幽霊屋敷斬頭狩り~鬼瓦大崩落の段~

 振り上げられた大鉈、その刃が夏の日射しに獰猛に光った。

 浅田が大鉈を無造作に振り飛ばす。刃は食らいつくように屋根へと飛び、カザキリ音と共に軌道を描いて足元の土へと突き立つ。

 少し遅れてごとりと重い音がして、屋敷は死んだ。


 近隣住民にも有名な『人喰い屋敷』──探検だと忍び込んだ少年少女や度胸試しに訪れた若者に牙を剥く、よくあるいわくつきの建造物だ。

 ある者は人前に出られなくなるほどの怪我を負い、ある者は正気を失い廃人となり、そのまま帰ることなく行方を眩ませる者も多かった。


 百戦錬磨の幽霊屋敷。玄人にも素人にも、おいそれと手出しができるような代物ではない。


 その幽霊屋敷は、縦に潰れるように、自重に耐えかねたように──家という存在を保てなくなったかのように無残に崩れ壊れていた。


「何した……?」


 立ち込める大量の埃に背を向けて、千川が尋ねた。

 蝉の声はじゃわじゃわと盛夏を誇るように鳴り騒ぎ、倒壊した家屋を弔うように叫びたてる。

 浅田は僅かに両目を細めて、スーツの袖を口元に当てたまま盛大に咳き込む千川の方を向いた。


「馬鹿か。首斬ったんだよ首狩りなんだから」

「それは分かるけどどこ斬ったんだ」


 という千川の言葉に、浅田はわざとらしく溜息を返した。妙な柄のネクタイがぎらぎらと夏日に光り、千川の目を射る。


「私は生首狩りの浅田だぞ。斬るとこなんざ決まってんだろ、乳首狩りの千川さんよ」


 浅田は地面にめり込んでいた大鉈を持ち上げ、すいと一点を指す。黒ずんで鈍く光るその切っ先に、千川は視線を向ける。


 潰れ果てた屋敷の残骸。そこから弾き飛ばされたように、庭の乾いた白土の上、ぽつねんと落ちていたのは鬼瓦だった。


「鬼瓦──あれが首か?」

「鬼の頭を模してんならもうほぼ首だろ。

「……ああ、まあ、大元がゴルゴネイオンメドゥーサの首だったらそうか。正しい性質だ」


 異国の神を象るものの名を口にして、千川は感心したように頷く。浅田は少しだけ眉を顰めてから、ワイシャツの襟を手持無沙汰に弄りながら口を開いた。


「実働五分で終わったぞ。首狩り二人も寄越すような仕事かね、これが」

「本来なら屋敷の中ぐるぐるするはずだったからな。予定外だろ、このやり口」

「人喰い屋敷でお宅拝見ってのもぞっとしねえな──一歩も入らずに済んだがね。何だ、祭壇とかある系だったか?」


 浅田の問いに千川が首を振った。


「この屋敷全体が祭壇で、神殿で、餌場だよ。ろくでもないことしやがる」


 人喰い屋敷と呼ばれる以前、この屋敷が建てられたその由縁。そこからして悍ましい影が纏わりついている。

 一代で財を成した成金の一族がいた。当主は若くして商才にも運にも恵まれていたが、唯一器量が足りなかった。手持ちの財が増すほどに強くなっていく諸々の疑心に耐え切れず、やがて目に映る全ての物を恐れるようになるにはさほど時間は掛からなかった。

 他人はおろか身内さえも疑い、恐怖と憎悪に苛まれる日々──その最中、一人の呪術師に出会ってしまったのが成金の運の尽きだった。


 何のことはない、当主は不安だったのだ。異才と強運だけを頼りに歩き続けてきた結果、自分の行動によって齎される結果に対しての責任を取ることに疲れ果ててしまっていたのだ。


 呪術師はただ、当主の言葉を肯定した。呪術も妖術も何も用いず、当主の行動すべてを称賛し、傍らに寄り添い続けた。


 そして──当主は呪術師に傅いた。


 自身の安寧のためにはもはや術師を失えないと悟った当主は、術師を手元から決して逃がすまいと縋りついた。言いなりになった当主が、術師の指図通りに建てた屋敷。それがこの人喰い屋敷だ。

 閑雅たる黒木の塀、日に映えて艶やかな屋根瓦、威厳のある入母屋屋根の玄関を囲麗しい庭──成程豪勢な代物ではあったが、当然のように人間のために作られてはいなかった。


 家を所有し統べる主は、呪術師の信仰する怪異であった。


 当然のように持ち主の成金は一族諸共死に絶え、怪異はそれらを食らい、やがて

屋敷と一体化した。その頃には呪術師は忽然と姿を消しており、始末をつけるべき人間は誰もいなくなってしまった。関わる人間が消え失せても、屋敷は当然のように取り壊されるを拒みそこにあり続け、見事な化け物屋敷として完成したのだ。

 所有者も関係者も散り散りになり、うかつに手を出すわけにもいかずに放置されていた化け物屋敷だったが、近年になって犠牲者が増え始めた。ひと月で二桁に迫る犠牲者が出たことにより流石にただ静観しているわけにもいかず、急遽地域安全業務の一環として正式な依頼が掛けられ、首狩りの連中の出番と相成ったのだ。


