第1章 赤ずきんに誘われて
1
世の中にはたくさんのゲームがあふれている。
スマートフォンやテレビに映し出されるゲームの画面。僕たちの瞳はドキドキとワクワクに導かれて、その世界に飛び込むような感覚を掴むのだ。
誰かがそんなことを言っていたような、言っていないような。
そんなことを考えながら、僕、
いつも歩く街並みはだいぶ馴染んだものになっていて、学校生活にも慣れてきたような気がしている。
「おはよう」
その声に僕は振り返った。声をかけてくれたのはクラスメイトの
「おはよう」
僕はお決まりのように返事を返す。
隣を歩く彼は、欠伸を噛み殺しながら言った。
「それにしてもさあ、朝もチャットしたのにさ。
こうやって、あいさつするなんて変な感じがするなあ」
なるほど。ちょっと理解するような自分がいた。
「そうかなあ。
なんか、声が聞けて良いんじゃないかな」
僕は適当に返答してみせた。毎日学校で顔を合わせるのだから、声を掛け合わなくてもメッセージのひとつでも事足りる気がする。
下駄箱で靴を履き替えていると、走ってくる足音が聞こえた。
思わずそちらに意識を向けてみると、クラスメイトの
「遅刻しそうだから走ってきた......。
あ、おはよ」
「おはよう。
まだ大丈夫だよ」
彼女は校舎に入るなり膝に手をついて息を整えている。よほど走ってきたのだろう、乱れた髪の毛の一筋が汗でくっついていた。僕たちは彼女のことを自然と待つことにした。
「朝もチャットしたのに、挨拶するのも何だか不思議だねー」
絵里の言葉はさっきも聞いたような気がする。まるで、音声データの再生ボタンを押したような感じだった。
僕たちは3人組みたいなグループを自然と作ることが多い。それは数人のグループを作りお互いを紹介し合う、というオリエンテーションに由来するのだが、ふたりの軽妙なトークが楽しくて一気に仲良くなった。
和也は僕より少し背の高い、巻き毛が印象的な感じだ。ここだけの話、整った顔つきは男性アイドルに居そうな気がする。
絵里は毎日髪留めをつけている。あまりヘアスタイルには詳しくないけれど、ああいうのをボブスタイルというのだろう。ちなみに背丈は僕と同じくらいだ。自分から話すことは少ないものの、一旦拾った話題を広げるのが得意なようだ。
「ゴールデンウイークが終わって、次の連休はいつだっけ」
「もう夏休みまでないよ、贅沢言わないの」
目の前を歩くふたりのトークに僕は引っ張られている。明るい雰囲気のまま教室に向けて歩いていった。
・・・
教室に入ると、あるひとつの話題で持ち切りになっている。
「今日のニュース見た?
ゲームの更新でさ、"タマちゃん"が追加されるって!
早くダウンロードしなよー」
「ずっと待ってたんだよなぁ」
教室の一角で男子生徒たちが輪になって話しているのは、とあるゲームについての話題だった。
それは<アスリート娘>というスマートフォンで遊ぶゲームで、運動会の大会を目指す美少女たちを育成する内容になっている。上手く育成できるほどキャラクターそれぞれが目標としている大会で勝利しやすく、ファンが集まっていく。
学園を舞台とした成長のストーリーに魅力があるほか、アイドル的な要素を兼ね備えたキャラクターが劇中にライブをしているシーンを見ることができる。それは"キャラクターソング"としてCDが実際に発売されているのだ。
さまざまな角度から注目されている、今年の一番人気となっているゲームといえるだろう。
このゲームでは毎月新しいキャラクターが追加されていくようだ。
"タマちゃん"というのは、今までストーリーの中でしか登場しないキャラクターで、人一倍元気いっぱいで前向きな性格と軽妙な言動が以前より注目を集めていた。人気投票では必ず上位を独占しており、先日Web雑誌で行われた<未実装キャラ限定! 早く育成したい女の子>というアンケート調査では見事一位を飾った。
今日が待ちに待った日といえるだろう。
和也は教室に入るやいなや、さっそく会話に混ざっていた。
「俺、このためにアイテム集めてたんだ」
ただし、キャラクターを獲得するのは<ガチャ>という仕組みにより行われる。彼が言った通り、集めたアイテムのうち一定数を消費することでキャラクター一覧の中から抽選するようになっている。
一覧の中からというのがシビアなものだ。新規や手に入れていないキャラクターを獲得できることがある一方で、まったく獲得できなかったりすでに入手しているものを再び手に入れたりする場合もある。
それが昨今のスマートフォン向けゲームの特徴で、縁日のくじ引きみたいな楽しさがユーザーの心を掴んで離さない。
明日には一喜一憂する声が教室に響くことになるだろう。
椅子に座りながら彼らの様子を眺めていた絵里が僕に告げる。
「CMで見たことあるけれど、キャラクターの動きはきれいだよね」
「そうだね」
僕は相づちをうった。このゲームで僕が凄いと思ったポイントは、登場人物がきれいな3DCGで書かれていて動きが滑らかなところだ。最初見たときは感心どころか感動を覚えてしまった。
「ほんとさ、このゲーム開発した人ってすごい」
誰かがこんな一言を発していた。
僕も帰ったらダウンロードしようかな、そう思っていた。
・・・
僕は放課後に、ひとりパソコン室に向かった。
課題の調べものをやるつもりだった。家にもノートパソコンがあるけれど、帰る前に作業をしようかな。今日はたまたまそう考えていた。
