首狩り歩けば怪異に当たる~一見様急襲の段~

 自販機を探して歩いた商業フロアの外れ、その角を曲がった途端、目の前に時季外れのセーターの背中が現れる。同時にその両足が天井を足場に直立しているということを理解して、南貝なかいは身を強張らせた。


「動かないでくださいね」


 耳に届くぎりぎりまで絞られた声は、冷やかなのに厭な重さを以て南貝の足を床に縫い付けた。

 そのまま影が奔る。無造作に突き出された手先、几帳面に切り揃えられた爪が照明の無機質な灯に微かに光る。骨張った掌、その長い指先が撓る。

 切っ先のような五指が一瞬揺らめき、空間が軋んだ。

 少し遅れて甲高い擦過音が悲鳴のように響く。耳を押さえて俯けば、くすんだフロアタイルに爪痕のような傷が光っているのに気づいた。


 瞬間、ぼたりと雪が屋根から融け崩れるように冬服の人間は天井から剥がれ落ち、床に落ちる前に霧消した。

 視界を占めていた異形が消え失せ、対峙していた相手の姿を南貝はようやく認識する。

 地味なスーツと襟のくたびれたシャツ。革靴の先で数度床を叩いて、はすいと顔を上げた。


「──顔見知りで安心しました。手間が省ける」


 妙なとこで会いましたねと呟いてから、汚れを払うように掌をひらひらと振る。 

 そうしてから素手で怪異を斬り落とした男──橘岡きつおかは一度溜息をついてからゆっくりと一礼した。


「何してんですか。あ……奇遇ですね、お久しぶりですね? どっちですかね」


 先日ご一緒した手首狩りですと南貝が名乗れば、橘岡は僅かに口元を緩めた。


「どちらでも構いませんよ。人肉食堂の件ではお世話になりました」


 几帳面にもう一度頭を下げる橘岡に慌てて南貝も一礼を返す。

 以前市役所から首狩りの一族に対して委託された廃墟の見回りという地味な業務に、人員として共に取り組んだ相手だ。その際はそこそこに大捕り物──結局犯罪者の処理と怪異の始末供養のために肉体労働とちょっとした量の書類を作る羽目になった──ので、南貝としても印象に残っている。

 その共闘相手との予想外の遭遇を果たしたことにうろたえながら南貝は再び問いを投げた。


「今日はその、こんなとこで何してんすか、橘岡さんは」

「非番です。なので、まあ、お気遣いなく」


 火曜平日、午後三時のショッピングセンター。

 駅前どころか市内で一番規模の大きな七階建てという代物ではあるが、地方都市の常として、基本的に人間が少ないのはどうしようもない。煌々とした照明に照らされた清潔なフロアには店員すらもまばらだ。

 巨大な生物の遺骸じみた商業ビルの中、流行歌を機械的にクラシック調にアレンジしたBGMだけが延々と流れている。

 人の来る気配のないエレベーターと自販機。壁には色あせた案内板。ひと気のないフロアの片隅、壁際に安っぽい合皮の長椅子が置かれていることで辛うじて休憩スペースとして成立している空間だ。


 大型商業施設ショッピングセンターの中でも人が寄り付かない、死角のような場所で、橘岡と南貝は対峙している。


 人の気配もざわめきも遠い間隙のような場所で、橘岡はいつものように覇気のない顔で自販機の前に立ち小銭を入れボタンを押す。ごとんと缶が吐き出された音が妙に大きく響いた気がして、南貝は一瞬顔を顰める。

 橘岡は取り出し口から缶を掴み出してそのまま長椅子に座り込んだ。

 そのままプルタブを開け一度口をつけてからようやく立ち尽くしている南貝に気づいた顔をして、


「良かったら隣、どうぞ」

「ありがとうございます」


 失礼しますと返して南貝は隣に座る。またぼんやりと宙を眺めている橘岡を横目で見てから、南貝は口を開いた。


「スーツなんで仕事中かと思いました。実際ほら、怪異ってたわけですから」

「楽なんですよ、スーツ。細かいこと考えなくていいんで、面倒がない」


 南貝の服装──すれ違っても五分は覚えていられそうなおどろおどろしいバンドロゴらしきものと曼荼羅じみた文様が描かれたTシャツ──にちらりと視線を向けてから、橘岡はゆっくりと息を吐いた。


