて、依り代置いて結界張りました」

「札だよね?」

「ちゃんと使用申請出しましたよ。結界術式の座標固定補助符使いますって」

「だよなあ。確認したもんな僕、書き直させたもんダースで持ち出すとか申請されたからびっくりしちゃって……」


 一般市民の現場への侵入を防ぐため、対象を捕獲するために結界を構築する。怪異や悪党の捕縛・退治を生業とする首狩りにとっては基本的な技術だ。

 手首狩りが結界を構築する際、術式の補助に使用する呪符は業者から仕入れたものであることがほとんどだ。その呪符業者自体も長年の付き合い──信頼と実績がある馴染みの老舗に注文している。その呪符が正しく機能しなかったというのは考えづらい。

 道具に不備がないとするならば、不具合の理由は使用者にあると考えて当然だろう。


「君はさ、書類仕事やらせると事務方が死ぬけど、現場だとまずしくじらないもんな」

「うん」

「こういうときは『はい』って答えなさい。……一応聞くけど、ミスったっぽいとかそういう覚えはある?」


 安次は少しだけ間を取ってから、ゆっくりと首を振った。


「失敗してる、って結果を理解しての発言ですけど。札の操作も結界構築の術式も、間違った自覚はないです」

「……そうか」


 安広は煙を吐いて、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。

 ぎしぎしと椅子を軋ませながら安次が口を開く。


「俺これ派手にやらかしたやつですか? 首狩りクビになったりします?」

「いや、ならないけど……忙しいことになりそうっていうか、やな感じではあるんだよな、やっぱり」


 安広は唸り声を上げて書類を見つめる。安次は次の言葉を待つように、口元に咥えられた新しい一本から昇る煙を睨んでいる。


「とりあえずね、南貝安次。報告書、出しなさい」

「俺書類書いていいんですか? 定規とか使っていいですか」

「報告書のどこに使うんだよ定規を……お前は書類に触るんじゃないよ。事務方の鉄早に話はしてあるから。聞かれたことに答えるだけでいいから。それ以外は何もするんじゃないよ。以上」

「分かりました! 失礼します当主様!」


 南貝は入室時と変わらない大音声での返答と共に、あっという間に部屋を出ていく。力強くドアが叩き閉められ、びりびりと部屋中が震えた。


「大声止めてねって言ったのにさあ……」


 でも当主様呼びにはしてくれたなと気づいて、一応は安次も話を聞いていたのだろうことに安堵する。あれは多少雑ではあるが、話をすれば分かろうとは努力してくれる相手だ。

 首狩りの四族──生首、手首、足首、乳首の四家──の手首狩り一族たる南貝の姓を持つ連中は他家とは異なり、本家や分家などの制度は採用していない。先代が『手首に左右の貴賎なし、なれば首狩りもまた等しきもの』などと首狩りの平等に拘った信念を反映した結果などと言われているが、生首や乳首などの他家が本家や分家に関わって当主交代の際に複数の名字やなんやの処理で養子だの家格だのといったややこしいことでばたばたしているのを見るたびに、単純に面倒だったんじゃないかと現当主である安広は疑っている。

 手首狩りの一族に求められるものはひどく単純だ。適材適所──できるやつができることをやる、突き詰めて言えばそれだけだ。陳腐に近いような単純さだが、それを長年貫き通すのはまた一種の執念が必要だろう。


「なんかな……これあれかな、報告しておいた方がいいやつかな」


 南貝安広は優秀な首狩りではない。同期で彼より腕の立つやつは幾らでもいるし、術式──それこそ結界の構築も特別優れているというわけでもない。

 平均的あるいはそれ以下の首狩りである安広が本家当主として任期の三年目を迎えているのには、卓越した事務及び管理能力と『厄ネタ』に対して天性の嗅覚があるからこそだ。


 首狩り個人の能力や適性を踏まえた編成や他家との任務調整、報告書や収集した情報から微かな兆候を見出し対応する──それらにおける安広の能力は群を抜いている。彼により大禍となる以前に対処された事件は多く、過去には連続窃盗事件から最終的には難病の治癒や死者の蘇生を売りに信者を集め人喰いの怪異と異能の契約を目論む危険な集団の掃討まで至った例もある。

 それら実績があるからこそ、投票制という手段に置いて決定される手首狩りの当主において、絶大な支持を受け当主として異例の続投──前代未聞の三期連続だ──が続いているのだ。


 異常への嗅覚と並外れた生存本能、研ぎ澄まされた危険への予測能力と危機管理能力においては安広の才は他の追随を許さないものだった。どれほどに平穏を装った状況からも隠された危険の予兆を見抜き、最適な対処を行う。それだけしかできないからこそ、それだけは確実に事を仕上げる。

 それこそが己の首狩りとしての本分であり義務だと、安広は自負している。


 その安広の勘が、経験が、今回の安次の報告に警報を鳴らした。

 起きるはずのないことが起きている。ろくでもないことが起きようとしている。このまま見逃せばどうしようもないことになる──。


「とりあえずあれだな、例会前に足達くんのとこに聞いて……こういうのだったら、そっちの方がよさそうな気がだし」


 独りごちながら、同期の顔ととち狂っているとしか思えない服装真っ赤な牡丹をあしらった白スーツを思い浮かべてしまい、安広は天井を仰ぐ。

 そのまま吹き上げた煙はそれなりに高く昇ってから換気口に呑まれていった。

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