業務:懲罰的強襲~応報追跡夜行~

 警察沙汰には、なってないんですよ。人が死んだのに、行方不明だからって。行方不明だって、大ごとでしょうにね。


 分かってます、先輩。俺の気が狂ったと思ってますよね。俺だって無断欠勤の挙句にいきなり退職したやつがこんなこと言い出したら、お脳の調子が悪くなったんだと思いますもん。いや、本当に会社の方には、先輩にはご迷惑をおかけしたと思っています。私物とか捨てられてもしかたないな、って思ってたんで、先輩が届けてくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。このボールペン、気になってたんです。弟からもらったんで、昔。


 そうですね。とりあえず、最初っからまとめますんで。お茶飲みながら聞いてください。俺の足がこうなったのも、それで説明できると思います。労災沙汰じゃないですよ。自傷でもない。


 弟がね、やらかしたんです。先輩には何度か話しましたね。高校生の弟です。

 弟、その、ちょっと──素行が、悪くって。そういうチーム、みたいなのにも出入りしてたみたいで。高校生の分際で、何回か警察のお世話にもなったりしました。両親、忙しいんで俺が引き取りに行って……だからまあ、札付き一歩手前、ぐらいです。世間的には札付きかもしれないですけど、逮捕とかまでは行ってなかった。

 で、先月の、雨の夜。取り返しのつかないことをしました。

 ひどい雨の日でした。真夜中にチャイムが鳴って、魚眼覗いたら弟がいました。慌ててドアを開けて、驚きました。共用廊下に水たまりができるくらいのずぶ濡れで、俯いて立ってましたから。何かあったな、ということは分かったんで、俺はとりあえず部屋に入れてやりました。

 真っ青な顔で、唇をきつく噛んで、がたがた震えていました。聞くのが、恐ろしかったです。こんな風になった弟を、見たことなかったんで。

 でも、聞きました。とんでもないことをしでかしたなら、尚更聞いてやらないといけないって、俺は思ったんです──兄として。


 弟、話してくれました。ひどいことを、許されないことをしたって。俺は全部聞きました。聞くべきだと、思ったので。


 詳細なことは、ちょっと言えません。そうですね、映画の……古典のやつを例に出しますけど。目かっぴらいてクラシック聞かされて映像を見るやつです。車盗んで、人んち押し入って、乱暴狼藉の限りを尽くす、みたいなやついますよね。そんな感じのことをやったんです。大まかに合ってるけど、細かくは違います。けど、そのくらいに手ひどいことをしました。弟、とうとう犯罪者になったんです。

 弟はすっかり怯えて、後悔──かどうかは分かりませんが、ひどく動揺していました。悪いことをしてしまったのは分かっていても、それをどう始末するべきかが分からない。いや、分かってはいたんでしょうね。それでも怖かったんです。加害者が何を、という話ではありますが。

 一週間、ぐらいですかね。とりあえずは俺のとこで匿おうと思いました。腹が決まって自首すればよし、駄目なら俺が通報すればいいし、何より警察が辿り着くかもしれない。

 どうにかして、償わせようと思いました。そして、俺は弟を見捨てないことも伝えて──弟は、分かってくれました。


 そうして何日か、息を潜めて過ごしました。日常は、案外あっけなく過ぎていきました。


 存外早く、警察に行くって弟は言い出しました。

 風の強い日曜の夜でした。ちゃんと償ってくるって、弟が言ってくれたんで……じゃあ餞別にって、俺、夕飯に弟の好きな物ばっかり並べたんです。あいつも腹が決まったからか、いつもよりは顔色も良くって、出した料理もきれいに平らげてました。皿の片付けも、あいつがやるって言ってくれたんです。俺もじゃあお言葉に甘えようかって、皿洗ってる横で煙草吸いながら雑談してて。昔、家出るまではこうだったなとかそんなことを思ったりしてました。

 八時、回ったころだと思います。

 チャイムが鳴りました。

 俺んち安いマンションなんで、居間のドア開けたら玄関まで何もかもストレートに繋がってるんですよ。左右にキッチンと風呂場やなんかが添えられてるタイプ。だから、皿洗いながら煙草吸いながら、二人で玄関を見ました。年代物の薄っぺらいドア、その向こうにいる誰かを。

 どの道こんな時間に客が来る予定なんて、宅急便もありませんでしたから。弟と顔見合わせて、とりあえず無視することにしました。ロクなもんじゃないでしょう、夜に出歩くやつなんか。


 台所で突っ立って見ていた俺たちの目の前で、玄関の鍵が回りました。


 チェーン掛けてなかったって、舌打ちしそうになりました。そうしてドアが軋みながら開いていくのを、俺は呆然と見てました。でも開くわけないんですよ。俺の部屋、両親にだって合鍵渡してないんだから、大家さんか不動産屋でもなければ開けられるわけがないんです。

