五六.伊奈朱里の決意

 キザン。その名前は、まさか、まさか。

 僕は体を震わせながら、デリーに確認する。


「その次席補佐官は、日本人ですか?」

「ああ、そういえば、数年前、ジャパニーズから帰化したみたいですね」


 やっぱりだ! やっぱりそうなんだ!


「亀山は、生きてたんだ!」


 急な大声に、彩美と、陽菜さんがビクッと驚く。


「亀山って、瑞樹の育てのお父さん? 石田遣米使節団の」


 彩美が、興奮する僕を見て、話を理解した。


「おお! 確かに彼はキザン・サイトウというネームです」


 デリーの最後の一押しに、僕はツウと涙が流した。


「よかった。お父さんはアメリカで生きている。難破してなかったんだ。遣米使節団はアメリカに辿り着いていたんだっ!」


 彩美と陽菜さんは、喜ぶ僕を微笑ましく見守ってくれている。


「この内容でなら、締結しましょう。将軍さま、よろしいですよね?」


 僕がひとしきり喜び終わったあと、陽菜さんは、再び文書に目を移し、彩美に確認を取った。


「問題ない。調印する」


 彩美は、一段と声を張り上げる。


「今後、日本とアメリカの国交が開かれる! 双方手を取り合い、貿易を通して、資源、文化を共有しあい、共に成長できることを楽しみにしているっ!」


 周りを囲む従者たちがパチパチと拍手をした。

 アメリカ通商艦隊の面々もつられて手を叩いている。

 難破したと思われていた齋藤亀山、僕の育てのお父さんの海を越えた向こう側での尽力により、日本とアメリカは平等な条件で通商条約を結ぶことができた。

 異国襲来という、日本が抱えた大きな大きな問題は、こうして幕を閉じた。

 だが、まだまだしなければいけないことは残っている。新しい組織体系の組み立て、過激化した鎖国派の鎮圧、処罰。アメリカとの貿易体制の詳細建付け。

 しばらくは寝られそうにないな。

 僕は、これから始まる新しい日本に、胸を膨らませている。




 アメリカ通商艦隊との、日米通商条約締結の一週間後。今後の建付けが着々と決まりだした。

 正式な貿易は、三ヶ月後の一一月より開始することとなった。

 それまでに、アメリカ人が日本に馴染む第一段階として、大阪南部に居留地『アメリカ村』を作ること。そして大阪城跡地に新・大阪城を再建することが決定した。

 大阪城の再建費用は、幕府にプールされていた資金、陽菜さんのお膝元である愛知藩の資金、それに、有志による募金で賄われた。

 三つの中で最も割合を占めたのが、募金だ。それだけ復活した大阪幕府への期待が高まっている。

 組織体系も徐々にその全貌が見えてきた。

 枚方幕府に仕えていた、鎖国派の役人は、全員が階級引き下げ。それが不服な役人は自主退職を促す形となった。

 例えば、加々爪京子、諏訪アリサは従者へ引き下げ。大河内済は幕府を退職した。

 正直、いつ謀反を起こすかわからない者を、幕府内部に入れておくことはリスクが高いが、枚方幕府と同じようなことはしたくないという彩美の希望に、老中である僕も従った形だ。

 鎖国派粛清の例外として、陽菜さんは大目付に就任することになった。表面上の理由は、異国との交渉が評価されてとのことだが、実際は本家と分家の共存を公に示す意味合いが強い。

 前任で大目付だった大岡なみは、彩美曰く『テキパキ仕事をこなす公正公平な真面目人間』。見た目はあまり清潔感を感じず、髪もぼさぼさだが、確かに評定所の仕切りはしっかりと行っていた。その能力から、勘定奉行代理という役職が与えられた。

