承
「クーちゃんおはよ!」
「お前が犯人だ」
「ええぇ!? 何の話!?」
人の睡眠をこれでもかと邪魔してきたキス魔を、そのまま無視して素通りすると「クーちゃんのハートを盗む大泥棒になってあげるね」などと耳打ちしてくる。寝不足の目から見るとまぶしすぎるその笑顔もまとめて引っぱたきたい。
当の本人はまだ体操にお熱なのか、赤レンガの道の端についた白線を、綱渡りに見立てて慎重に渡り切る事に夢中になっている。子供か。
「でも犯人と言えば、昨日の白無垢の人、
実はマリコ先生だったりしないでしょうか!」
「さすがにそれはないね」
その可能性はもちろん考えた。おまじないに対して気兼ねある反応を見せた人間なんて、この馬鹿以外には他に思い当たらないし。
だけど、通学路と丘までは一本道で他のルートはない。その状態で先回りをするとしたら、少なくともウチらとすれ違わなければ筋が通らない。
「きっと崖をのぼったんだよ!
マリコ先生だもん」
「お前マリコ先生の事なんだと思ってんの?」
遠回しに先生をバケモノ扱いした在校生の風上にも置けない女は「「相手は誰なんだろ~。生徒との禁断の恋ってパターンもありそう!」」と、ついでに社会性を蔑ろにしながら校舎に近づく。
調子に乗ったミコは、「せんせーもやることやってんねー」と、朝の挨拶で昇降口に立つマリコ先生の肩を叩いて、そのまま生徒指導室まで引きずられていった。ばーか。
ウチは二階の教室にシトネさんからもらった重箱を置いて図書室に向かう。それからいくつもの本棚を巡って見つけた校内冊子のバックナンバーを見つけ、ページをめくっていく。
十年前の八月のモノから二年C組<佐々木マリコ>の名前を見つけて、思わず「これだ」と思い頷いた。
神隠しの事件の時――出くわした時に先生は「最近の花ヶ咲女学院の子は」とぼやいていた。それはつまり、裏を返せば過去の女学院の事を知っているということだ。だから、もしかしてと思って探したらビンゴだったというわけだ。
そして、それと同時に気づいたことがあった。だからこそウチは、図書館の受付に行って、この冊子の後続がなかったかを尋ねる。だけど、これ以降は過去に置かれた履歴もない。つまり、廃刊になったのだ。この月をもってこの学校誌は。
「だいぶ中途半端な時期に感じるけど」
内容は、<生徒会へのご意見箱>に<生徒会長のお言葉>、<食堂へのインタビュー>や文化祭の出し物<校内謎解きゲーム>といったありふれたものだった。ただその冊子に目を通している間に、少しだけ違和感のある単語が散見されているように見る。
――アルテミス。月の女神の名前だけど、これって……。
「懐かしいモノをもってるのね」
どこか嬉しそうな声に立ち止まる。振り返ると、そこには淡いニットのセーターとフレアスカートに身を包んだ女性がいた。一見地味だけど、ウェーブのかかったひっつめ髪が上品な印象を与えてくれてる。見覚えがあるし、この学校の教員の一人だと思う。
彼女はどこか慈悲深い目でウチの手元も見やり、それから「それ、ちょっと見せてくれる?」と告げる。だからじゃないけどウチは素直に冊子を渡した。
すぐに「あったあった、こんな事」といってくすぐったそうに笑っている姿に、ウチはちょうどいいと思った。もしかして、この人も在校生だったのかなと思うし。マリコ先生と話してたら、命がいくら有ってもたりないし。
「あの、アルテミスって聞いたことありますか?」
「うん、もちろん」
ウチに冊子を手渡しながらうなずく。それから「当時の生徒会長のあだ名、みたいなものかな」と口にする。
それから彼女は語った。当時、学校の中にあった上流層と中流層の間にあった差別意識。それを具現化したかのような生徒会選挙の不正投票の数々。そこに真正面からを立ち向かって暴いたのがその人物――天ヶ先ミハだったという話を。
「今でこそ、スポーツ特待制度や学芸に秀でた方も多く取り入れるようになってるけど、当時はそうでもなかったの。周りから見れば小さな温泉宿の娘でしかなかった彼女の、味方になってくれる人なんていないに等しかった」
たしかに、そんな状態の学校で生徒会長になるのは、並大抵のことじゃなかっただろう。その不正を暴くという行為が決定打になったのかな。
「佐々木マリコ先生って知ってるでしょ。あのおっかない先生。私の幼馴染で同期なんだけど、あの子が一番ミハちゃんに入れ込んでたのよ。ミハ先輩ミハ先輩~ってね。意外でしょ?」
彼女は、また花のような笑みを浮かべてから「内緒よ、これは」と口にした。その割には声が大きいのが怖い。いつか見つかってしまいそう。
そう思った次の瞬間、廊下の突き当りでマリコ先生のザマスメガネが光っているのが見えて、思わず肩が跳ねる。先生はこっちを一瞬うかがってから、首をかしげてどこかに行った。バカはどうやら解放されたらしい。
それから自称マリコの同期の彼女は、口元に人差し指を乗せて改めて内緒の合図をしてくる。次いで「楽しかったなぁ、マリちゃんやみんなと遊ぶの」と、少し遠い目をして窓の外を見た。そこまで聞いて、ウチはふと疑問に思った事を聞いた。
