第二章 宫廷新贵与东林的神童 宮廷の新貴と東林の神童

梃击案终于结束,朝臣们取得了他们想要的。郑氏家族的权利受到了打击,福王再也不可能出现在北京这个大明王朝的政治中心了,永远的被排除在皇权之外。万历皇帝的皇权虽然被朝臣打压,孱弱的皇太子朱常洛也一定不能劝驾的了这帮政治上的老狐狸,但是万历皇帝却在洛阳为朱家播种下了另外一股力量。皇太子朱常洛以他的性格即使登基也不可能对自己的兄弟刀枪相象。

万历皇帝朱翊钧忍不住又有些得意,忍不住想起自己的太祖朱重八。太祖开国后也是朝廷勋贵横行,太祖除了杀也没有好的办法,杀来杀去最后落了个嗜杀的名头来也没有彻底解决,最后还是靖难解决了问题,高祖皇帝在位的时候那才叫圣上,文治武功。虽然说高祖是夺了恭闵惠皇帝的皇位,但那不是东边不亮西边亮么,反正都是朱家的子孙。这皇位本也是谁有本事谁坐的。常洛和常洵都是朕的儿子,想来他们也不想被这朝臣像苍蝇一样的烦来烦去吧,他们一南一北,也好让这些朝臣有些顾忌!再来一次靖难,哼哼,笑话,最多不就是多死几十万百姓么,为了朱家的江山,这几十万的百姓到也没什么承受不了的。

朝臣和万历皇帝通过这次梃击案,终于又达成了一种平衡,朝局稳定了下来。最后只有那河南府都指挥使卫庭芳因懈怠军情被砍掉了脑袋,一个武官死就死了,也没什么大不了的,这天下不是皇上与文臣共同治理么,武官算什么!

皇太子朱常洛自从梃击案以后就滋润的不得了,这皇位没什么可争的了,已经是自己的囊中之物了,以前对自己鼻子不是鼻子脸不是脸的母妃郑氏也对自己服软了。这不还送了八个国色天香的美人来讨好自己,这真是天也高了,地也阔了啊。说起来这母妃送来的美人还真是滋味无穷啊,莺声燕语,面容娇媚,软香玉肌。尤其难得的是竟然知冷知热冰清聪明,真是一等一难得的人物啊。这样的好日子,难怪前人说:“春宵苦短日高起,从此群王不早朝”。对,也要找一个仙长,求些仙药,虽说不能长生不老也要固本培元,多几年寿限。诶呀,这几个美人也太厉害了这腰又疼了。找仙长的事要快了。

自从郑贵妃送给了皇太子朱常洛八个美女后,其中一名姓李的选侍就像白居易长恨歌里的杨玉环一样“后宫侍丽三行人,三行宠爱在一身”。这位李选侍也就成为了慈庆宫的女主人。

选侍李氏生于中人之家,本在乾清宫中只是一个小小的侍女,并不是郑贵妃的心腹。庞保、刘成两个太监因为梃击案一事被处死以后,郑贵妃少有的体惜下属,或许是感到两个太监是忠心为自己办事而死,于是提拔了刘成的一个老乡——太监李进忠(呵呵,对不起前几章将他写成了李尽忠,这里改过来了啊,呵呵)。这李进忠本是市井的一个泼皮混混,因赌钱输了个精光并欠下巨额赌债无法度日,因此央求同乡刘成进宫做了太监。李进忠虽说大字不识,但为人奸猾狡诈,进宫未时不多就成了刘成的心腹,并为刘成出谋划策,刘成对他也很是喜爱,屡有提拔,隐有将其视为子侄待之。选侍李氏在乾清宫时因为没有靠山,对李进忠处处逢迎。李进忠贪恋李氏美色,虽不能行苟且之事,却也常常呷玩,两人到也如胶似漆。梃击案后刘成一死,郑贵妃提拔李进忠到司礼监掌东厂的太监手下当差。李进忠悄然与太子宫太监王安结交,得到不少皇太子朱常洛的辛秘,于是对郑贵妃献策献美女与皇太子朱常洛乱其身,如所献的美女能专宠与皇太子身边,那正好乱其后宫,皇太子虽然位不可动,但皇太子与其子如若早亡,福王朱常洵还有机遇。