放課後はいつも解放されている部屋だけど、あまり使う生徒を見たことがない。だから、僕はある先客に興味を持った。部屋の入り口でスリッパに履き替えることもなく、その場を見つめてしまった。
その人は、部屋に設置してあるパソコンではなく、ノートパソコンを広げていた。学校の設備とは思えないから、自前のものなのだろうか。そして、なぜ学校のパソコンを使わないのだろうか。
少し遠目に見ているので、他のクラスの女子生徒だなというくらいしか分からない。
こちらが入ってきたことには全く気づいていないようだった。
すごい集中力なのかと思ったが、イヤホンが耳に刺さっているのが見て取れた。要は何か音楽を聞いているだけのようだ。
小刻みに首を揺らしているので、ハーフアップで後ろで結っている髪が躍るように揺れていた。
まあ、あまり他人に注目するのはよくないな。僕は彼女から離れた適当な席に座って、パソコンを起動した。
静かな部屋に自分が操作しているキーボードやマウスの音が響いている。それはリズミカルというにはほど遠く、ただの作業音にしか感じられない。
やがて、部屋の中に新しいリズムが流れてきた。それはだいぶペースが速く、まるでメトロノームで早回ししているような感覚だった。
先客がキーワードを打っている、タイピングの操作だというのに気づくのは時間がかかった。
それに気づいた僕は身体を向けて彼女の横顔をとらえる。さくらんぼを思わせる朱色の細い眼鏡フレーム。うっすらと見える瞳はきらめいていて、なんだか言葉が伝わってくる気がした。
......楽しいよ。
そのテレパシーが届いた僕は、つい席を立って彼女の方に近づいていく。もうほとんどが無意識の行動だった。
ここからノートパソコンの画面が見えそうだ。何をしているのだろうか。
・・・
僕の興味は、とあるひとつの音によってかき消されてしまった。彼女がテーブルの上に置いているスマートフォンの着信音だった。
「あ、ママか」
そうつぶやいた彼女は、席を立って部屋の外に出ていった。
彼女のノートパソコンがその場に残されている。
あまり見ちゃいけないな。そう思った僕は自分の席に戻ろうとしたのだが、ノートパソコンの画面に映し出されているものを見てしまった。つい、足を止めてしまった。
「あ......」
僕はその言葉に慌てて振り返った。パソコン室の入り口には、手のひらを小さな口に当てていた彼女が立っていた。
ごめんなさいという言葉が、自分の頭の思考より早く口に出ている。頭を下げながら急いで戻ろうとする。
振り返った僕の肩を、彼女の手が触れた。僕は足を止めて恐る恐る彼女の方に向き直った。
「私のパソコン、見た?」
「えっと......」
「見たんだ?」
彼女の笑顔が間近にあり、そこから言葉が降り注ぐ。これは怒られるパターンにしか思えない。
「あ。はい......」
思考が停止した僕はなにも言えなかった。見てはいけないもの、パンドラの箱でも開けたのだろうな。
「......どうだったかな」
どうだった? 彼女はよく分からないことを口にした。
少しその表情を見ると、少し照れているような、はにかんだような。不思議な表現だった。
「......か」
彼女はそのよく分からない表情のまま首をかしげている。その表情を真っ直ぐに見つめながら、自分の喉からはゆっくりと台詞が出てくるのだった。
「可愛かったです!」
僕は正直に言葉を絞り出した。だって、ノートパソコンの画面に映っていたのはアプリの実行画面だったのだから。
「さすが私だよね~。
ありがとう、そう言ってくれて」
さすがことりちゃん! 彼女はそう言いながら体の前で両手を組んだ。
割れんばかりの笑顔で僕を見つめてくる。ちょっと、恥ずかしくなるからやめて欲しい。
それに、ことりちゃん? 意味が分からない。
訳も分からずその場に立っている僕を横目に、彼女はノートパソコンの前に立った。その画面にはスマートフォンみたいな枠の中に、デフォルメされた赤ずきんみたいなキャラクターが映し出されている。
見たこともないゲームの画面なのだろうか。
僕はしばらくその様子を見つめていた。横顔から見える彼女の表情がなんだか生き生きとしていて、楽しさに溢れている。あのテレパシーは本当なんだな。
そう思っていた。だから、僕は思わず声をかけていた。
「あの、これは何かのゲームですか」
声を掛けられた彼女は動きを止めて、こちらを見てくる。そして笑顔のままこちらを見て言ったんだ。
「作ったのよ。私が」
今、なんて言ったのだろうか。作った? たしかにそう言ったんだ。
「あの、作ったってどういう?」
「だから、作ったのよ。
ゲームとは呼べないけれど、私がデザインした」
彼女はさらっとすごいことを言ってのけた。僕は目をぱちくりさせた。
すると、彼女も目をぱちぱちさせて僕の方を見てくる。
「もしかしてだけど、君もそういうの興味あるの?」
僕は思わず頷いてしまった。
うんうんと彼女は頷きながら会話を紡ぐ。
「じゃあ仲間だね。
私は
彼女は手のひらを広げた腕をこちらに伸ばしてきた。なんだか、愛嬌のある彼女に惹きつけられるような感覚だった。
赤ずきんに誘われて、これから僕の世界が始まるんだ......。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます