五五.三〇日天下
デリー再来航、当日。
昨日の、豊臣陽菜による枚方幕府閉幕宣言により、豊臣彩美が、大阪幕府第五五代征夷大将軍として、復活した大阪幕府のトップに立つこととなった。
一ヵ月間だけの枚方幕府、ひいては初代将軍・豊臣陽菜は、『三〇日天下』と、一部の民衆から
大阪城は焼失しているので、臨時的に、枚方城を大阪幕府の本拠地として政務を開始している。
「齋藤瑞樹殿、貴殿を老中に任命する」
「ありがとうございます」
枚方城の豊臣御殿では、最低限の組織体制を組み立てている最中だ。
僕は老中に返り咲くことができた。大河内なんかに任せられない。
「初鹿野まお殿、貴女を町奉行に任命する」
「はい!」
「久世音羽殿、貴女を寺社奉行に任命する」
「承知いたしました」
彩美は淡々と任命状を読み上げるが、昨夜からの疲労で寝落ちしそうになっている。
「……この読み上げいる? もう疲れちゃったよ」
「一応しきたりなので……」
従者が恐る恐る伝える。
「もう一旦終わりにしよう。こんなことしてる場合じゃない。今日の午後にはアメリカ通商艦隊が来るんだから」
彩美は将軍席から立ちあがり、奥の寝室へと歩いていった。
「デリーが来たら起こして。準備は終わってるから、ちょっとだけ寝たい」
「そ、それはまずいかと!」
「休ませてあげてくれ」
僕はあわあわする従者の肩を叩いた。
「昨日から一睡もせずに、対アメリカの対応、大阪幕府の新体制を計画しているんだ。もう限界だと思う」
「でも彩美公、活き活きとしてますね。私、なんだか嬉しいです」
初鹿野が、手を叩いてニコッと笑った。
「彩美にとって開国=日本を守ることなんだ。そしてそれを実現するためには自分がトップに立つ必要がある。なんとか達成できて、胸をなでおろしていると思うよ」
久世さんの通話機がリンリンと鳴った。
「香里園で怨霊被害が出ているらしい。私はこれで失礼する」
こんな忙しいときでも、怨霊は待ってはくれないか。
「久世さん、大丈夫ですか? 久世さんもまだ万全な体調ではないと思いますが」
僕は、命の恩人である久世さんに対しては、とりわけ親切にしなければならないと思っている。
「私の心配より優先してするべきことが山積みだろう」
久世さんは真っすぐな黒髪をなびかせ、冷たくあしらった。
「だが、ありがとう」
ちらっと僕のことを見ながら、久世さんは豊臣御殿をあとにした。
またうさちゃんと話しているところ、見てみたいな。
僕は御用部屋に戻り、大阪幕府の再興に関わるりん議書に目を通していた。
昨日まで大河内が使っていた部屋だ。香水の匂いがプンプンする。
全然集中できないので、消臭スプレーを至るところにふりかける。
「ゴホッゴホッ」
部屋の角にスプレーを吹いていると、下から女性の咳の声がした。
「陽菜さん!? なにしてるんですか!?」
陽菜さんは体育座りで、御用部屋の角にうずくまっている。
「いや、居場所がないから……」
陽菜さんは上目遣いで僕を見た。
「居場所がないからって、なんで僕の執務室に!? 驚かせないでください!」
ひとまず、陽菜さんをソファに座らせる。
「昨日の公開謝罪、感激しましたよ」
僕はコーヒーを淹れて、机に置く。
「公開謝罪って……その言い方はやめてよ」
「公開謝罪以外なんと言えばいいんですか? 将軍が自分の非を認めるなんて、僕が生まれてから初めてですよ」
陽菜さんはコーヒーを口につけ、「あつっ」と顔をしかめた。
「彩美は違うの?」
「彩美はまだ非を認めるような間違いはしていません」
「……ぞっこんだね」
陽菜さんは、昨日の謝罪を触れられるのが恥ずかしいのか、話題を変えた。
「でも、なんで彩美は私を大阪幕府に残したんだろう。他の幹部は処遇が決まるまで自宅謹慎なのに」
「それは決まってますよ」
僕は背もたれにもたれ、当たり前の事実のように話す。
「彩美が陽菜さんの能力をかっていることと、本家と分家、手を取り合って幕府を作っていきたいからですよ」
「……よくわからないよ」
陽菜さんは上を見上げて、物思いにふけっている。
「あと」
僕は、彩美が陽菜さんをかっていることに関連させて、気になっていることを聞いた。
「陽菜さん、もしかしてずっと賛成票に入れていました?」
陽菜さんは、数秒黙って、首を縦に振った。
「やっぱり。伊奈さんが反対票に入れている時点で、こちらに四票入るのがおかしかったんですよ。彩美は、陽菜さん側で賛成に回っているのは、諏訪さんと、陽菜さん本人なんじゃないかと思っていました。それは当たっていたわけですね」
「見透かされてたのね」
陽菜さんは天井を仰いだままだ。
「評定所前日のデモが起こってから、御殿にこもってずっと考えていた。もういい、明日は賛成票に入れてどうにかなっちゃえって」
「賛成票に入れていたのなら、なおさら処罰する理由も減ります。陽菜さんは、無意識に生き残る選択肢を選んだんですよ」
