密会紫煙問答~悪友煙と共に語るの段~
襖を開けると同時に獰猛な音を立てて飛んできた硝子の灰皿を
ばきんと背骨を折ったような音が盛大に響いてから、空調のノイズだけが何事もなかったように部屋に満ちる。
座卓に着いたまま掌を数度振って、浅田は短く唸り声を上げた。
「躱すなよ、取れ。部屋が壊れただろ」
「お前さ、若い頃より気が短くなってね? 駄目じゃん人に灰皿投げたら。しかもあんな大きくて重いやつ。片手で投げたらいけないサイズよあれは」
「あれくらい受け止められるだろ足首狩り師範代。首狩りやって十年越えが甘いこと言ってんなよ」
「十年経ってもゴリラじゃん……荒れてんのは分かったからさ、落ち着けよ十六代目」
浅田とは同い年の首狩りとして長年の付き合いがあるとはいえ、いきなり灰皿を投げつけられて驚かなかったわけではない。
宥めるような夜庵の物言いに、浅田は我に返ったように目を伏せた。
「俺殺すために呼んだわけじゃないだろ。ついでに仕事の話だとも聞いてねえぞ俺」
「……どちらでもない。そんな話なら、わざわざ
「だろ? 俺最初っから友達んちに呼ばれたー、ぐらいの認識だもん。手ぶらだし」
とりあえず座っていいかと夜庵が問えば、浅田──十六代目生首狩り本家当主は唸り声を返事の代わりに上げる。
夜庵は何事もなかったかのように敷かれていた座布団に座り込み、そのまま当然のように煙草に火を点ける。黒地に白い花が咲き乱れる柄シャツのポケットから取り出した携帯灰皿をちゃらちゃらと弄びながら、煙をゆるゆると吐いた。
「で、何よ? どっかしらに怪異が出たってことしか聞いてねえんだけど、俺」
「駅前の大型商業施設だよ」
「あー七階建ての……え、大変だったんじゃないの? 怪我人とか平気だった?」
「被害の報告はない。平日だったからな。たまたま遭遇した首狩りが対応したらしくてな、どうも流しの怪異じゃないかってことだった」
駅前の商業施設に『天井を歩き回る冬服の人間』が出現したという報告が提出されたのは一週間ほど前のことだ。
居合わせた首狩り──乳首狩り本家当代当主が対処したとのことではあり、怪異による被害も出ていないことからただの怪異出現記録として処理された。普段の人死にや物理的な被害が出るような祟りを為すような怪異と比べれば微笑ましいとさえ感じられる。
別段そのことで領分だの管轄がどうのと目くじらを立てるような話ではない。首狩りとしての仕事の割り振りは個々の適性と稼働状況を見て行われている。そこで前時代的な家による縄張り意識など見せた方が弱みになる。
つまるところ、わざわざ浅田──首狩り四天王・生首狩り本家当主が苛立つような要素はどこにもない。それなのにどうして自分を呼びつけてまで浅田がこの話を始めたのか、その理由が夜庵には見当もつかなかった。
「えーと……あそこ因縁とか微妙だしなあ。自殺者がいたっけ? その程度だった気がするけど」
夜庵の疑問に頷いて、浅田は仏頂面のまま続けた。
「女性社員が人間関係で揉めて従業員用トイレで首吊ったろ。そいつが化けて出て、トイレの上から覗いたりエスカレーターの外側併走したりするからなんとかしてくれって要請が来た」
「詳しいじゃん。調べた?」
「覚えてんだよ」
呟いて、浅田は机の端に置いてあったボックスから煙草を抜き出す。咥えてから躊躇もなく火を点けて、
「俺らが対処した仕事だからな。覚えてねえのか、お前」
十年前に二人で女の首刎ねたろと物騒なことを口にしてから溜息のように煙を吐いた。
「あー……? 十年も前のことなんてさあ、昨日の夕飯も覚えてない人間に聞くなよ」
「仕事のことは覚えとけよ。閉めた後の服飾フロアで首に縄つけた女と追っかけっこして、お前見分けるの面倒がってマネキンの足まで狩ってたじゃねえか数打ちゃ当たるみたいなこと言って。思い出せよ組んだだろ俺と。書いただろ報告書。俺が。お前がそうやってマネキンぶっ壊して回ったから」
「俺んとこあんまり怪異仕事には呼ばれないからなあ」
「じゃあ尚更覚えとけ。貴重な体験だろ」
「仕事のことってあんまり記憶に残したくないし。楽しいこと考えて生きてたいじゃん人生」
「記憶に残る格好してるやつが何言ってんだよ。やめろ花柄のスーツを。芸人みたいな服ばっか買いやがって中年の分際で」
浅田の言葉に応えるように夜庵が煙を吐く。だらしなく開けた襟から覗く生白い首筋を掻きながら、問いを投げる。
「まあ覚えてる覚えてないはともかくさ、何を気にしてんのさ。別に乳首狩り──本家当代当主ってことは橘岡くんか、彼も流しの怪異だって言ってたんならそれでいいじゃん。因縁なしでうろうろするやつなんて珍しくもない」
