第10話 運命の御子

「くるるる」


 猫なで声……いや、この場合は”竜なで声”なのか?

 とにかく、ついさっきまで目に付くものすべてを燃やし回りそうな勢いだった暴れ竜だが、今はうっとりと目を閉じて喉を鳴らしながら首を僕の頬にスリスリ押しつけてくる。

 何が何やらさっぱりだけど、どうやら危機は去ったみたいだ。


「ソウガ様! さすがです! 凄いです! 尊敬ですぅ! 崇拝ですぅ!」


 本当にウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねながら駆け寄ってきたシオが、大げさな賞賛とともに僕を見上げた。


「いや……さすがと申しますか……いったい、どんな魔法を使ったんで?」


 と、ガストン。


「魔法の勉強をしたことはないよ。軍の適性検査でも素養無しって判定だったし」


 答えながら、ガストンの疑問は同時に僕の疑問でもあるので……誰か答えを教えてくれそうな人がいないか目で探す。

 まぁやっぱり、ここは竜牧民の皆さん?

 騒ぎが収まったことを悟って、ガストンの後ろから数名の男女が僕のほうに近付いてくる。

 その間も、おとなしくなった元・暴れ竜はしきりに喉を鳴らして僕のそばを離れようとしない。


「わかった……わかったから。ちょっと待って。話をさせて」


 とうとう僕の頬を舐め始めた竜をなんとかなだめ、竜牧民の誰かに話しかけようとした時だった。


「失礼ですが、その軍服は旭光帝国のものですね?」


 先に、竜牧民の中のひとりが僕にたずねてきた。近寄ってきた数人の中では一番年上に見える女性だ。


「そうですが……」


 質問の真意をはかりかね、僕はぼんやりと答えた。

 もしや、帝国軍人を快く思ってないとか? 帝国は別に辺境で圧政を敷いてたりしてない……よね?


「では、本土から? お生まれはどちらで?」

「出身は確かに本土です……と言っても、東のはずれのほうにある田舎ですけど」

「東……つまり、本土でも最も東?」

「そうなります……かね」


 東、と聞いた瞬間に竜牧民たちがざわつくのがわかった。互いに「東……」「一番東だと」などと言いながら顔を見合わせている。

 これはいったい……僕はシオに「何か心当たりは?」と視線を送ったが、シオのほうも「わかりません」とぷるぷる首を振るばかり。


「あの……それが何か?」


 たまらず僕が聞き返すと、竜牧民たちは僕の質問には答えてくれず、今度は互いにうんうんとうなずき合ったかと思うと……


「ええっ!?」


 その場に集まった全員が、僕の前にひざまずいたかと思うと両手を空に向けて頭を下げたのだった。


「シオ、これは!?」

「竜牧民たちが……族長や神官、とにかく偉い人たちを前にした時にする、伝統的な礼のポーズです」


 敬礼的なものなのだろうなというのは、なんとなく雰囲気でわかる。

 でも、なぜ僕に!?

 まったくわけがわからずに僕が戸惑っていると、


「それは……あなた様が我が部族に古くから伝わる、運命の御子様であると思ったからです」


 また別の女性の声がした。ただ、今度はずいぶん若い。

 弾かれたように僕が声がしたほうを見ると、数人の竜牧民を引き連れた女性がゆっくりと歩いてくるのが見えた。

 僕と同じようにその女性を見たガストンが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

 その気持ちは、僕にもよくわかる。女性は……とんでもない美人だったのだ。


「オヨン=サーリヤ=ツェツェルと申します。サーリヤ、とお呼びください」

「サーリヤ……」


 僕の前で優雅に一礼し、女性……サーリヤは微笑んだ。その笑顔の破壊力たるや……。


「はい。……あなた様のお名前をお伺いしても?」

「そ、ソウガ=タツミヤ……」


 また余計な勘ぐりを受ける前に、シオやガストン以外の人間に会ったら偽名を名乗ろう……とか考えていたのだが、サーリヤの笑顔の前ではそんな考えなどチリのように吹き飛び、僕は素直に本名を名乗ってしまった。


「ソウガ様……」


 口の中で僕の名を転がすように言い、サーリヤは一度深くうなずく。


「あ、あの……それより、さっき言ってた”運命の御子”とかいうのは?」


 気を抜くとボケッとサーリヤの顔を眺めてしまいそうになるのを懸命に律して、僕は尋ねた。


「それは……」

「……それは?」


 魔性の微笑みを浮かべたまま、サーリヤがぐっと一歩僕に近付いた。

 もう、吐息が顔にかかるような、そんな距離。


「こういうことにございます」


 え? と思った時には、サーリヤの滑らかな両手が僕の頬に添えられ、その指先よりも更に柔らかく暖かいもの……サーリヤの唇が、僕の唇に押しつけられていた。

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