24
さあ、いい加減帰らなければいけない。
まだ3時を過ぎたところだけど、台風のことを考えるともう限度だろう。
ことり先輩はパソコンをシャットダウンしながらスマートフォンとUSBメモリを抜いているところだった。その後ろ姿を見ながら僕は声を掛けた。
「先生に挨拶してきます。
片付けを済ませて待っていてください」
実のところ、台風の中彼女を一人で帰すのは危ない気がしていた。それが、僕が帰らなかった理由でもある。
校舎の外に出たら、すでに雨脚が強くなっていた。お互いに少し早足になって無言で歩く。
下校する前にスマートフォンでチェックした、電車の運行状況は何も情報は表示されていない。それは安全なのだろうか。遅れているのに情報が届いていないのだろうか。
赤に点灯した信号機に足を止められて、一抹の不安がさらに押し広げられた。
「......しい君って本当にお盆どこも行かなかったの」
「本当ですよ。
だからずっと学校来たくて、退屈していたんです」
お互いに無言でいるのは辛いだろう。ただの中身のない話題でも退屈しないで緊張がほぐれていく。
「私もだよ。
でも、ずっと君のことを考えてた」
どきどきするような言葉が耳に届いた。それはどういうことだろうか、他意はないと思うけれど。
「さっきの話じゃないけどさ。
君は吸収力が高いっていうのかなあ。
喫茶店で教えたのもすぐに覚えて、たまに私の思っている以上のアイディアを出すでしょ。
今はこうして教える立場になっているじゃん」
そうだろうか。自分ではまったく気づいていなかった。
「君は気づいていないかもしれないけれどさ。
みんなを支える力があるんだよ、本当だよ」
そんなことはないと思う。教室の中では大人しくしているし、何よりリーダーシップなら和也の方がある気する。
僕は隣に立つ人物の方を見た。レインコートに傘を差しているから、彼女の表情がよく分からない。
僕はいつだってことり先輩の後ろを歩いているつもりだ。教えてもらう立場であって、夢を掴めるように支えるのが僕の役割だと思う。
でも、夏が終わった後のことは何も考えていなかった。
大会で優勝できたなら、部活も終わってしまう。みんなが居なくなること、彼女と離れることが惜しいと思っている。
それは、いびつな寂しさだった。
この気持ちをなにに例えようか。
恋なのかもしれない、でもそうやって呼ぶのは何か違う気もするんだ......。
・・・
ここで、事件が起きた。
駅に着いて、まずは電光掲示板を確認した。まだ電車は動いているようで、そっと胸をなでおろす。
一緒に改札を抜ければ今日のところは安心だろう。
そう考えていると、ことり先輩がちょっと待ってと呼び止めた。必死な表情でレインコートのポケットに手を入れている。
「......ない」
ないって何が。定期券でも落としたのだろうか。
「......メモリ落としたかもしれないの」
えっ! 僕は思わず声が出た。
「どこに入れていたのです?」
「ポッケの中だよ」
どうしてそんなところに入れたのだろうか。そういえば、僕は彼女がメモリを仕舞うところを見ていない。
「うっかりしてたわ」
彼女は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
そして、背負っていたリュックサックを下ろして中身を確認しはじめた。
彼女の荷物を見るのも申し訳なかったので、ちょっとだけ目を反らした。
その間に、自分もポケットとかを探してみる。今日はメモリすら使っていなかったから、ないのは当然だった。
ちなみに、運営側から借りているスマートフォンは無事見つかった。彼女はそれを僕の方に差し出した。
「......君が持っている方がいい気がしたから預ける」
ことり先輩は真剣な表情だ。なんでですか、という質問もはばかれる気がして無言で受け取った。
USBメモリは今としては安価なアイテムだ。僕も持っているし、それで代替することも可能ではあるけれど。でも、そういう非情なことを口にできる人はいない思う。
部活で使っている必需品なのだ。それがなくなったのだから、そこそこのダメージがある。何より、ことり先輩が大切にしている大事なものだ。
みんなを支える力があると言ってくれた人のために、ここで力を発揮しないといけない。だから、僕はある一つの提案をした。
「探そう、学校まで戻ろうよ」
彼女も頷いてくれた。
電車が遅延している、という構内放送は耳から入ってすぐに抜けていった。
風はさらに強くなっていた。雨は斜めに降り、僕たちの足元を容赦なく濡らしていく。
視線を落としながら学校まで歩いていく。でも、落ちた拍子でどこかに飛んでいってしまった可能性もあるわけだ。道路脇の植え込みに手を入れなきゃいけないことだってあり得る。
捜索する範囲は、どこまで広いのだろうか。
かといって、途方に暮れるわけにもいかない。絶対に見つけるんだ、その意識が自然と歩を進めている。
「......私が悪いんだ」
横を歩く、ことり先輩の声だった。
雨音の中でも、不思議としっかり僕の耳に届く。それは、彼女の責任がより強く表れているのかもしれない。
「大丈夫、絶対に見つけましょう」
僕は彼女の方を見ないで返事をした。途方もない話なのはわかっている、でも見つけるという意識こそが希望の灯だった。どこか遠くでUSBメモリが待っている。
