五八.二人でショッピング

 一〇時一〇分。

 梅田駅の北改札口に到着した。彩美の姿は見当たらない。


「その髪飾り、可愛いねぇ」


 改札の柱の陰で、横着そうな男二人組に女性が絡まれている。


「やめてください」


 この声は。

 女性の見える位置まで移動する。彩美だ。


「一人? お茶でもしようよ」

「奢ってあげるからさぁ」

「あなたたちに奢られるほど、貧乏じゃないんで」


 こういう奴らに限って、将軍の顔を知らないんだ。


「あの」


 僕は男二人に声を掛ける。


「なに? 今可愛い女の子とお喋りしてるんだけど」


 男はいかついガンを飛ばしてくる。


「その子、嫌がってるじゃないですか」


 彩美は僕を睨んだ。

 ええ……。遅れて申し訳ないとは思うけど、睨まなくても。


「ねえお姉さん。俺らと遊んだほうが楽しいよね?」

「そんなことはないですけど、私は今あなたたち全員に腹が立っています」


 完全に僕も入ってるじゃないかっ!

 まずい。初っ端から大失態を犯しているぞ。


「行こう」

「えっ」


 僕は強引に彩美の手を引き、その場を離れた。


「なんかよくわかんねえな」


 男たちは次のナンパをしに、どこかへ消えていった。


「彩美、遅れてごめん」


 梅田随一の複合商業ビル。グランフロントの前まで手を引き、僕は謝った。


「本当に。将軍を待たせるなんて」


 ぐうの音も出ない。


「老中解任ね」

「えええ!?」


 まりなの言ったとおりになってしまった! どうする!?


「なんてね。びっくりした?」


 彩美は、僕の冷静さを失った顔を見て大笑いしている。


「びっくりしたぁ」

「老中は瑞樹しかいないよ。辞めたくても辞めさせないからね」


 大阪幕府復活の一件で、さらに僕を信頼してくれているのだろうか。『僕しかいない』という言葉に心が弾む。

 彩美はショート丈のオーバーオールを着ていた。見た瞬間は少し子供っぽいとも感じたが、ボブの活発で柔和な印象と合わさって、すこぶる可愛い。


「オーバーオール、似合ってるね」

「でしょ? あんまり私服着る機会ないから。楽しいな」


 僕は急いで着替えたせいもあって、子供の頃から、伸びては何度も買い足しているデロリアンのプリントTシャツを着てきてしまった。

 せっかくのお出掛けなのに。ちゃんと選びたかった。


「で、ここで服を買うの?」


 彩美はグランフロントを指さす。


「うん。ここならなんでもあるでしょう」

「なんでもありすぎてファッション初心者には難しいでしょ」


 そんなものなのか。その感覚すらも僕はわからない。


「ま、だから私がいるんだけどね」


 グランフロントのフロアガイドを見る。

 確かに店の数が多すぎて、なにがなんやらだ。


「行こう。私が瑞樹にピッタリの服を探してあげるから」


 彩美は、その広さに目を回している僕を、隣に並び率先してくれた。




 グランフロントは、地下一階から九階まで、所狭しと様々な店が入っている。

 彩美はズカズカと進んでいき、服飾系の店があれば外から眺め、「ここじゃないなぁ」と呟いてまた歩き出す。


「なにを基準に選んでるの?」

「頭の中で想像しているだけだよ。瑞樹に着せたら似合うかなって」


 なら全然似合う服がないということじゃないかっ!

 僕は軽くショックを受ける。


「ここいいじゃん! 私もこの店で買ったことあるよ」


 彩美が入ったのは、メンズも取り扱っている、素材にこだわっていそうなアパレルショップだった。


「どんなのが欲しいの?」


 彩美が店内を見まわしながら、尋ねてくる。


「とりあえず半袖かな。今夏に着れるTシャツが数枚欲しい」

「今夏って、もう七月末だよ。人気の服はハケちゃってるよ」


 彩美は軽口を叩きながら、数枚Tシャツを取ってきた。


「これ、着てみて」


 僕を試着室へ誘導する。

 彩美が渡してきたのは、無地の黄土色のTシャツだ。

 さっと試着してカーテンを開ける。


「おお! 似合ってるじゃん。良い感じ!」

「ちょっと大きくない?」

「そういうのが流行ってるの。ビッグシルエットっていうんだよ」


 流行ってるなら買おう。とりあえず流行を追っていけばいいだろう。

 残りのTシャツも試着し、結局最初に着たビッグシルエットの黄土色に落ち着く。


「秋物も買っといたら? せっかくグランフロントまで来てるし」


 彩美は秋服ゾーンで手招きしている。

 自分の服でもないのに、選んでいるその姿は、笑顔があふれてとても楽しそうだ。


「これは?」


 彩美は深いオレンジ色の薄手のコートを渡してきた。よくわからないが、綿と書いてあるので良い素材なのだろう。

 言われるがまま羽織ってみる。


「すこぶるいいっ! かっこいいよ瑞樹!」

「お客さま、とてもお似合いですね」


 彩美の声に反応し、店員が小さく拍手しながら寄ってきた。

 女性二人に高評価なら、これはもう買うしかない。

 彩美と店員に乗せられて、他にも数点買ってしまった。


「いい買い物できたね。これで瑞樹もおしゃれ番長だっ!」


 彩美は腰に手を当て、あごを上げおしゃれ番長のポーズをした。……おしゃれ番長のポーズってなんだ。


「このTシャツは今から着るとして、それ以外は宅配便で家に送るよ」


 僕がレジで手続きを進めようとすると、彩美が慌てて制止をした。


「今日はその服でいいじゃん。Tシャツも一緒に送りなよ」


 いや、梅田のど真ん中で、少しよれたデロリアンのTシャツは、ダサいかどうかは別として、浮いてるだろう。


「ええ、せっかく買ったから着たいよ」

「だめ」


 なんで!?


