承
一部の生徒を除いて一斉下校となってしまった校内は、しんと静まり返っていた。ミコは先生から逃げた拍子で、ヤヨイさんたちがいた畳に突っ込むというとんでもないアピールをしてしまった結果、事件関係者の烙印を押されてしまっている。
その際に最後まで「クーちゃんクーちゃん」と鳴いていたので、ついでにうちも関係者にされた。ほんと最悪。
それからその場で刑事さんたちに一通りの事情を話した後、解放となったウチらはそれとなく現場を見て回る。学校と比べて少しあわただしいお座敷は、少し窮屈だったけれど小声で話す分にはむしろいい状況に思えた。
「やっぱり、ウララさんしかいないよねー、毒入れたの!
ウラ×ヤヨてぇてぇ~」
「ウチがお前のお茶に毒入れても同じこと言える?」
「受け止めるよ! それがクーちゃんの愛なら!」
「キモ」
それからもミコは、白線の中に転がるお茶碗と急須をうっとりした顔で眺めている。だからじゃないけどさっきのミコの発言は、警察から小耳にはさんだ<毒がウララさんの急須とお茶碗の両方から検出された>ことに基づいたモノだと思う。
「それに致死量にも満たない量だったらしいからね!
これはきっとカップル特有の少し過激な愛の折檻に決まってる!」
「過激すぎだろ」
一見、確かに決定的な状況に見えるけど、不自然な事が何個かあるように見えるのも確か。ずっと青い顔のまま、聴取の為に生徒指導室に連れていかれたウララさんもそうだ。本当に自分の道具に毒がついている事を知っているのなら、あんな顔にはならないと思う。
「つまり、三角関係ってこと!?
ヤヨイさんからウララさんを奪いたくてこんなことを!? 素敵!」
「だったらウララさんに疑いが向くようにするのはおかしいでしょ」
一通り現場をみたウチが、ミコに手を繋がれながらお座敷から出ると、日本庭園のような渡り廊下の手すりの近くで、艶やかな黒髪を後頭部に結った女子生徒が佇んでいた。それから彼女はウチらに気づくと「こんにちわ」と花のような笑顔を見せる。
「初めまして。私は3年B組の宇治田ササネと申します。
茶道部の部長をしておりますわ。お時間よろしいでしょうか」
ウチはミコの手をそっと振り払ってから、首を熱くしつつも背筋を伸ばして自己紹介を返そうとすると「二人のお話は、たびたび聞いておりますわ。とても愉快な探偵コンビと」と言われさらに顔を熱くした。またミコとセットで扱われてるんですけど!?
不本意な形で先輩方の有名人と化してしまっているらしいウチは、それこそ微妙な立場になってしまっているであろう彼女の話に耳を傾けようとする。おそらく、容疑者の一人である彼女の話を。ウチがそういうと図星だったのか、ササネさんは少し眉をひそめている。
「そうなの!? クーちゃん」
「部活で同じ道具を使うとしたら、毒を入れるタイミングの一つになるだろうし。もしかしたら部室そのものに何か細工がある可能性もあるから」
ただウチが見た限りではその線は薄いように思えた。
たとえば天井に添付させておいた毒が、お茶の湿気と混ざって雫となって落ちてくる自動装置とかも考えた。でもウチはあの部屋面積でそれが発生するとは思えないし、そもそもウララさんの急須にピンポイントで入るだろうか、という疑問もある。
「毒を入れたルートかぁ、口移しとかもワンチャン!?」
「ないだろ。だとしたら共倒れになってるわ」
ササネさんがなぜか「まぁ……」といって顔を赤くしてるのは置いといて、やっぱり授業中に毒を仕掛けたと考えるのが自然かなと思う。部活が終わった後も、道具の洗浄はしただろうし。ウララさんも茶道部の一員であることを考えれば。
「そうですわね。よく道具の洗浄も二人で、必ず活動前後に行っていましたので」
「二人は仲が良かったんですね」
「えぇ。茶道なので四人一組などの形式も多いですが、基本的には常に一緒に行動されることが多かったと記憶しております」
その言葉にミコが手すりにしがみついて、今にも倒れそうな勢いで足をガクガクさせている。キモ。
「あの、二人はきっと大丈夫ですよね……?」
ササネさんは愁いを帯びた顔を少し伏せて、ウチにそう尋ねる。
――あの子は犯人じゃないですよね、二人は心身は大丈夫ですよね。それとも、部活は大丈夫だと聞いているのか。ウチには分からない。
ササネさんはさらに続ける<お茶を淹れる途中で、毒を入れる手順は挟めない。仮に入れるとしても、少しでもおかしな事をすれば相手にバレてしまう>とも。きっと警察にも同じことを言ったのだろうと思った。そして、あまり快い反応は得られなかったんだろうと思う。
