21

 瑠璃さんがくすくすと笑いながら僕たちの対決を見つめている。

 ペットボトルのお茶だけでは喉を潤すのには物足りないしお菓子も食べたいと、誰かが言った。それ故に買い出し係を決めるということになった。

 決める方法は伝統的な技、じゃんけん大会が開催されることになった。参加者は後輩たる一年生、和也と絵里、そして僕だ。

「いくよ! じゃんけん......」

 その結果は果たして......。


 ・・・


 午後の照り付ける日差し。

 それを我慢しながらお菓子の買い出しから戻ってくると、静かな校舎の中に声が響いてきた。

「......まったく、あなたって人は」

「ママはちょっと黙っててよ」

 こういうときは、無視しておけばよいと思う。だけどもその声には聞き覚えがあったので、ついそちらの方を向いてしまった。

 ことり先輩だった。隣にいるのは彼女の母親だろう、今日は三者面談があると言っていた。

 少しレースがついているカットソーにロングスカートという姿で、腕には日傘をかけている。

 セミロングの髪と鼻筋の立った姿は、年齢をいくつか感じさせない雰囲気があった。遠目から見ていても良く似ているのが分かる。

 自分の視線に気づいたのだろう、ふたりともこちらの方を向いてきた。

 すると、ことり先輩は驚いた顔を見せてその場からすぐに離れてしまう。

「......ちょっとお手洗いだよ」

 取り残された母親は、まだこちらを見ている。その細い目から注がれる視線に、僕はその場から動けなくなった。

「ちょっと、そこの君」

 呼び掛けられてしまった。音量はそこまで高くないのだが、静かな声でも良く響く印象だ。僕は反射的に、はいっと声を上げてその場で背筋を伸ばした。

「......もしかして、ことりと一緒に活動しているグループの子かしら」

「はい。

えっと、いつも......ことりさんには、お世話になっています」


 僕はしどろもどろになりながら、慌てて頭を下げる。

 緊張しなくて良いのよ、母親はそう言ってくれるも僕はまだ糸が解けない。なぜかその場で会話をするようになってしまった。


 いつの間にかトークの主導権を握られている。親子揃って得意なんだろうな、そんな印象だった。

「暑いのに頑張ってるわねえ」

「いえいえ、部屋の中は寒いくらいですから」

 まったく、風邪引いちゃだめよ。、鋭い視線からは感じられない優しい台詞で心配してくれた。

 そして話題は娘の話になる。

「ことりはいつも、どんな感じかしら」

「うーん。色々教えてもらっています。

毎日が楽しいですよ」

 僕は素直な気持ちを言葉にしてみた。でも、ことり先輩の母親は不思議な表情を見せて答えてくれた。

「あの子が?」

 ふうんと小さな言葉を漏らす。母親なんだから、娘の様子は分かるのではないのだろうか。僕は意味がよく分からず、続きの言葉を待った。

「あの子、そんな活発な雰囲気はしないのに......。

家ではいつもパソコンに向かっているのよ」

 そりゃ眼鏡の度数も強くするわ、と愚痴をこぼしている。

「まあ、小さい頃から静かな子どもだったから。

ちゃんと学校には行っていたけど、あまり会話しないで帰って来ることも多かったわ」

 それは意外な話を聞いた。

 小学生の頃は日々ゲーム機で遊び、おさがりのパソコンを使っていたそうだ。

 ......もしかしたら、何かあったのじゃないだろうか。

「特に成績が悪いわけじゃないんだけどね。

私としては心配なのよ、つい勉強の話をしちゃう。

もう高校生だから、止めた方が良いのは分かってるんだけど」

 それは分かるような気がした。

 ここは情報系に特化した高校ではないから、余計に気になるだろう。プログラミングをしているのは少なくとも僕たちだけなのだから。

 もしかして、いつもの明るい性格というのはなにか無理をしているのだろうか。僕はどこに向ければいいのかわからない心配を抱いてしまった。

 悲し気なことり先輩の後姿が脳裏に表れた。

 それでも、僕の感情の中には明るいきらめきが生まれた。そうだ、彼女の瞳の光だ。

 日々話しているときも、教えてくれるときも楽しそうに輝いている。

 その感情は、教師役を務めることで生まれてきたものだとしたら......。日々の授業にはこんな意味もあったのかもしれない。

 僕は、知らず知らずのうちに言葉が生まれていた。母親の目を見てはっきりと告げる。

 「いつも、ことりさんには楽しませてもらっています。

それは、自分の知らない世界を見せてくれました」

 授業を通じて、自分自身の感情も豊かになってくんだ......。

「どんな出会いがあるかも大事ですけど。

何に興味を持つか、自分で進めていけるかが大事なんじゃないでしょうか」

 チームを思い出していた。今頃はさらに多くのステージが完成していることだろう。

 それは、ことり先輩だけが作ったわけじゃない。彼女の教えを聞いたみんなが自主的に進んで作った形なのだ。

 話を聞いていた母親が一言添えた。

「そういえば、あの子最近は楽しそうなのよ。

まるで、遠足に行く前の小学生みたい」

 彼女は薄いながらも形のよい微笑みを浮かべていた。


 母親は戻ってきたことり先輩と軽い挨拶をして帰っていった。

「......じゃあ先にパソコン室に戻りますね」

 僕はことり先輩に声をかけた。

 歩こうとする僕の手に、冷たいものが押し付けられた。缶入りのオレンジジュースだった。

「......ママと少し話してたんでしょ。

あの人、すぐに色んな人と話したがるから」

 迷惑かけたわね、そう言うことり先輩は少しそっぽを向いていた。そして、小さな声で告げる。

 ......私のこと、なんて言っていたかしら。

 

 ・・・


 私は家に帰る母親を見送ってからパソコン室に戻るところだった。


 ちょうど階段を登ってきたクラスメイトが目に入った。

 以前私のスマートフォンを取り上げて、赤ずきんのアプリを軽くあしらった男子生徒だ。

 私はもうそのことを特別気にしてはいない。彼の母親も一緒にいるみたいだから私は会釈をしてその場を離れようと思った。

 だけども、私に気付いた彼は自分に向けて手を振るとその場で話しはじめた。

「やあ、有坂。

三者面談はどうだったかな」

「別にどうってことはないわよ」

 私は小さくため息をしながら答える。なんてデリカシーの無い人なのだろうか。

 別に、それが私たちの空気感みたいなものだけど。

「じゃあ、私用事があるから行くわ。先生と色んな話をすることね」

 私は一方的に話を終わらせて立ち去ろうとした。でも、彼の言葉は私を掴んで離さない。

「そっか。

君は色々頑張っているんだねえ」

「......何よ急に」

「いや、君が色んなことをやっているのは知っているさ」

 私はつい、足を止めて彼の方に顔を向けてしまった。何の意味があって私に語りかけるのかよくわからない。

 だけども、私はその猫なで声にいつの間にか耳を傾けてしまった。

「君は色々頑張っているよ。

でもさ、自己満足だったら嫌だな。周りが君のために頑張っているだけじゃないかな」

 ......どういうことだろう? 私は歩くことを忘れて、その場に立ち尽くしてしまった。

 彼は何も気にすることもせずに歩いて行った。

 その物言いは、小学生のクラスメイトだった男子を思い出させる......。

 いつの間にか、私の心は彼の言葉によって鷲掴みにされていた。

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