选侍李氏正是因为李进忠一策入主慈庆宫。选侍李氏也知郑贵妃为人刻薄,在皇太子朱常洛身边虽然深受宠爱,却也对郑贵妃忠心耿耿做那乱太子宫之事。

皇太子朱常洛对于他们的谋划一无所知,因为对选侍李氏深深宠爱,竟然将皇太孙朱由校和朱由检交给选侍李氏抚养。李氏心肠狠毒,对朱由校和朱由检不管不顾,并以违例探子的由头将朱由校和朱由检的生母王氏和刘氏杖责。王氏和刘氏因为伤势严重担心爱子,又气又急下也驾鹤西去。

朱由校年幼贪玩,又无心计,加上出生以来未见生母几面因此对于母亲的死并不在意,依然是悠然自乐,他的奶妈客巴巴客氏却晓得厉害但人轻言微,只是小心谨慎看护着朱由校。

朱由检身边的太监王承恩是个重情谊的奴婢,在朱由检生母刘氏死后悄悄带着朱由检祭拜。幽暗的假山一角,王承恩压着声音对着一块小小的灵牌哭诉。

“刘娘娘,您对奴婢恩深似海,奴婢无以未报,本想尽心侍奉小主和您以报万一,那曾想您却遭奸人所害。本来奴婢应当追随娘娘一起而去,在下面继续侍奉,但现下小主年幼,又有虎狼在侧,奴婢不惜自身躯体,却怕小主有个万一,那奴婢万死难安了。娘娘在天之灵却要保佑小主不受那奸贼选侍李氏迫害。今天特带小主来此祭拜,使娘娘在天不受孤苦。”

朱由检自生来就少语,不喜言谈,宫中皆曰其忠厚。

“王承恩,你的心,我已经明白了,不要做这妇人之态。现在我们还没有力量,那选侍李不过是跳梁小丑,早晚有报应,现在我们主要是保存自己,命要是都没了,其他什么都不要说了。我们现在只能悄悄的看,苦苦的等以后这台戏有我们唱的时候。母亲的这块灵牌是个危险的事物,你给我烧了。以后你要多向我哥哥的奶妈客巴巴和宫中的太监李进忠示好,那李进忠是郑贵妃和选侍李的心腹,一定要让他们相信我们对他们是没有威胁的。你跟着我早晚会有出头之日的。”

王承恩目瞪口呆的看着这个只有五岁的宫中都说忠厚的小主朱由检。朱由检稚嫩的脸上闪出一丝丝狠辣。王承恩心中竟然微微有了一丝惧意,又不可违背的将刘氏的灵牌销毁。他不禁在想“我这个小主不简单啊!”

同年皇太子朱常洛的三儿子、四儿子竟然都得热疾暴病而亡,尚在襁褓中的六儿子、七儿子也因厌食,竟活活饿死。万历皇帝大怒下处死了两名太医院御医和生药库大使。慈庆宫竟然一片恐怖。皇太孙朱由校的奶妈客巴巴与太监李进忠结为对食,朱由检身边的太监王承恩携皇孙朱由检上请“皇孙朱由检母早丧,无人管教,愿奉皇太子选侍李氏为亲母,贵妃郑氏为亲奶奶,恳请管教。”

朝臣此时也上奏,皇太子选侍李氏原为郑贵妃亲近之人,皇太子数子暴毙,定与其有关,望上明查。万历皇帝留中不发,慈庆宫的恐怖气氛慢慢淡去。

宫中一股新的力量崛起郑贵妃的地位因为这股力量的崛起不但没有衰弱,反而愈发稳固。


“啪”一个五岁幼童将朝廷邸报重重的摔在地上。

“奴势以成,国内又灾祸连连,山东、河南、甘肃、陕西、山西久旱不雨民皆无以为食,五省大灾朝廷竟只拨白银四十余万两,振米二十万石,不足福王就藩所取的万一!奴酋努尔哈赤建国赫图阿拉,危机辽东,边军竟缺饷!这朝廷却是不顾百姓,不顾军情边危,只在那里搞些宫闱内斗,国家危与小人之手!”