 人も怪異も首さえあれば尽く斃す、それが彼ら──首狩りの血族の武技である。


 首、手首、足首、乳首。首と名の付く箇所とは即ち急所であり、その急所を斬れば、人魔妖異の区別なく必ず殺す。首狩りの一族たちがそのような異能を持ちながらも石持て追われずに済んでいるのは、ひとえにその技を善良で無力な一般市民のために用いているからだ。

 人に仇為す悪党を斬り、人を害する怪異を斬り、人を祟る妖異邪神も斬り斃す。

 それが彼らの役目であり、またそれを可能とする武技を研ぎ上げるこそが彼ら首狩り四天王の血族どもが生きる理由でもあった。


 そのためにも首狩りの一族郎党が一般社会に馴染んでおくことは大事だ。だからこそ、この幽霊屋敷の対応という業務に、首狩り二人──生首狩りの次期当主と噂される浅田と、若干二十四にして無傷の五人殺しを達成した乳首狩りの千川──が抜擢されている意味も分かるというものだ。

 絶対に失敗する気も、詰めの甘い仕事をするつもりもないという意思表示だ。首狩りの連中もこの業務に対して本気だったということが伺える人選だということが分かる。


 とはいえ浅田が『屋敷の首を落とす』のはさすがに計算外だった。おかげで一応二人で考えていた突入の手筈も探索の用意も全てが無駄になったのだ。


「回収何時に来るんだっけ」

「三時だ。あと二時間はある」

「二時間」


 うんざりとした顔で地面を蹴る浅田を横目に、千川は家の残骸をもう一度正面から見る。いくら業務中の家屋の破壊がある程度は黙認されているとはいえ、流石に限度というものがあるだろう。

 早く済んだからといって勝手に撤収するわけにもいかない。ただでさえ派手に家屋が破壊されているのだから、柊収会回収屋の到着を待つのが賢明だろう。これだけやらかしてしまうとどんな小言を言われるか分かったものではないが、やってしまったのだから仕方がない。理由を主張する機会が与えられたら、被害が出なかったことを全面的に押していこう──そんなことを考えながら、千川は腰に提げた刀に手を添えた。


「なあ千川、私携帯今月きついからお前から回収屋に連絡してくれないか」


 指先で摘んだスマホ──未だに携帯呼びが抜けていない──を顔の横で揺らしながら、こちらを向いてへらへらと浅田が笑っている。

 千川はその傍らを一足で跳び抜け──刃を抜いた。


 地を穿つ落雷の如き轟音。引き裂かれる風の音。既に言葉を為さない絶叫。

 鍔鳴りが微かに響き、静寂がその場に満ちた。


 足元に歪な人型の異形を転がして、千川は長く息を吐いた。



 千川の言葉に浅田はにやりと笑った。


「あんなわざとらしく隙作って……危ないだろ」

「いや、変な気配がどうもあったから、どうせなら全部綺麗にしときたくってね。家壊したのもちょっとは情状酌量狙いたいし」


 それに、と浅田が目を細める。


「お前の居合、綺麗だからね。せっかく組めたからな、近くで見たかったんだよ」


 浅田の言葉に千川は思い切り眉間に皺を寄せて、聞こえよがしに派手な舌打ちをしてみせた。


「ところでこいつはなんだろうな、人っぽいかたちしてるけど」

「向こうから来たから、あれだろ。裏庭に樹があるって話だったろ」

「あー……四人吊ったんだっけ」


 浅田が異形を爪先で蹴り転がす。ばらりと力なく広がった腕は肩口から複数に別れ、関節のあちこちからわらわらと指先に似たものを生やしている。

 死装束じみた白い衣服は盛大に胸元が開け、その胸乳は鋭く深く抉り取られていた。

 乳首狩りの一刀で斬り捨てた怪異に視線すら向けず、千川はすっかり見晴らしの良くなった庭先を眺めた。


「家に属してはいても庭先だからな。影響がちょっとは弱かったんだろ。悪あがきだ」

「じゃあ本当にこれで終いかね」

「多分な」

「どうせ時間余って暇だしなあ──なあ、千川」

「やらん」


 にべもなく断られて浅田が不満げに声を上げた。


「聞いてから断れよ。会話を拒絶するな」

「どうせ試合の申し込みだろ。やらん。そもそも首狩り同士の試合は禁止だろ」

「すぐ済むからバレねえって」

「──そうだな」


 冷やかな声を零して、千川が目を細め構えた。


「どうせ一瞬で決まるからな。死ぬか生きるか、五分も掛からん」


 回収屋に運ばせる荷物が増えるだけだと続けて、千川は薄く笑う。

 その気配の濃密さに蝉の声が途絶え、風さえ途切れて静寂が蟠る。


 息詰まるような一瞬。

 ──それを破ったのはけたたましい着信音だった。


「経過報告してなかったからな。ちょうどいい、向こうから掛かってきたなら料金掛かんないだろ、頼むぞ浅田」


 悪態をつきながら、浅田は着信を受ける。何事もなかったかのように再び鳴き始めた蝉の声に片耳を塞ぎながら、通話相手に声を張り上げた。

 スマホを耳に当てた浅田をしばらく眺めてから、千川はひらひらと手を振る。

 怪訝そうな目を向けた浅田に向かって、



 そう口の形だけで告げて、千川は口の端を吊り上げてみせた。

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