25

 僕は、自分の机に座っている。

 手のひらを広げて、その上で置かれているアイテムに目を落とした。そこには、ことり先輩のUSBメモリがあった。

 先日、台風のドタバタの中で僕が預かったままになっていたのだ。

 メンバーにはことり先輩が熱を出して来れなくなったと伝えている。その影響は、中心人物がいなくなったことの寂しさは、どれくらいあるのだろうか。

 今となっては、駅伝の襷みたいな重みを感じる。彼女から託された使命を果たさなければいけない。

 それでも、僕は部室に向かっていった。


 ・・・


「私がぜんぜん見れていませんでしたから、本当にごめんなさい」

 瑠璃さんは深く頭を下げた。腰の角度は90度近くまで曲がっている、とてもきれいなお辞儀だった。

 みんなは慌てて彼女に落ち着いてと声を掛けた。このままでは謝罪を続ける人になりそうだ。

「ことりちゃん、本当にお昼を抜くことが増えていて。

私がもっと叱っておくべきでした。

あの子、私がいないとなにもできないのに......」

 それでいて、この部屋の寒さと何年に一度の猛暑である。強烈な寒暖差で倒れ込んでしまうのも無理はなかった。

 僕は仕方なく一番奥のパソコンに座った。そこにスマートフォンを接続して、全体のテストをやることにした。

 和也と絵里にはステージの開発を続けてもらおうと思っている。

 その後ろから、瑠璃さんが声を掛けた。

「あのう、椎名くん。ちょっと確認したいことが......。

ここじゃ何ですから、向こうに行きましょう。

デスクが広いですよ」

 文芸部の部室は、実際そんなことはなかった。3人掛けのデスクが2列並んだシンプルなもので、年季の入った扇風機が音を立てて回っていた。

 そこの一角に瑠璃さんが腰を下ろした。僕もその隣にある椅子に座った。

「もう10日後はイベントの開催日です。

もちろんその日は会場に居なければいけませんし、遅くてもその前の日にはゲームデータをアップロードしなければいけません。

作業日として考えることはせずに、予備として開けておきましょう」

 ......何が言いたいか分かりますか? 彼女の問いに、僕は首を横に振って返答に変えた。

 

