承
「昨日のメモ、読んでくれた?」
聞きなれた、鈴の鳴くような声に振り返る。木製の格子に遮られた窓の向こうで、騒がしい猛吹雪の中でもよく通る声の主はシトネさんだった。
蔵書の整理をしてたのかも。本棚の端からひょっこり顔を出して、ウサギのような丸い眼をパチクリさせるその顔に心が和む。和んだどころか内心少し笑ってしまった。あまりにも先輩然としてない仕草で。
それを口に出したら頬を膨らませて「もー! クゥちゃんのいじわるっ」と言いながら、体格の差を使ったパンチにうって出るのは目に見えてる。もっともそれも手をそのまま回すような子供じみたもので、肩たたきくらいの威力しかないんだけど。
だからじゃないけどウチは「メモならありましたよ。ウチの部屋の扉の下にですよね」と素直に答える。
「あっ、見たんだ。それで、どうかな?」
どこか期待を帯びた声にウチは「休日なら暇ですから、お買い物になら付き合いますよ」と、手元の本のページをめくりながらうなずいた。だからウチには分からなかった。ウチの返事で一瞬時間が止まった理由が。
気のせいだったのかもしれない。張りつめた外の空気にそう感じただけだったのかもしれない。だけど、ぱっと顔を上げてさっき先輩がいた場所に目を移しても、そこには誰もいなくて。
ウチが少し不安になっていたところに、先輩はまた頭を出して「そうだね。いこっか」とほほ笑んだ。
それから先輩はウチに歩み寄ってイタズラっぽい笑顔を見せる。ハーフアップで編み込まれたセミショートを、白銀の糸のように流れる。それからウチの手を握った。
うちらの中でいつの間にか決まっていた、その帰ろうの合図を。ウチはいつも通り握り返していたと思う。
◆
食堂のメニューを眺めて「今日はどのイタリアンにしようかな」とウチが目を泳がせていると、ミコがテーブルの上に上半身を乗せて前に突き出した封筒を手に体を揺らしている。さっきからウチに中身を見て欲しらしくて、あの手この手でせがんでくるから、頬を膨らませたこのぶりっ子もその一環らしい。
人のスマホにメッセージを使って文面を送るとかならまだわかるけど、人の不在を狙って勝手にウチのスマホで撮影するから悪質だと思う。危うく見かけたところで、ミコの顔面にぶん投げて難を逃れたけど。
それからもミコテーブルの下に潜り込んで、人のスカートの中に手紙を入れようとしてきたり、あからさまなウソ泣きをしながら「クーちゃんと同じものを共有したいよぉ」という戯言を繰り返している。手紙よりも先にお前は社会通念を共有しろ。
ウチがその女はなおも平気な顔をしながら「ねぇねぇー、クーちゃんもお手紙見ようよー」と、手紙をウチに押し付けてくる。二重の意味で面の皮が厚いらしい。
「でもでも、気になるでしょー、ほんとは」
「姉妹制度とかいうデタラメを信じてるバカがもう一人いただけって話でしょ」
存在するかもわからないモノの為に、時間を使おうとする奇特な人間。フィクションを鵜吞みにして、現実と妄想の区別がつかないバケモノがもう一人いる事を考えると恐ろしいけど。いやもしくはこうかもしれない。
ミコが架空の人物を捏造して、ウチにその制度を鵜吞みにさせる作戦――とまで考えも通じるかもしれないし。差出人の鴨ノ橋さんとやらが、本当に実在するかも疑問だ。
「そんなことないよ! 百合ルール第一五条によると<女子校には必ず、年間平均五組の疑似姉妹が爆誕する>ってあるので!」
「どこ調べのなに統計だよそれ」
その調べたやつ連れてこいよ。引っぱたくから。
そんな数字を出したやつのせいでウチがこんなアホな事に巻き込まれてるんだから、それくらいしてもバチはあたるらないでしょ。
「最初はあくまでかりそめの姉妹だった、でもその二人は自分たちの姉妹愛が、相手への愛情であることに気づいて――」
「おい無視すんな」
さながらミュージカルのように、椅子に座りながら身振り手振りで語り出すミコ。今食べてるトマト煮込みがまずくなってきた気がするから、お盆ごと別の席に移動する。
それから程なくして目の前に誰もいない事に気づいたミコが、ゴキブリ並みの速度と動きでウチの隣の席まできてしまう。いつか食堂を出禁になってくれないかな、コイツ。
ゴミを見る目を向けるウチには意に介さず、存在が不衛生な女はいかに姉妹愛がいいかを語り出している。
たしかに姉妹愛とか兄弟愛ならあるかもしれない。家族愛みたいな関係が、他人に芽生えるのもおかしくないとも思う。でもそれを越えたりはしないし、性的な感情を女子が女の子に抱くなんてありえない!
