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 開いている窓からは蒸し暑い風が流れてくる。

 ため息をついた理由はそれでも、ましてや先ほど返却されたテストの点数でもない。

 教室の休み時間では、歴史の授業が眠くて仕方がなかったという声が流れている。その声の主は和也と数名のクラスメイトで、説明の仕方が悪いとかどうのこうと好きに雑談をしているようだった。

 僕はその喧騒の中で、ひとりスマートフォンの画面をおぼろげに眺めていた。

「なんだか暇そうだな」

 和也に声を掛けられた。いつの間にか僕のところへ向けて歩いてきていて、話しかけてくれたのだ。

 僕は慌てて画面を消灯する。

「そんなに慌てんなってー。ちらっと見た限りはチャットの画面かな?

もしかしてお前......」

 ......彼女でもいるんじゃない。などと茶化してくる。っていうか、しっかり画面を見ているじゃないか。

 ところで、と僕は話題を変えた。

「ゲームってどうやって作るんだろう」

「ゲーム?」

 彼は少し首をかしげた。

「そりゃあ、専用のソフトとかじゃないのかな。

ほら、ゲーム機で作るためのソフトがあったじゃん。あれの会社で使う、高性能みたいなのがあるんじゃない。

ゲームを作る体験会とかあったらやってみたいけどな」

 彼は興味ありげに答えてくれた。

 つまりは、ゲームを作るためのゲームソフトのことだ。

 村人のキャラクターと会話する、エンカウントした敵と戦う、みたいなイベントを作っていくことで、ゲームを作成することができる。データをセーブすることで他のユーザーも遊ぶことができるという仕組みになっている。

 たしかに、その可能性もあるだろう。それでも......。

「いや、プログラムとかあるんじゃないかなあ」

 僕の頭の中には先日見せてもらったものがある。あの赤ずきんが走っていく先に、プログラムという暗号を解読していくヒントがあるように思うんだ。

 実のところは、僕は有坂先輩に返す言葉を見つけられていない。あの人は今でも返事を待っているのだろうか。パソコン室に行けば会えるのだろうか。

 そう思っていると、教室に向かってくる足音が聞こえてきた。


 ・・・


「ことりちゃん、教科書ありがとうね」

 休み時間、私は声を掛けられた。

 隣に座っている女子生徒、瑠璃るりは私の親友だ。彼女は私に教科書を渡しながら立ち上がって教室を出て行った。

 話す相手が居なくなった私は手持ち無沙汰になった。仕方なくスマートフォンを立ち上げて先日インストールしたアプリを立ち上げた。

 キャラクターがボタンのタップに合わせて歩いている。正確にはただ単の白い背景をバックに歩いているアニメーションをしているだけなのだが、この赤ずきんは私が作った大切な作品なのだから。

 これだけじゃなくて、とあの子は言ってくれた。この後どういう風になるんですかって質問してくれた。その表情に期待が込められているのは嬉しいんだけど、どうやって返信すればいいか困っている。

 作りたい世界はあるのに、私が見つけたくても見つけらないもの......。

「有坂がスマホ見てるなんて珍しいな」

 私は声を掛けられて振り返った。そこには面白い笑みを浮かべているクラスメイトの男子生徒がいた。彼はクラスの中心人物で友人も多く、いつも周りには笑顔が絶えない雰囲気がしている。

 あまり自分とは接点がなかったと思うけど何の用だろうか。話しかけてくるのは珍しかった。

「今、なにか面白いアプリをやってたんじゃないかなって思ってさ」

「そんなことないわよ」

 私は努めて穏やかに答えることにした。特に会話もないだろうと思いながら机の上にスマートフォンを置くと、彼がすぐ取り上げてしまった。なんてデリカシーの無い人なのだろうか。

 仕方なく、自分が作った赤ずきんだよと説明する。彼は面白そうに操作しているようだったが、やがて表情を曇らせる。彼の興味はペットボトルの底に放置された味気の無い炭酸飲料のように、一気に抜けてしまったようだ。

「......これだけ?」

 彼の発言に、クラス中の目線がこちらに向いた。

「......これだけって何よ?」

「いや、お前が何かやっているのは知っているけどさ、なんていうか......」

 ......これしかできないの? その言葉は、私の心に大きな棘を刺すようだった。

 思わず立ち上がった私は、彼の顔に目線を合わせた。

 そのままお互いに何も言わない。一触即発の状況に、教室に居る皆の注目がこちらに集まった。

「怒ることないだろう、お前が作っているものが興味あるだけで。

立派なゲームだと期待するじゃないか」

 彼はしどろもどろになりながらこう言った。クラス中の雰囲気は面白いことがはじまったと野次馬のようになっている。

 その空気をひとつの声が沈めた。

「やめなさい!」

 教室から出て行った瑠璃がちょうど戻ってきていたところだった。

「先ほどから声が響いていましたよ。

詳しくお話を聞かなくても、だいたいの想像がつきます。

ことりちゃんが作っているものを、けなすとは何事なのでしょうか」

 瑠璃が本気で怒る声が教室の中に響く。彼女の低く怒る声の前には誰も声を上げられない。彼は観念したのか、私に謝ってきた。

「な、有坂悪かったって......」

 その声に耳を傾けることはせずに、私は走って教室を出て行った。あの子に、今会いたいんだ。少し涙が浮かんでいたのは気づかなかった。


 ・・・


 僕の教室に向かってきた足音はドアの前で止まった。

 誰かが肩で息をしながらこちらの様子を伺っている。同じ学年の生徒が来たわけではないから、皆の注目を集めてしまっている。

「椎名くん居ますか?」

 彼女の問いに僕は思わず立ち上がった。

 驚かないわけはない。ずっと返信をしようとしていた、有坂先輩が自分を訪ねてきたのだから。

 有坂先輩の前に向かって行くと、彼女は僕の手を取って歩き出した。そのまま訳も分からず人手のないところまで連れていかれてしまう。

「......先輩、どうしたんですか?」

 彼女が歩みを止めたところで、僕はやっと声を掛けることができた。その表情にはうっすら涙が浮かんでいるのがわかった。

「君がこないだ言ってくれたじゃん、赤ずきんがどうなるのかって。

私、ずっとそのことを考えていたんだ」

 たしかに、そんなことがあった。僕は声を出さずにうなずく。

「......でもね、私には答えが見つけらなかった。

何を作ればいいか、何も思いつかなかったんだよ」

「そうなんですね」

 彼女は少し自嘲するように笑った。そっか、彼女はアプリを作り上げるアイディアが出ないのだろう。これができるだけでもすごいというのに、少し残念な気がした。

「"手軽なものでも、手を掛けたら美味しくなる"っていうじゃないですか。

これから色々考えていきたいですね」

 僕は有坂先輩が落ち着くであろう言葉をかけた。彼女は瞳を希望の色に染めて、自分の願いを語ってくれた。

「私、いつかゲームを作ってみたいんだ。

そのために色々プログラムを書いているの」

「そうなんですね、応援していますよ」

 僕もつい笑顔になって答えた、彼女の叶えたい願いを僕も見てみたい。

 でも、ゲームってどう作れば良いのだろうか。

「そりゃあ、主人公が居てレベルアップしてっていうのはイメージつくだろうけど。

私もアイディアが湧かないのよ」

 それは意外な答えが返ってきた。

 本とかウェブサイトとかに情報が載ってそうな気がするのだが。

「いつか見つけられればいいな、って思ってる。

それをさ、......君と見つけてみたいんだ」

 彼女は瞳を真っ直ぐに向けてきた。きらめいた瞳に、少し心を掴まれそうになる。

「その前にさ。

ゲーム以前の問題だけど、アプリを作るにはプログラムを書かなきゃいけないよ。

プログラミングについての知識なら教えられるから、少しずつ君を育てていくことはできると思うんだよ」

 ことり先生が教えてあげるのです! 自信に満ち溢れていたその表情に、僕はつい笑ってしまった。

 楽しそうな課外授業が始まろうとしていた。

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