第5章 夜空に弾けた光が最後の輝きだと俺たちだけが知っている

第26話「腹は決まった?」


 俺は自分の家族のことを覚えていない。

 父と母は二人とも、俺が物心つく前に死んだらしい。

 兄弟がいたかどうかも知らない。


「君は災害に巻き込まれ、ご両親は帰らぬ人となったんだ」


 いつだったか、そういった話を聞かされた。ただそれだけだ。

 両親の顔も、声も、握られていた手の感触も、俺がなんて呼ばれていたのかさえ全く思い出せなかった。


 しかし、それが逆に良かったのかもしれない。


 もしも家族の記憶があったら、きっと寂しさで毎晩のように枕を濡らしていただろうから。

 ただ、いつも胸の奥に小さな穴が空いているような、穴の淵からボロボロと欠け落ちて広がっていくような感覚があった。

 それだけはよく覚えている。


 今思えば、それが俺の中に【クロ】を生み出す最初のきっかけだったのかもしれない。




 気がつくと俺は孤児院で暮らしていた。

 あっという間に十年の月日が経ち、俺が十二か十三になった頃、とある男が現れた。


 男は俺が暮らしていた施設をまるごと買い取り、孤児たちの前でこう告げた。


「貴様らは今日から私のモノだ」


 男の名は、暗月創世。

 またの名をスペクター・バリアント。


 スペクターの目的は俺たちをバリアンビーストの「素体」にすることだった。


 バリアンビーストを生み出す方法は二つある。

 一つは、特殊な細胞を使ってゼロから生み出す方法。

 もう一つは、人間を改造して生み出す方法だ。


 人間を素体にする方法は、ゼロから作成するよりも効率がいい。

 さらに身寄りのない子供を使えば、その子供がどうなったところで誰かに訴えられることも、恨まれることもない。

 そういった使い勝手の良さに目をつけたのだろう。


「全員、改造室へ連れていけ。成功率は度外視で構わん。片っ端から改造を施せ」


 施設の職員は全てバリアントの構成員に置き換わり、抵抗する力のない子供の俺たちはヤツの言いなりになるしかなかった。

 バリアントは俺たちを妙な施設に連れて行くと、有無を言わさず次々と改造を施した。


 結果、俺を含めた二十四人の孤児たちのうち、半分がバリアンビーストに変えられ――。


「何体が成功した?」


「十二体です」


「失敗したのは?」


「十二体です」


 残りの半分が死んだ。


 バリアンビーストに改造された者は、精神が肉体に引っ張られて精神構造も獣に変化し、文字通りの人造兵器と化す。

 しかし肉体の変化による負荷に脳が耐えられない者もいて、そういった者たちは拒否反応を起こして自ら命を断ってしまう者が少なくないらしい。


 そんな中で、俺は精神と肉体の差異に苦しむことが一切なかった。


「どうして、俺だけ人間のままなんだ……?」


 俺は身も心もビーストに改造された他の孤児たちと違って、人間の姿を保っていたのだ。


「貴様は間違いなくバリアンビーストだ。他との違いは、人間とビーストのどちらの姿にも変身出来るという点に尽きる」


「貴様の名は【デュアリス二面性】が相応しいだろう」


 デュアリスと名付けられた俺は、『変身型』と呼ばれる特殊な部類のバリアンビーストだった。

 そのおかげか、ビーストに改造された孤児たちが次第に人としての理性を失っていく中で、俺だけが人間の心を保つことが出来ていた。


 しかし、いくらか問題もあった。


 本来バリアンビーストに改造されると好戦的になるが、俺は人間の姿を保てたせいで精神構造がほとんど変化しなかった。

 他のバリアンビーストが積極的に戦闘実験に臨む中で、俺だけが常に戦うことから逃げていた。


 誰かを傷つけ、そして傷つけられるのが嫌だったから。


「デュアリス! この役立たずがッ!」


「申し訳……ありません……」


「貴様は獣だ! 貴様の脆弱な意思など不要だ! 己の機能に従事しろ!」


 俺はほぼ毎日、スペクターから数え切れないほどの罵倒を浴びせられていた。

 戦闘訓練や破壊工作の作戦において、俺だけがほとんど戦わずに逃げていたからだ。

 ビーストに変身出来るからと言って、能力があるからと言って、それを振るって誰かを傷つけることなんて俺には出来なかった。


 失敗するたびに激しく罵られ、自分という存在を全否定される。


 かなりの苦痛だった。いつ心が壊れてもおかしくなかった。

 そんな日々が続くうち、俺は自分の心を守るため、心をに分離させた。


 デュアリスの名の通り、俺は自分の中にもう一人の自分を作ったのだ。


 片方は、天下原 衛士の基礎である【シロ】。