东林书院花园中的书生都被这幼童的愤然之声惊动,侧目看了过来。这幼童正是东林书院的神童,五岁幼龄中了秀才的张翰林。

“小子又发轻狂了,翰林今让你初看邸报,就发这轻狂之语,却是不该。虽你见识到也中肯,但奴酋建国一事未免小题大做了,小小奴酋野民不过六万,又在极北苦寒之地,噬毛饮血之辈那里能对我大明构成威胁。其夜郎自大只因天军未到,天军一到自会如沸油泼雪,土崩瓦解的。但是翰林你小小年纪却忧国忧民,为师也是老怀大慰啊。呵呵。”东林名士高攀龙抚着胡子微笑的看着自己这个得意门生。

“可是老师,这奴酋努尔哈赤,征战半生韬略精熟,当是我大明的心腹大患啊!”张翰林维自不服的还要争辩。

“好了,不说这个了,翰林你的文章做的怎么样了,前些日给你出的题目可是做完了?”高攀龙对自己这个神童弟子又是喜欢又是头疼,喜欢他聪明伶俐,举一反三,更难得是他好学的劲头,竟然如饥似渴。头疼他屡发奇想,思想执拗。不但屏弃老祖宗的耕农国本还说商旅、奇淫技巧之道才是富国富民之本,前次又突发奇想说本朝第一大清官海瑞是害民的第一等混官,引得这东林书院中鸡飞狗跳,论争不断。偏偏他又牙尖嘴利那些同窗竟没有一个能将他辩倒,反而让他辩驳了个哑口无言。

自东林先生顾宪成重建这东林书院以来,这个小弟子却是让他最耗费心力的一个,五岁的他知天文晓地理文法军事算法淫巧皆有涉猎,真真不知是什么样的水土竟孕育出这个小怪物。旁人耗其一生的精力所成,在他这里却轻轻松松的做了出来。他在家中搞的那个什么实验室,做出来的东西竟然惊动了本朝博学士徐光启(嘿嘿,小弟就不让徐光启去天津了),而那徐光启也是厚颜竟然强留在他家硬要收他为徒,听下人所言那徐光启本是要拜张翰林为老师的,张翰林因年幼坚决不肯的。这个消息为茶馆酒楼添加了不少笑资。无怪乎市井之民说他是天上的神仙下凡了。

——————我叫分割线——————

下一章准备写战争了,决定把萨尔浒战役提前一年开战大家没有意见吧,嘿嘿,有意见滴保留吧,嘎嘎,战争提前一年满清的准备就少一年,以后灭的时候也简单一些。




梃撃案はついに終わり、朝臣たちは彼らが望んでいたものを手に入れた。鄭氏家族の権利は打撃を受け、福王は二度と北京という大明王朝の政治の中心に現れることはできず、永遠に皇権から排除された。万暦皇帝の皇権は朝臣に押され、弱々しい皇太子朱常洛も政治上の老狐たちを説得できないに違いないが、万暦皇帝は洛陽で朱家のために別の力を蒔いた。皇太子の朱常洛は彼の性格で即位しても自分の兄弟に銃刀を向けることはできない。