「ミハさんは今、なにをしてるんですか」
ウチの言葉に彼女が一瞬で笑顔が曇った。
それからかぶりを振ると、意を決したように口を開いた。
「彼女は死んだの。階段で足を滑らせてね」
――そこでウチは、はじめてこの冊子が最終号である理由を知った。
◆
「絶対カップルでしょこの二人!」
そう言いながら、ミコはもらってきた生徒会誌に載っている一枚の写真を指さしてくる。それはマリコ先生と当時の生徒会長のミハさんが握手してるモノで。全国大会に出場した佐々木マリコさんの栄誉を祝してと書かれている。
「どう見ても記念写真だけど」
「そう、付き合って一週間の記念日に決まってるよね」
決まってねーよ。あと、その得意げなウィンクやめろ。
そんなウチの内心を知らないミコは、片方がもうこの世にいないのにもかかわらず「二人の初デートはきっと――」などと、架空の馴れ初めを語っている。コイツの頭の中では、いまごろお花畑な映像でも流れてるのかもしれない。いくつもの料理のニオイが食堂の中で
「そもそもさっきの――小笠原先生が言う限りは、話せたのはこの一回きりだったらしいよ。それでカップルも何もないでしょ」
「そんなことないよ!」
それからミコは手でメガホンを作って「わたしは一目見てクーちゃん好きになったよ」と、腑抜けた事を言ってきた。だからじゃないけど丸めたナプキンをウチはミコの額に投げつける。顔が熱い。
それからミコは、冊子に乗っていた空欄の<ご意見箱コーナー>にペンで何か落書きを始めた。月間なのに、一つの意見も届かないのはある意味スゴイなと思う。
良くも悪くも、それだけ生徒会に興味がないのか。それとも、すべての興味が生徒会長に向けられていたって事かもしれない。手を繋いだだけで、顔を赤くして縮こまっている十年前のマリコ先生を見ると、その人気の程がうかがえる気がした。
もっとも、人気の陰でそれをよく思わない人もいたんだろうけど。本来、生徒会長になりたかった人たちも含めて。それを階段から転落させられた事件性と捉えるのは、さすがに飛躍が過ぎるとは思うけど。
「まさか、二人の恋路を邪魔する誰かが!?
許さん!」
「だとしても全員卒業してるだろ」
ただ少なくとも、多くの生徒に慕われていたのは確かだと思う。心の支えを失った生徒会が、冊子の発行をやめてしまったように。ウチにはそれが、少し過剰な反応には聞こえるけど。
もちろん、彼女の影響によって、この学校に特待生や一般家庭の子が学校に来れるようになったことも含めて。
それが不正を看過してきた学校側がつけた、せめてものしめしだったのか。それとも別の理由があったのか。それは当時そこにいなかったウチには、分からない話だけど。
巨大な弁当箱を、二人で完食したウチらは食堂から出る。本校舎に戻るまでの渡り廊下から、グラウンドで二人の後輩が花冠をつくる姿が見えた。隣で「んんんんん」と唸りながら悶えてるキモイ女は置いておいても、本当に流行ってるみたい。
「でもこうなると、いよいよ昨日の二人は、
マリコ先生とミハさんで決まりだよね!」
廊下を歩くウチの後ろをちょこちょこ歩くミコは、まだ故人を使い倒す事に夢中らしい。
ただミコのそのバカげた発言に、ウチがとっさに否定を返せなかったのは、まだそれが誰か分かっていないからなのもそうだけど、昨日の出来事に少し違和感があったからかもしれない。
――ウチはまだぬぐい切れていないのかもしれない。何か重大な勘違いをしているという思いを。
「よっ、後輩。ちゃんとご飯食べてる?」
突然横から肩を組んできた柿崎先輩に、ウチは「食べました」と一言だけ返事をして手を振り払った。
「なんだよ釣れないねぇ、ところで二人はおまじないやってる?」
「花冠のやつですよね! もちろんこれから――」
余計な事を言いかけたミコを大外刈りで転ばせたウチは「やる予定なんてないです!」と首を振る。それこそ人形なら、首がとれるかもという勢いで。
だけど、ウチのその言葉に「あーでもその方がいいよ」と口にした柿崎さんに怪訝な気持ちを覚える。むしろ推奨されると思ったからだ。
「最近なんか、夜の高台に変な人が出没するらしいから」
その言葉にミコは「もしかして白い人の事ですか!」と食いついた。だからじゃないけどウチも先を促す。
「そうそう、つい最近になって現れるようになったらしいよ。一年前はそんなことなかったんだけど」
「つい最近……」
そうなると、いよいよ動機が分からなくなる。ウチはてっきり夜間に出歩く生徒を咎める目的があったのかと思ってた。だけど、そうじゃないとすると現実味のない案しか浮かばない。
だからウチは「まぁ、いつものように何とかしてくれよ探偵さん」と告げた先輩に、苦笑いで返す。それから立ち話もほどほどに帰ろうとしていた。その時だった。
「あんたら、ちょっと放課後付き合いなさい」
柿崎先輩の後ろからにゅっと現れたマリコ先生は、ミコとウチの方を掴み、ドスの効いた声でそう告げた。ちなみにミコは「ぴぃ」と短く鳴いて気絶した。
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