夏夕日廃ビル地獄絵図~首狩り問答の段~
窓ガラスに蜘蛛のように貼り付いていた手首を拾うついでに見た空は見事な夕焼けで、西日の赤さに脳まで焼かれるような気がして
「人数多いから手間取ってんのかね、回収の連中」
床に散らばる手足や諸々の残骸を器用に避けて、
そのままふざけた花柄のスーツの胸元から取り出した煙草を咥え、へらへらと笑った。
『柄の悪い連中が廃ビルにたむろしているのでなんとかしてほしい』という、市民の苦情が発端だった。
行き場のない不良が夜な夜な騒いでいる、その程度なら精々警察の巡回やら補導やらで話は片付いただろう。ところが連中の素行や行状を調べていったところ、結構な悪事──単純な暴力沙汰から組織的恐喝に薬物の流通などの凶悪な実態が詳らかになったのだから大騒ぎだ。成人連中ならば単純に
その結果として、餅は餅屋とばかりに
仕事の内容は至って単純。件の
その乱暴かつ雑然とした指示を実行したのが夜庵と南貝──首狩り四天王が血族、足首狩りと手首狩りの技を継ぐ二人の首狩りだった。
たった二人だったが、それで十分だった。
「十人よりはいましたからね。何だって大量だと手間取りますよ。それにほら、死なれると困るじゃないですか、今回」
「まあね。手足よか本体が優先なのは分かるけどね……」
生首、手首、足首、乳首。首を狩っては必ず殺す、異能に等しい武技を伝える者たち──首狩りの一族。彼らは善良で無力な者共のため、善き暴力として盾となり刃として、無法者や人に仇なす怪異を滅することで人の世に生き続けてきた一族だ。
その一族に列する者が、二人。
集会とやらで集まっていた連中を斬り飛ばして無力化するのには、三十分も掛からなかった。
手足を斬り飛ばされながらも死に切れず呻き声を上げる連中を足元に転がしたまま、いつものように
そうして手足を失くして立ても歩けもしなくなった連中を二人がかりで別室に放り込めば、いつもと同じ薄水色の作業服で回収屋の連中がやってきた。それがつい先ほどのことで、隣室では回収屋が己の職務を遂行しているところだろう。
結局夜庵と南貝の二人も処置の間は帰るわけにもいかず、かといって特段手伝えるようなこともないために、まだクズどもの部品が散らばったままの部屋でできることもすることもないまま待機しているのだ。
夕日に翳る部屋の中、夜庵はゆるゆると煙を吐く。無造作に壁に立てかけられた黒鞘の日本刀──夜庵の得物だ──は長い影を床に伸ばしている。
足元に潰れた蟹のようにへばりついていた掌を革靴の先でつつきながら、咥え煙草のまま夜庵は続けた。
「しかしねえ。注文多い上に待ち時間まで長いってのはあれだ、総合してキツい仕事なんじゃねえか今回」
「しんどいとこ、数が多いくらいですけどね。まあ、生け捕りですからちょっと手間ではありましたね。いつもみたいに斬るとほら、すぐくたばっちゃいますからね。人間だと尚更」
「わざわざ血ぃ出ないように斬ったからねえ。手間だったよこれは」
「こう、普段と違うとこ使いますよね、こういう真似すると」
夜庵の言葉に頷いて、南貝は手にしたままだった小刀──大ぶりのカッターじみた外見の代物だ──を放り上げる。そのまま器用に受け止めてから、長々と溜息をついてみせた。
得物を高速で振り抜くことで摩擦熱を発生させ、対象を『焼き斬る』絶技。普通に斬るのとは異なり、出血が抑えられるために血痕を遺さずに済んだり、今回のように対象を生け捕りにするときは手足などをこの技により切断することで無力化することができるので便利な技ではある。
ただ、血は出ないが斬り落とした箇所はそのまま残る。そのため連中がたむろしていた部屋には主を失った掌や足首がごろごろと転がったままだ。赤々とした日暮れに染まる床に人体の部品が散乱する様は、なかなかの代物だろう。
首狩りの中でも一握りしか習得していないであろう技を容易く用い、この凄惨な状況を作った二人は、夕日に染まる部屋の中で無為な時間に倦んでいる。
壁際に転がっていた右手の甲には安っぽい薔薇の刺青が彫られていて、夜庵は嫌そうにそれを遠くへ蹴り飛ばす。掌はぼとりと力なく床に落ち、夕日に浸された青白い膚が作り物のような色を見せた。
「あいつらあれだろ、半グレっつうかあのー……
「色んなことやってますよ。未成年の分際で、まだ人殺してないくらいしか褒めるところがない連中ですから」
「まあそうでもないと
度が過ぎるからこういうことになるんだよなと扇風機の傍らに転がったサンダル履きの右足を眺めて、夜庵は煙を吐いた。
「こいつら自身は下部組織だって話ですから。上の連中がいるそうですよ。聞いたでしょう
「そうだっけ。生け捕りだってので萎えちゃって聞いてなかったんだよ俺」
あけすけな物言いに、南貝が咎めるような目を向ける。夜庵は肩をすくめてから、誤魔化すように煙を吐いた。
「まーでも、俺らが出たってのはあれだ、適材適所ってもんじゃねえかな。俺と君、殺さずに済ませるのに向いてるから」
生首狩り、手首狩り、足首狩り、乳首狩り。首狩りの技を継ぐものたち四支族の中でも、手首と足首を狩る二家は微妙に異なる立ち位置にいる。
