五三.外道の性分

 二回目の協議が始まった。

 開始早々、大河内が怒鳴る。


「加々爪、アリサ! おまえら裏切っただろ!?」


 加々爪さんはコホンと咳払いをした。


「私は反対に入れましたよぉ」

「アリサだって、ちゃんと反対に入れています」


 諏訪アリサの声を初めて聞いた。甲高く幼い声だ。長い銀色の髪をポニーテールにまとめている。


「僕の目は騙せねえぞ! 将軍もなんとか言ってくださいよ!!」


 大河内が豊臣陽菜に助けを求める。


「大河内老中、探り合いはやめよう」


 豊臣陽菜がこの日初めて口を開く。


「みんなが思うように投票してくれればいいよ。私はそれぞれが、正しい判断をすることを信じている」


 豊臣陽菜の発言によっては、僕が加々爪さんの説得で言ったことが、嘘だとバレる可能性は大いにあった。

 しかし、奇跡的に、僕のついた嘘とそこまでずれていない方向で喋ってくれている。

 正直、バレたところで、陽菜陣営の混乱を招くことができれば最低限の成果だが、このまま加々爪さんが勘違いをしたまま進むなら、それはそれでいい。


「将軍、本気で言っていますか!? このまま勝っても、二人が裏切ったという遺恨は残ったままですよ!?」


 大河内の目的は、もはや犯人捜しだ。


「大河内老中、もういいの。結果と事実を受け入れよう」


 やはり、豊臣陽菜の威勢がなくなっている気がする。


「そうですかそうですか。将軍がそういう考えなら別にいいですよ。くそ! 本当はこっちに五票入るはずだったのによ!」


 ん? 五票? 大河内の言いぶりにずっと違和感があった。陽菜陣営で裏切ったのは一人ではないのか?

 隣に座る伊奈さんを見ると、目に見えてわかるほど、ガクガクと震えていた。

 まさか。僕は嫌な予感がしている。


「伊奈さん、そういえばピスタは?」


 伊奈さんは、唇を噛みながら、震える声で話す。


「勘定奉行所にいると思います」


 僕は伊奈さんを飛び越え、大河内をキッと睨み話しかける。


「大河内、ピスタになにかしたか?」

「ピスタ? 伊奈が飼ってる猫のことか? 知らないなそんなの」


 大河内は、腕を頭の後ろに組み、足を机に乗せた。

 さすがにここじゃ言わないか。

 協議は、特に進展のないまま、一時間が経過した。


「はい! では、二回目の投票結果をお伝えします。賛成:四票・反対:三票です」


 やはり変わらずか。

 次の投票で一票奪えなければ、彩美陣営の負けが確定する。

 僕は、大河内の放った一言がずっと頭に引っかかっている。


『本当は五票取れるはずだった』


 これはつまり、豊臣陽菜、大河内済、加々爪京子、諏訪アリサにプラスして、彩美陣営から一人反対に投票することを想定していたということだ。

 そしておそらくそれは伊奈さん。あの体の震え、大河内になにかされたに違いない。

 不思議なのは、大河内の予想に反して、賛成に四票入ったこと。伊奈さんが反対に入れているなら、陽菜陣営から二人裏切り者が出たことになる。

 諏訪アリサは確実だとして、あと一人はだれだ?

 なににしても、三回目の協議までの二時間で、こちらが勝つ筋道を立てる必要がある。




 僕は、個室に入ったあと、再び壁に突進し、霊体となった。

 この抜け方、なんとかならないか。いくら鈍感でも、痛いものは痛いんだ。

 まずは、伊奈さんの部屋へ向かう。

 伊奈さんは僕が霊体化できることを知っているので、だれかに憑依しなくても大丈夫だろう。


『伊奈さん、齋藤です』


 部屋にあった紙とペンで、筆談を開始する。


「ああ、瑞樹さん……」


 伊奈さんは、静かに話し始めたあと、泣きたてた。


「本当は、瑞樹さんの胸を借りて泣きじゃくりたいです。彩美公のように。私、どうすればいいか……もうわからないです」


 伊奈さんには僕の姿が見えていない。それでも彼女は、思いを吐露してくれている。


『なにがあったんですか』

「昨日の夕方、ピスタは彩美公と瑞樹さんから訴状を受け取って、私に届けてくれました。でも、勘定奉行所の前に置かれていたのは訴状と一枚の手紙だけ。ピスタの姿はありませんでした」


 伊奈さんは猫耳を押さえながら、うずくまっている。


「その手紙には、『俺のことは心配するな。必ずまた会える。さよならは言わない。ありがとう』と書かれていました」


 ピスタからの別れの手紙か。


「その後、大河内さんとすれ違ったときに言われたんです。『猫を取り戻したければ、反対票を入れろ』と」


 やっぱりか! 大河内は、伊奈さんを脅迫して、反対票を増やそうとしていたんだ!

 許せない。この外道め!