そんな思念を込めたうちの目に気づいて、ミコは何を勘違いしたのか的外れな投げキッスで答えた。それを見たウチは空になった土鍋を叩きつけながら「とにかく!」と一拍を置いて、さらに続けた。
「てかその宛先が、シトナ先輩っていうのが、一番有り得ないの」
スプーンをぴっとミコの鼻先に近づける。
そう、それこそがウチの主張における最大の根拠だった。ミコの虚言か、差出人の勘違いかなにかだって思う、最たる根拠。
「でもでも、クーちゃんも知ってるでしょー。シトネさんが先輩だって事」
「だからだよ」
ウチは覚えてる。最後の日、寮の前で他の先輩と抱き合いながら泣いていた事も――ウチには一言も何も言わずに、去っていったことも。
「卒業しているんだ。シトネ先輩はもう、今年の春に」
◆
高等部に上がる際にインストールさせられたアプリを立ち上げるのは久しぶりだった。ウチはスマホとにらめっこしながら、派手な装飾が散りばめられた部活棟を歩いていく。
生徒手帳がわりにもなることから、ロッカーを使う機会が多い運動部の生徒は頻繁にこのアプリで鍵を外すらしいけど、そもそもモノをあまり持ち歩きたくないうちにとっては無用の長物だった。
決して制服のスペースのところどころが飴で占領されてるとかではないし。スマホ入れるだけでギチギチになるとかでもない。うん。
なんとかマップを頼りに弓道部の前までたどり着く。扉を開けると見える庭園のような渡り廊下は茶道部のナワバリを思い出した。木の板の上を歩いて、一枚ののれんをくぐり道場にお邪魔した。
「ちゃーす」
挨拶のつもりでしたウチの声はすぐにかき消される。矢が的に叩きつけられる音で。それをもたらした本人はというと、何かに気づいたように周りをきょろきょろして入り口に立つウチをロックオン。袴の裾を揺らしながら小走りで近づいてきて迷いなく腕に手を回してきた。
だから当然「キモいから離して」と言うと――。
「抱き合ってる時の感想は「フワフワしてる~」がいいなー!
百合ルール第十四条!」
「フワフワどころか胸当てのせいでゴツゴツしてるわ、馬鹿が」
そんなウチの悪し様を無視しながら「クーちゃんフワフワしてるー」とご満悦の表情を受けべている。
お前はずっと矢でも当ててろよ、一時的でも弓道部なんだから。
やっとミコが離れる。それからピョコピョコした動きでウチの隣に立つと「奥だよ、一番奥」とそれとなくウチに耳打ちする。相変わらず顔が近くて少しドキッとしてしまうのはきっと気のせいだ。うん。
何人もの生徒越しに見える弓道場の奥には、ちょうど弓を引き絞って制止する一人の女子がいた。それから矢を離した反動で。結わいたサイドポニーの髪を揺らしている。毛先でウェーブされた髪は、さながらまとめられた金糸のように見える。
「あれが鴨ノ橋サーヤ」
もう学校にいないハズのシトネ先輩に手紙を渡そうとした女――いったいどういう事だろう。ミコから聞いたけど、彼女は今年中等部に入学してきたばかりらしい。先輩を知っているかどうかもかなり怪訝なところだけど。
ミコが「もうすぐ部活終わるから待っててねー」と再び弓を引きに戻る。その間にもウチは飴を舌の上で転がしながら、ぼんやりと考え続ける。
シトネさんは校外の活動も盛んに行っていたからそこらへんかな。もしくは姉妹制度とかいうこの学園の伝説的なモノに憧れているみたいだし、外からシトネさんの名前を聞いたことがあるとか。あの少しポンコツな先輩が伝説上の生き物かどうかは置いておいて。
少なくとも、どこかの財閥の令嬢らしいから。あのかなりポンコツな先輩が、財閥の跡取りが務まるかどうかは置いておいて。
そもそも、手紙を渡し方ひとつ考えてもそう。正確なシトネさんの状況を知らなかったからこそ。ミコを経由して渡そうとしたと考えれば外から聞いて知ったかぶり状態だった辻褄は合う。シトネさんの学年をうち等と同じ二年生と勘違いしていたとしたら。
「……」
不意に弓を構えるミコ姿が目に入る。いつものデレデレした顔はなりを潜めて、精悍な顔つきで的を狙っている。それを当然のように的の真ん中に当てた後に「教えてください」と尋ねてくる後輩にも、笑みを浮かべながら二つ返事で承諾して、弓を構えるように促している。
それを見ているうちに思う。ミコってもしかして、本当にウチの事が好きなんじゃ――?
いやいや、ないない。たしかに不必要に他の女の子にはベタベタしないし、好きとか言ってないけど、もしかしたらウチの反応が面白くてからかってるだけかもしれないもの。
でも同時に頭に浮かぶ。上気した顔で見つめるミコの顔。キスする直前の潤んだ瞳。あれが本当にからかってるだけの人間に出せるものなのかって。
それと同時に胸にじんわりとひろがる感情に顔を熱くする。みんなが知らないミコの顔を、ウチだけが知ってるかもしれない。ドキドキした気持ち。
「ないないないない、絶対ない」
雑念を追い払うように頭を振っていると、いつの間にか近くにいたミコが「どうしたの?」と聞いてきて、さらに顔が赤くなる。なんでもねーよ!
