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 放課後のパソコン室にて。

 僕の前に立つ人物はこちらに手を広げたまま、じっと待っていた。

 名前を有坂ことりといった。

 彼女の表情はニコニコと元気いっぱいという雰囲気が映し出されている。

 眼鏡を掛けている姿から大人しい人だと思ったのだが、その意識はまるで太陽の光に照らされて消えてなくなってしまった。

 リボンで結われている髪は少しだけ茶色に見えている。染めているのか自然なものなのか分からない。

 少し視線を下におろすと、制服を見て取れる。

 紺色のブレザーとグレーのスカートの着こなしは完全に校則の範囲内だ。素足の膝上が見えているのは、たぶん彼女のスマートな体格のせいだろうか。

 あまり見ているわけにはいかない。

 そして、赤いリボンが付けられているのに気付いた。自分の学年とはちがうカラーが、僕たちの関係性を理解させてくれる。

 「あ、二年生の方でしたか。

 先輩にあたるわけですね」

 「そうだね、私の方がひとつお姉ちゃんなわけだよ!」

 大人びた顔つきがして真面目な印象を抱いたのに。このように笑顔を見せると同い年くらいか、もしくは年下の感じがしてしまう。

 不思議な女子生徒だった。

 

 有坂先輩のノートパソコンには、童話の世界そのものの赤ずきんがデフォルメされた姿で映し出されている。

「これを作ったんですか?」

 僕は画面を見ながら、瞬きしている。

 傍らに立っている彼女は、そうよ、とさも自然な風に自信ありげに答えた。

 僕が画面を見つめていると、彼女はこちらに近づいて僕の真横に立った。

 まるで頬が触れそうな距離に、緊張の二文字が辺りを包んだ。僕は思わず彼女の横顔を見てしまう。

「今作ったものをスマホにインストールするね」

 彼女は僕の緊張に気づくこともなく、パソコンと彼女のものであろうスマートフォンをケーブルで接続し始めた。そして慣れた手つきでノートパソコンにて何らかの作業をしている。

 僕は何のことだかまったく分からず、その場でマウスを操作している彼女の指先を見つめてしまった。

 よいっしょと。彼女はスマートフォンを抜いた。そして画面を僕に見せてくる。

 そこには先ほどの赤ずきんが映し出されていたのだった。

「ほら、見てみなさい......」

 有坂先輩はスマートフォンを指でつついている。画面の中では、白い背景の中心くらいの場所に赤ずきんが描かれていて、下部には"左"・"正面"・"右"と書かれた3つのボタンが置かれている。

 僕もついその場で小さな感嘆のため息をついた。

「君も遊んでみる?」

え? いいのだろうか。


 僕は緊張を隠せず、恐る恐る指を伸ばした。

 異性が近くにいるというのに、ましてや彼女のものに触れるなんて......。

 やっとのことで画面に触れると、タップしたボタンの方向に赤ずきんが向いて、歩くアニメーションをしている。

「......どうやって作っているんですか」

 緊張を解きほぐすように質問を考えてみた。

 でも、思考回路があまり働かなかったので口の方が先に出てしまい、なぜか作り方を聞いてしまった。

「......やっぱり君も興味あるんだね。

どんなコードを書いたかって話を聞きたいんだよね、そうだよね」

 なぜか、彼女は身を乗り出して少し声を上げながら彼女は答えた。

 どういうわけかスマートフォン用アプリの作り方という話題になった。そういう展開に曲がっていくとは思わなかったので、僕は自然と驚いた顔を見せる。

 ......いやいや。それは話がだいぶ飛躍している。その気持ちを察したのか察していないのか、少し具体的に説明をしてくれた。

「パソコンでプログラミングをするんだよ。

パソコンの中でも動かせるけど、やっぱり実際のスマートフォンを使わないとだねえ」

 なるほど。

 パソコンの画面には見知らぬソフトだろうか、まさしく暗号という表現がぴったりの文字が並んでいる。また、パソコンとスマートフォンを接続することで作成したアプリが端末にインストールされて遊ぶことができるのだという。

