五二.ドジっ娘、初めての説得をする

 評定所が開かれ、幕府幹部が不在の状況でも、行政が止まることはない。各々の管轄で、積み上がる仕事を対応している。


「うおい! なにやってるんだおまえ! ちゃんとしてくれよ!」

「も、申し訳ございません!」


 書類を床にぶちまけた蜂須賀は、上司の従者に平謝りしている。

 人質として、愛知藩から僕たちと共に大阪に来た蜂須賀は、枚方城へ向かったあと、将軍配下の従者として働いている。

 僕は落ちている書類の一枚に、小さく文字を書く。


『蜂須賀の出番が来た。人気のないところへ』

「はい!」

「なんだ!? 気味の悪い!」


 声を出すなよっ!! 怪しまれる!


「申し訳ございません! ちょっとお腹が……ああやばいな。やばいです!」


 蜂須賀は、お腹を押さえてじたばたしながら、上司に訴える。


「早くトイレ行ってこい! 絶対ここで漏らすな!」

「ありがとうございます!」


 蜂須賀は、最寄りの女子トイレへ駆け込んだ。


「ふぅ、齋藤さま、いるんですよね? 紙とペンも持ってきましたよ!」


 なんで女子トイレなんだ。まあ霊体だからいいけど。

 僕は紙とペンを持ち、筆談する。


「うわぁ凄い。浮いてるぅ」


 そうか、蜂須賀からはそう見えているのか。


『新幹線で話した通り、今から僕は蜂須賀に憑依する』

「はい! 楽しみです!」


 アトラクション感覚で憑依を楽しむな。


『憑依したあとは僕に任せてくれていいけど、仕事を抜けられる限界はある?』


 蜂須賀は首をかしげて考えている。蜂柄のベレー帽が落ちそうになっている。

 トイレで落とすのは勘弁してくれよ。見てるこっちもいたたまれない。


「私、雑用ばかりで大事な仕事は任せられていないので、結構長いこと抜けられると思います!」


 あんまり悲しいこと言うな。泣けてくる。


『わかった。じゃあ、早速憑依するよ』

「お願いします!」


 蜂須賀は上のシャツを脱ぎ始めた。

 なにやってるんだ!

 筆談で必死に止めようとするが間に合わない。


「齋藤さま! 準備が整いました」


 全裸になった蜂須賀は、仁王立ちで僕を迎え入れようとしている。

 僕は、一生開かなくなるほどの力で、目を閉じている。

 ええい! もういいや!


 ストン。


 蜂須賀の体内に入る。

 お互い同意のもとだからか、荻原桂のときのような、霊世界での戦いはしなくていいようだ。

 女子トイレの個室で、僕は女体で全裸。ささっと服を着る。

 ……どんな状況だ。




 蜂須賀の体に憑依している僕は、加々爪さんの部屋に向かった。

 女性に憑依するのは初めてなので、変な感じだ。

 ミニスカートを履いているので、股がスースーする。これ、パンツ見えてないか?

 僕は限界までミニスカートを下げた。

 胸もこんなに重いとは知らなかった。蜂須賀はそこまで大きいほうではないが、それでも歩くと揺れて、少し持っていかれそうになる。ん? 揺れる……なんでこいつノーブラなんだ。

 加々爪さんの部屋に着き、ノックをする。

 部屋から出てはいけないが、構成員以外の人物との接点を持ってはいけないというルールはない。


「どなたですかぁ?」


 扉越しでものんびりとした口調は変わらない。


「将軍配下従者の、蜂須賀はづきです! 差し入れを持ってまいりました!」

「どうぞ~」


 扉を開けて中にはいる。

 小ぶりな白いリボンをつけた加々爪さんは、大きなソファに座り、お腹あたりまで伸びた髪を巻きながら、本を読んでいた。

 あれ? 僕の部屋はソファなかったんだけどな。

 思わぬところで待遇の差を知る。


「差し入れは大須ういろうでございます! 私は元々愛知藩の人間なので!」


 加々爪さんは両手をあわせて喜んだ。


「まぁ、私、ういろう大好きですよぉ」

「それはよかったです!」


 もちろんリサーチ済みだ。


「もぉ~嫌になっちゃうわぁ。あの雰囲気。黙って反対票を入れ続ければ勝てるのに。なんで大河内さんはああやって血気盛んなのかなぁ」


 愚痴が始まった。加々爪さんは大河内のことが苦手のようだ。


「わかります! 男の人って、こわいですよね!」


 僕は加々爪さんの本音を引き出すため、まずはおべんちゃらを言う。


「そうねぇ。でも齋藤さんはなかなかかっこいい」


 急な展開に一瞬たじろぐ。


「そ、そうですか?」

「うん。齋藤さんなら抱かれてもいいかなぁ。実際、不可抗力とはいえ密着して抱き合った間柄だものぉ」


 おいおいおい! 本人がここにいるぞ!


