第40話 始末
草原の冬は、夜明け前がもっとも冷え込む。
氷点下の凍てつく空気の中を、ガストンとカバシマのふたりが歩いていた。
先を行くカバシマはまだ両手を縛られたままである。
後ろを歩くガストンは、カバシマが立ち止まりそうになる度に銃口でカバシマの腰をつついては歩くように促していた。
そんな調子で、かれこれ一時間は歩いているだろうか。既に竜牧民の村は遙か後方だ。
「ここいらでいいですかねえ」
と、不意にガストンが立ち止まった。
肩に抱えていた革袋を地面に放り出してから、懐に忍ばせていたナイフでカバシマの縄を切る。
「ど、どういうつもりだ?」
ようやく両手の自由を得たカバシマだったが、その意味を理解できずに怯えた声を出した。
「そこの革袋には、多少の食い物と水が入ってます。”族長”のせめてもの情けですよ。そいつを持って、どこへなりとも失せるんですな」
放り出した革袋を顎でしゃくって、ガストンが答えた。
「ど、どこへ行けと言うのだ? こんな……右も左もわからぬ辺境で!」
「そのぐらい自分で考えたらどうです?」
声を震わせるカバシマを、ガストンは冷たく突き放した。
だが、カバシマはよたよたとした足取りでガストンに近付いたかと思うと、
「な、なぁガストン軍曹。貴官に対して礼を失した態度を取ってしまったことは、謝る。わ、ワシもあの時は進軍が思うに任せず、焦ってしまっておったのだ。このとおりだ」
やおら目に卑屈な光を点し、ガストンの足下にひざまづくような格好になって訴え始めるのだった。
「……や、やり直そうではないか。ワシと共に来い……いや、来てはもらえないだろうか?」
「本気で……言ってるんですかい?」
「本気だとも! ワシは心から反省しておる! い、今更帝国にはおめおめと戻れないが……ナロジア! ナロジアに改めて亡命しよう! なに、地下資源の件について新たな情報を得たと伝えれば、奴らとて邪険にはするまい」
「新たな情報? 何があるって言うんです?」
「あの……なんといったか? そう、竜牧民! 奴らならば何かを知っているに違いないではないか。さっきは何も知らんふりをしておったのだよ! 奴らは、ワシらが資源のことを調べていると知っていたからこそ、あのように卑劣な罠を張って待ち構えておったのだ!」
もはや、哀れを通り越して滑稽ですらあった。
人間、ここまで自分の都合良くねじ曲げた事実を信じ込めるものだろうか。
ガストンの胸に、虚無が満ちた。
「貴官とて帝国軍人だ。いきさつはどうあれ、いつまでもあのような野蛮人どもに”飼われて”いるのを良しとするほど落ちぶれてはおるまい? な?」
「……」
ガストンの沈黙を肯定と受け取ったのか、いよいよカバシマの口調は熱を帯び始めた。
「竜牧民の事情に精通しておる貴官ならば、ナロジアも篤く遇してくれるはずだ。そうして少しずつ地歩を固め、ナロジアの中でのし上がるのだ! 帝国とナロジアの休戦協定など、所詮はまやかしに過ぎん。いずれ再び戦端は開かれる。そこにワシらの勝機がある! そうだろう!?」
「カバシマ中佐……」
「なんだ?」
「あんたは……あんたを取り立ててくれたアマガ中将を裏切り、帝国を裏切り、腹の中では既にナロジアをも裏切っている。そして、俺にも竜牧民たちを裏切れと言う。青臭いことは言いたかないですがね……あんたの正義はどこを向いていらっしゃるんで?」
「正義など……そんなもの振りかざしていては、生き残れんよ。強いて言うなら、生き残った者が正義なのだ。戦いとはそういうものだということは、貴官だって理解しているはずだ!」
「なるほど……よくわかりました」
「そうか! わかってくれたか! いや、やはり貴官には見るべきところがある!」
一瞬、カバシマの表情に歓喜の色が浮かんだ。
が、それは本当に一瞬で消え失せることになる。
表情を無くしたガストンが、無造作に銃の引き金を引いたからだ。
発砲音とともに、初弾は空中に消えた。銃口は、空を向いていた。
「が、ガストン軍曹!?」
「ゲームをしましょうや、中佐。あんたはさっき、生き残った者が正義だと仰った。ということは、死んだ者は悪ということになる」
「な、何を言って……」
「この小銃には実包が5発装填できます。1発目は今、ご覧になったように消えました。残りは4発」
立て続けに、ガストンは3発をまた宙に向けて放った。
「残りは……1発。俺はこれから、10数えます。その間にあんたは全力で逃げなさいな。10数えた瞬間、俺はこの最後の1発をあんたにぶち込む!」
「おい……おい! よせ! 考え直せ!」
「たった1発です。この暗さだ、外すこともあるでしょう。その時は、あんたの勝ちだ。あんたは生き残り、正義の側に立ったってことだ。そんときは、俺も喜んで勝ち馬に乗って、あんたと共に行きますよ」
「し、正気かガストン!?」
「……いーち!」
カウントダウンが、始まった。
カバシマが、弾かれたように踵を返して走り始めた。一歩でも遠く! 闇の中へ!
「にぃ! さーん! よぉーん!」
ガストンの声が風に乗って聞こえてくる。だが、この調子であれば10数える頃には完全にガストンの視界から消えられる。夜明け前の闇は、それほどまでに濃いのだ。
馬鹿なやつめ! 射撃特に優なりで九五式を下賜されたと聞くが、己の腕を過信しおって!
逃げるカバシマに、わずかな心の余裕が生まれた。が、
「ろーく! なーな! はーち!」
……何かがおかしかった。
本当なら、ガストンの声は距離が離れるごとに遠ざかっていかねばならないのに、なぜかまだすぐ真後ろから聞こえるような気がする。
そんな馬鹿なことがあるか? カバシマは、肩越しに振り返り……そして、そこで絶望した。
「きゅーう!」
カウントダウンを続けながら、ガストンはまっすぐにカバシマを追いかけてきていたのだ!
「ひ、ひ、卑怯だぞ! 約束! 約束はぁ!!」
「じゅう!」
5度目の、発砲音。
そこでカバシマの意識は途切れた。永遠に。
「中佐……俺は、10数えるとしか言ってませんぜ? 何も約束は違えちゃいない」
もはや聞こえてなどいないことは承知の上で、ガストンは言った。
風が、ひょうと鳴った。
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