「これが<ソースコード>。アプリの処理を司る命令の文だよ」

 彼女は少し落ち着いた様子になって語ってくれた。

「私がコードを書いた。つまりこのアプリを作った。

詳細に話すと長くなるよ、もしくは君がどこまで知っているかどうかで変わるけど」

 ああ、たしかに。全く理解できる話じゃなさそうだ。

 もしかしたら、暗号の世界に足を踏み入れるかもしれない。

 

 ・・・

 

 彼女は少し冷静になって語ってくれた。

「......でもさ、教えてあげてもいいよ。

君が興味あるならね」

 え? 僕は最初、何を言われたのか分からなかった。

 有坂先輩の顔を思わずまじまじと見てしまった。

「だから、ことりちゃんが教えてあげようと思うのですよ」

 彼女は手を腰に当てて、少し身体を反らした。その自慢に溢れる気持ちがこちらにも伝わってきた。

「そんな、悪いですって」

 僕は慌てて顔の前で手を振った。

「えー、またまたぁ。興味あるんでしょう?

<アスリート娘>のゲームとかやっていないの、今日ニュースあったんでしょ」

 たしかに遊んでいる。でも、作ってみたいと思ったことはなかった。

 僕の脳裏に赤ずきんが歩く姿が浮かんできた。今彼女が見せてくれたものに、素直に感動したのだ。

 もしかしたら、興味が芽生えているのかもしれない......。

 これからの期待を込めて有坂先輩に質問してみる。

「こんなアプリが作れるなんて、先輩はすごいですね!

この子って他にはどんなことするんですか?

飛び跳ねてみたり、キャラクターが登場するとか」

「それわね......」

 それきり、彼女は言葉を詰まらせてしまった。

 その表情を見ると、塩を掛けられた青菜のように少しうなだれている。

「......私にも分からないのよ」

 分からない。

 たしかに彼女は言った。こんなにすごいものを作れるのに、どういうことなのだろうか。

 

 その時、チャイムのメロディーが響いた。

「あ、下校時間だ」

 有坂先輩はそう呟くと、パソコンの片づけを始めた。ノートパソコンをリュックサックに入れながら、こちらに声をかけた。

「ほら、君も帰る準備しないと怒られるわよ」

 そのまま成り行きで一緒にパソコン室を出ることになってしまった。


 ・・・


 校舎の中をふたりで歩いている。

 そのまま校舎の入り口で別れても良かったけれど、なんだか自然と有坂先輩が出てくるのを待つことにした。でも、出会ったばかりのふたりには会話が見つからず、何も話すことはなかった。

 夕方の少し暗い空の下、静かな空気が僕たちを包んでいる。

 今日は不思議な日だった。

 ゲームの更新情報なんて霞むくらいの、小さいけれど大きな話題。赤ずきんがおとぎ話さながら異世界への入り口を見せてくれたような感覚だった。

 その案内人が隣を歩いている。

 有坂先輩は校門のところで足を止めると、こちらにスマートフォンを向けてきた。カバーが開いていて、画面が点灯している。

「せっかくだからさ、チャットのアカウント教えてよ」

 僕は最初、何を言われたのか分からなかった。

 でも悪い気はしなかった。

「じゃあね、返事聞かせてね」

 彼女はこう言って、歩いていった。


 ・・・


 帰宅した僕は、チャットの画面を見つめていた。

 そこには"ことり"と書かれている有坂先輩のアカウントが表示されている。

 とても嬉しいというべきか、だけども壁を感じるような。

 いつでも返事を待っているよ、そういう言葉の通り捉えても良いけれど。あれは話の流れで提案をしただけなのかもしれない。

 そうだ。

 まずはふたりに相談してみよう。

 和也と絵里とのグループチャットを開いて、文章を打ち込んでいった。

 ここまで打った僕は、ふと手を止めた。彼らに話す必要はあるのだろうか。

 僕が聞いた話だ、ふたりは関係ないだろう。

 そう考えた僕は入力した文字を消していった。

 なんて答えればいいんだろう......。不思議な雰囲気のする有坂先輩に対する言葉を見つけられなかった。

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