「蜂須賀さんはどう思う? 齋藤さんのことぉ」


 どうって、勉強しかしてこなかったくそ真面目人間ですが。


「えーと、私もかっこいいと思います!」

「あらぁ、蜂須賀さんお顔が真っ赤じゃない。好きなの?」


 これは自分で自分を褒める恥ずかしさからだっ!


「やめてくださいっ! ところで!」


 強引な話題転換が、加々爪さんの『蜂須賀はづきは齋藤瑞樹が好き』という予想をさらに強めることになってしまうが、仕方がない。


「加々爪さまは、日米通商条約の締結について、どう思われていますか?」


 加々爪さんの少しつった目が、鋭くなる。


「なんでそんなこと聞くんですかぁ? 蜂須賀さんには関係ないですよね」

「実は、将軍さまから伝言を預かりまして」


 僕は少しだけ唇を震わせながら伝える。


「『賛成票に入れたのは私。京子は自分で考えて、正しいと思う方に投票してほしい』とのことです」


 嘘だということは、バレるなよ。


「まぁ! そうだったの。確かに陽菜さま、なにやら考え事をしていたように見えたわぁ。そんな事情があったのねぇ」


 よし! 豊臣陽菜がなぜ元気がなさそうだったのかは知らないが、良いほうに転んだ!


「そうなんです。陽菜さまは熟考した結果、やっぱり条約は結んだ方がいいと決断されたようです。彩美さまのお話が響いたようで。あくまで無記名なので、他言しないようにお願いします」

「大河内さんが激怒してたもんねぇ。それは言いづらいし、公表する必要もない。わかったわぁ」


 えらく飲み込みが早い。もしかしたら加々爪さんも、胸の内は開国派なのか?


「それで、加々爪さまはどうお考えですか? 本当に鎖国を続けるべきだとお考えですか?」

「もちろん」


 あまりの早さの即答に、僕は「えっ」と声が出そうになった。


「私はこの国が好き。変えたくないし、変わりたくない。正直、陽菜さまが賛成票に入れたのは、残念だし、失望してるわぁ」


 話の流れが少し変わった。


「陽菜さまと加々爪さまは、昔からお知り合いで、仲がよろしかったのでは?」

「女の仲の良さなんて、利益関係でしかないのよぉ」


 そうなの!?


「私は、豊臣本家とはあまり近しい関係ではなくて、付け入る隙がなさそうだったから、愛知豊臣家に取り入っただけよぉ。そしてこうして愛知豊臣家から将軍が出て、幕府も生まれ変わって、大目付から町奉行に出世した。このまま枚方幕府が続いて、現行体制の鎖国も続いてくれるのが一番よぉ。陽菜さまがどう考えようが、私たちが三票をキープすればそれでいい」


 加々爪さんのような損得で動く人は、コントロールするのが簡単な反面、本人にとって有利な条件が必須となる。

 今この状況で、加々爪さんにとってプラスになるなにかを探し出さなければならない。


「加々爪さま、もし賛成派が勝ったら、彩美さまは、加々爪さまを老中に登用するご意向があるようです」


 さすがに厳しいか。自分でも嘘に嘘を上書きする限界を感じている。


「そうだとしても、開国はするんでしょぉ? それは私の理想じゃない。変わるのがこわいの。私は四〇〇年積み上げてきたものを大切にしたい」


 積み上げてきたものを大切にするために、変わっていかなきゃだめなんだ!

 そう伝えたいが、加々爪さんの意志は固そうだ。従者である蜂須賀の姿で説得は難しいだろう。


「加々爪さまのご意思はわかりました。オブラートに包んで陽菜さまには伝えておきます」

「は~い」

「それと、今お話ししたことは他言厳禁でお願いいたしますね。陽菜さまは加々爪さまへは嘘はつきたくないということで、内密に私を使っております」


 最後に念押しをする。


「わかってるよぉ。もう仕事に戻ったらぁ?」

「お気遣いありがとうございます! 失礼いたします!」


 加々爪さんの説得には失敗した。

 一旦、蜂須賀は職場に返そう。

 二回目の投票もおそらく前回と同じになる。次のインターバルでどうひっくり返すかを考えよう。

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