五七.お誘いと家族団らん

 伊奈さんが大阪幕府を休職することが決まった数日後、久々の一日休みの予定ができた。

 ぐうたらと寝て疲れを取ろうと思ったが、僕には約束を果たさなければいけないことがある。

 休みの前日、僕はドギマギしながら豊臣御殿のインターホンを鳴らす。


「はーい」


 透き通るような落ち着きのある声。今日の彩美は気分がいいらしい。


 ギィ。


 建付けの悪い扉を引き開ける。

 大阪城が再建されるまでの間、本拠地としている枚方城の豊臣御殿は、本来であれば旧大阪城よりも長い廊下があり、その先に将軍席がある。だが、本人も長すぎるということに気付いたのであろう。将軍席ごと前にずらし、後ろにはその分広くなりすぎた空間の先に居住スペースという、なんともアンバランスな配置となっている。


「どうしたの?」


 彩美は将軍席には座っていなかった。


「よいしょ。よいしょ。ふぅ」


 ……ああ、なんか見たことあるぞ。


「用件は、ふぅ、なに?」

「まずブートキャンプをやめてくれ!」


 彩美は謎のバンドを床に置き、ブートキャンプの教習動画を止めた。

 体のラインがしっかり出ているスポーツウェアに、僕はドキッする。


「ごめんごめん。お尻を引き締めたくてさ」

「だから、十分引き締まってるって」

「また同じこと言わせる気?」


 彩美はスポーツウェアのまま将軍席に座り、外していたひまわりの髪飾りをつける。


「まず、彩美のストロングポイントはどちらかというと胸じゃないか?」


 腰巻ではあまりわからないが、こうして見るとやはり大きい。


「へ、変態っ! よく女の子にそんなこと言えるねっ!」


 彩美は顔を真っ赤に染めて手で胸を隠す。


「いや、褒めてるからいいじゃん。長所じゃん」


 僕は、今日なら恥ずかしげもなくなんでも言える気がする。なぜならある一大決心をしているからだ。


「胸のある女の子の気持ちなんかわからないでしょ!? どれだけ肩が凝るかとかっ!」

「それが、わかるんだな」


 蜂須賀に憑依して、体験している。


「仮に、仮にだよ! 私の胸が魅力的で、多くの男を魅了してたとするっ!」


 そこまで言ってないだろう。


「でも! お尻だって美ヒップにしたいじゃんっ!」


 ああ、話がスタートラインに戻ってしまった。


「そういえば」


 強引に話に区切りをつけ、本題に入る前に、気になっていたことを尋ねる。


「側用人はどうするの?」


 姫花が姿を消して以降、彩美は側用人を立てていない。


「うーん。それねぇ」


 彩美はあごを手に乗せた。


「姫花と連絡は取れないし。まあ取れたとしても、側用人にすることはないんだけど」


 彩美は、心底信頼していた姫花に裏切られたことが、どうしても心に引っかかっているらしい。もう一〇〇パーセントの信頼は置けないということは、容易に想像できる。


「いつかは立てようと思ってるよ。私だけじゃ政務も回らないし」


 彩美はグウと腕を肩の後ろに回した。


「でも、しばらくはいいかな。私が本当に側用人に適任だと思える人を見つけるまで、従者に交代交代で手伝ってもらうよ」

「そうか。それがいいね。急いですることじゃない」


 彩美はうんうんと大きく頷いた。

 聞きたいことも聞けたところで、ようやく本題に入る。


「あのさ」


 決心していたはずなのに、急に恥ずかしくなってきた。


「なに?」

「明日、彩美も休みだよね」


 彩美は一瞬目線を上にあげる。


「ああ、そういえばそうだったね。もう忙しすぎて日付感覚なくなっちゃったよ」


 いや、ブートキャンプ……。今は突っ込んでいる余裕はない。


「なにするの?」

「決めてないよ。今休みだって思い出したんだもん」


 言え。言うんだ!


「前に服買いに行こうって話したじゃん。僕がファッションに疎いからってさ。あれ、明日、どうかな?」


 彩美は一瞬目を真ん丸にして、すぐにタレ目に戻った。


「い、いいよ。行こう」

「じゃ、じゃあ、一〇時に梅田で」


 よかった。僕は一安心した。


「うん。私、もう会議があるから。またね」


 彩美は手でシッシと僕に退場を促した。


「また明日」


 僕は振り返り扉に歩いていく。

 ああ! 緊張した! 自分から正式なお出掛けのお誘いなんて、人生で初めてだ。前に服を買いに行こうと言ったときは、話の流れがあったからすんなり言えた。こんなに改まって、日付まで決めて誘えたのは、僕の人生で大きな一歩だ! 彩美も行きたがってたもんな。これでいい。これでいいと信じよう。

 背後でなにやらじたばたと音がしているが、僕は顔から火が出ているので振り返れない。じたばたしたいのはこっちだ。




 次の日。


「お兄、起きて。朝だよ!」

「……朝なんて来ないんだよ……」

「うざっ! もういいって!」


 ガァンッ!


