首狩四天王血闘譚

目々

一首:首狩現代縁起

剣鬼二人~血首継受戦の段~

 道場には橘岡きつおか千川せんかわの二人だけだった。


 庭に臨む戸は全て開け放たれ、そこからは禍々しいほどに赤い夕日が差し込む。

 乳首狩り本家十六代目当主・千川四志実はいつもと同じアロハシャツ──前だけは冗談のようにきっちり閉めている──のまま、微笑めいたものを浮かべて、向かい合った橘岡を見つめている。

 橘岡はくたびれたスーツのまま、腰元に提げた刀に一瞬だけ目を向けた。千川の腰にも同じような得物が下がっている。

 互いに凶器を手元に備え、打ち込める間合いを保っている。その状況に似つかわしくないほど呑気な調子で、千川が言った。


「悪いな。どうも時間が取れなくって……こんな夕方になってしまった」

「構いませんよ。こっちの方が都合がいい」

「都合?」

「道場生とか、外野がいませんから。苦手なんですよ、人の目」

「気が小さいんだな、橘岡。


 千川の言葉に、橘岡は片眼を微かに細める。

 昏い目を揺らがせもせず、千川を見返す。


「令嬢殺しの早川に、子潰しの秋田、三頭河原の吸血鬼──銘有りの悪党ばかりだ。さすがじゃないか」

「仕事です。どいつもこいつもどうしようもない連中だ」


 千川が頷く。橘岡は瞬きもせずに続けた。


「ご存じでしょう、

「その通りだ。よくやってくれたね。我ら所詮は首狩り一族、悪党とバケモノをぶっ殺してこそ意味のある連中だ」


 千川の声はひどく穏やかだった。橘岡は一瞬だけ眉を顰めてから、シャツの襟を弄った。刃物を抜かれてもいないのに、首元がどうも落ち着かない。


 首狩り一族。品のない呼び名だが、事実だ。

 極められた武技は人を魅了する。表向き法や倫理で縛られたとて、人の本能は血と暴力に興奮するようにできている。

 武技の魔性に魅せられた、ただそれだけで刀を振り続け、暴を研いだ馬鹿共がいた。

 それが首狩り四天王の祖であり、千川と橘岡の血の源流だ。


 生首狩り積理。手首狩り那戒。足首狩り夜庵。乳首狩り知比丘。

 初代と伝えられる首狩り四天王──彼らは成程馬鹿ではあったが、愚かではなかった。


 ただ衝動の赴くまま、無差別に暴力を、技を振るえばたちまちに排斥される。斬り応えと死合の甲斐がある相手ならまだしも、世の中の大半は暴力を恐れる弱者ばかりだ。そんなものを狩ったところで愉悦も高揚もない上に、不必要な恨みを買うのは面白いものでもない──権力や世論の名のもとに討伐され根絶やしにされるのが目に見えている。そうなってはつまらない。


 だから、馬鹿どもは掟を作った。善良な多数派を味方につけて、正当かつ盛大に暴力を振るえるような存在になるために、己の暴力に理由と価値を付けた。


 表沙汰にできない無法者や人を害する怪異を滅する。研ぎ澄まされた暴力として、善良で無力な者たちの盾となり刃となろう──そんなお題目を掲げ、またその通りに鉄火場を踏み死線を潜り続けたのだ。

 結果、四天王の系譜は途切れることなく現代にまで続き、非公式ながら政府にも存在を黙認されている。

 橘岡はそんな身の程を理解している。本家からの指示に従って外道やバケモノを狩り殺すのは役目であり業だと納得している。課せられたものがあるのならば、それに応えるのが道理だろう。だからこそ、ただその役目のためだけに研鑽を積み仕事をこなしてきた。

 粛々と仕事をこなすだけの、地味な狩人──乳首狩りが己の正体だ。ただそれだけの存在でしかない自分が、こうして本家当主に得物持ちで呼び出された理由が、橘岡には分からずにいる。