「久々に休める状況になったんですけど、そうしたら家にいても手持ち無沙汰で……散歩がてら、町中まで出てきたんです」


 そちらはと言いたげな視線が向けられて、南貝は抱えていた袋を示してみせた。


「俺は電気屋見に来たんです。こないだイヤホン断線しちゃったんで、替わりのやつがいるなって。あとは炊飯器とか見てました。好きなんで」

「ここぐらいしかないですからね。隣町行かないと、大きいところはないですから」


 橘岡が数度頷いて、会話が途切れる。

 沈黙の合間に南貝は掲示板に目を向ける。区切られたスペースの中には、休業日のお知らせと地元の夏祭りのポスターが貼られているだけだ。


「ところでさっきのは何だったんですか。──業務だったんなら、聞きませんけど」


 天井からぶら下がる人影、明らかにまともではない異形のものを一瞬で消失させた。それは間違いなく、乳首狩りの技によってなされた所業だろう。


 生首、手首、足首、乳首。首と名のつく器官を対象とし、どのような相手であれ首を狩れば必ず殺す。

 その首狩りの秘技を継ぐ中でも、橘岡は乳首狩り一族の本家当主──当代最強の乳首狩りであることを示す『血首』の名を継いだ者──なのだから、そのくらいを容易くやってのけても不思議ではない。

 南貝も同じ首狩りの業を負う者である以上、あれほどに鮮烈な技を見せられて昂らないはずがない。礼儀として見なかったふりをするべきかと一応問いこそしたが、例え拒絶されたとしてもどうにかして聞き出すつもりだった。

 橘岡は南貝の問いに少しだけ眉根を寄せてから、自分でも曖昧な記憶を掘り出すような口ぶりで続けた。


「さっきも申し上げましたが、業務ではないんで説明はできます。できますけど、」


 缶を片手に持ったまま、橘岡は数度瞬きを重ねた。


「今のはあれです、得物がなかったんで、素手で……閃手って右乳首分家うちだと呼んでるんですけど、こう、狙った箇所に真空? を作って引き剥がしてから掏り取るみたいなやつ、ですね」

「いや、技術そっちの説明もありがたいんですけど……そうではなく、その、仕事だったら守秘義務とかあるんじゃないですか」

「大丈夫ですよ。だったら最初っから声かけませんし」


 橘岡は一度長く目を閉じてから、缶を一口啜った。


「気配はなんかあるなっては思ってたんですけど、休憩してたら思いのほか手早く出てきたんですよね。見なかったふりしても良かったんですけど、目が合っちゃったんで、ねえ」


 予定外のお客さんですと呟いて、橘岡が溜息をついた。

 南貝は考え込むように口先を尖らせてから、授業のように右腕を挙げて口を開いた。


「ここの店ってああいうの報告ありましたっけ。俺あんまり覚えないです」

「いや、大物は特にないはずですよ。十年くらい前だと自殺した店員、みたいな記録がありましたけど……あれ確か生首狩りのとこが担当したはずなんですよ」

「対応済みってことですか」

「そうですね。だからあれじゃないですか、一見さん」


 積極的な割に面倒な方ではありませんでしたねと橘岡が微笑む。

 その笑みを見て、南貝の背筋に冷やかなものが伝う。


 得物も持たずに素手で怪異に対応できる人間は、首狩りの中でも多くはない。人間の素手という脆弱な代物、それ自体を凶器のように振るうには結構な技術と鍛錬、才能が要求されるからだ。

 それだけの芸当をあっさりとこなしてみせた手腕に、南貝は同じ首狩りだからこその惧れを抱いたのだ。

 橘岡は喉を逸らして缶を干す。大儀そうに立ち上がってから自販機の側に設置されたゴミ箱に投げ入れて、座ったままの南貝の方を振り返った。


「報告した方がいいですよね、こういうの。業務ではないですけど、怪異ではあったので」

「……まあ、一応、やんないと駄目っすよね、きっと。俺も首狩りになる前に座学で習いましたけど、こういうちっちゃい怪異を見逃して後々大ごとになったりするんで。店としても結界業者頼む目安になったりするでしょうし」

「ですね」


 橘岡が首を捩じる。ばきばきと不安になるような音が南貝の耳にまで届いた。


「じゃあ、行ってきます」

「報告ですよね。じゃあ俺も行った方がいいですか」

「いや、事後報告だけなんで大丈夫ですよ……ちょっとは書類を作るかもしれませんけど、だったら尚更。こんなことで休日棒に振っちゃだめですよ、若いんだから」


 それじゃあお先に失礼しますと几帳面に頭を下げて、橘岡は背を向ける。

 南貝が突然に向けられた年下への気遣いのようなものの馴染みのなさに戸惑っているうちに、橘岡は振り向きもせず歩を進める。

 そのまま足音もなく遠ざかる背は天井の照明の光を受けてやけにのっぺりとしていて、まるで影のようだと南貝が思った途端に角を曲がって消えた。

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