陽菜さんは、「言い方が悪い」とプクッとむくれた。
「今は目の前のことやっていくしかないんじゃないですか? ひとまず、陽菜さんは引き続き対異国交渉代表なんですから、彩美の意向をデリーに伝える準備をしてください」
御用部屋の扉が開く。
「瑞樹さま……と陽菜さまもいらっしゃいますね。アメリカ通商艦隊が大阪湾に到着したとのことです。じき枚方城に謁見されます」
僕は背伸びをしながら立ち上がる。
「報告ありがとう。一つお願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「彩美を起こしてきて。絶対爆睡してるから」
僕と陽菜さんは、対面場所の大広間へ向かった。
大広間には、壁一面に従者たちが並んでいる。
大阪幕府の強さを見せつけるためだ。なめられては困る。あくまで対等に接していく。
僕たちに遅れて、彩美も大広間へ入ってきた。
「彩美、寝ぐせ」
「ふぇ?」
だめだ。頭が全然回っていない。
「国のトップである将軍がそんなんでどうする。デリーに鼻で笑われるよ」
「笑えばいいよ。わざわざ謁見しに来てるのは向こう。堂々としてればいいんだよ」
こういうときは一丁前に図太いんだな。じゃなきゃ将軍なんて務まらないか。
「通商艦隊の皆様が到着されました! 大広間に入られます!」
大広間の巨大な扉がゆっくりと開く。
デリーを先頭に、アメリカ人が三〇人ほど中に入ってきた。全員僕らより背が高く、鼻も高い。
彩美以下、僕たちは立ち上がらない。
この国では、この場では、僕たちの方が立場は上だ。
「アメリカ通商艦隊司令長官・デリー。先日は私の体調不良でお会いすることができず、申し訳ない。大阪幕府第五五第征夷大将軍・豊臣彩美と申す。席についてよい」
彩美はデリーに会釈をする。
平賀式翻訳機を首からかけたデリーは、ゆっくりと腰を下ろし、口を開く。
「いやいや! こちらこそ! ジャパンの皆様とてもフレンドリーで、私はハッピーです! ちょっとだけ予定時刻に遅れて、ソーリー! 波がハイでなかなか前に進まず」
思ってたのと違うっ!!
僕と彩美は、同時に陽菜さんを見る。
陽菜さんも唖然としていることから、一か月前の態度とはガラリと変わっているようだ。
少しふくよかな体系の、金髪マッシュルームヘアのデリーは、高圧的な態度を一切出さず、揉み手をしながら
「あの~、前回お話しした、トリーティのことなんですけども」
おそらく条約のことだろう。
「ちょっと私どもも行き過ぎたリクエストをしてしまったかなと、リフレクションしています」
彩美は「ううん」と咳払いをして、陽菜さんに耳打ちをする。
「リ、リフレクションってなに?」
「私も詳しくないけど、申し訳ないとか、反省って意味合いだと思う」
陽菜さんは、彩美に教授したあと、徐々に頭が回ってきて少し緊しだした彩美に代わり、対応する。
「では、前回の条約内容は白紙に戻すということですか?」
デリーは、軍服の胸ポケットからハンカチを取り出し、顔の汗を拭いた。
「日米通商トリーティ自体は結びたいんです。なので、ホワイトペーパーに戻すというよりは、いくつかのリクエストをチェンジして結んでいただけないかなと」
「条約内容はどんなものですか? 締結するかどうかは、中身によります」
陽菜さんは強気に出た。
方針では、内容がどんなものであっても結ぶ。だが、向こうが予想外に下手に出ている以上、こちらが怯えて腰を低くする必要はない。
彩美もそれを理解しているので、陽菜さんの態度を確認し、少し口角を上げて頷いている。
「は、はい。こんな感じでいかがでしょう」
デリーが差し出した文書には、日本語でこう書かれていた。
『日米通商条約・締結内容
・日本の開国、大阪湾の開港
・日本、アメリカ合意条件の下、自由貿易の開始
・日本、アメリカ双方での安全な居留地の確保
・日本、アメリカ双方での領事裁判権の保有
・日本、アメリカ双方での関税自主権の保有』
その下には細かい事項がつらつらと書かれている。
僕たちは椅子から転げ落ちそうになった。
平等すぎる! こわい! 逆にこわいっ!!
「いかがですかね? このトリーティ」
デリーは、肩を小さくして伺ってきた。
「前回提示された内容と大分違いますが、アメリカ国内でなにかあったんですか?」
陽菜さんが驚きを隠しながら、冷静を装って尋ねる。
「ええ、ちょっと、
「次席補佐官?」
彩美が復唱した。僕たちはアメリカ政府の体制に詳しくない。
「はい。アメリカ合衆国大統領次席補佐官・キザンさまのご意向で、このようなリクエストになっています」
その名前を聞いた瞬間、僕は目玉が飛び出そうになった。
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