五四.力不足への拍手

「はい! それでは、三回目の協議を始めます。今回の投票で、日米通商条約を締結するかどうかが決まります。再度のご説明となりますが、賛成が五票以上集まった場合のみ、締結。それ以外は現行方針のままの不締結となります。では、計ります」


 大岡なみの説明と共に、最後の協議が始まった。

 伊奈さんには、結局ピスタの最期については、伝えられていない。

 先に伝えるべきだということはわかっている。いつか知ることになるから。でも、僕の口からはとても言えない。辛すぎる。伊奈さんの悲しみや絶望を、僕は一緒に背負っていけるだろうか。その覚悟が僕にはあるか。決心がつかずにいた。

 特に議論が進まないまま、四五分が経過した。

 従者に思い切り蹴られたショックからか、大河内の口数が減ったことが、議論の停滞に拍車をかける。

 このままだと、賛成は四票。鎖国の継続、そして枚方幕府の継続が確定する。

 彩美は向かいの僕の目を見た。話さなくてもわかる。『まだ可能性はあるのか?』という確認だ。

 僕はゆっくりと頷いた。

 そのとき、従者が勢いよく会議室の扉をノックした。


「将軍さま、大変です! 今すぐご判断を!」


 扉越しから聞こえるその声は、尋常でない事態を表している。


「今は幕府の最高幹部会議・評定所の最中です。中断してまでの事案ですか?」


 管理委員の大岡なみが、扉を少し開けて確認する。


「いいの。入れて」


 豊臣陽菜の一言で、従者は転がり込むように会議室に入った。


「こちらをご覧ください!!」


 従者は、机の上に一枚の新聞を叩き置く。

 僕以外の全員が目と口をあんぐりと開き、驚愕の表情をした。

 数秒の間のあと、大河内が鬼の形相で叫ぶ。


「くそおおおぉぉぉ!!」


 号外にはこう書いてある。


『枚方幕府老中・大河内済! 従者へのセクハラ&動物虐待のW疑惑! 勘定奉行・伊奈朱里の愛猫を淀川へ捨てたか』


 蜂須賀に憑依した僕は、大河内の会話を全て録音していた。それを日本大阪新聞社に電子手紙で送っていた。


「大阪中にこの号外がばらまかれています! 町は大パニックです。既に枚方城前には五〇万人を超える抗議者が集まってきています!」


 豊臣陽菜は立ち上がっていたが、力の抜けたように座り込んだ。

 伊奈さんは、記事を全文読まずして、僕に抱きついてきた。


「瑞樹さん……、こんなのって、ないですよ……」


 伊奈さんの涙で僕の束帯はビショビショになる。

 目の前を見ると、彩美もツウと涙を流していた。


「蜂須賀め! 覚えてろ! 牢屋にぶち込んでやる!」

「黙りなさいっ!!」


 怒りを開放する大河内を、豊臣陽菜がいなした。


「大河内老中。あなたがしたことでしょう。それを従者のせいにする、老中失格だよ」


 大河内は、金髪頭を掻きむしっている。


「私は今から抗議者の対応をする。舞台を準備してくれる?」


 豊臣陽菜が従者に呼びかけた。


「はい! すぐに!」

「評定所は中止かな」


 彩美が豊臣陽菜に向かって声を掛けた。その表情は少しだけ柔らかい。


「彩美、瑞樹くん、私に将軍は向いていないのかもしれない」

「なにを仰ってるんですかぁ。その続きは言わないでください」


 加々爪さんが制止に入るが、豊臣陽菜は手を前に出し、その制止を止めた。


「昨日、樟葉監獄から開国派が脱獄して、枚方城を取り囲んだとき、私、本当にこわかった。暴徒化して殺されるんじゃないかとか、どんどんと悪い妄想が広がった。国のトップに立つことがこんなにも重圧のあることなんて、知らなかった」


 彩美は、黙って豊臣陽菜の話に耳を傾けている。


「所詮分家なんだなって。私に国を統治する度量はないんだなって、確信した。国民全員が賛成する方針なんてない。これからも事あるごとにこうやって抗議をされたら、私の心は壊れてしまう」

