掃討・伐倒・葛藤~首刎ね跳ぶ夏空の段~

 首浦くびうらの手は逃げる男の襟首を無造作に掴み躊躇もなく引き倒し、勢いそのまま肩口を蹴り踏む。

 絶叫と共に仰け反った喉元に鉈の刃を打ち込めば、断末魔さえ噴き出す血の勢いに呑まれて掠れて消えた。


 返り血をまともに浴びて首浦は顔を顰める。幸い血しぶきは派手に顔面を濡らしこそすれ目に入ることは避けられたので、視界は無事だった。


「こういう手間をさあ……最後まで人様に迷惑かけるんじゃねえよ馬鹿」


 悪態をつきながら狩り落とした首を蹴り飛ばす。

 断末魔の顔面は何度か地べたに口づけながら人影の中に入り込んで止まった。


「落とした首蹴飛ばすの、やめなよ……前それで溝に落として、当主様に怒られたじゃん」


 背後から聞こえた声に振り返れば、僅かに眉根を寄せた表情の池首いけくびが立っていた。首の断面が掠めたせいだろう、革靴の先が血で汚れている。その爪先をざりざりと地面に擦りつけながら、生首を胴体の横にまで戻してから池首は溜息をついた。


「あと何人だっけか。なあ池首、これ何人目だっけ」

「五人目だよ。これで最後。まとまってくれてたら楽だったんだけど」

「そうかあ。足速いんだもん難儀したなあ……」


 蛮行に似合わないスーツのまま、首浦は肩を回す。首周りからばきばきと派手な音がした。ぱっと見には新社会人のようにも見えるが、手に提げた鉈と血まみれの前身ではそう誤魔化すには無理がある。


「首落としといてなんだけどさ、こいつ何したっけ」

「あれ、趣味アマチュアの呪い屋。書類に罪状書いてあったじゃん」


 首浦は書類の内容を思い出そうと脳内を探る。流し読みの文章の破片に『嬰児』だの『係累』に『惨死』なんかの文字があったことだけは朧げに思い出されるが、細かい内容はすっかり抜け落ちている。それでもその朧な記憶に残っている内容だけでもろくなものではないと判断はできた。


「……素人アマチュアのくせにそこそこのことやらかしたんだっけ?」

「他所からそこそこの呪物持ち込んでやらかしたんだよ。呪物の方は、ほら」


 池首の視線を追って首浦は振り返る。


「あ、結構近くで捕まえたじゃん。こっちは済んだけど、大丈夫そう? イケもウラも平気?」


 南貝は屈託のない笑顔で血まみれの両手をひらひらと振りながら、首浦の横に立った。


「南貝さんすごい汚れてますけどどうしたんですか」

「あー、返り血」


 作業服に散った赤い飛沫を面白くもなさそうに眺めて、南貝は何度か手を払う。

 指先から振り払われた血が地面に印章サインのように残った。


本命の怪異呪物、手がいっぱいあったからさあ。やりやすいけど手間がかかるんだよね」


 首狩り四天王が氏族、手首狩りに属する南貝らしい物言いだ。歳は首浦たちとさして変わらないが、腕前と経験の数からすれば比較にならない。

『やりやすいけど手間がかかる』──現場に慣れ、怪異も人も斬るのに慣れた首狩りのだからこその発言だ。南貝が手首狩りである以上、手首を狩った相手は必ず殺せる。その代償として、手首を残して殺すことはできないという単純な因果の話だ。


「呪物どんなんだったんですか。俺ら見てないんですよね」

「観音様っぽい手首の群れかなあ。元々拝まれてたからそういう形式にしたんだろうなってのは分かるんだよね。そう理屈は分かるんだよな、あれ」


 南貝は眉間に深々と皺を寄せた。


「見た目、ほぼ百足だったけどな。斬れば終わるからいいけど、よくあんなもん手元に置いとこうと思えるなあって……素材とか知りたくもないじゃん絶対しんどいから」

「大元はどっかのオリジナル宗教な団体由来らしいですよ。こう、ご本尊で寄付れば呪詛れるみたいなやつで」

「団体かあ。馬鹿が集まるとロクなことしないって本当だね」


 大元そっちの対応はどうなんだろうねと南貝の問いに、首浦は池首と顔を見合わせてから揃って首を振った。現役の首狩りとして現場に出るようになったとはいえ、下っ端の二人にその手の話は流れてこない。上からの指示通りに怪異の首を狩って回るのが彼らの日常であり役割であり、それ以上のことはまだ任されてはいない。

 南貝がふと何かを思い出したような顔をした。


「ウラもさ、こないだ腕だか耳だか取れたんじゃなかったっけ。仕事以外で」

「取れてないですよ! ぐしゃぐしゃになっただけです。千留先生にかかったんでほら」


 ぶんと鉈を振る。落ち切らなかった血が跳ねたのだろう、慌てて池首が頬を拭う。

 その仕草を見て、首浦は屋敷に潜伏していたやつを斬り倒してはいたはずの池首が自分のように派手に汚れていないことに気づく。普段から仕事が丁寧だからだろう。

 池首とは任務以外でもよくつるんではいるが、それなりに優秀だと思う。そのくせ妙に気が小さいというか卑屈なのが首浦としては不思議で仕方がない。もっと出来の悪いやつでも堂々と生きているのだから、もう少し我を主張しても罰は当たらないだろうに。