万暦皇帝の朱翊鈞は我慢できずまた少し得意げで、自分の太祖朱重八を思い出さずにはいられない。太祖開国後も朝廷勲貴が横行し、太祖は殺す以外に良い方法がなく、殺しに来て殺しに行って最後に殺人好きの名を落としても徹底的に解決しなかったが、最後には靖難が問題を解決し、高祖皇帝が在位していた時にそれこそ聖上と呼ばれ、文治武功と呼ばれた。高祖は恭閔恵皇帝の皇位を奪ったと言っているが、それは東が明るくなく西が明るくないのではないか。どうせ朱家の子孫だ。この皇位も本来は誰が有能で誰が座っているのか。常洛も常洵も朕の息子で、思えば彼らもこの朝臣にハエのように煩わされたくないのだろう、彼らは南から北へ、これらの朝臣たちを少しはばからせよう!もう一度靖難に来て、ふん、冗談、せいぜい何十万人もの庶民が死んだのではないか。朱家の江山のために、この何十万人もの庶民が来ても耐えられないことはない。

朝臣と万暦皇帝は今回の梃撃案を通じて、ついにまた一つのバランスを達成し、朝局は安定した。最後にあの河南府都指揮使衛庭芳だけが軍情を怠って首を切られ、武官一人が死んでも、大したことはない、この天下は皇帝と文臣が共同で治めるのではないか、武官は何だ!

皇太子の朱常洛(チュ・シンラク)氏は、梃撃案以降潤っていて、この皇位は争うことはなく、すでに自分の懐の中のものであり、以前は鼻ではなく顔ではなかった母妃の鄭氏も自分に服していた。これはまた8人の国色天香の美人を自分のご機嫌を取るために送ったのではなく、これは本当に天も高くなり、地も広くなったのではないでしょうか。そういえばこの母妃が送ってきた美人は本当に味が尽きないですね。うぐいすの声が燕語で、顔が甘美で、柔らかい香玉肌です。特に得難いのは、知冷知熱冷清聡明で、本当に得難い人物ですね。このような良い日、道理で先人が「春宵苦短日高起、これから群王早朝せず」と言ったのも無理はない。はい、仙長も探して、仙薬を求めて、不老不死にはならないと言ってもベン培元を固めて、何年も寿命を延ばす必要があります。おや、この美人たちもすごいですね。また腰が痛くなりました。仙長を探すことはもうすぐだ。

鄭貴妃が皇太子の朱常洛に8人の美女を贈って以来、その中の1人の李という選侍は白居易長恨歌の楊玉環のように「後宮侍麗三行、三行寵愛を一身に受けている」。この李選侍も慈慶宮の女将になった。

選侍李氏は中人の家に生まれたが、もともと乾清宮では小さな侍女で、鄭貴妃の腹心ではなかった。ポンポ、劉成の2人の太監が梃撃事件で処刑された後、鄭貴妃は部下を大切にしていたが、2人の太監が自分のために忠誠を尽くして死んだと感じたのか、劉成の故郷である太監李進忠を抜擢した(へへ、前章で李尽忠と書いたのに申し訳ないが、ここは変わったのか、へへ)。この李進忠はもともと市井の血を吐くようなチンピラで、賭博ですってんてんに負けて巨額の賭博借金を抱えて生活できなかったため、同郷の劉成進宮に頼んで太監になった。李進忠は大きな字が読めないと言っても、ずるい人で狡猾で、宮に入っても多くないうちに劉成の腹心になって、そして劉成のために知恵を絞って、劉成は彼に対してもとても好きで、何度も抜擢されて、隠れてそれを甥と見なして待っています。李氏に仕えるために乾清宮を選んだ時は頼りにならなかったので、李進忠には至るところで迎合した。李進忠は李氏の美色に執着し、いい加減なことはできないが、よくしゃぶしゃぶをしていて、二人は着いても漆喰のようだ。梃撃事件後に劉成一が死亡し、鄭貴妃は李進忠を司礼監が東工場を掌握していた太監の下に抜擢した。李進忠はひそかに太子宮太監王安と交際し、多くの皇太子朱常洛の辛秘を得て、そこで鄭貴妃に美人と皇太子朱常洛を献策してその身を乱して、献上した美人が皇太子のそばを甘やかすことができるように、それはちょうどその後宮を乱すことができて、皇太子は位は可動ではありませんが、皇太子とその子が早く亡くなったら、福王朱常洵にはまだチャンスがあります。