「普通の場所ならな」
浅田の返答に妙な気配が纏いついたのに気付いて、夜庵が視線を向けた。
「俺が、首狩り本家十六代目の浅田が仕事を済ませた場所だぞ。十年経ったぐらいで怪異の棲み処にされてたまるか」
煙を燻らせながらまっすぐに夜庵を見るその双眸は、血濡れた鉈の刃のように黒々としていた。
冷やかな怒気に当てられたのか、膚が傷を負ったように一瞬痛む。首筋を押さえて、夜庵は口を開いた。
「十年前ならお前ヒラの首狩りだったじゃん。優秀ではあったけどさ」
「十年前から優秀なんだよ。俺がそんな雑な仕事するか」
「じゃあ何でさ。考えられる原因とか理由とかあんの?」
「……分からん」
怪異という世の理から外れたものの中にも、奇妙に共通する特性のようなものがある。薄暗い場所を好む、因縁のある場所に留まる、朽ち錆びた廃物に拠り集うなど、個々の差がある中でも比較的多数に見られる性質のようなものだ。
その性質の一つとして、一度何らかの手段によって同類が滅された場所には寄り付かないというものがある。
人間でも人死にがあった場所に近寄るのはなんとなくためらわれるが、それと似たようなものだろう。屠られた同種の記憶の残滓でも感じ取るのか、始末をつけた心霊スポットにはしばらくは怪異は湧かないことが多い。勿論その期間は差があるが、やり口が派手なほど──圧倒的な暴力及び力の差を見せつけるほどに、怪異が再び棲みつくまでに時間がかかる傾向がある。
つまり浅田が苛立っているのはそういうわけだ。自分が、優秀な首狩りが怪異を見事に屠った場所にふらふらと立ち寄り居座ろうとした怪異がいたということが許せないのだ。
自身の過去の仕事を、首狩りとしての腕前を愚弄されたようなものなのだろう。
「……とりあえずさあ、思い付きでいいなら喋るけど」
「言え。どうせ個人の発言だ」
「その許可も今更じゃない? 別にいいけどさ」
短くなった煙草を灰皿に押し付け、もう一本に火を点ける。
そのまま長々と煙を噴き上げてから、夜庵は続けた。
「仮説っていうか俺だったらって話なんだけど、特急止まる駅近が徒歩十分で二階日当たり良好角部屋3LDK三種コンビニ五分圏内二十四時間スーパーありでATMと銀行と郵便局に市役所が遠くても徒歩三十分内で栗山千秋似のお手伝いさんと長谷川博己に生き写しの執事が付いてくるって物件だったらさ、住んで一ヶ月で死にますって言われても多分住むと思うんだよね、俺」
「……土地に対する嫌悪感よりも重視するような理由が、あるってことか?」
「俺だったらねって話だけどね。損得で判断するならそういう話になんじゃねえかなって思うよ。多少の
浅田は煙草を咥えたまま黙り込む。
夜庵の言っていることはつまるところ個人の感想でしかなく、仮説どころか精々与太でしかない。そもそも野良の怪異如きでここまで神経を尖らせている浅田がおかしいといえばその通りだ。杞憂を通り越して狂気と取られても仕方がない。
それでも浅田の首狩りとしての直感が、見過ごせない違和感に金切り声を上げている。この異変を見逃せばどうしようもないことになると、かつて遭遇した種々の怪異や怪人による凶行、その顛末を見届けてきた首狩りとしての経験が囁くのだ。
夜庵はしばらく浅田の渋面を眺めてから、一度長く目を瞑って、口を開いた。
「浅田はこうして俺と楽しくお話ししてるけどさ、今日はどうなの。若い子たちは何やってんの」
「今日は仕事に出てる。現場に出せってうるさいのがいてな……」
「最近の若い子いい腕してるからねえ。いいんじゃない、ばんばん斬らせとけば。人手は多い方がいいしね、何かあったとしても」
浅田は頷き、そのまま短くなった煙草を手元の灰皿に押し付ける。
折れ曲がった吸い殻、その吸い口に深々と歯型が付いているのには気づかなかったような顔をして、また次の一本を咥えて火を点けた。
「まー、気になるんなら調べてみたら? せっかく当主なんて肩書があるんだしさ、やってやれなくはないでしょ。ただの首狩り寅正くんじゃないんだからさ」
「名前で呼ぶな──お前も手伝うんだろうな」
「やだよ俺ヒラだもん。そういう細かいこと好きじゃないしな」
向き不向きってもんがあるだろと軽薄な声で続けてから、
「斬りゃいいってだけになったら声かけてくれよ。それなら手伝えるからさ、当主様」
夜庵は煙を吐いて笑う。その口元に覗く犬歯に、薄い唇が獰猛に歪む。
浅田の盛大な舌打ちが部屋に響いた。
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