 弟、俺を突き飛ばしてドアのところまで走りました。開き切る前に押し戻そうとしたんですかね。俺、気づけなかったんですよ。だからただ、見てました。

 ドアがかさぶたでも剥がすみたいに引き開けられて、夜の匂いがする風が吹き込んで──弟が仁王立ちになったまま、ぐらりと後ろに崩れました。


 崩れたんです。弟が、棒でも倒すみたいに、ぶっ倒れて。

 足首が二つ、残ってました。

 真っ暗な廊下の先、切り取ったみたいに明るい共同廊下の光に照らされて、歩きだしそうな形のまま突っ立ってました。


 弟は、動きませんでした。倒れたときに盛大に頭を打ってるだろうに、声一つ立てなかった。もうそれだけで異常じゃないですか。

 駆け寄ろうとしました。煙草放り出して名前を呼ぼうとして、俺、気づきました。

 ぶっ倒れた弟と、置物みたいになった足首。その向こうに、二人いました。一人は満員電車が似合うような地味なスーツで、もう一人もスーツで……花柄でした、そいつ。ふざけてますよね。しかも刀、みたいなもんぶら下げて。ヤクザだってもうちょっとまともな恰好しますよ、きっと。


「こいつで最後だろ。悪ガキ連中」

「対象者は最後です。ただ、夜庵よあんさん。


 地味なスーツがそう言って、俺の方を見ました。花柄がひどく嫌そうな顔をしたのが印象的でした。


「親族の方ですか」


 どちらからとも知れない問いに、俺は頷きました。そして、弟を見てから──聞きました。、って。

 スーツのやつは俺の目を真直ぐ見て、


「死んでます。理由はお伝えできませんが、お分かりでしょう」


 そんなことを言われたので、俺はもう駄目でした。

 

 ともかく一発ぶん殴るなりなんなりしようと思いました。返り討ちに遭うかもしれないけれども、何とかして殺すかぶん殴るかぐらいはしてやらないと、兄として顔向けができないじゃないですか。手遅れだとしても、大義がなくとも、せめて一矢ぐらいはかましてやりたかったんです。

 洗い場に立ててあった包丁を掴んで、駆け寄ろうとしました。


 ちょっと重心がずれたかな、と思いました。目眩みたいな、そんな具合でした。


 歩こうとしてあっけなく転んで、わかりました。俺の足も、取れてたので。

 右足首だけ、床に真っ直ぐ立ったままでした。切り口から血がじわじわ流れて、出の悪い噴水みたいだなって思いました。


「弟が弟なら兄も兄だな、なあ?」

「夜庵さん、ちょっとこれは」


 呆れたような声が聞こえました。それを咎める声も。どうやら俺に手を出したのは予定外だったらしく、スーツどもは口論を始めてました。

 俺がぶっ倒れたまんまだと思ってたらしく、こっちを見てもいませんでした。

 でも、やる気だったんです、俺。だってそいつらが俺の弟を──殺したわけですから。それはほら、弟は仕方ないとしても、俺が嫌だったので。一人ぐらいは道連れにしてやろうと、握っていた包丁を構え直して、近寄りました。

 一歩、二歩、床を這って距離を詰めて、いよいよブッ刺せると思って腕を振り上げました。


 その瞬間、そいつは振り向きました。目が、合いました。


 火でも点けられたかと思いました。

 胸、熱湯でも浴びせられたように熱くなって……肌が、肉が抉れて血が流れていく感覚がぶわって湧いてきて、手先も痺れて息が苦しくなって。ああ俺死ぬんだなって思いました。

 視界がじわじわ暗くなっていく中、俺、必死でそいつの顔を見てました。

 ここで死ぬとしても仕方がないけど、それでも、弟を殺して俺も殺したやつの顔ぐらいは覚えておかないといけないなって思ったんで。化けて出られないじゃないですか、その辺きっちりやらないと。

 そいつ、くたびれたリーマンみたいな顔して、こっちをじっと見てました。


「申し訳ありません──仕事ですので」


 それだけ言いました。それだけ言って、あの野郎、いなくなりました。俺も、いよいよ息ができなくなって胸が痛んで、気絶しました。

 で、病院でしたね。誰かが救急車を呼んで、運んでくれたらしいです。あのスーツの連中だと思いましたけど、はっきりとしたことは誰も教えてくれませんでした。

 俺は右足首の切断だけでした。いや、大怪我ではあるんですけどね。胸は何ともなかったんです。傷ひとつありませんでした。確かに肌を、肉を削がれておっ死ぬ感覚があったんですけどね。医者も首を傾げてました。あまり言い続けると、俺の頭を疑われそうだったんで諦めましたけど。

 でも。

 弟、見つかってないんです。血痕はあったそうですが、本体は何も。警察の方も困ってました。弟のチームの連中、つまりよろしくないことをやらかした連中が、軒並み行方不明か不審死みたいな有様になってるみたいで。そっちの対応で大わらわだそうです。

 何となく想像はつきますけどね。あの日、俺んところに来たような連中が、軒並み始末を……罰を与えていったんじゃないかって、そんなことを思ってます。そこに関しては、まあ。しょうがないよな、って思います。悪いことしたら酷い目に遭う、それだけの話です。


 非があるのは俺の、弟なのは確かです。それは分かっています。被害者の方には償い様がありませんし……弟が報いを受けたのだとしたら、当然だと思います。俺だって仕方がありません。身内可愛さに、匿うような真似をしたわけですから。

 でも、せめて──死体でいいから、返してほしいですよ、やっぱり。あの足首だけでもいいから、俺の手元に置いておきたかった。

 弟ですから、俺の。

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