李氏に仕えたのは、李進忠一策が慈慶宮に入ったからだ。李氏の選侍も鄭貴妃が冷酷であることを知っており、皇太子の朱常洛のそばでは寵愛されているが、鄭貴妃に対しても忠誠心を持ってその乱太子宮のことをしている。

皇太子朱常洛は彼らの計画について何も知らなかった。選侍李氏を深くかわいがっていたため、皇太孫朱由校と朱由検を選侍李氏に養育してもらった。李氏は無慈悲で、朱由校と朱由検を顧みず、朱由校と朱由検の生母王氏と劉氏を不正な捜査官の頭で杖責した。王氏と劉氏はけががひどく愛子を心配し、怒ったり焦ったりしても鶴を西に走らせた。

朱由校は幼い頃から遊びに夢中で、無心で、生まれてから生母が何面も見えなかったので、母の死には気にしないで、依然として悠然としていて、彼の乳母客の巴巴客氏はすごいことを知っているが、人は軽く、ただ慎重に朱由校を看護している。

朱由検のそばにいた太監王承恩は情誼を重んじる奴婢で、朱由検生母劉氏の死後に朱由検をひそかに連れて祭った。暗い築山の一角で、王承恩は声を抑えて小さな霊牌に向かって泣き言を言った。

「劉女娘、あなたは奴隷に対して海のように恩恵を受けています。奴隷は何も報告していません。小主とあなたに尽くして万一のことをしようと思っていましたが、あなたのことを思っていたのに姦通者に殺されました。本来なら奴隷は娘に従って一緒に行って、下で仕えなければなりませんでしたが、今では小主は幼く、虎や狼が側にいて、奴隷は自分の体を惜しまないが、小主に万一のことがあれば、奴隷は万死に至るのを恐れています。迫害。今日は特に主をここに連れてきて、娘が天で孤独な苦しみを受けないようにしました。」

朱由検は自生してから言葉を少なくし、言葉を好まず、宮中はすべてその忠厚と呼ばれている。

「王承恩、あなたの心、私はもうわかった、この婦人の態度をしないでください。今私たちにはまだ力がありません。その侍李はただの道化師にすぎません。遅かれ早かれ報いがあります。今私たちは主に自分を保存しています。命がなくなったら、他には何も言わないでください。私たちは今、こっそり見るしかありません。苦しいのは後でこの芝居が私たちが歌う時があります。母のこの霊札は危険なものです。あなたは私に焼いてくれます。これから私の兄の乳母ババと宮中の太監李進忠にもっとよく知らせてください。李進忠は鄭貴妃と選侍李の腹心で、私たちは彼らに脅威がないと信じさせなければなりません。あなたは私についてくるといつかうだつが上がるでしょう。」

王承恩は呆然として5歳の宮中が忠厚な小主朱由検だと言っているのを見ていた。朱由検の幼い顔には少し辛辣な感じがした。王承恩の心の中には意外にも少し恐れがあって、また背いてはいけないのは劉氏の霊牌を廃棄した。彼は思わず「私のこの主人は簡単ではありません!」と思った。

同年、皇太子の朱常洛の三男、四男は意外にも熱病で死亡し、まだ産毛の中にいた六男、七男も拒食のため、生きて飢え死にした。万暦皇帝は怒って太病院の御医と生薬庫大使2人を死亡させた。慈慶宮は意外にも恐ろしい。皇太孫朱由校の乳母客巴巴と太監李進忠は対食となり、朱由検の身近な太監王承恩は皇孫朱由検を携えて「皇孫朱は検母によって早死にし、誰も教えてくれない。皇太子によって李氏を親母に選び、貴妃鄭氏を親祖母に選び、教えてほしい」と要請した。

朝臣はこの時も上奏し、皇太子が李氏に仕えたのは鄭貴妃の親しい人だったが、皇太子数子が急死したことと関係があるに違いない。万暦皇帝は留中不発で、慈慶宮の恐怖は徐々に薄れていった。