「お茶の味もモチロン大事です。でも茶道は相手への敬いの心を備えるためにするものだと、いつも教えてきました。だから、あの二人がそんなことをするなんて思えなくて……」
――どうなんだろうか。人の心なんてうちには分からないし、動機なんてものは結局、彼女の言うような積み重ねの精神ではなく衝動的なものだって多い。ミコのように「二人は付き合ってるから」と口にするのは、もちろん無意味だけど。でも――。
「クーちゃんに任せておけば大丈夫ですよ!」
一歩前に躍り出て、色素の薄い髪を揺らし太陽のような笑顔のまま「だってクーちゃんと出会ってから、ずっとアタシは幸せだから!」と言いきったミコは、どうしてか無敵に見える。
それでも恥ずかしくて、通り過ぎざまにミコの背中を一度だけ叩いてから先輩に告げる。
「その、善処します。その、いい知らせが出来るように」
何の根拠もない事を先輩に告げる自分に、少しだけ思ってしまう――本当に感化されてしまっているのかもしれないな、って。
それから程なくしてササネさんは微笑んだ。初対面に見せた時のような花のように。
◆
下校した夕方。カリカリに焼けたモッツァレラチーズが風味豊かなトマトソースの香りを引き立てる渾身のマルゲリータを、先日のお詫びにミサキさんに届けようとインターホンを鳴らす。
内心でピザとの別れを惜しむウチの心を見透かしたのか「うーんどうしようかなぁ」と、一時は素知らぬ顔で勿体ぶった後に「一緒に食べてくれたら、許してあげる」と、はにかむような笑顔を見せてくれた。先輩後輩がこの人を大天使と呼ぶ理由が分かった気がする。
「おっす後輩~、この前ミサキのカップ割ったんだって?」
リビングに入るやいなや、ソファーで寝そべりながらリモコンをいじるもう一人の先輩――柏崎コウコさんが目に入る。先輩はチャンネルをアニメに合わせながら「別に陶器くらい依頼すれば復元できるのに、気にするなんてかわいいねぇ」といかにもお金持ちらしい感想を述べた。
それから「むしろありがたい」とも付け足す先輩にウチは首をかしげた。
「ミサキって隙あらば紅茶を飲むんだから、なんならカップ全部割ってくれてもよかったのに」
「コーコちゃんもよくバームクーヘン食べてるもの。いまもほら!」
「わたしはミサキみたいに、一時間おきにトイレに行くほど食べてません~」
話がどうでもよくなってきたところで、三人でピザを食べようかという話になった時だった。ラインの通知が届き、案の定いつものバカが「大発見だよクーちゃん! トマトって逆から読んでもトマトだって! ちなみに目玉焼きはケチャップ派です! もちろん愛してるよ!」という支離滅裂な文字列を送りつけてくる。暗号かなにかかよこれ。
その後も気が散る頻度で怪文書を送りつけてくるミコを、ついにここに呼びつけたウチは、玄関から入ってきたところを出足払で転ばせる事に成功する。
「わぁピザだー!」
それからウチらは、マルゲリータとバームクーヘンと紅茶、なぜかミコが持っていたスルメイカという混沌を極めたテーブルを囲みながら、にぎやかな夕食を楽しんだ。
挨拶もほどほどに二年生の寮に戻ってきたウチらは、持参していたピザカッターを洗うために部屋への道中にある給湯室に入る。だけど――。
「うわぁ、洗剤が空になってるじゃん」
程なくして唇を突き出しながら「クーちゃんのデザート欲しいよぉ」とまとわりついてきた二足歩行のエイリアンを片手で制しながら、どうしたものかと考える。すると――。
「こんばんわ。もしかして使うところだった?」
本当にちょうどいいタイミングで来てくれたと思う。ややあって美化委員の笹谷さんが洗剤の詰め替えをしながら「昼は大変だったねー」と、話題を振ってきた。もちろん事件の事だろう。
「ほんとだよねー。明日は登校できるらしいけど、しばらくお茶の授業はなしかも」
そういって肩を落とすミコに、笹谷さんはズレた黒ぶちメガネを直しつつも、クリっとした目を細めて苦笑いをしながら「わかる。お茶菓子目当てでしょ」と応じる。
「そういえば、ヤヨイさんは入院したって聞いたけど。ウララさんは、やっぱり謹慎してるって感じなの?」
「そうっぽいよ。中等部のグループラインで送ったけど、返信なかったから」
それから少しばつが悪そうに笑った笹谷さんは、栗色のボブカットを揺らしながら「また明日ね」と小走りで廊下まで出て行った。その機を待っていたかのように、またミコがエイリアンと化したから、本人の部屋に放り込んでおいた。給湯室の棚にあったビニール紐で手を縛った上で。
これでまた一つ、世界は平和に近づいたと思う。
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