「......そういえば、どこまで覚えてます」
状況を整理しよう。少しでも手あたりが欲しいから、探しながらことり先輩に聞いてみた。
......。彼女から何も返事がなかった。
「先輩?」
仕方なく、彼女の顔を覗き込みながら質問をする。たぶん、いつもの集中力を発揮しているのだろうか。
「......あ、ごめんなさい」
「どこまで覚えているか、教えてもらって良いですか。
確実な情報が欲しいです」
彼女は足を止めて悩みだした。そのまま考えだしそうだったので、ゆっくりでいいからと質問に付け足した。
「うーん。
パソコンを落とした時に、抜いたのは覚えてる。
いつも、そうやって......スマホと一緒に抜いているから」
なるほど、だとしたら学校の敷地から駅の間という訳か。学校に置き忘れた可能性を狙ったけれど駄目だった。絞り込みがあまり意味を成さなくて残念だ。
それにしても、彼女の返答が薄いような気がした。
うっすらと別の不安を抱かずにはいられなかった。
......大丈夫だろうか。
・・・
とりあえず、学校の校門まで戻ってみた。
ここまで見つけられない訳だ。また駅に行くことも必要だし、学校の捜索はまだ始めてもいない。かなりの困難を極めそうだった。
「仕方ないから、手分けして探しませんか。
学校と、駅までの間です」
「そうだね」
ことり先輩は頷いて答えた。そして、何を思ったのか傘を閉じてしまった。
台風の風が彼女の髪を、レインコートを揺らしている。
その真剣な目つきは決意の表れだろう。傘を僕に差し出しながら、しっかりと語りかけてくれた。
「......本当に今日はごめんなさい。
私が悪いんだから、駅までの道を細かく見てみるよ。
傘は邪魔だから、君に預けるんだ」
僕はうなづいた。
彼女の傘をバトンの様に受け取った。気持ちをひとつに合わせて、僕は校舎に戻っていった。
......実のところは、ことり先輩だけが悪い訳じゃないんだ。
僕が先生に挨拶すると声を掛けたタイミング。
彼女は軽く返事をしていたけれど、一時的に自分の方に意識が向いていただろう。あの時丁度USBメモリを抜いて仕舞っていたとしたら。
一番大事なシーンなのに、注意力散漫にさせたのだ。
責任なら僕にも十分ある。だから、絶対に見つけなければいけないんだ。
部室を細かく見てみても、何も見つけることができなかった。
仕方なく部屋を後にする。そして、校舎を出て校門までを探そう。
あたりはすでに暗くなっている。雨は少し止んでいるようだった。たぶん、一時的なんだろうけど少しだけ気が安らいだ。
この時を狙って見つけるしかなかった。僕も傘を差さないことにして、探し始めた。目視だけではなかなか見つけられない。そこで、スマートフォンのライトを付けてみた。
すると、足元にきらめくものがあった。
探していたUSBメモリだった。花壇の脇に落ちていて、まるで咲いている花のようでくすりと笑ってしまう。ピンク色のデザインが功を奏した瞬間だった。
僕は拾い上げた小さな花を、しっかりと自分の鞄に入れた。
急いでことり先輩に電話を掛けた。その瞬間、強い雨が降ってきた。
・・・
待ち合わせ場所に彼女が指定してきたのは、駅までの通路にある雑貨屋だった。
駅に行くのが一番安全で目立つ場所だと思うけれど、たぶん彼女の居る場所に近くてなおかつ雨宿りできるところを指定したのだろう。僕はその場所まで小走りに向かっていった。
なんだか一抹の不安が胸を突き刺している。今日の彼女にはなんだか不安定な印象を抱いていたからだ。タイピングの様子から、返事の少なさから、何かがおかしい......。
待ち合わせ場所に行ってみると、彼女は雑貨屋の扉に倒れ掛かるように腰を下ろしていた。脚は投げやりに伸ばしている。
僕は彼女の姿を見て急いで駆け寄る。どうしたんですか、と慌てて声を掛けた。
「ふふっ、安心したら腰が抜けちゃった」
ことり先輩は微笑を見せてくれる。だけども、その痛々しい姿からは僕は笑うことが出来なかった。
「ああー。
ママから借りたコートが駄目になっちゃったなあ」
彼女は小さくつぶやいた。その姿はレインコートだけではなく、頬や腕までも所々汚れてしまっているのだ。必死に探していたのが良く伝わった。
僕はことり先輩の手を引いて立ち上がらせた。彼女は力なく立ち上がる、その顔つきはなんだか苦しそうだった。
いつからなんだろうか。まったく気づくことができなくて、自分を責めたくなってしまう。
そして、今までの不安が確信に変わるのだった。ちょっとすみませんと断って、彼女のおでこに手を当ててみる。明らかに熱かった。
熱があるんだ。
みんなのために、チームのために頑張ってくれたんだ。申し訳ないという気持ちで一杯だった。
「......ちゃんと、ゲームできるかなあ」
苦しみながらも、はにかんで笑った。その表情は痛いくらいに切なくて。
ことり先輩はもう立っていられなかった......。
脚がもつれてよろけてしまう。その時、スカートのポケットから彼女のスマートフォンが零れ落ちた。
家族に来てもらおうと提案して、彼女の自宅に電話をかけてみる。でも、コールの向こう側はなかなか出てくれなかった。
「君が一緒にいてくれて良かった......」
彼女はその場に倒れてしまった。
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