「私たちが支えますよぉ。だから、置物でもいいんで陽菜さまには上に立ってもらわないと」


 加々爪さん、それは違う。置物『でも』いいなんて、絶対言っちゃだめなんだ。形だけでも上に立って、国民からミット打ちされる辛さは、計り知れないものだ。


「もともと、鎖国派なのは事実だけど、そこに政治闘争が絡んできたから熱くなってしまった部分はある。念願の将軍になれるチャンスが巡ってきたんだから」


 愛知豊臣家からは、長らく将軍が出ていない。豊臣陽菜の夢であるし、一族としての悲願でもあっただろう。


「でも、一ヵ月でも将軍になって、新たな幕府を立てて、やっぱり私には無理だと思えた。それでいい。私は愛知藩で細々と暮らしていく」

「それはだめだよ」


 彩美が豊臣陽菜に近付いた。


「陽菜、それは許さない。大阪幕府は復活する。だからって万事解決じゃない。この大きな混乱を招いたのは陽菜の責任が大きいでしょ。のうのうと愛知藩に返すなんて、私はしない。大阪城の再築に、幕府体制の立て直し。陽菜にはとことん働いてもらう」


 僕はすぐに理解した。

 これは彩美の優しさと挑戦だ。本家と分家。ずっと仲が悪く交じり合わなかったが、新たな大阪幕府で、その歴史を変えようとしている。


「将軍さま、準備が整いました!」


 従者が会議室に知らせに来る。


「いってきます。みんな、振り回してごめんね」


 その場にいる全員に向かって、豊臣陽菜は深々と頭を下げた。




「どうなってんだよ!」

「こんな幕府支持できるか!」

「老中を降ろせぇ!」


 枚方城前は、号外を見て抗議に来た民衆でごった返している。

 豊臣陽菜はせり上がった舞台に立ち、その光景を見まわした。


「枚方幕府初代将軍・豊臣陽菜です」


 マイクで拡張された声に、民衆は一気に静まり返る。


「この度は、私が登用した、老中・大河内済に関する疑惑で、大変不快な思いをされたことを、みなさまに心よりお詫び申し上げます」


 このとき、人生で初めて将軍をじかに見る人も多かった。その一挙一動作を、固唾を飲んで感じている。


「枚方幕府が開かれて、一ヵ月が経とうとしています。みなさまは、異国の襲来と、四〇〇年続いた大阪幕府を潰しての新しい統治体制という、二つの異常事態の中で、不安な夜を過ごされたことでしょう。申し訳ございません」


 僕と彩美は、会議室を抜け、豊臣陽菜を直接見れるところへ移動した。彼女は、とても堂々としている。


「噂は飛び交っていますが、この枚方幕府は、豊臣家内の権力争いと、日米通商条約の締結可否が絡み合って開かれたということは、本当です」


 彩美は、正直に話す豊臣陽菜の姿を、しっかりと目に焼き付けている。


「全て私が間違っていました。大阪幕府を、そして大阪城を消す必要はなかった。新しいことを受け入れるのがこわくて、過去にすがりついていた私が、その過去を全て見守ってくれていた大阪城を焼失させてしまった。後悔と反省で胸が苦しいです」


 豊臣陽菜は涙声になっている。それを貰ってか、民衆からも鼻をすする音が聞こえる。


「日米通商条約の締結を反対しているみなさんは、私を支持してくれていたと思います。もし今でも私を支持してくれているのなら、私が支持する次の将軍の意向を、信じてあげてください。日本は変わらなければいけないんです」


 豊臣陽菜は、一呼吸して声と心を落ち着かせる。


「私は将軍を降りて、この枚方幕府も閉幕します。将軍の座は、豊臣彩美公に返上し、彩美公の下、新たな大阪幕府が開かれます」


 豊臣陽菜は、はっきりと力強く宣言した。

 僕と彩美は、これでいいんだと、顔を見合わせて頷いた。

 豊臣陽菜の前にいる大勢の民衆からは、ゆっくりと拍手が聞こえてくる。その拍手はどんどんと呼応し、盛大なものとなる。

 この拍手は、自分の非を認め、謝罪し、自らの声でその全てを伝えきった豊臣陽菜への賞賛だ。

 僕も手が腫れるほどの大きな拍手を、豊臣陽菜へ送った。

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