 千川は橘岡を正面から見た。


「その辺のことも鑑みてね、どうもお前ならいけるんじゃないかって井桜が言うもんだから……こうやってお呼び立てしたわけさ、橘岡重上しげたか


 名を呼ばれた瞬間、橘岡は目を瞠った。

 その静かな声音、意図も感情も覆われた作り声の端から滲むのは、冷やかな殺意だった。


「すごいじゃないか。高々二十五の若造が、傷一つない無敗の七連勝。十年ぶりの逸材だって、本家じゃ大騒ぎだ」


 浮かれたような明るい声、その一言ごとに空気に殺気が満ちていく。

 当代最強と名高い本家当主の豹変に、橘岡は竦むことなくただ立っていた。


「ご当主直々に褒めて頂くほどのことでは……それより、同族殺しはご法度でしょう、千川さん」

「私闘はね。そうじゃないんだ、重上。


 千川は毟るようにシャツをはだけた。

 露わになったその身体、刻まれた傷跡の上を真新しい血のように夕日が伝う。


 曝け出された胸板に視線を向け、橘岡は息を飲んだ。


 

 最初に連想したのは仏像だった。

 存外に生白いその胸には、両乳首はなく、のっぺりとした肌があるだけだった。乳首がないという異様さと、肌を剥き出しにしてなお生気の感じられない恐ろしさのためだろう。橘岡は荒くなりそうな息を辛うじて抑え込む。


「話くらいは聞いてるだろ。当代最強の乳首狩り、そいつが血首として当主を継ぐのが習わしだ──私もそろそろ歳だからな、余裕持って次代に任せたいのさ、色々」


 いつのまにか抜かれていた刀、その刃が夕陽に不穏にぎらつく。

 凶暴に輝く刀身を無造作に提げたまま、千川はゆっくりと目を細めた。


 乳首狩りの本家当主は一族最強の首狩りである。それは乳首狩りの一族において、初代から一度も変わることなく受け継がれてきた掟だった。

 分家であれ本家であれ、最も暴に優れたものが当主として血首の名と技を受け継ぐ。乳首狩りの一族においては、本家と分家という概念はただの代替かつ予備としての区分けでしかない。

 互いに対等かつ同質な武の群体でしかなく、いつでも手足は頭に成り代わることができる。頭一つを落としたところで、乳首狩りの一族は絶えることはない。

 その乳首狩りの中でも最強──当主にだけ伝えられ、また使いこなすことができる秘技がある。

 血と共に代々継がれてきた秘技・花毟。研ぎ澄まされた剣気と鍛錬による異次元の斬撃により、乳首という概念そのものを削ぎ切る魔技だ。その絶技を受ければ最後、再生する器官であるはずの乳首はその機能を失い二度と甦ることはなく、膨大な出血と激痛によりやがて死に至るという。


 当代最強たる血首と乳首狩りとして対峙し、秘技を受けてなお生き残ること。それが代々の血首の狩り名を継ぐ者の通過儀礼──継受戦だった。


「……なんであんた、生きてんだ」


 わずか右足だけを後方に下げ、踏み込めるような体勢をとりながら──それでもまだ抜刀だけはせず、額に汗を浮かべて橘岡は問うた。

 橘岡の疑問は最もだった。受けたら死ぬ技、当代最強を名乗るからこそ会得することが可能であり許される技。それを受けて生き残れというのが相当におかしい。矛盾が起きている。

 どうしてこの男──千川四志実は、先代から当主の座を生きて継ぐことができたのか。

 戸惑う橘岡に千川は涼やかな目を向けた。


「私の方が強かったからな」


 橘岡の喉が鳴った。

 戯言と笑い飛ばすべきだろうが、この道場に満ちた殺気と重圧が、その一言にどうしようもない説得力を与えていた。


「殺される前に見切って、覚えて、ぶっ殺してやっただけさ……乳首は削がれたが、私の全部を削がれたわけじゃない」


 そのままとん、と指でのっぺりとした胸を指す。

 その無骨な指先に、針で点いたように微かな染みが見えた。それが削がれず残った唯一の痕跡なのだと気づいた瞬間、橘岡の背を冷たい汗が伝った。


「一度受けた技くらい、覚えられるだろう。お前も同じことをすればいい」


 千川は微かに口の端を吊り上げた。


「さて、これで説明は済んだな? あとはお前の技量次第だ。私を殺して血首を継ぐか、私に乳首を狩られるか。二つに一つだ。お前が選べ」


 簡単な話だ、と千川が破顔する。

 夕日に濡れて返り血を浴びたようなその顔の中、目だけがきらきらと光っていた。


「手本は一度きりだ──生き残ったら名をやろう。血首の名をな」


 千川は上段に構える。その優雅とさえいえる動作とは裏腹に、握られた刃は一度だけぎらりと殺意に鈍く輝く。

 橘岡はそれを真正面から見て、一度だけ息を吸う。

 そのまま目を逸らすことなく、はばきを外した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る