業深き者ども~首狩り始祖の段~
地味な灰色のスーツに包まれた
絶叫。
首浦はそのまま前のめりに床へと崩れ落ち、蹲り呻き声を上げる。肩から溢れ袖口から伝い落ちた血が畳に浸みていく。その様を蒼白な顔で見下ろし、
汚れものでも触ったように手先を数度振って、生首狩り本家十六代目当主・浅田はその白い眉間に深々と皺を寄せた。
「──よその家に勝手に手を出したら駄目だと、いつも言っているだろう。他流試合はちゃんと申請通してからにしなさいって、私は教えているはずだよ」
何事もなかったようにデスクに戻り、一度だけ長い溜息をつく。
スーツには不釣り合いな幅のあるチョーカーが巻かれた喉をさすりながら、浅田は荒涼とした荒れ声で続けた。
「意気揚々と乗り込んで、相手にされずに逆上して抜こうとしたなんて……恥ずかしいったらない。世が世なら首をもいでやるところだ」
白い掌がごきりと物騒な音を立てる。PCのモニター越しにこちらを見ながら、浅田はゆるゆるとかぶりを振った。
「おまけに綺麗に取り押さえられてるんだから本当にどうしようもない。せめて勝ってくれば、指で済ませてやったものを」
首浦は既に苦痛に呻くことしかできずにいる。肩口を押さえたその手の間にも血は浸み出し、無骨な指先を染めていた。
友人の苦痛を見ていられなくなった池首が決死の意を以て口を開こうとした途端、浅田は池首を見てにこりと笑った。
「説教が長かったか。大丈夫だ、殺しはしないもの」
浅田の言葉をどこかで聞いていたかのように、襖が音もなく開く。スーツを着た長身の男がするりと部屋に入り込み、浅田の傍らに立った。
浅田はそちらに視線すら向けずに、
「病院。笹原先生のところに放り込んでやってくれ」
男は黙って頷いて、ゴミ袋でも持つように首浦を掴んでそのまま退室した。
襖が閉じてからの、苦痛の残滓だけが漂うような空間。浅田は短く溜息をついてから、独りごつような調子で続けた。
「首浦もね。もうちょっと目が良くならないと。なまじ腕があると死にたがるのは困ったもんだ」
「あの、俺が──僕が、止められなかったのは」
「いいよ、池首。お前の腕じゃ首浦は止められなかっただろ」
不問だよと言って浅田は口の端を持ち上げたので、池首は慌てて深々と頭を下げた。
実際首浦の思い付きが発端だった。
休日の朝に突然電話が掛かってきたかと思うと、予定の有無だけを聞かれた。それに対して不用心にも空いていると答えたのが池首の一つ目の失敗だ。そのまま用事の内容も知らされずに部屋に押しかけられ車に詰め込まれ、降りろと命令されたから素直に従った。これが二つ目の失敗だった。
そこが首狩り四天王が支族の一つ、乳首狩りの武道場だと告げてにやける
「道場破りなんてねえ。先から連絡来て驚いたよ。現代っ子がなんでそんなアナクロな真似するかね」
「あの、こないだ漫画で、読んだみたいです」
「子供か……いや、まあ、子供の方が賢いな今回は。首浦が馬鹿だ」
首浦が馬鹿だというのは同意だが、同時に首浦がそんな馬鹿を思いつきまた実行した理由も、池首は少し理解している。
まず大前提として、首浦は強いのだ。生首狩りの同門、同世代の中では彼の腕前は群を抜いている。
間合いを見極める感覚、相手の死角と弱点を捉える嗅覚、それを的確かつ強烈にに斬り倒すことのできる殺意。
対峙するだけで相手を威圧せしめるほどの剣気は、
師範代ですら同格或いは格下扱いできるほどの才能。その才に相応しい舞台を与えられないことに対しての焦りが、彼に道場破りという愚行を選ばせた。
同門の連中では物足りなくとも、他の首狩りの血族ならば──それも最強と名高い乳首狩りの一族であれば、自分を満足させてくれるのではないかと、そう夢見てしまったのだ。
畳にどす黒く浸みたままの血痕を見つめて、池首は常々抱いていた疑問を口にした。
「あの……浅田様。お聞きしたいことが、あります」
「何だい」
「乳首狩りの方々ってそんなに強いんですか」
「強いよ」
あっさりと答えて、浅田は池首に視線を向けた。
「他流試合は禁止されてるからね。実感はないだろうけど……私たちと同じ『首狩り四天王』の一族だ。弱い理由がない」
池首は頷く。
無法者や人に仇なす怪異を滅する。善良で無力な者共のため、善き暴力として盾となり刃となろう──。
その理念の元に武技を磨き、その技を伝え続けまた悪しきものたちを狩り続けてきた一族。それが首狩り四天王であり、生首狩りの一族たる我らの祖なのだと、ことあるごとに親族から教えられてきた。
「ただの偏執狂の武芸馬鹿っていやそれまでだけども……首狩り一族、及び生首狩りの我々一族郎党はその馬鹿を長年続けてきた。始祖から現代まで脈々延々と、飽きもせずにね」
