第17話 影さす帝国
かつて魔王との決戦を制し「解放の英雄」とまで呼ばれたソウガ=タツミヤ中将が、上等兵に降格された上に帝国辺境中の辺境であるロガ自治区へ左遷されるという、前代未聞の大事件が旭光帝国全軍を揺るがしてから、およそ半年の時が流れた。
一方、タツミヤ元中将の”大失態”を鮮やかな手腕でリカバリーし、西方ユレジア大陸ジュシュ開拓領と国境を接する大国、ナロジア王国との一年以上に渡る国境紛争を停戦に導いたコレモチ=アマガ中将は、その功績をもって大将に昇進。史上最年少で旭光帝国軍総幕僚長の重責を担うこととなった。
旭光帝国軍において最上位は元帥であるが、この地位は基本的に皇帝が兼任する。過去、皇帝の代理人として臨時に勅命をもって元帥号を得た者もいるが、臣下が皇帝と階級を同じくするのは不敬に当たるという考えがあるため、大将が帝国軍における事実上のトップということになる。
父は現帝国宰相。そして、自身は帝国軍大将の中でも一段抜きん出た総幕僚長。
コレモチ=アマガ大将にとって文字どおり目の上のこぶであったタツミヤ中将が失脚した今、もはや政治と軍事両面において彼の一族の権勢を阻める者はいない。
アマガ一族なくしてもはや旭光帝国は立ち行かず、最高権力者である皇帝ですらアマガ一族の進言を軽々には無視できない。
そんなアマガ家次期当主の座をも約束されたコレモチ=アマガは、まさに人生の絶頂期を迎えようとしている。
……はずであった。
「お呼びでございますか、父上」
その日、コレモチは父である帝国宰相、ケンモチ=アマガの執務室に呼び出されていた。
ついに皇帝の縁戚にあたる良家の姫君との婚約でも決まったかと、内心胸を躍らせながら父の前に参上したコレモチであったが、
「お呼びですか、ではないわ。これはいったいどういうことか」
父、ケンモチの表情はいつになく厳しく、コレモチは浮かれた頭に冷や水を浴びせられたような気分になった。
「どういうことか……とは?」
「この半年で、帝国軍において除隊希望者が殺到しておる件だ。例年の四倍……いや、五倍だぞ? それも熟練の士官、下士官ばかり。中には将官までもが退役願いを出しておるというではないか!」
「それは時勢というものです、父上。ナロジアとの停戦がなり、もはや我が帝国と事を構える気概のある国などどこにもありません。平和になれば、軍以外の道を見つけようとする者が増えるのは当然のことではないかと……」
「……本当にそうか?」
猜疑心というものをそのまま擬人化したような目つきで、ケンモチは息子の顔をねめつけた。
「除隊希望者のほとんどが、タツミヤ元中将の麾下にあった者だとしてもお前はそう言えるのか?」
「そ、それは……」
一瞬、父の視線にひるみかけたコレモチであったが、ここは踏みとどまって逆に身を乗り出す。
「タツミヤの子飼いが自分から軍を去るというのであれば、好都合ではないですか。残していたとしても上官への処分に不服を募らせ、逆恨みの挙げ句に帝国に反旗を翻すやもしれません」
「そういう連中を含めて使いこなしてこその、総幕僚長であろうが」
「父上……」
「タツミヤの存在が、いずれ我が一族の大望を果たすにおいて邪魔になるのは明らかだった。それを排除したお前の功績は、わしも認めている。だがな、結果として帝国軍の維持運営がおぼつかなくなり、弱体化を招いたなどということがあっては……」
「か、考えすぎです父上。軍の掌握は万全です。保証します。タツミヤとその部下たちなどおらずとも、優秀な我が配下たちによって帝国軍の栄光はいささかも陰りますまい」
「アマガ家の栄光、だ。まぁよい……今の言葉、忘れるでないぞ?」
下がれ、と言葉少なに手を振る父に頭を下げ、コレモチは宰相の執務室を辞した。
一歩部屋を出た途端に、腹の底から屈辱感が湧き上がってくる。
「……老いぼれが。とっとと家督を明け渡せばよいものを、いつまでも偉そうに」
その場に唾を吐き捨てたくなる衝動をこらえ、コレモチは絞り出すように言った。
父の指摘が、コレモチ自身の頭の片隅で常にちらついていたことであったのも不快さに拍車をかける。
軍の締め付けを図らねばならない。
よもやとは思うが、ナロジアと停戦に至った経緯を嗅ぎつける者が出てこないとも限らない。そうなれば……
「馬鹿な。あり得ん。ワタシの栄光を阻む者など、あってはならんのだ。それがたとえ、父上であろうとも……。いずれはワタシが帝国宰相……いや、更なる高みを……」
瞳に暗い野心の火を点らせ、コレモチは歩き出した。
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