春乃ウララと美咲寺ヤヨイの場合

ウチの気合が通じたのかもしれない。目覚ましが鳴るおよそ三十分前に跳ねるように起きたウチは、仕送りという名の予算を少し超過した上で購入した<水牛モッツァレラチーズ>と生ハムの王様クラテッロを使ったピザをたいらげ、制服に着替えて早々に玄関を飛び出す。


ちなみに予算の半分は豚さんの貯金から出した。ハムに使ったからかもだけど、こちらを恨みがましい目で見てた気がする。ウチはそっと目をそらしてハンカチをかけておいた。


それから隣の寮に飛び込んで、ウチが目的の部屋の前に立ちインターホンを鳴らしてまず最初に出迎えてくれたのは「久しぶりだね~」という穏やかな一言と、品と穏やかさが同居したミサキさんのまなざしだった。


彼女はシュシュで束ねられたおさげの髪を、横に揺らしながらウチを奥のリビングまで先導してくれる。今日もお菓子を焼いていたのかもしれない。甘い香りがこちらまで漂ってきた。


その途中で彼女は、当然のように「今日はミコちゃんは一緒じゃないの?」と聞いてきた。だから少し食い気味で「一緒じゃないですぅ!」と上ずった返事をあげてしまう。顔が熱い。


だってうちをミコを、セットみたいに言うんだもん――。


ややあってリビングに辿り着き先輩の「どうぞ」にお辞儀をしてからソファーに腰をかけた。それから隣一個を開けて先輩も着席する。今日は柏埼先輩はいないらしい。


ウチのそんな機微を察知したのかもしれない、先輩は「私だけじゃお役に立てないかしら」とほほに手を当てて、悩ましそうに吐息をついている。


「いえ、そんなこと、用件は――その一つだけ質問したくて」

「えぇ、何でも聞いて」


「キスって、どれくらいの関係でするものなんでしょうか」

「え?」


ウチの言葉に固まって目を白黒させている先輩に、ウチは「だから、キスってどのくらいの関係でするものかなって!」とやけくそ気味に尋ねる。立ち上がりながら、若干前のめりに。


あの水族館の一件から、ミコはとても調子に乗っている。二人っきりになるとすぐ唇を突き出しに突き出しまくってくる。ミコからタコに改名させた後に海に放流させたいと思うくらい。


ウチはただ、少しだけアイツに同情しただけで、なにか捧げるチャンスをあげたいなって思っただけ。初対面の人も多かったあの誕生日会よりは、マシかなって思っただけなのに。それをアイツはなんか勘違いしてるフシがある。


ウチは別にアイツとはカップルじゃないし、そもそも女同士でそういうのはありえないし。そういう対象にしてもらったら困るし。なんなら最近は柔道技のしすぎで足にミコ、じゃなくてタコが出来る気もしてきた。


とにかくキスのしすぎはやめてといつ通り伝えると、本人は「百合ルール第十九条「どんどんと相手に感化されて隠された自分の本性に気付いていく!>モノだから大丈夫!」とか、どう考えても大丈夫じゃない事を繰り返していた。


腹が立ったから、もう他の人から意見を取ってアイツに証拠として出してやる。そう思って先輩の部屋に尋ねてきた。


「えーっと、そうね。まぁ普通は恋人からだと思うかな?」


その言葉にウチの体がカタカタと震え始める。あまりの揺れで、先輩が注いでくれた紅茶に何度も波紋が浮かんだ。


「ただ、他にやむをえない事情がある場合はその限りじゃないかもしれないわね。むこうからふざけてしてくるとか」


その言葉にうんうんと首を縦に振る。あまりに振りすぎて、先輩が注いでくれた紅茶に波が起こってウチの指にかかった。


「そうですよね!」


そっか。ウチとミコはやっぱりカップルとかじゃないよね。そうそう。カップルという関係はいわば結婚への通過儀礼。結婚できない二人を指す言葉であってはいけない。ウチとミコは、絶対結婚するわけないんだから。