 頭に衝撃が走る。

 一瞬霊体が抜けて、急いで体に戻る。


「ちょ! なに今の!?」


 まりなは通話機を片手に構えている。


「それは凶器ですよ!?」

「起きないんだから仕方ないでしょ! 朝ご飯が冷めちゃう!」


 通話機で殴られた。他人だったらこれは事件だぞ。

 僕は頭を押さえながら、席についた。

 食卓には、野菜スープとチョコパン。それにヨーグルトが置いてある。


「今日は体に優しいものにしてみました」


 まりながツインテールを揺らし、跳ねながらスプーンを渡してきた。

 どうやらこの野菜スープの出来栄えに気に入っているらしい。

 一口スープを飲む。

 ああ、温かい。口からスープが入っただけなのに、温泉に入ったかのようなポカポカ感がある。コンソメが軸で安定の味だが、少しだけ辛みがある。その辛みがポカポカ感の正体か?


「なんかスパイス入れてる?」

「うん、さすがお兄。ジンジャーを主張が強くなりすぎない程度に入れてるよ」


 そうか! この温かみは生姜だったのか! 一気に疲れが吹き飛ぶ。

 野菜もサイコロ切りしていて、食べやすい。小さく切ることでしっかりとスープが染みている。

 ああ、落ち着く朝食だ。


「今日って、休みなんだっけ?」


 まりながチョコパンをかじりながら聞いてきた。


「うん。ほんっとに久々の休みだ」

「なら、私の特寺終わりに買い物行こうよ。新しいアイシャドウが欲しいの」


 枚方幕府時代に休校となっていた特寺は、幕府役人を養成する大役があるために再開している。全員を収容できる学校はないため、臨時的に学年別の分散会場での授業となっている。


「ごめん。今日は用事があるんだ」


 僕は少し自慢げな顔をしてまりなの誘いを断った。


「え、なに? なんかむかつく」

「彩美と服を買いに行くんだよ」

「聞いてないんだけど。って、将軍さまと!?」


 まりなは野菜スープを吹きだした。


「二回目のデートってこと!? もう付き合ってるじゃん!」


 その言葉に僕は動揺する。


「いやいやいや! 将軍と老中が付き合うなんて! いやいやいや!」


 僕はブンブンと顔を横に振った。


「でも! 異性と二回もデートしたら、もうカップルだよ!?」


 そうなの!? まりなもまりなで認識間違ってない!?


「まず! デートじゃない。僕が服を買いに行くのを、ついてきてもらうだけだ」

「将軍さまに!? なんて豪華な帯同なの!」

「将軍である前に! 幼馴染だから! それくらいするでしょう!」


 僕はなんとかデートを否定しようと試みる。


「幼馴染って、お兄はたいしてそのときのことを覚えていないんでしょ?」


 まりなのトーンが少し落ち着いた。

 当時のことを触れることに対して、気を使ってくれているのだろう。


「ちょっとずつだけど、思い出してきているんだ。どうやら、彩美とは結構仲が良かったらしい」

「そうなんだ。なんかお兄、不幸の持ち主か、幸運の持ち主か、わからないね」


 まりなはヨーグルトをパクリと口に入れた。


「どういうこと?」

「孤児院にいたから、将軍さまと会えた。そして、今の家族のもとへ来たから、勉学に励んで、老中にまで上り詰めた。老中になってからもそうだよ。ピンチが訪れても結局なんとかしてる。だってお兄、一回死んでるんだよ?」


 僕はまりなに言われて、これまでの人生を思い返した。


「確かに壁の多い人生だったかもしれない。生みの両親が僕を助けて亡くなったことは、今後も一生胸に刻まれていくと思う。でも、だから僕には今がある。これまでの全てが僕を作り上げている。確信したよ。僕は圧倒的後者。幸運の持ち主だ」

「ごちそうさま」


 ええ!? 感動の名シーンでは!?


「ちゃんと聞いてた?」

「聞いてたよ。お兄がそう思ってくれていることが、私も嬉しい。私もお兄のその幸運の、一つの要素になっているのかなって」


 まりなはリビングの掛け時計を指さした。


「時間、大丈夫?」


 時刻は九時四〇分を回ったところだった。


「やばいっ! 遅れる!」

「将軍さまを待たせるなんて、老中解任かもね」


 まりなはクスッと笑い、急いで飛び出した僕を見送った。

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