怪異も人も首を狩って殺すのが首狩りの一族の業ではあるが、一人前の首狩りともなれば自身の刃で対象の生死を加減することぐらいは朝飯前である。中でも手首狩りと足首狩りの二家は対象が手足という部位であることから、刑罰や捕縛にその技を生かす機会が多かったせいもあるだろう。
活かさず殺さずの類の依頼は、彼らが請け負うのが首狩りの中でも慣例のようなものになっている。
「やっぱ向き不向きってあるんですかね、同じ殺しの業なのに」
「あんじゃねえかなって俺は思うよ。優劣っつうか、適不適の類として」
加減がし易いんだよな俺たちはと夜庵が言えば、南貝は首を傾げてから手近な革張りのソファに掛けた。
「首はさ、言うまでもねえじゃん。普通の人間は首落とされたら死ぬよ。そもそも浅田がゴリラだってのもあるけどね。あいつ普通の握力計だと壊すもん」
「おっかないですよね、浅田さん。じゃあ乳首、っていうか橘岡さんはどうなんですか」
「あれはなあ……普通なら殺せないけどな。それでも殺せるようになってる、っていうやつだからな。一番おっかないとこだよ。多分」
難儀の具合なら俺らが言えた義理じゃないけどな、と咥え煙草のまま夜庵が笑う。
「俺らもさ、首狩って殺せるわけだけどさ……やる気のときと手加減するときって、やっぱこう、違うじゃん」
「分かります。手首がというか、こう」
ぐねりと手招くように手首を回す南貝に苦笑して、夜庵は続けた。
「そうね。今回なんかは生け捕りだからことにな。ま、そういう微妙な力加減に意識を取られるじゃん。そういうとこがね、ロスっていうか。分かる?」
「……舗装された道と砂利道の違いみたいなもんですか。雑に歩くと足捻るみたいな」
気が散ると色々大変みたいな話をしてますかと南貝が聞けば、夜庵は一度頷く。
そうしてから少しだけ間を置いて、続けた。
「何つーかな、これは俺の偏見なんだけど」
「はい」
「
首も手首も足首も、たいていの生き物には該当する部位が存在する。
それは怪異も同じで、バケモノらしく首の多い連中やわらわらと手首の群れをぶら下げているようなやつらはそれこそ首狩りの業務でもよく遭遇する。
だが、乳首があるのは哺乳類──それも首狩りが相手をするようなのは人間だけだ。
「乳首狩りの兄ちゃん……橘岡だっけか。あいつ、本来の乳首がない相手もちゃんとぶち殺せてるだろ。あれはまあ、斬るための乳首を見出して斬ってんだろうな……ない相手に概念を付与するってのはできなくはないが、多大な手間と負荷がかかるもんだよあれは」
乳首狩りが首狩りとしてどんな怪異も悪党も斬り倒すことができているのは、対象に概念としての乳首を付与しそれをそぎ落とすことで存在自体に致命傷を与えているからだ。
そんな常軌を逸したことを可能にしているのはひとえに乳首狩りの卓越した技術であり、それを可能とさせるほどに研鑽を積み、研ぎ澄まされた武技と才により成立している異能だ。
「概念の付与、普通に扱いが厄介だからな。神経使うんだよあれ」
南貝ちゃんなら分かってるだろ、と夜庵の視線が南貝の左手に向けられる。
作業服長袖の下、札に覆われた右腕──術式により刃物としての概念を貼り付けられ、文字通りの手刀として存在しているその腕を抑えて、南貝は答えた。
「俺の場合は札でどうにかしてますけどね。まあ、手間ではありますよ。うかっとすると自分の腹とか切りますし」
南貝が作業服の腹を叩けば、夜庵が噎せるような声で笑った。
「危ない真似してんね……けどまあ、そういうもんだよな。慣れと技量でどうにかなっても、負荷は負荷だかんね。そういうところにリソース割いといて、あんだけばかすか人も怪異もぶち斬れてるっていうのは、ちょっとすごいことだと思うぜおっちゃんは。凡才だからさ」
だからさ、と煙を吐いて、夜庵は続けた。
「そういう小細工とか下準備ナシで、ただ目の前の首を斬ればいいだけってなったらさ。一番おっかないのって
首狩りどもの武技とはそれぞれが「首を狩る」という制限の下で、どんな相手にも死を与えることを可能としてきた代物だ。『首』と箇所を限定することで現象の因果を補強し、首さえ狩れれば殺せるという単純な概念を以て存在を破壊するのが首狩りの異能だ。
翻れば『首』を狩れなければその武技の威力は著しく落ちる。制限によって齎される利点がそのまま弱点になる。『首』を狩ることで相手を殺すことに特化したからこそ、首を狩れなければどうにもならないのだ。
「俺らの場合もまあ、手首足首に依存はするけど……これない連中って、怪異でもあんまりいないからな。応用が利くのよ。だけど乳首はなあ、対人間特化だと思うんだよね。牛馬に熊とか相手にしないとは言わないけどさ、俺らも」
そう言って、僅か間を置いて。
「よっぽど殺したい相手でもいたのかね、
どう思う、とでも言いたげに向けられた視線に南貝は気づかぬふりをした。
夜庵は僅か片目を細めてから、やはり何も言わずに天井を仰ぐ。
そのまま吐き出された紫煙は夕日に揺らいで、すぐに跡形もなく天井に溶けた。
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