「もしかしてアタシに惚れ直しちゃった?」
「もともと惚れてない!」
道着越しに背中をひっぱたかれてもなお、嬉しそうにデレデレした顔でミコは「ちょっと待っててねー」と告げる。そのまま更衣室に向かった生徒たちにまぎれて、室内に入っていった。
熱が引いてきたころに、更衣室から出てきた二人を迎えて、ウチらは街路樹と芝生の間を、縫い目のように横切る赤いレンガの歩道を通り寮へと向かう。
だからじゃないけどウチは尋ねてみる事にした。さっきまで考えていた、あの事について。
「まぁ、そうでしたか。もう卒業を……」
「うん、去年ですでに三年生だったから、そうなる」
ウチの言葉に、吐息のような声色で「社交パーティでお話してから、気になっていたのですが」と漏らす。残念さは滲んでいるけど、どこか納得したような面持ちだった。ここにもう半年いたんだ。それでもシトネさんに会えずにいたんだとしたら。うすうすそんな気はしていたのかもしれない。
「でもでも、姉妹になりたいんだよね! その気持ちミコはよく分かるよ!」
「そうですわよね!
私も昔からかっこよくて綺麗なお姉さまに憧れていますの!」
内心でウチは、シトネさんに会わなくて良かったんじゃないかと思ってしまう。シトネさんがカッコいいかどうかは、かなり微妙なところだし。綺麗だけど。憧れは憧れのままでいた方が良いとも聞く。
二人がきゃっきゃっと意気投合はじめ、話がどうでもよくなってきたところで、鴨ノ橋さんがボタンを押してエレベーターを動かしてくれた。ミコがウチの部屋で女子会するから一緒にと、部活中に誘ったらしい。もちろんいつも通り、ウチの許可は取っていない。あとでしめる。
それからウチは、冷蔵庫から寝かせておいた生地を取り出して、まな板の上に置いた。ミコが「幻想のお姉さまとの恋。つまり二人は、カップルということかも!」と、キモイい納得を伝えてくる。こいつの守備範囲にはイマジナリーの相手も含まれてるらしい。こわ……。
「鴨ノ橋さーん。そいつが変なモノ触ったら弓矢使ってしばいていいからね」
ピザを作りながらリビングに声をかけると「了解しましたわ!」という元気な声が帰ってくる。だけど、その元気はすぐに曇る事になった。うちが大皿をテーブルに乗せた頃には。
「きゃー! なんですのこの、なんかチーズまみれの未確認飛行物体は!」
「ピザだよー、クーちゃんが毎日食べてるの!」
「毎日!? これを!?」
目を丸くしてピザとウチの顔を何度も交互に見ている。
それから「すごく美人な方ですが、これがもしかして秘訣なのかしら」と、変な納得をしながらうんうん頷いている。すると鴨ノ橋さんは「ですが」と前奥を置いたうえで、得意げな顔をしながら後ろ髪をかき上げながらこう言った。
「わたくしはこれでも財閥の息女、そのような野蛮なモノを口にいたしません」
「高貴なお嬢様が、人様が手間をかけて出したものを、食べもせずに無下にしてもいいわけ?」
ウチのその言葉に「ぐっ」と言葉を詰まらせた鴨ノ橋さんは、少しためらった後に「わ、わたくしは誇り高い財閥の息女。豚の餌でもなんでも食べて差し上げますわ!」と宣言した。ちょろ。
それからピザを一口食べて「このような美味しいモノがこの世にあったなんて!」と衝撃を受けた後に「お姉さまとお呼びしてもいいですか!」とウチに縋り付いてくる。ちょろすぎて逆に心配になってきた。
「えー、ミコの事はもうお姉さまって呼んでくれないの?」
「いいえ、お姉さまは何人いてもいいんです! 素晴らしさの称号ですもの!」
その言葉にミコは衝撃を受けたのか、ふらりと立ち上がってから「そうか、じゃあミコとクーちゃんは同じ妹を持つ、姉妹って事にな」などと、とんでもないよ迷い事を言いかけてたから、とりあえず背負い投げでベッドに叩きつけておいた。
それから下の部屋の人から「なんか地震起きてるー!」という苦情を、管理人さんに内線越しに伝えられてしまったウチらは、しめやかに女子会を終えてエレベーターに二人を送り出した。
「また明日ね~」
「ごきげんよう、クゥお姉さま」
手を振り返し、バタンという無機質な音に溶け込ませるようにウチはため息をついた。その理由は自覚していた。少なくとも、色んな事があって疲れた、というだけじゃない事は。
――お姉さまは何人いてもいい。
その考え自体には何かを言うつもりはないし、個人で楽しみ迷惑をかけないなら勝手にしてくれって話だ。でも、その前後に矛盾があれば話は別だ。
「そんな思想の人間が、たった一人の人間に対して「姉妹になって欲しい」なんて手紙を出すの?」
答えてくれる誰かがいるわけもなく。誰に言うでもなく口をついたウチの疑問は、長い廊下の闇に吸い込まれていった。
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