「瑞樹さん、ごめんなさい。私、どうしてもピスタを助けたくて、賛成票に入れることはできません」


 伊奈さんは、涙ながらに頭を下げた。


『伊奈さんはなにも悪くない。ピスタを救う方法も、一緒に考えましょう』

「ありがとうございます……。私、もし瑞樹さんがいなかったら、今頃どうにかなっていました」


 伊奈さんは、偶然なのか、僕と目が合っている。


「瑞樹さん……」


 まっすぐに見つめるその目に、僕は吸い込まれそうだ。


「いや、なんでもないです。ピスタの安全と、大阪幕府の復活が同時に叶えられる方法があればいいんですけど……」


 びっくりした! 心臓が止まるかと思った。

 もしかしたら、もしかしたらだけど、告白なんてされちゃうのかなと思ってしまった。

 初告白が霊体状態なんて、イレギュラーすぎる。


『ひとまず、大河内に接触してみます。休憩時間なら、色々と口を開くかもしれません』


 僕は伊奈さんの部屋をあとにし、再度彼女のもとへ向かった。




「おおおいい! 何回ミスすればいいんだ! 頼むよぉ!!」

「申し訳ございません! 拭かせてください!」

「足踏んでるから!! もういい!」


 蜂須賀がコーヒーを上司の小袖にぶちまけている。

 目をつむりたくなる光景だ。

 蜂須賀、ミスを可愛いと思える懐の深い上司に当たるといいな。

 僕は自席に戻った蜂須賀に、筆談で招集をかける。


『ごめん。もう一度だけ力を貸してくれ』

「はい!」


 蜂須賀は左手をピンと挙手し、勢いよく立ち上がる。

 だから声に出すなっ!!

 またまた女子トイレに移動した蜂須賀は、宙に浮く紙とペンを、目をキラキラさせながら見ている。


「次はなにをするんですか!?」

『大河内に会いに行く』

「ひぇっ」


 蜂須賀はその名前を聞いた途端、飛び上がる。


「あのお方、すごくこわいですよ」

『大丈夫。僕が対峙するから。体だけ貸してくれ』

「なんかエロいですね」


 どこかだよ! 


「じゃ、また脱ぎますね」


 蜂須賀は服を脱ぎ始めた。

 だからそれは必要ないんだ! と書く間もなく、また間に合わなかった。


 ストン。


 脱いだ服をすぐに着る。なんの時間だこれ。




 蜂須賀の姿になった僕は、大河内の部屋に行く。上手いことペラペラと話してくれればいいが。


 コンコン。


「だれだ?」

「将軍配下従者の、蜂須賀はづきです! 差し入れをお持ちしました!」

「おお、蜂須賀か。入れ」


 案外すっと入れるものだな。


「ビアードパパのシュークリームをお持ちしました!」


 これはだれだって好きなはずだ。シュークリームが嫌いな人間なんて、この世にいない。


「ありがとう。うん、美味いな」


 一通り食べたあと、大河内は僕をソファの横に座らせた。


「楽しませてくれるんだよな?」


 大河内は僕の、いや、蜂須賀の胸を突然揉んできた。


「ひゃっ!」


 僕は思わず飛び上がって避難する。


「おい、おまえだけだぞ? 拒絶するのは。いいじゃねえか」

「だ、だめですよ! そんなのだめなんです!」


 人生で初めて襲われた。あまりの恐怖に語彙力を全て失う。


「僕は老中だ。蜂須賀は従者。目上の言うことは従わなければならない、だから従者なんだ。俺は今溜まってるんだよ」


 頭を回せ。上手く取り入りながら、拒絶する方法を。


「一つ、私からのお願い事を聞いてください!」

「さっさと終わることか? なら聞いてやる」


 僕はブンブンと頷いた。


「伊奈さまが飼われているマンチカンは、どこで保管されているのですか?」


 大河内のまゆげがピクンと反応する。


「そんなんがお願いか? 答えてやるよ。あの猫はもういない。淀川よどがわに放り投げたさ」

「え……?」


 僕は大河内の流れるような発言を、受け止めきれない。


「邪魔だろ僕が持ってても。伊奈には評定所が終わったあとに言えばいい。どうせじき勘定奉行からは外されるんだ。新しい猫でも飼って、田舎で暮らしとけよ。まともにコミュニケーションも取れないのに、奉行所のトップに立ってることがおかし――」


 反論より先に、体が動いていた。


 グキャァッ!


「おぐはぁぁっ!!」


 僕のハイキックが、大河内のあごにクリーンヒットする。

 大河内は一瞬宙に浮き、ソファに倒れこむ。


「おまえ、従者の分際で! こんなことして許されると思ってるのか!」

「そんなの知らない! 伊奈さんはピスタとまた会えることを信じている。伊奈さんにとってピスタは家族なんだ! ふざけんなよ! なんてことを! 僕はおまえを許さないっ!!」

「僕? 伊奈さん? なんなんだおまえは! 気が狂ってるのか!」

「そっくりそのままお返しだっ!!」


 僕は壊す勢いで部屋の扉を開け、大河内のもとをあとにした。

 伊奈さんになんと伝えればいいのか。いや、まず、伝えるべきなのか。

 僕は、悔し泣きをしながら、通話機を開いた。

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