 そう。今回の組織に、伊奈朱里の名前はない。

 僕は、自宅にこもり連絡が取れない伊奈さんのもとへ向かった。




 インターホンを鳴らしても、返事はない。

 ドアノブを動かすと、鍵がかかっていないことに気付く。


「伊奈さん、いるんですか?」

「……はい」


 部屋の奥から小さく返事が聞こえた。

 伊奈さんは、寝室のベッドで、頭まで布団をかぶって寝込んでいた。


「大丈夫ですか?」


 自分で言ってハッとなる。愚問だ。大丈夫なはずはない。


「……いつピスタが帰ってきてもいいように、鍵はかけていないんです」


 伊奈さんは顔を見せずに答えた。


「伊奈さん、僕にできることはないでしょうか?」


 僕は、ピスタが淀川に投げられた事実を先に知りながらも、伊奈さんに言えなかった罪悪感に駆られている。


「ないですよ。瑞樹さんがピスタの代わりになれるんですか?」

「それは……」


 僕は黙り込んでしまった。


「私は昔から引っ込み思案で、人と話すのが苦手でした。そんなとき、両親が人じゃないなら話せるだろうと、猫を貰ってきてくれたんです。それがピスタ。今は翻訳機で人間の言葉を話しますが、それがなくとも心で通じ合えていました。ピスタはいつだって私のそばにいてくれたんです」


 伊奈さんは目元まで布団から出し、僕を見た。その目は真っ赤に充血している。


「瑞樹さんは、ずっと私のそばにいてくれるんですか……? 幕府も辞めて、ずっと、いつなんどきだって、私と一緒にいてくれますか……?」


 今の伊奈さんに、軽い嘘でもつくことは許されないだろう。


「伊奈さん、ごめん。それはできない。僕は幕府で、これからの日本を作っていかなければならないんです。でも、伊奈さんを支えることと両立できないとは思わない。必要ならば、伊奈さんが立ち直れるまで毎日だってこうして家に来ます。たくさん話しましょう。彩美も伊奈さんの復帰を待っています。勘定奉行の席は、新組織で空いたままなんです」


 伊奈さんは再び布団に潜り込んでしまった。


「それじゃだめなんです。私にはいつだって一緒にいてくれる存在がいないと。コミュニケーションは苦手なくせに、一人では生きていけない。そんなどっちつかずな人間が私なんです。ピスタは辛いときも楽しいときも、常にそばにいてくれました。私のことを第一に考えてくれる。でも瑞樹さんはそうじゃない。それじゃ、だめなんです」


 僕は返す言葉を選びすぎて、無言が続いてしまった。しばらくの間、ベッドの横で座りつくしている。


「……私、面倒くさいですよね」

「いや、そんなことはないですけど」

「わかっています。こんなことを瑞樹さんに言っても、どうにもならないって。でも、今全部吐き出せたことで、少し落ち着くことができました」


 伊奈さんは、布団からゆっくりと起き上がった。


「私にとってピスタがどれほど大切だったかも」


 目をこすり、指で涙を拭う。


「ピスタを探すことにします」

「探す?」


 僕は、普段の伊奈さんからは見受けられない能動的な発言に、少し驚いた。


「確かにピスタは泳ぎが苦手です。でももしかしたらまだ生きていて、どこかで凍えているかもしれない。私を待っているかもしれないです」

「なら、僕も手伝いますよ。一緒に行きます」


 伊奈さんを一人で行かせるのは、不安と心配でいっぱいだ。


「大丈夫です。さっき瑞樹さんがご自身で言っていたじゃないですか」


 伊奈さんは人差し指で、僕の額をツンと突いた。


「大阪幕府で日本の未来を作っていくんでしょ? ならどでんと幕府の真ん中で構えていてください。私についてくるのはおかしいですよ」


 そう言って伊奈さんは、少しだけ口角を上げた。久々の伊奈さんの笑顔に、僕は嬉しくなった。


「わかりました。伊奈さんが少しだけでも元気になったようで、よかったです。ピスタはきっと生きています。早く見つけてあげてください。そして、必ず大阪幕府に戻ってきてください。僕は、また伊奈さんと仕事ができることを楽しみにしています」


 伊奈さんは立ち上がり、猫耳をセットしだす。


「そう言ってくれて嬉しいです。私には戻る場所があるんだって。瑞樹さんとなら、あまり緊張せず話せるのは、なんでなんでしょうね」


 セットが終わり、振り返った伊奈さんは、今まで史上最高の笑顔で僕に尋ねる。


「この猫耳、可愛いでしょ?」

「すこぶる可愛いです!」


 僕はピスタを探し旅に出る伊奈さんを、これまた最高の笑顔で見送った。

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