宮中の新しい力が鄭貴妃の地位に浮上したのは、この力の台頭が衰えるどころか、ますます強固になったからだ。

パチンと5歳の子供が朝廷邸を何度も地面に落とした。

「奴隷の勢いは成功し、国内は災いが続き、山東、河南、甘粛、陝西、山西は長い間日照りが続いても雨が降らない民は食べる気がなく、五つの省の大災害の朝廷はなんと銀四十余万両、振米二十万石しかなく、福王が藩について取った万が一に足りない!奴隷の首長ヌルハチは建国ヘトゥアラを建国し、危機は遼東で、辺軍は意外にも給料が足りない!この朝廷は庶民を顧みず、軍事状況の危険を顧みず、そこで宮廷内闘争をしているだけで、国家の危険と小人の手!」

東林書院の庭の書生はみなこの幼い子供の憤然とした声に驚いて、横目で見てきた。この幼童はまさに東林書院の神童で、5歳の幼年で秀才の張翰林に当たった。

「小僧はまた軽はずみになった。翰林は今、あなたに館報を見させて、この軽はずみな言葉を出したが、それはいけない。あなたが見ても納得しているが、奴隷の建国は大げさだ。小奴隷の野民は6万にすぎず、極北の苦寒の地で、血を飲んでいる輩のところは私の大明を脅かすことができる。その夜郎自大は天軍が来ていないだけで、天軍が来ると沸いた油が雪をこぼし、土が崩れるだろう。しかし翰林あなたは小さい年で国を憂え民を憂え、師のためにも老いて心を慰めるだろう。へへ。」東林名士の高攀龍はひげを撫でて微笑んで自分のこの意中の弟子を見ていた。

「でも先生、このヌルハチは、征戦の半生を韜略に精通していて、私の大明の腹心の大患だと思っています!」張翰林維は自分が不服だと主張しなければならない。

「よし、それは言わないで、翰林君の文章はどうなっているのか、先日出した問題は終わったのか」高攀龍は自分のこの神童弟子に対して好きで頭が痛くて、彼の聡明さが好きで、一を挙げて三を返して、更に得難いのは彼の学びやすい勢いで、意外にも飢えているようです。頭が痛い彼はしばしば奇想を吐いて、思想が執拗だ。祖先の耕農国本を捨てただけでなく、商旅、奇淫技巧の道こそ富国富民の本だと言い、前回は本朝第一大清官海瑞が民を害する第一等混官だと言いたいと思って、この東林書院の中で鶏が飛んだり犬が飛んだりして、論争が絶えなかった。あいにく彼はまた歯が尖っていて、あの同級生たちは彼を言い負かすことができなかったので、かえって彼に反論させてしまった。

東林先生顧憲成がこの東林書院を再建して以来、この弟子は彼に最も心を消耗させた一人で、5歳の彼は天文暁地理文法軍事アルゴリズム淫巧がすべて経験していることを知っていて、本当にどんな水土がこの小さな怪物を生んだのか分からない。他人が一生の精力を費やして作ったものだが、彼のところでは軽くやってしまった。彼は家の中で何かの実験室をやっていたが、作ったものはなんと本朝博学士の徐光啓(へへ、弟は徐光啓を天津に行かせない)を驚かせたが、その徐光啓も厚顔で意外にも彼の家に残って無理やり弟子にしようとしたが、下人の話を聞いて、徐光啓はもともと張翰林を先生に拝むつもりだったが、張翰林は幼いので断固として承知しなかった。このニュースは茶屋の酒楼に多くの笑いを加えた。道理で市井の民が彼を天上の神が下界に下りたと言ったのも無理はない。

—————私は分割線と申します————

次の章では戦争を書く準備ができています。サル滸戦を1年前に開戦することにしました。皆さんは意見がないでしょう、へへ、意見があれば残しておきましょう、ガガ、戦争の1年前の満清の準備は1年少なくて、後で滅びる時も簡単です。

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