 瑠璃さんはため息をついて教えてくれた。

「実質、作業ができる日はもう無いに等しいのですよ」

 それを聞いて、僕は驚いた表情を見せていた。進捗の管理なんて、だれもやっていなかったのだ。

「私が見る限り、あのふたりは作業に集中しすぎていますね。

つくるのに夢中になっているんですね」

 そういえば、和也はずっと同じ作業を続けている。弧を描く敵弾の調整が難しいと言っていた、小数点単位の確認が必要なのだ。

 対して絵里は順調に進めていた。プログラミングは部室で、イラストは家で作業をしている。

 作業の偏りが見えてしまっていた。

「あらかじめ確認しておけば良かったのですが。

みなさん家で作業は......」

 瑠璃さんの質問に僕は我に返った。

 そうだ、家でプログラミングができる環境はことり先輩だけだ。

 開発ツールは無料でダウンロード出来るとはいえ、皆パソコン室で作業をやるものという意識があっただろう。

 今まで開発を続けられたのが奇跡のようだし、夏休みの間さえあればゲームが完成すると信じ切っていた。みんなも同じ意見だと思う。

 たぶん、最初の企画段階の時点すら無理をしていただろう。

 開発期間の中でどれくらい進められるかは誰の目にも不透明だった。

 その唯一開発できる人材はすでに寝込んでいる。38度以上の熱が何日も続いているとのことだ、もう稼働は見込めないだろう。

 僕は身体を少し引いて、これからの展開について考えようとした。でもすぐに詰まってしまう。

 小説で言えば推敲の時期です。こういう例えをする彼女の説明に、何か言いたいかが分かってきた。

「......もうそろそろ開発を止めてテストをしなければなりません」

 僕は静かに頷いた。

 それでも、彼らの事が頭から離れなかった。

「ちょっと待ってください。

ふたりには、今やっているところだけでも作らせてほしいです。

その代わり、今週でできるところで終わりにしようと思う」

 少なくとも、和也は中途半端が嫌いだろう。今の作業を途中で投げ出すのは性格的にできないと思う。

 僕の言葉を聞いて、瑠璃さんは笑顔を見せた。

「あなたがそう言ってくれて嬉しいです。

実のところ、君が全体を俯瞰した意見を言えたから嬉しいのですよ」

 そう言えば、彼女に褒められたのははじめてだった。なんだか母親にいい子いい子されたような、不思議な感覚だった。

「時には構わず言ってしまった方が良いのかもしれません。

それが、椎名くんのリーダーとしての仕事です」

 リーダー。その言葉の響きに、僕は自分の責任の重さが身に染みていた。


 ・・・


 部室に戻っていくと、僕の耳に驚きの台詞が飛び込んできた。

「ちょっと相談なんだけど、やりこみ要素ってないかな。

すべての敵を倒しちゃった」

 やりこみ要素。

 それはゲームを遊ぶときにハマる要素のひとつだ。

 勇者のレベルを99まで上げる、スコアの最高点や最速タイムを目指す、モンスター図鑑をすべて集めるなど、作品を奥深くまで遊ぶための楽しみ。

 敵を倒しちゃった。その言葉は、もうこれ以上倒す相手がいない。つまりスコアも上がることはない。

 和也の放った一言は、なんて非情な台詞なのだろうか。

「例えばさあ、敵の位置とか変えられないだろうか。

そこが変わるだけでも、面白味がでると思うんだけど」

 確かに、彼のアイディアは一理ある。

 一般的なゲームソフトでも、敵の編隊がある程度の規則性を持って変化していたり、対象物を破壊すると登場する敵キャラがいたりする。敵が変化するからシューティングゲームは楽しいんだ。

 このゲームで実現はできないだろうか。

 敵キャラの位置は固定した値をテキストファイルに書いている。この中身を読み取るだけなので、そこから変化させるのは難しそうだった。

 僕は手元にある教科書を開いてみた。基本的にはこの本を鵜呑みにしてきたんだ、ここから発展させることは全く考えてこなかった。

 ことり先輩も言っていた。ただ書くだけじゃなくて、ここから応用させていかないといけないって。

 僕たちの様子を伺っていた絵里が声をかけてきた。

「この、敵の配置を書いているファイルに命令文を書けばいいんじゃないかなあ」

 たしかに、それしかない。3人みんなして頷いた。

 となれば、その処理が実現できるのかを考えるのは僕の仕事だろう。

 一番奥の席に座って、ちょっと考えてみよう。このアプリの仕様はことり先輩から一通り伺っていたが、実際にコードの中身を見るのは初めてだった。

 たしか、 <FileReader> というメソッドに書いた、と彼女は言っていた。

 ここに分岐の処理を書き足すことはできるだろう。テキストファイルの内容を一行ずつ読み込んで敵キャラを出現させているため、ここに"random"の命令文が含まれていればその位置を変更する、みたいな感じだ。

 でも、その処理はどれくらいの時間で完成させることができるだろうか。全体に影響しないだろうか、どの敵をランダムにするのか。考えると不安が襲ってくるような気分になってしまった。