 元からあった人格だ。


 そしてもう片方は、俺の障害を排除する心の鎧【クロ】だ。


 ――荒っぽいことはオレに任せなよ。シロは俺が守るからさ。


 クロはビーストとして優秀だった。

 戦闘能力が高く、狡猾な思考で迅速に行動し、目的のためなら手段も選ばない。


 クロの能力『破壊の黒』もビーストとしては非常に強力で、その点はスペクターに評価されていた。

 そしてクロはスペクターからのどのような罵倒を浴びせられても、全て涼しい顔で受け流していた。


 一方、俺が出来るのは自分の体の傷を『再生の白』の力で治すことくらいだ。

 俺はクロのことを頼もしく思いながら、同時に羨ましいと思っていた。

 しかし、そういった感情も全部共有しているから、クロには筒抜けでいつも励まされていた。


 ――オレはお前で、お前はオレ。つまりオレの手柄は、お前の手柄。そうでしょ? シロ。


「それがスペクターにも通じるなら、苦労はしないよ」


 ――ネガティブだねぇ。ま、オレはずっとシロの味方だよ。どんな時も、何があっても、ね。


「……ありがとう、クロ」


 家族のように、兄弟のように、あるいは親友のように。

 クロはいつも俺の支えになってくれた。

 弱い俺が壊れないよう、いつも守ってくれた。

 かけがえのない相棒だった。




 メテオキックが東京に現れてから、数カ月が経った頃のことだ。


 バリアンビーストを容易く粉砕するメテオキックの対応に手を焼いていたスペクターは、戦闘行動を拒む俺をメテオキックの観察役に配置し、戦闘のたびに情報収集をさせて俺を逃げ帰らせた。

 だが、メテオキックを打倒する方法は見つからなかった。


 そこでスペクターは正攻法ではなく、搦め手を使うことを思いついた。


「デュアリス。貴様に特別任務を課す。いつまでも人間の精神を手放そうとしない貴様にピッタリの任務だ」


「任務、ですか……?」


「生徒として流星高校に潜入し、綺羅星 砕華と接触しろ。あの子の信頼を得て、裏切り、そして苦痛を与えるために」


 俺に与えられた任務は、スペクターの娘であるメテオキックに精神的な揺さぶりをかけることだった。


「潜入にあたり、貴様に偽の記憶を与える。そうだな……『バリアントから抜け出し、一般人として暮らしたい元怪人』といったところか? なんとも滑稽だが、いつまでも人間にしがみつく貴様にはお似合いだろう」


 本当に人間に戻れるなら、どれだけ幸せなことか。


「ああそれと、貴様のもう片方の人格も秘匿する」


「クロを、ですか?」


「貴様らの精神はそれぞれ独立している。記憶処理を行っていない人格が情報を漏らさないとも限らないからな」


「……」


「私が次に貴様の名を呼んだ時、記憶が戻るよう施す。せいぜい役立ってみせろ」


 きっと大した期待はされていないのだろう。

 それでも俺はバリアントの尖兵としての役目を果たさなければならない。

 俺の存在を証明する、ただ唯一の方法だから。


 こうして俺は任務のため、記憶処理を受けることになった。

 きっとこの時に爆弾も仕込まれたのだろう。


 ――またね、シロ。いつでも見守ってるよ。


 記憶が閉ざされる直前、そんなクロの声が聞こえた。




 目を覚ました俺は高校生「天下原 衛士」となり、気付けばバリアントを抜け出していた。

 それが己の望みではなく、スペクターの企みだと知らずに。






 * * *







 ――シロ。起きて。


 クロの呼びかけで意識が覚醒し、俺は目をこすりながら体を起こした。

 閉ざされていた記憶が夢として蘇っていたらしい。


 時刻を確認すれば、午後二時を少し過ぎた頃。寝すぎたようだ。

 しかし砕華と約束した予定は夕方からなので、まだ時間に余裕がある。


 俺は目を閉じ、自分に残された選択肢を思い出す。

 

 スペクターが課した最後の命令は、メテオキックに殺されること。

 体内の爆弾は、時間が来れば自動的に爆発する。

 このまま黙って死ぬか、それともメテオキックに殺されるか。


 どちらにせよ、俺は今日死ぬ。


 だが、黙って死ぬよりは砕華を騙した罪を償って死にたい。


 ――腹は決まった?


「ああ、クロ。決まったよ」


 俺は立ち上がり、食事を素早く済ませ、身なりを整え始める。


 砕華との約束を果たすために。

 最期のデートに向かうために。


 窓越しに聞こえる喧しいセミの音が、妙に耳に残った。


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