 首浦が視線を向けると、池首が慌てたように視線を逸らした。どうやらこちらを見ていたらしい。意図を問おうと口を開きかけたところで、南貝が割り込むように声を上げた。


「とりあえず俺さっき回収に連絡入れたから、もう後は時間潰しなんだよね。雑談するくらいしか思いつかないけど」

「雑談ですか。こないだの仕事の話とか」

「仕事の雑談で仕事の話ってのも何かあれだね」

「それ以外だと俺も最近ハマってるコンビニおにぎりの話しかできません」

「有益だけど今したくない話じゃない? 俺煮卵好きだけど、そんなん共有してもどうしようもないし」


 足元に首転がして話すことじゃないよなと南貝は笑う。その通りだと首浦は頷き、池首は微かに口元を引き攣らせた。


「けどさ、仕事多い感じはしない? 俺こないだも駅前出たばっかりだもん。書類書いてさ、そんで今度はこっちに回されて」

「俺たちもそうですよ。墓場で桜と喧嘩しました」

「桜と喧嘩?」

「桜の古木が怪異化したんです。乳首狩りの橘岡さんに同行して頂いたので、大変勉強になりました」

「橘岡さんそっちにも顔出してたんだ。あの人も当主なのに現場しょっちゅう出てるな……」

「そんだけ仕事多いってことじゃないですか。もしくは人手が足りない」


 首狩りの仕事は減らない。それはこの土地自体が怪異を寄せる性質たちだから──そんなことを以前に生首本家当主怖い首狩りのおっさんが言っていたのを首浦は思い出す。じゃあ俺たちめんつゆトラップの中に住んでるんですかと聞いたら物凄い顔をされたのは少し面白かったが、状況としては嬉しいものではない。

 南貝は少しだけ黙り込む。普段から陽気な顔に一瞬だけ何かが過って、その気配に気づいたのか、池首が怯えた視線を向けた。


「あんまりよくないんですかね、そういうの。僕らの仕事があるってことは、それだけ被害に遭った人が出てるってことですし」

「あー……仕事があるから俺らが役立てるってとこもあるし。人聞きが悪いけど、忙しい方がいいんだよな、


 南貝の物言いに池首は頷く。どことなく後ろめたいような目をしたまま、二人とも黙り込んだ。

 首狩りの存在意義とは、畢竟怪異や悪党より善良な市民を守るための刃としてのものだ。無力にして罪なき者たちのために振るわれるからこそ存在を許されている暴力というのが、首狩り連中の本質だ。

 全ての首狩りが叩き込まれている教条だ。自分たちの存在意義に関わることなのだから、重要なのは当たり前だ。見習いのうちから、正式に首狩りと認められても事あるごとに示され刷り込まれる。刃を向けた相手を容易く滅することができるものなど、平時に置いては包丁より始末が悪い。ただの刃物ではなく人間だから尚更だ──何せ人間というものには意思がある。


 だが、首浦としては


 言っていることは理解できるし問題点も分かる。首狩り自分たちという存在の危うさなど、人に言われるまでもない。生首狩りの本家の連中など、首を狩るために血筋と技を鍛えた結果、素手で人の首をもぐような有様だ。

 この倫理的な問題については、池首が研修時代に馬鹿みたいに長文のレポートを提出してなお悩んでいたのも知っている。真面目だなと思ったが、同時に何をそんなに考えているのかは未だに理解できない。


「仕事が増えてもやること変わんないじゃないですか」

「ん?」


 南貝が視線を向ける。その横に並ぶ不安そうな池首の顔を交互に見ながら、首浦は続けた。


「悪いもんが出たら行って首狩る、それだけでしょう、首狩り俺らのすることは」


 依頼通りに怪異を斬る。無力にして無辜の市民を守る。そのために害為すものを斬る。できることとやるべきことが同じならば、問題はひどく簡単だ──首浦はそう思っている。


 池首と南貝は揃って虚を突かれたような顔をした。よく吠えて迷子になる犬がいきなり演説を始めた現場に居合わせたような、そんな驚きの表情だった。

 復帰したのは南貝の方が早かった。


「まあね、ウラの言う通りだ。悪いのとか怖いやつを斬って終わり。そんだけだよな」


 それ以上ややこしくすることなんかないよな。

 南貝が零したその一言に含まれたもの、その気配に池首は視線を向ける。南貝は何となくばつが悪そうな顔をしてから、いつものように笑顔を作った。


「とりあえず、屋敷の方までこれ運ぼうか。ほっぽらしといてまた怪異化してもう一戦とかたまったもんじゃないし」

「僕胴体持ちます。首浦は首持って」

「首意外と重たいから引きずったら駄目か、こいつ髪長いし、掴めるから」

「引きずんのは止めとき、面相の確認とかで柊収会回収屋に怒られるから。そんじゃ屋敷の……縁側あたりで待ってようか。今日も日射しすごいし。それまではほら、休憩」


 この天気で日向にいるのもしんどいもんなという南貝の言葉に、首浦たちは揃って頷く。

 じりじりと首筋を灼く夏の日射しは地面に濃い影を焼き付ける。こんな炎天下に放っておかれて文句を言わないのは死人ぐらいだろう。

 南貝が屋敷に向かって歩き出し、池首が首の無い胴体を抱えてその後に続く。首浦も地面に転がった生首を抱え上げてその後を追った。


「帰りがけにコンビニ寄れるかな。くじ引きたいしアイス食べたい」

「無理じゃないですかね、南貝さん血まみれじゃないですか。作業服で血まみれってほら、スプラッタ映画であるやつですよ」

「首浦も駄目だよ、お前も結構血だらけだよ……」


 みんな駄目じゃんと南貝が笑う。その表情には先程のような翳りは気配すら残っていない。それでもその黒い目を見続けるのが何となく恐ろしくて、首浦は視線を空に向ける。


 見上げた空は嫌になるほど晴れていた。


 首浦は手元を覗き込む。瞳孔の開き切った虚ろな目には鮮烈な青が影のように映り込んでいる。

 悪党も怪異も、こんな空の美しい夏の日にくたばったのだ。

 首浦にはそのことがひどく羨ましいことのように思えた。

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