 残された時間はあと少ししかないんだ。


 ・・・


 その日のお昼ご飯はなんとなく自分だけで食事に行ってきた。

 部室に戻ると、瑠璃さんがひとりで作業をしている。こちらに反応することもなく、キーボードをカタカタと打ち込んでいる。

 部屋の入り口でスリッパに履き替えていると、後ろから声を掛けられた。振り返って見た背丈は、まるで小学生のようだった。

「あのう、瑠璃先輩ってこちらですか」

 ああ、文芸部の後輩というところか。

 僕は彼女を部屋に招き入れて瑠璃さんを呼んだ。

「あの、先輩。

カラーボックスのことで相談が......」

 瑠璃さんは話を頷きながら聞いていると、僕の方に顔を向けてきた。


 よいしょっと。3人で少しずつ文芸部の部室にあるロッカーを少しだけ奥に詰めた。

「いや、ありがとうございます。

文芸部には男手がいませんので、助かりました」

 瑠璃さんはここでも頭を下げた。改めて見てもきれいなフォームだった。

 少しだけ広げたスペースにカラーボックスを置くのだという。

 彼女はロッカーから巻き尺を取り出すと、空いたスペースを測りだした。そして机の上に置かれている付箋に手早くメモしていく。

「これで探してみてください」

 付箋を受け取った後輩は手帳に挟み込んでいた。

 瑠璃さんは巻き尺のボタンを押している。目の前でシュルシュルと戻っていく様を見て、僕は閃いた。


 スコアを維持したまま、ステージを巻き戻せばいい。


 すべての要望を実現できる必要はない。難しければ、代替案を提案してみるんだ。

 ことり先輩とオセロで向き合ったときのことを思い出していた。先輩たちに助けられた瞬間だった。

 僕は思わず瑠璃さんの手を握り締めて感謝を告げた。

「ありがとうございます!

先輩たちのおかげです」

「ひゃ! えっと、急に手を握らないでください......」

 瑠璃さんの顔は驚きで真っ赤になっている。でも、僕は夢中になっていたから、彼女の様子に気づくこともなく部室に戻っていった。


 ・・・


 部室に戻ってきた僕は、ルーズリーフの束を抱えて和也と絵里に声を掛けた。みんなして部屋の中央にある丸いテーブルに集まる。

 ステージを戻すというアイディアに、ふたりも納得してくれた。

「なるほど、ステージを戻すのは考えなかったね」

「無限に終わらないってやつ? 楽しそう」

 いや、終わらせることはできる。

 僕は今考えていることを説明していった。

 次に作る、ステージ16で最後の締めとする。そこに1体だけいる<とある敵>を倒せないと、ステージが巻き戻る。ストーリー的には、宇宙空間に場面が変わるステージ7辺りが妥当だろう。

「このステージの敵の配置はメモしたかな」

「考えているけどまだ書いてない」

 よし、次の活動までに書いて来てくれたら大丈夫だ。

「ここのボスを、いちばん最後に予定しているやつにして」

「あれだろ、レーザー攻撃と分離機能と弾をたくさんばら撒く。

絶対にクリアさせないと俺が意気込んだやつ」

 和也は楽しそうに答えてくれた。

 彼が好きな作品に出てくる巨大兵器を参考にしたもので、ボスの機体そのものが太いレーザーの発射装置になっているという。分離する子機も攻撃をするため、そちらから倒していかないと敵の弾が弱体化されていかない。とてもお気に入りのアイディアらしく、絶対に最後はこれにするんだと気合入れて説明していた。

 そう、そのボスを期待しているんだ。

 背景とボスのイラストはもう出来上がっていて、これ以上新規に作業することはないだろう。そのため、絵里には別の作業を指示することにした。

「とある敵のアイディアで良いから出してほしい」

 こういうときは、ゲームにより詳しくない人の方が素晴らしい案を出す可能性がある。彼女の感性に期待したい。

「......そんなん急に言われても」

 絵里はその場で考えだした。別に家で作業しても構わないのだが。

 やがて、彼女の口から少しずつ言葉が漏れてきた。

「きゅ......」

 きゅ? 僕と和也は彼女の顔を見る。

「きゅうひゃく、きゅうじゅうきゅうまん......、きゅうせんきゅうひゃく、きゅうじゅうきゅう点!」

 一瞬の間が開いて、みんなして笑い合った。

 なるほど、9,999,999点のスコアが手に入るわけだ。

 倒すのが難しいがスコアは莫大だ。また、この敵を倒すことができなくてもこのスコアを上回ればいずれはゲームがクリアできる。

 ルーズリーフに Boss Roopback、スコア9,999,999点と書いた。やはり彼女に任せて良かった。

 そして、僕は最後に頭を下げようとした。だけども和也に止められた。

「自分がした提案の話だろ。

気にしなくてよいさ、その代わり新しい話題を持ってきてくれて嬉しいな」

 そっか、ありがとう。

 活動は新天地を目指して進んでいった。

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