安心したウチは先輩の用意してくれた紅茶を口に含んだ。美味しい。カップも有田焼だし、相当良いものを使っているのかもしれない。


「ただ、した回数が二度や三度を超えていたら、もう恋人かなと私は思っちゃうかもな~」


うららかな朝日が差し込む室内に、紅茶カップが割れる音が響き渡った。







それから他の人やツカサにも意見を聞いてみたけど、今のところ結果は半々と言ったところで、結局ミコとうちの繋がりに名前がつくことはなかった。


まぁ恋人認定されるくらいなら、その方が良いけど。なんだか生殺しにされてるみたいでモヤモヤする。そんなことを考えながら廊下を歩いていると――。


「やっほー、クーちゃん。今日もかわいいね!」

「黙れ」

「えーーー!? なんで、まだ変な事何も言ってないのにー!」


ウチの精神衛生をそこはかとなく害してる事に気づいていない女は、大声を出し終えてすぐウチの背中に抱き着いてくる。だからじゃないけど、ウチがこれでもないくらいのしかめっ面を作って振り返る。なのになおも「かわいいね!」と言ってくるから、コイツの目はつぶれているのかもしれない。じゃなかったらウチが潰したい。


それからなんやかんや言い合いながらも、週一の茶道授業に使うお座敷に辿り着く。数ある授業の中でも人気の一つらしい。お茶菓子が食べられるからかもしれないけど。


すでに畳二十畳ほどの大広間に集まり、向かい合って話に花を咲かせているクラスメイト達の合間に挟まるように身を滑らせる。それから四方形の桐箱の中に収められた茶道具を広げて準備は完了だ。


何人かは備え付けの給湯室で陶器の洗浄をしているけど、ウチはピザを焼く合間に済ませてきている。ややあって着物に身を包んだ茶道の木本先生がふすまをくぐって一礼。薀蓄などを交えた小話をひと段落させた先生は、流れるようなお辞儀をして授業を開始した。


それからはお茶会特有の静謐とした空気が流れる。あのミコですら大人しい。と思ったらウチのお茶を飲んで、今にも昇天しそうなうるさい顔面をしながら天を仰いでいる。キモ。


「結構なお点前でーーーーーーぇん!」


ビブラート利かせるのやめろ。


ウチが小声で話しかけると「そういえばね。クーちゃん」と少し真面目な顔をしながら話しかけてくる。


「どしたん。お茶に関係しない話するとおこられるんだけど」

「大丈夫。今のシチュにピッタリな話だから」


今度はミコが正面からお茶の陶器を差し出してくれる。茶道部にもたまに顔を出してるだけあって、ウチよりお茶の扱いが上手いのが腹立つ。


「なんか茶道部に予告状が届いたらしいよ。

 <今度、お茶に毒を入れるよー>みたいな!」

「人がお茶飲むって時に、とんでもない話しないでくんない?」


てか予告状のノリ軽くないか。一気にまずくなったお茶を飲み干してからそう返すと「いや実際は怖い感じだったらしいよ。相手の名前も書かれてたって」と答える。


そこについては納得できる話だ。予告状で本人を特定できるモノにはしないだろうし、ある程度の加工とかもされてるとは思う。


「ほら、そこの二人の手前側にいる子」


ミコの言葉を横目で確認すると、赤みがかったセミショートの女子が、慣れた手つきでお茶をたてている。たしか名前は、美咲寺ヤヨイさんだったハズ。予告状をもらってなお、あの穏やかな所作は肝が据わっているというか。


もしくは思っているのかもしれない。ウチと同じようにイタズラに違いないって。


「そんなことないよ! ヤヨイちゃんと付き合いが為に、脅迫してるんだよ!」

「それで部室あての手紙と毒の二段階にするの回りくどすぎでしょ。ナイフにしろよ」


ミコの妄想はともかく、やっぱりイタズラだと思う。脅迫にしても本人への加害が目的にしても、やはり茶道部そのものに出すのは理屈に合わないと思う。警戒する相手を、自分から増やして犯行時に困るのは出した本人でしかないから。それなら最初から、ヤヨイさん本人に出せばいい。


「そんなことないよ! きっと犯人は照れ屋なんだよ!」

「せんせー、さっきからミコさんがうるさいので他の人と交代したいです」


それからミコは「わたし以外の子のお茶飲んじゃやだよー」といいながら、先生に猫掴みされながら畳の上を引きずられていった。よし。


それからウチは立ち上がって交代してくれた片割れの女子生徒のところに向かおうとした、その時だった――。


ガシャン。と色んなものが入り乱れた雑音がして、ウチはそっちに振り返る。それから目を見開いた。


そこには、茶道具にもたれかかるように倒れ伏した美咲寺ヤヨイさんと、それを見て青ざめる春乃ウララさんがいたから。

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