乳首狩りも同じだよと浅田は続けた。
「私たち首狩り一族──生首狩り
生首、手首、足首、乳首。人体に存在する、およそ首という名の付く部位──首狩り四天王は殺意の方向を『首』という対象に限定することで因果を捻じ曲げ、その絶技を以て概念に干渉する連中である。
対象に『首』さえあるならば、どんな姿のいかなる存在であろうとも狩り落とし命を奪う。最早異能というべき領域の武技だ。
「極論どこを斬っても殺せるけどね、人間。それだと結局人間しか殺せないから……この現世に形を以て存在しているなら、『首』があるなら、斬れば殺せる。そういう武の磨き方をしたんだな、四天王は」
対象を絞ることで概念の強度と威力を増してるんだよと浅田がにこやかに語る言葉の意味はさっぱり分からなかったが、池首はとりあえず頷いてみせた。
そうしてからふと池首の脳裏に疑問が浮かぶ。浅田の機嫌はどうやら良いらしいことを確認して、池首は口を開く。
「──どうして、そんなことをしたんですか」
「必要だったからだよ。目標達成のためにね」
「目標」
「殺したいやつがいたんだよ、四天王には」
なにせ死なないやつだからねと呟いてから、浅田は語り始めた。
遥か昔、始祖たちが未だ四天王を名乗らずただの武人としてあった頃。一人の不死者がいたのだという。
年を取らず、病むことも飢えることもなく、野山に遊び書を読み画を描き、時折人里に降りては酒を求めたという。仙人とも妖魔の類とも語られながらも、その正体は明らかにはなっていない。およそ人の理の及ばぬところに存在するものなのだろう。
至って温厚であり賢明な不死者であったが、ただ続く永劫の生が、彼──あるいは彼女を変質させた。永い年月に擦り切れ、やがて死を望むようになったのだという。
だが、不死者の肌はいかなる刃物や技に傷つくことなく、毒も火も跡一つ残すことはなかった。
不死者は考えた。
この世の理の上では死ねないのならば、その理さえ斬り伏せられるだけの技を持てばいい。その技さえあれば自分は死ねるのではないかと、そう思い至ったのだ。
そうして不死者は山を下りた。いつか自分を殺せるものがいるのではないかと、戦場を、死地を、荒野を殺意を求めて廻った。
その死を求める旅路の果て、不死者は始祖たちに逢った。
不死者は始祖を蹂躙し、その腕前──自身を殺せるかもしれないと微かに期待してしまう程の武技の冴え──に驚嘆し、
互いの利害は容易く一致し、不死者は技を授けた。
永く死を求め彷徨った末に得たその技は、剣鬼どもには福音のようだった。
「生首、手首、足首、乳首──そういうわけでね。人体の首四つ、急所をそれぞれ受け持つように教えてくれたのさ、不死者様は」
「一人に全部は、その」
「中途半端になるからね。それに、我ら始祖とて無理だったんだろう。何せ本物の理外の技なんだから」
首という頑強な箇所を絶ち割る膂力。手首という
それぞれの得手を以て技を研ぎ腕を磨き魔境を超え神仏の理に達すれば、すべてを斬ることが叶う──それこそが剣鬼たちの、始祖たちの悲願だったのだろう。
「だからまあ、首狩り同士で試合うのは禁止されてるのさ。手数が減るのは避けたいだろ、
それは他の支族とやり合えば、どちらかが死ぬまで終わらないという意味だろう。
浅田はふと視線を手元に落とし、微かな、それでもよく徹る声で言った。
「それでも──一度やり合ってみたいもんだね、血首とも。こないだ代替わりがあったっていうし、生首狩り本家当主としてはね、一回くらいは」
細めた目の昏さに、池首は息を飲む。
すぐにその影は跡形もなく失せて、浅田はこちらの言葉を待つように微笑んだ。
「浅田様。もう一つお聞きしたい、ことが」
「いいよ。でも時間がないからひとつだけだ。これから会議があるんでね」
「では手短に。──その、不死者に。お会いしたことがありますか」
「あるよ」
「では、」
浅田は喉元に手を伸ばし、チョーカーを外した。
抉られ引き攣れた傷痕、白く亀裂のように残る疵が深々と首のぐるりを覆っていた。
「不意討ちならいけるかと思ったんだけどね。向こうは素手でこれだよ」
浅田は微笑して、傷をチョーカーで覆った。
「さ、帰んなさい。お見舞い行くなら師岡に声を掛けなさい。病院まで乗せてってくれる」
「ありがとうございます……失礼します」
これ以上何を聞くのも恐ろしく、早々に立ち去ろうと池首は慌てて背を向ける。
「お前も真面目に頑張んなさい──殺し甲斐があるよ、あの人は」
愉悦さえ滲む一言。背を撃たれたように、池首は転がるように部屋を出た。
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