「デロリアンのTシャツで過ごして。私その服結構好きだよ。まずバックトゥザフューチャーが大好きだから」


 それは激しく同感だけど!


「せっかく彩美の横を歩くんだから、しっかりセットアップしたかったんだけどな」


 僕はものさみしげに、購入した全服を段ボールに詰めた。


「十分十分。かっこいいかっこいい!」


 繰り返すと適当に言っているようにしか聞こえないぞ!

 僕と彩美は買い物を終え、昼食を取ることにした。




 昼食は、彩美の希望のものを食べることになった。


「阪急百貨店の一三階に、すこぶる美味しい韓国料理屋さんがあるんだよ」

「韓国料理か。オランダ経由で入ってきていることは知っているけど、あんまり食べたことはないかな」

「絶対気に入るから、覚悟しておいてっ!」


 彩美は小走りで店に向かった。


「早くっ! 並びたくないっ!」


 時折後ろを振り返り、僕を急かす彩美を見て、ここ最近の怱怱そうそうたる日々を、頭から離すことができた。


「ビビンバ……?」


 メニュー表を見て僕は目を丸くする。


「この石鍋で殴られたりしないよね? 霊体抜けちゃうよ」

「なに言ってんの」


 彩美は真顔で突っ込んだあとに、笑顔になった。

 よかった! すべらなくてっ!

 僕と彩美で別々のランチメニューを頼み、料理を待つ。


「なんだよ」


 彩美が両手で頬杖ほおづえをついて、僕をずっと見てくるので、思わず僕は目を背ける。


「見ちゃだめなの?」

「だめ」


 ビッグシルエットTシャツを着せてくれなかった仕返しだ!


「お待たせいたしました」


 僕の目の前には石焼ビビンバ。彩美の目の前にはチヂミが置かれる。


「どう? 生で見る石焼ビビンバは?」

「凄い熱気だよ。燃え上がりそうだ」


 「なにその感想」と笑いながら、彩美は石焼ビビンバを自分の方へ引き寄せた。


「こうやって混ぜるんだよ。具が全体にいきわたるように。おこげも美味しいから、混ぜ終わったら石鍋に接している部分は触らないのもいいかも」

 彩美は石焼ビビンバの食べ方を説明しながら、一所懸命に混ぜてくれている。

 言ってくれれば、自分で混ぜるのに。

 そういえば、昔もこうやって彩美は、僕の知らないことをたくさん教えてくれたような気がする。




「これウミガメ! 瑞樹は、見たことある?」

「ない! ないよこんなに大きい亀! すっごすぎるっ!」


 僕は、ふと二人で水族館へ行った時のことを思い出した。

 ウミガメを見て、その大きさに頭から後ろへ転びそうになったことを覚えている。


「ウミガメってね、卵をボトボトって産むんだけど、産んだときの温度で、赤ちゃんが男の子か女の子か決まるんだよ」

「えええ!? どういうこと!? わけがわからない!」


 彩美は巨大水槽から僕に目を移し、えへんと得意げになっている。

 その頃の彩美は髪がロングだし、ひまわりの髪飾りもつけていなかった。今とは少し雰囲気が違う。


「二八度以下が男の子で、三十度以上が女の子なんだよっ!」

「えええ!? じゃあ、二九度は!?」


 僕の目と口は限界まで開いている。


「それはね」


 数秒の焦らしが、僕の興味を最高潮にさせる。


「男の子と女の子、半分半分の可能性で生まれるんだよ!」

「ええええ!?」


 僕は、新しい知識の海に溺れそうだった。




「おーい、瑞樹?」


 過去の記憶に集中していると、彩美が呼びかけてきた。


「冷めちゃうよ?」

「ああ、そうだね」


 彩美が混ぜてくれたビビンバを、丸すぎるスプーンで頬張る。

 ……美味い! 辛みの中に、雑多な具材が見事なハーモニーを生んでいる!


「このごま油の風味が強いもやしがまた美味しいね」

「それはナムルっていうんだよ。他の具材もナムルになってるんじゃない?」


 確かに! にんじんもほうれん草もナムルだ。この香ばしさがビビンバの肝なのか。そして辛さの源キムチ! おそらくオランダ経由で本場から輸入している本格的なキムチだろう。スーパーの安売りと全然違うっ!

 調味料として、付属の器に溜まっているコチュジャンを少し混ぜて再度食べてみる。

 うおお!? なんだこの深い辛さは!? 僕は今まで、こんなに美味な調味料を見逃していたというのか。不覚っ!

 メニューを見たときに、チーズ石焼ビビンバなるものもあった。次来るときは、それを食べてみよう。


「瑞樹、すこぶる幸せそうな顔してるね。気に入ってもらえて、私も嬉しいよ」


 彩美はそう言いながら、辛いものを食べているからか、手で顔を扇いでいる。


「うん。これは常連になりそうだ」


 僕は一呼吸置いて、午後からの予定を提案する。


「午後も空いてるんだよね?」

「うん。お茶でもする?」

「お茶もいいけど、行きたい場所があるんだ」


 彩美は少しだけ身を乗り出した。


「え、瑞樹がそんなこと言うの、意外。どこどこ?」

海遊館かいゆうかん


 僕は、自分の中の緊張に追いつかれないように、即答した。

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